52.執務室の日常
「報告書の頻度を、ですか」
「ああ、そろそろ習慣にもなっただろう。魔法陣も順調に設置できたしな」
各領地に、三か月に一度のペースで送ってもらっている報告書。領地の収支や、そこに住む人たちの困っている事、要望などを書き添えてもらい城に送ってもらっている。
先代が人族の国を襲撃することに夢中になる前までは行われていたそれを、復活させたのだ。当然、始めた時には反発もあったし、順調なんて言葉が出ることなどなかった。それを地道に声掛けし、習慣として根付かせるように行動したのは魔王様だ。
それが実り、こうして報告書は遅れることなく届くようになった。となれば、今度はそれがどの程度領主への負担となっているのかを考える段階なのだろう。
「そうですね。定期的に書類が届くおかげで、文官たちの仕事も滞りなく進んでいます。順調すぎる、とも言えますが」
「それは……まあ。人員も増やしたし休日は取れているんだろう?」
「ええ。魔王様が率先して人材を回してくれたおかげだと、文官たちからも感謝をいただいております」
ようやく魔王様の執務室に書類を届けられるようになった文官と、少し言葉を交わす程度の時間も取れている。毎度、それなりの量の書類をやり取りしているから、顔色や足取りがふらついていないかなどはチェックしているが。あとは定期的に自分の部屋で行われるようになった飲み会での、ラドからの話。
日々の業務の中で、各領地からの報告書を取りまとめ、前回のものと見比べてあまりに数値が違う箇所がないかチェックをして。そして原因だろうものを調べて裏付けを取ってこちらに戻す。
それを、各領地分こなしてもらっているのだから、文官はどれだけ人がいても時間があっても足りないだろう。
「新人を育てるのも、やりがいがあると言っていましたよ。日々書類に向き合うだけではなく、活気が出たと喜んでおりました」
「新人を育てるのは、どの部署も同じだけどなあ。文官はあまり表に出ない職種だから、今までは募集をかけても応募は来なかったんだけど……」
魔王様の声が沈むのも、無理はない。本当に今までは募集をしても文官を希望してくる人材など来なかったのだ。希望外の部署に配属して、すぐに辞められるくらいならと試用期間を作ってみても、その期間すら途中で放棄されてしまう。
そんな状況が変わってきたのは、ごく最近の事だ。
「今では、この城で働くことは街の住人のみならず、国の魔族にとってもあこがれとなっております」
「国、とは言い過ぎだろう。確かに辞めるって言い出すのも少なくなったが」
待遇は前と変えていない。そして、募集をかける周期も変更していない。変わったのは、この街、そして国に住む人々の意識。魔王様が地道に、人々が暮らしやすいようにと生活を整えるような事をしてきた成果なのだろう。
「それだけ、魔王様の治世が皆に受け入れられているということです。反発する貴族も、だいぶ落ち着きましたから」
「それはありがたいことだよな。先代が王座を奪還、とか少し考えていたけどさ」
「それはないでしょう」
即座に否定の声を上げたのは、今まで執務室にいなかったヴェルメリオ。その後ろには、緊張した面持ちの二人がいた。同じ装いをしているので、おそらく見習いだろう。思えば、こうして護衛の見習いが来る回数も増えているような気がする。それだけ軍部の人材にも余裕が出てきたという事だろうか。
「ヴェルメリオ。今日の訓練は終わりか?」
「ええ。護衛見習いたちの監督がありますので」
そっとヴェルメリオが後ろに下がり、前に出された二人がハッとした様子で頭を下げた。魔王様が朗らかに手を振って挨拶をしているのを見て、安心したように肩から力を抜いている。
その様子を見て一瞬だけヴェルメリオの目が細くなったことに、当然二人は気付いていない。後ほど指導が入るだろうから、自分からは何も言わないことにした。
「そちらにも、新人はたくさん入っているのですね。訓練は順調ですか」
「ヘンドリック様が丁寧に組んでくださっています。私は魔王様の護衛もありますので、半分程度しか参加しておりませんが」
わざとらしく言葉を区切ったヴェルメリオは、挑発するように口を吊り上げた。
「まだ、そこらの新人に勝たせてやるつもりは、ございません」
