53.勘違いの午後
「アフタヌーンティー……ですか?」
「ああ。おっちゃんから興味あるかって聞かれて説明も聞いたんだけど、ちょっと楽しそうでなあ」
「楽しそう、なものなのですね。よろしければ、詳しくお聞かせ願えますか」
そういえば、少し前にあの人族の商人がお礼を伝えにやって来ていたな、と思い出す。昔の話もあるだろう、と席を外していたからあの場で何を話していたのかは、聞いていない。
人族の流行り廃りを聞く貴重な機会だし、向こうもそれを分かっていて魔王様に情報を世間話として伝えている節がある。そのなかで、魔王様の興味を引いたのがその、アフタヌーンティーというものなのだろう。
「つまり、昼食から夕食の合間で行う、休憩のようなものですか」
「ざっくり言えば、そんなもんだな。お菓子とかお茶とか用意するのは様々らしいけど」
なるほど。そのくらいの時間に少しの空腹を覚えるのは、人族も魔族も同じらしい。お茶を楽しむための軽食を用意して空腹を満たしながら歓談して、気持ちを整える。これは効率が良いのではないだろうか。そう思ったので、魔王様にひとつ提案をしてみることにした。
「ならば、厨房のコックたちに伝えておきましょう」
「いいのか?」
「ご興味が、おありなのでしょう? それに、適度な休息は必要ですから」
眠くならない程度に軽食を用意すれば、魔王様にもきちんと休息を取っていただける。あの方にしか決裁出来ない書類が多いとはいえ、お休みをあまり取れない状況にはどうしようかと頭を悩ませていたのだ。
それが、人族からの提案だというのは、思うことがないとは言えないが、あの商人は――彼は、魔王様の恩人だ。自分もいい加減にこの考えを改めなければとは思っているのに、積み重なってしみついたものを正すのは、なかなかに根気がいるらしい。
「しまった、この書類を届けるのは厨房と反対側だな」
そんなことをぼんやり考えながらだったせいか、厨房に向かってから書類を届けようと思っていたのに、先に書類を届ける部署へと足を進めてしまっていた。
魔王様のお話の中から推測した軽食は、量は少なくとも種類はそれなりに用意してあった方が場が華やぐ。大皿でどんと出すのではなく、小皿に飾り付けた軽食を見て楽しむ、という側面もあるらしいからだ。なので、時間がかかるだろうからと先に伝えに行こうと思っていたのに、これは無駄もいいところだ。
さて、どうするかといったん足を止めたところに、文官の見習いがやって来るのが見えた。自分の向かいたい部署からやって来たので、おそらく彼も書類を届けに来たのだろう。各所を回って顔と城の構造を覚えさせるのが文官見習いが一番初めにすることだ、とラドも言っていたことだし。ほんの少しだけ、手助けをしてもいいだろう。
「すいません。厨房に伝言をお願いできますか。昼食から二時間ほどしたら、魔王様の執務室に軽食を持ってきてもらえるように頼んでください。甘いものを、多めにお願いします」
「分かりました!」
メモもなく、復唱もすることなく了解した見習いは、その場で頭を下げた。さすが、文官になれるだけあって記憶力がいいようだ。メモを取らなければすぐに忘れてしまう自分とは、大違いだな。
これで魔王様のご希望である、アフタヌーンティーを叶えることは出来るだろう。
そうして自分も書類を届けるために目的の部署へと向かう。国の地図を作っているこの部署には、大きな模型が置いてある。だから広い部屋が必要で、今後の増築も考えて端の部屋を使ってもらっているのだが、やはり遠い。
万が一攻め込まれた時のために、と魔法陣を設置しない方針で一致したけれど、この部署に関して言えば移動用の陣を置かせてもらってもいいのではないだろうか。
「……えっと、これは?」
そんなやり取りの後、執務室に戻ってしばらく。頼んだ時間に聞こえてきたノックの音に、自分だけでなく魔王様まで出迎えるためにドアを開けたのだけれど。
「伝言のとおりに、準備しましたけれど……」
「はははっ! これ、宴会でも出来そうな量だな!」
「執務室で、パーティーをするのではなかったのですか?」
昼食から二時間ほど。これは、合っている。魔王様の執務室。これも、合っている。伝言と違うのは、ワゴンを埋め尽くすほどに用意されている、軽食。
「グランバルド、厨房に何て伝えたんだ?」
「ええ、自分が向かうには少し時間がかかりそうだったので、通りかかった見習いに頼んだのですが……」
厨房のコックたちなら、魔王様の執務室に軽食を、と伝えれば三人分ほどを用意してくれるはずだ。そう思って、何人分と伝えるのをすっかり失念していた。
