48.穏やかな時間
「え、一日の過ごし方を教えて欲しい……ですか」
今日は朝からどの部署を回ることもなく、直接魔王様の執務室に向かうことになっていた。そうして執務室についてみたら、挨拶もそこそこに言われたのが、これ。
さすがに意味を図りかねて問いかけのような形になってしまったが、そんな自分を見て魔王様もそうだよな、と苦笑いをしている。
「城で働きたいと思っている若者のために、教えて欲しいって頼まれてな。俺の動きとも連動するから、事細かには伝えられんが」
「ああ、そういう事なら喜んで。自分の一日の過ごし方など、いったい何に使うのかと思いましたよ」
魔王様が代替わりして少し時間が経ったからか、城で働きたいという人はじわりと増えてきている。けれど、そのすべてを受け入れることは出来ないし、お試しで働いてもらったとしても結局辞めていくことだってある。
定期的にまとまった募集をかけてはいるけれど、定着しないからどうしたらよいだろうかという話をしたのは、つい最近。
そのなかで、城の業務について先に知ってもらったらイメージしやすいのではという案も出ていたな、と思い出した。
「それじゃ、今日の流れを伝える方向でいいか?」
「もちろんです。本日はおそらく一日執務室にいると思いますが」
「どんな仕事をするか、分かってもらうのには一番だろ」
「魔王様がそう仰るのであれば」
スケジュールを記録するにしても、何の面白みもないしパッと見ただけでは部屋にこもりきりだから、立場のわりに楽な仕事だと思われるかもしれない。
それを一番良く分かっている魔王様が今日のスケジュールでいいと許可を出したのだから、きっと自分には思いつかない何かを考えていらっしゃるのだろう。
魔王様は書類の隣に記録用の紙を置いてから、ペンを持った。それからほどなくしてカリカリと何かを書き込む音が聞こえてくる。
書類を見ている魔王様の姿は真剣そのもので、スケジュールを伝えるよりもこの様子を見てもらう方がよほど仕事に対しての理解も深まるだろうと思うのだが。
「それでは、こちらの書類を政務室に届けて参ります」
「よろしく頼む。ついでに、昼ご飯を済ませてくれていいぞ」
もう一度練り直してもらう分と、許可を出せる分。仕分けて文官たちのところに持っていくのに立ち上がれば、くるりと小さく空腹を主張する音。昼の食堂が一番混む時間を少し過ぎたあたり、いつもとさほど変わらない時間のはず。
今朝の食事を特別少なくした覚えもないが、一度そうだと自覚してしまえば空腹がはっきりと感じ取れる。
この部屋にいるのは魔王様と自分、そして護衛の二人だけなのでさっきの音は確実に耳に届いただろう。だからこそ、昼食を済ませていいと言ってくださったのだが。
「……自分がそちらで済ませてしまうと、魔王様は食べませんよね。こちらに持ってきます」
「いや、これ終わったら行くつもりだったから、そっちで合流しよう」
「分かりました。お待ちしておりますね」
魔王様が自分を気遣ってくれたように、自分も魔王様が食事を抜いて仕事に向き合うかもしれないという考えは常にある。
ずるいとは思ったが、こう言えば魔王様はあの手に持っている書類が終わらなくても、食堂にやって来るだろう。空腹の自分を待たせるわけにはいかないと考えてくださる、優しい魔王様だから。
「お、来た来た! 今日はいい魚が入ったんだよ。お前、肉よりも好きだったよな?」
政務室にはラドもいたが、会話もそこそこで切り上げて食堂へ向かう。昼の混雑は落ち着いた時間帯だからか、厨房のコックたちも交代で食事をしているようだった。
そのなかで声をかけてくれたのは、コック長。魔王様が代替わりしてから厨房のすべてを任された人だが、下働きの時から城にはいるので、お互いすれ違えばちょっとした会話はする仲だ。
「覚えていてくれたんですね。ありがとうございます」
「ここは肉好きな奴のが多いからな。魚食べてくれる奴は助かるんだよ。あ、でも肉の気分だったら言ってくれよ? 食事はいやいやするもんじゃないからな!」