「言うなあ、ヴェルメリオ」
「ですが、魔王様の護衛なのですから、それは正しいかと。新人に負けるようなら護衛も、見習いの監督も出来るはずがありませんので」
ケラケラ笑った魔王様も、それを否定しないどころか全力で肯定している自分も、どうやらヴェルメリオの思い通りの行動をしたようだ。
さすがにそのままで見習いといえ護衛の任務に就くのは、少しばかり心が痛む。この程度で折れるようならそれまでだが、また一から育て直すのにも労力がいる。わずかでもフォローするかと思い口を開いたが、自分より魔王様のほうが早かった。
「それもそうだな。お前らも、ヴェルメリオまでとは言わんが、目標にして精進しような」
「はいっ!」
「いい返事だ。これは今後が楽しみだな」
守るべき主にここまで言われて、張り切らない者が護衛見習いに選ばれるだろうか。思った以上に効果の出た魔王様のお言葉は、間違いなく彼らにいい影響を与えるだろう。目標、とされたヴェルメリオは少しばかり面倒くさそうな表情を見せているが。魔王様に言われたのだ、嫌とは言えないだろう。
「そうだヴェルメリオ、さっきの先代の話だけど。どうしてそんなにないって言いきれたんだ?」
「あの方が引く時の見極めは、間違いありませんでしたから。いくら王冠からの言葉があったとしても、王であれば好きに人族を襲撃できる。そんな手放したくない立場から、足掻きもせずに離れたのです」
書類をいったん端に寄せ、広くなった机の上で組んだ自身の指の上に顎を乗せた魔王様。楽しそうな金の瞳を向けられたヴェルメリオは、そう判断した自分の考えを話し始めた。
確かに、王の代替わり直後は、そうして返り咲くのを狙っているだろうとこちらも踏んでいたし、そうだろうと思って対策を練っていた。結果、先代魔王様から差し向けられた暗殺者など一人もいなかったけれど。
「つまり、魔王様を敵に回してまで玉座にいるのは自らの分が悪い。そう判断したと?」
あの、人族と見れば殺傷力の高い魔法を放っていたという先代魔王様が、宰相に連れてこられた時には魔法の使い方を知らなかった魔王様を見て、そう感じたというのだろうか。
けれど、それがもし本当なのだとしたら、先代魔王様からの暗殺者や、政務の邪魔が一度としてなかった事にも納得がいく。
「推測の域を出ませんがね。魔王様は、代替わりの時にお会いしているのでしょう? 何もお聞きになっていないのですか?」
「聞いてもないし、言葉を交わしてもないな。宰相に連れられて、王冠を渡された時には目も合わなかったし」
「……そうですか」
引き際を心得ていたという先代魔王様、それが敵わないと判断したのだったら自分を印象付けるような真似もしないだろうけれど、さすがに言葉も交わさず、目も合わせないのはどうなのだろうか。
それほどまでに、魔王様に何か大きな感情を抱いたというのか。その答え合わせが出来る機会は、どれだけ願っても今後、来ることはないだろう。
「お前たち。分かっているとは思いますが、ここで見聞きした事を一言でも漏らしたら……分かっていますね?」
碧眼をスゥっと細めたヴェルメリオに、見習いの二人は壊れたおもちゃのように首を縦にぶんぶんと振ることしか出来ていない。
先ほどまで魔王様に見せていた表情とはまるで違い、温度をなくしたようなその眼差しを向けられたのだから、動けただけでも反応はいい方だ。
「よろしい。では、グランバルド。その報告書を貸していただけますか。軍部の持っている情報と差異がないか、確かめますので」
「どうぞ。今後は、各領地に提出してもらう頻度を、半年に一度ほどにしようかと考えています」
「いいんじゃないでしょうか。魔王様の負担も減るでしょうし。もちろん、グランバルドも文官たちも、領主たちもですが」
魔王様からの提案に、そういえばどの程度にするかまではまだ話していなかったな、と思ったが一年では長すぎるし、四か月だと伸びた感じがしない。そう考えて半年、と口に出してみたけれど、魔王様から反対の声は出なかった。それどころか頷いているので、これはそのまま確定するだろう。
「だな、それじゃ、これにそうやって返事して送るか」
そうして、各領地に確認した旨を送るお礼と共に、次の報告は半年後だということを添えて返事を出した。




