50.書類の裏で企み
「グランバルド、準備して欲しいことがあるんだが」
「はい、なんでしょうか」
魔王様がペンを置いてからしばらく、無言の時間が続いたと思ったらいつもよりも少し硬い声で告げられた、用件。
即座に自分もペンを置いて、魔王様に視線を向ける。その先にいる魔王様は、金の瞳を見開いて驚いていた。
「……自分で言っておいてなんだけど、俺にすぐ同意するのもどうかと思うぞ?」
そうして苦笑いをする魔王様に、ああそういうことかと先ほどの表情の理由を見つけた。魔王様の側近だけれど、盲目的に従うというわけでもないんだが。
「魔王様なら、ご自分で出来る事ならすでに行動に移していらっしゃるでしょう?
そうしなかったのは、側近を通した方がいいと判断したからではございませんか?」
「全く、敵わないな」
「これでも、魔王様の傍には誰よりも長くいるという自負がございますので」
貴族で世話をしてくれる人が傍にいるのが当たり前の環境で育ったはずなのに、魔王様は自分の事は自分で出来てしまう。それは、魔王になる前にいた町での生活がかなり影響しているはずだ。
その過去を知っているからこそ、魔王様は最初から人の手を借りることを好まないと理解している。
「そうだったな。いつもありがとな」
「もったいないお言葉です。それで、準備することはどのようなことでしょうか」
「人族の王に、会おうと思ってな」
これは、予想外だった。人族の王とは代替わりの挨拶をしてから、やり取りはほとんどない。向こうにいる魔族から時々、どのような情勢なのかは教えてもらっているけれど、王同士での手紙などはしていないはずだ。
必要以上に関係が近くなるとお互いによくないというか、向こうがどうにもこちらを利用しようとしているのを感じ取った魔王様が、適切な距離を保っているとも言えるのだが。
「昔世話になってたおっちゃん、覚えているか?」
「ああ。あのお、かたですか」
危ない。人族というだけであの男と思わず言いかけたのをどうにか修正する。人族という大きなくくりでは好まないがあの男は昔の魔王様の恩人だ。あの男を始め、辺境の町の尽力がなければ魔王様が王としてこの場にいることは、なかったかもしれないのだから。
「あのお方なんて、そんな丁寧に呼ぶようなもんでもないけどな」
「ですが、魔王様の恩人です」
「あ~、まあ……そうなるのか。とりあえず、いったんそれは置いといてだな」
そう。恩人である。なので、自分はこれからの接し方というか呼び方を改めなければならない。自分にも言い聞かせるように短く切った言葉を、魔王様は苦笑いで聞いているけれど。
置いておく、と一度話を区切った魔王様は、苛立ちを隠せないようにぐっと拳を握った。
「魔族との取引が上手くいっていることを、人族の王につつかれているらしい」
「王が、いち商人をですか」
そんなことに構っているほど、人族の王は暇なのだろうか。こちらは毎日どれだけ処理してもたくさんの書類がやって来るというのに。
「ま、表立っては動けないだろうからな。裏から商人に手を回してあいつの商品を買わないように圧力かけてるんだろ」
「それは、つまり我々の商品が売れていないという事ですね」
手段など、どうでもいい。問題は彼を通じている我らの商品が、届かずにいるということだ。なるほど、確かに魔王様が苛立ちを感じるには充分だ。もともとの彼に対しての感情だってあるけれど、それ以上に魔族の商品を預けるに値すると思っていた商人が、同族から不当に扱われているのだから。
「商売相手はあいつだけじゃないから、こちらの打撃にはならんと思われているんだろ」
「それはいけませんね。彼は、魔族からの信も得ている、こちらとしても手放し難い人材です」
そう。魔王様の恩人という事を除いたとしても、彼は町の商人という身軽な身分を活かしてこちらの商品が届かない辺境へと販路を作ってくれているのだ。
彼自身が得ている金銭は確かに少ないが、それよりも大切なのは魔族ではその販路を見つけることが出来ないというところだ。
魔石に、魔道具。これらは人族の国でもなくてはならないものという立場を得始めている。人族の国にいる魔族だけではとうてい賄いきれないレベルで消費しているのだから、無視できない存在になっているというのは間違いないだろう。
「そ。だから、ここらで一発怖い所見せとこうと思ってな」
「かしこまりました。ですが、少々お時間をいただきたく思います。ヴェルメリオにも力を借りましょう」
そういう意味の準備であれば、自分の領域だけでは不十分だろう。ないとは思うけれど、向こう側から力でごり押しされる場合だってあるかもしれない。
まあ、人族は魔法をほとんど使えないのだからおそらく大丈夫だとは思うが。だからこそ、前魔王様は人族の国を好き勝手に侵略していたし、人族はそれに抵抗できなかった。その時の経験から、魔法に対抗できる何かを研究している可能性だってなくはない。その辺りはヴェルメリオに頼った方が早い。
自分が調べるのは、向こうが商人を潰した場合に出る損失の計算、それから商人が今のように自由な商売を続けた時に人族が得られる利益の話だ。
王なのだから、その辺りの損得が計算できないような人物ではないだろう。短絡的な思考で目の前の利益を捨てるか、長期的に見れるかどうか。そこからどう判断を下すかまでは、こちらの関与するところではない。
「ああ。手段は任せる。人族の法に触れない範囲だったらな」
「もちろんです。こちらに隙など作りませんよ」
一方的に向こうを調べるわけではない。きっと、あちらだって商人の動きを見てこちらの状況を推測しているのだろう。追及されるようなところは潰していく。そもそもこちらが人族の国相手に商売しているところは、値段を吊り上げたりなどしていない。それが魔王様の方針なので、勝手に値段を変えたり売り上げをごまかしたりしたことに気づけば、すぐに商売用の資格をはく奪しているからだ。
この辺りも書類の減らない理由の一つなのだが。ああ、これからは人族の法とこちらの調べたことのすり合わせもしなければならないか。相変わらず書類は減らないだろうが、仕方ない。
「頼りにしてるな。それじゃ、今日も仕事をするとするか」
「そうそう。中庭の畑、ようやく形になったそうですよ。あとで休憩がてら散歩に行きましょう」
「お、それは楽しみだな! そんじゃ、こいつを早く片付けるとするか!」
ふっと空気を変えた魔王様に、この方が正しく王であって良かった。そう思いながら自分も書類を片付けるべく、ペンに手を伸ばした。
乾いたインクを拭いながら思う。インクを自動で補充してくれるペンの開発に成功して欲しい所だ。