これは、きちんと伝えていなかった自分のミスだ。しまった、とワゴンから視線を逸らすと青ざめているコックの姿が目に飛び込んできた。
「申し訳ありません! 伝えてきた者にはよく言って聞かせますので……!」
「上手く伝わらなかった、ってことか。とっさに頼んだんだろうし、仕方ないだろ。別にこれくらいで処罰なんてしないから、安心していいぞ」
魔王様と自分が無言だったうえに、おそらく想像していた反応とは違ったのだろう。そこから、厨房に伝言に来た見習いが間違っていた、なんて簡単に想像できてしまう。
だから、このコックは即座に腰を折った。ミスを犯してしまった見習いを、庇うように。
それは、先代魔王様の時には処罰されて当然のミスだ。けれど、今目の前にいる魔王様は、よほどのことがない限りは処罰を下さない。分かってはいるだろう。代替わりしてから今まで、犯罪まがいの事に手を染めた者を除けば、城を追い出された者はいないのだから。
このコックは壮年で、自分よりも長くこの城に勤めている。やはり、長年の習慣というものはすぐに変えられるものではないらしい。
「それじゃ、これは引き取るからお前は業務に戻ってくれ。ああ、だけど俺とこいつの夕食は、なしにしてくれるか」
再度腰を折ったコックは、静かに執務室から離れていった。その背中を、はっきりと申し訳ないと書かれているのが見えるほどに丸めて。
ワゴンの盛り具合を見るに、おそらくコックたちは楽しく作ってくれたのだろう。どれも、丁寧に飾り付けてあるうえに、魔王様が好んで食べている物ばかり。あの雰囲気で厨房に戻ったら質問攻めだろうし、他のコックたちも同じように背中を丸めてしまうことに、申し訳なく思う。
「魔王様、申し訳ありませんでした」
「ん? 謝罪はいらんぞ」
「いえ、自分が直接厨房に向かって伝えていれば、このような事態は避けられたはずです。少しの手間を惜しんでしまったことが、こうして伝達のミスになるなど容易に想像できたのに」
うきうきとワゴンを部屋に運び、書類で埋まっている机の上を片付け始めた魔王様に、自分からも謝罪を。
片付ける音が止まり、しんとした空気が流れる。見習いやコックに処罰はなくとも、自分にはあるだろう。そう思っていたのに、ぽんぽんと背中を叩かれたことで思わず顔を上げてしまった。
「全てをグランバルドがやってしまったら、成長の機会がない。そう思ったから、見習いの力を借りようとしたんだろ?」
「魔王様には、隠し事が出来ませんね」
「それなりに長く一緒にいるからな。ミスはあった。けど、それは誰かが不利益を被るものじゃない。だったら、俺が怒る必要なんてないだろ」
ラドから話を聞いていたから、少しでも自分が力になれるかもしれない。そう思い伝言を頼んだのも嘘ではない。
そうなった経緯を話そうとしたけれど、結局は言い訳のようになってしまうような気がして。最終的には、魔王様のご厚意に甘えさせていただく選択をした。けれど、そんな自分の考えすらも、きっと魔王様には筒抜けなのだろう。本当に、敵わない。
「問題があるとしたら、だ」
テーブルの上に置いてもなお、ワゴンに残る軽食。パーティー用に飾り付けてくれたから、皿が幅を取っているのだと思ったけれど、これは単純に作ってくれた軽食の量が多い。
そっと自分のお腹の具合を確かめてみるけれど、軽食を頼んでいるからと少なめにした昼は、まだかなり残っている。それを計算してこの量は、さすがに収まりきらない。
「昼、食べてそんなに時間経ってないのにこの量はさすがに食べきれんよな」
「ヴェルメリオを、呼んでまいります」
「ついでに、文官たちのところに寄り道してくれるか? 少し分けてくれ」
「ありがたくお預かりします」
今日の訓練は、離れた場所にいても魔王様の魔力を感知できるかどうかだと言っていたヴェルメリオは、この部屋にいない。すぐ近くの部屋にいるとは言っていたから、いくつかドアを開ければ見つけられるだろう。文官たちの政務室へ向かう通り道だ。
手違い、勘違い……なんといって渡せばいいだろうか。こういうときにあまり言葉が上手くないから、相手の負担にならないような言い方が出来なくて嫌になる。
政務室をノックしてすぐに、あの時伝言を頼んだ見習いがコックと同じように背を丸めていたのが見えたので、とっさに口から出たのは、来客の予定が無くなった、だったけれど。
「お優しいことですねえ」
「ま、これが何度も同じことしてたんだったら、話は別だけどな」
「その言葉、しかとこの胸に刻みます」
そんな会話をしながら摘まんだ軽食は、どれも美味しかった。