「いえ。今日はあまり動かないので魚が食べたかったんです。後から魔王様がいらっしゃるので、肉はそちらに」
こうして食事を選べるようなシステムにしたのも、この人の発案だ。仕入れの関係で出来ないときもあるけれど、出されたものを食べるのではなく、食べたいものを食べたほうが満足すると言われた時には、魔王様も深く頷いていた。苦労をなされている方だから、同じような境遇にはしないと意気込んでいたので、城で働く者たちの待遇は、おそらく歴代のなかでも上位だろう。
「お? 今日はこっち来るのか。珍しいな」
「書類の処理にも少し余裕がありますので。それに、今日のスケジュールを仕事の紹介とするそうなので、休憩をきちんと取っておきませんと」
多少の修正は入れるだろうが、さすがに休憩もなしに働きづめのスケジュールを見せるわけにはいかない。魔王様の治世が軌道に乗ってきたからこそ、これから働く者には長く付き合ってもらいたい。
紹介の段階から敬遠されるようなことは避けるべきだ。
「新人か。それ、厨房に少し多めに欲しいって今話してもいいか?」
「構いませんが、書類は後からでも出してくださいね。口約束だけで話を進めることは出来ませんから」
「もちろんだ。先に話が通ってるだけでもありがたいからな。よろしく頼んだぜ」
コック長との話に一区切りがついたとき、ちょうど魔王様が姿を見せた。魔王様の魔力にだいぶ慣れてきた者たちばかりだけれど、念のためと厨房へ移動する。
そうして予想通りに肉を選んだ魔王様を見て、コック長と二人、にやりと笑う。訝しげにこちらを見ている魔王様に先ほどまでの会話を簡単に説明したりして、食事の時間は穏やかに過ぎていった。
「鐘が鳴ったな。グランバルド、そっちの区切りはついたか?」
「ええ、一応は」
もともと、今日はそこまで差し迫った書類はなかったし、緊急での案件も来なかった。スケジュールを作る意味では、その辺りがあった方が仕事の事をもっと知れたのかもしれないが。
そんなものが頻繁にあっても困るので、どちらかと言えば今日の流れを知ってもらっていた方が良かったのかもしれない。
「そんじゃ、今日は終わりだ。お疲れ様」
「このスケジュールは、どなたに渡せばいいのですか?」
昼食の時間に合間の休憩、それらもきちんと書き留めてくれている魔王様は、なにやら満足げだ。実際に自分たちが働いているスケジュールを見ることがなかったので、こう改めて確認すると思っている以上に書類と向き合う時間は多いのだと感じたけれど。
それだけ、まだ他の部署や人員に割り振れない仕事が魔王様にあるということだ。人を増やして育成する。言ってしまえば簡単だけれど、それが大変だという事はこの立場になって痛感している。
「ああ、それな。各部署から俺のところに集められるから、ここに置いておいてくれ。外に出しちゃまずいのがないかどうか、確認しなきゃならないからな」
「そうですか。では、よろしくお願いいたします」
募集をして説明をすると言っても、本当に城で働くかどうかはまだ分からない。その状態で伝えられる情報は限られている。今回、スケジュールを出してくれた部署でも修正を入れてくれるだろうけれど、最終的な判断を下すのは、魔王様になる。それは、自分が手伝っていい領域ではない。
「ああ、ありがとな。ゆっくり休め」
「ありがとうございます。失礼いたします」
結果となって現れるのはしばらく先になるだろうが、これが参考になって働きたいと思ってくれるのであれば、とてもありがたい。
もし、優秀な人材が来たとしても、側近として望まれるような自分でいるために、もっと知識を深めなければならないな。
いつもと同じくらいに仕事は終わったけれど、少し気持ちに余裕があるので図書室にでも寄ってから帰ろう。
軽い気持ちで手に取った本が面白くてのめりこんでしまったのは、魔王様には秘密だ。




