45.褒美の裏側
「あなたは……とは」
口の端を上げたヴェルメリオは、自分を見てゆるりと笑う。その表情は、今まで魔王様の護衛をしていた時や自分たちに魔法を教えてくれているときには、見せなかったもの。
「おかしなことを聞きますね。貴方が言ったのでしょう? 何か、魔法を使ったのだと」
「言った、が……それは」
「そう。術者が私だとは思わなかった。そうでしょう」
問いかけるような口調ではない。自分が、そう思っていると確信しているようなヴェルメリオに反射のように言葉を返す。
「その通りだ。どうして、お前がこのような真似を!」
「どうして? 私だって魔族の端くれ。王を狙うのであれば、その周辺から排除するとは思いませんか」
「まさか、魔王様を」
魔王様。その言葉を聞いた瞬間にざっと血の気が引いた。そうだ、ヴェルメリオは今まで魔王様と一緒に涼んでいたはず。
魔王様の魔力は魔族の誰よりも多いし、全てをヴェルメリオに任せきりの自分とは違って、魔法だって独自に勉強なさっている。負けるはずはない、そう思いながらもならばどうして一緒にいたはずなのにヴェルメリオがここにいるのか、という疑問に行き着いてしまう。
感情の読み取れない笑顔をしている男が、答えをくれるはずなどないとは分かっているけれど。
「ふふ。さあ、どうでしょうか。ご想像にお任せしますよ、グランバルド」
答えをくれないのなら、答えなければならないような状況に持っていくだけ。あいにくと、この場は脱衣所。温泉に入っていた自分は、タオルを腰に巻いているだけ。対するヴェルメリオはきちんと服を着ている。湯上りの楽な恰好ではなく護衛をするときと同じ服装なのは、あいつの行動が突発的なものではなく、前から計画されていたものだと告げている。
「貴方に魔法を教えたのは、私です。手の内は全て知っている。それでも、私にそれを向けますか」
「勝てずとも、この場を切り抜けなくてはならないだろう!」
そう、この場でこの男を倒すために使えるのは魔法と、どうにか切り抜けるために考える事を止めない自分の頭だけ。
戦場でしか見せたことのないだろう目線の鋭さをもってこちらを捉えているヴェルメリオと対峙するのは、初めてだ。
戦場に出たことのない自分が、勝てるとは思わない。思わないけれどこの場から逃げることは無理ではないはずだ。
不十分なものしか出来ないけれど、あの倒れこんでいる二人には結界を張って、それから目くらましに使えそうな魔法は、何だったか教えてもらったはずだ。思い出せ、思い出せ!
「合格ですよ、グランバルド」
「――は?」
簡単に弾かれた上に、自分が作ったものが子供のお遊びのようなものにしか感じられないくらいの炎の球を返してきたヴェルメリオが、ひときわ深い笑みを見せた。
その直後に聞こえてきた、意味不明な言葉。思わず声が漏れてしまったのも、無理はないだろう。
「おや、耳には攻撃を当てていませんが……聞こえなかったのですか」
「聞こえたが、意味が分からん。合格とはなんだ」
腹の立つ言い方はともかく、先ほどまで視線の鋭さは消えている。これ以上戦う意思はなさそうなので、こちらもほっと息を吐く。短い時間だったけれど、体への負担はすごかったようだ。今になって膝ががくがくと震えてきた。もう一度、温泉に浸かって体も頭も緊張から解き放ちたい。
これから説明をしてくれるだろうから、それが終わったらゆっくりと休ませてもらおう。文句は言わせない。
「説明は、このお方からしていただきますね」
「ヘンドリック様!? 魔王様まで……!」
脱衣所の扉を開けて入ってきたのは、軍の実質的な最高責任者を任せているヘンドリック様。そして、体に一つの傷もない魔王様。
ヴェルメリオが本気でなかったことに安堵したのと同時に、どうして自分がこんな事をされたのかという若干の怒り。その感情のままに文句の一つでも言ってやろうと思ったら、自分の視界いっぱいに紫色が飛び込んできた。その隣で、緑も揺れる。
「黙っていて、すまなかったな。グランバルド」
「この件においては、全ての責は私に。魔王様とヴェルメリオには、私の計画にご協力いただいただけです」
魔王様と、ヘンドリック様が自分に向けて頭を下げている。何を、とも思ったしどうして、という疑問もある。そんななんとも言えない感情を飲み込んでから、長く息を吐いた。
「説明を、していただけるのですよね」
「もちろん。ですが、その前に」
パチン、とヘンドリック様が指を鳴らす。自分が必死に思い出しながら作った結界。歪な出来だったけれど、まさかそんな動作一つで簡単に砕ける程度の物しか作れていなかったとは。
ヴェルメリオに対してもそうだけれど、ヘンドリック様にも悔しいと思う気持ちはあるが、敵わなくて当然だという気持ちも同じくらい、ある。
所詮、下働きの出身なのだ。戦いに身を置いている二人とは気持ちの向き合い方から違うだろう。
敵わなくて、まともに戦えなくて、当然なんだ。
「起きなさい」
「っ!」
「俺……え、ヘンドリック様!?」
「落ち着きなさい。最初から説明します」
倒れた二人と共に着替えてから、魔法陣を使って城に戻る。すべてが終わった後にもう一度温泉に入り、何も考えずに空を見上げてぼんやりできると思っていたのに、それは出来ない話だったようだ。
それでも、さすがに申し訳ないという気持ちはあの謝罪一つでは収まらなかったようで、戻った後に通された部屋には、十分な量の食事が用意されていた。
二人は喜んでいたけれど、自分はあまり気持ちが浮上しなかった。だって、この料理は自分が好んで頼むものだ。それを知っているのはヴェルメリオと、魔王様。
この件を計画したのは、ヘンドリック様だけではない。そう、思ってしまったから。
「つまり、今回の温泉はあれを勝ち抜いた褒美じゃなくて、最後の試験だったってことですか」
「簡単に言ってしまえば、そうなります」
「どうして、そんな事したんですか」
最初に何をされたのかは知らないけれど、怪我をするような試験ではなかったと思う。けれど、自分がヴェルメリオからお見舞いされたように、殺意のある攻撃はされたはず。
だから、二人の疑問は最もだ。
「……あなた達二人は、ヴェルメリオが魔王様を害したと聞いて、即座に攻撃の姿勢を取った。我ら唯一の王である魔王様を守る者として、その職務を任せられるだけの気持ちがあるのか。それを、見たかった」
「護衛は、魔王様に簡単に近づけます。そして、それは同時に魔王様に危害を加える気があれば出来てしまうと言える。その見極めのためですよ」
もしかして、今までたくさん軍部から護衛見習いがやって来ても定着しなかったのは、それが理由だろうか。ヴェルメリオからは忙しいと聞いていたし、実際に土地の調査に行ってもらうのは軍部任せになっている。文官だけでは対処しきれないようなところにもだ。
だから人の入れ替わりが激しいのは仕方ないのだと思っていたけれど、そうでなかったのならば。
「ヴェルメリオがふるいにかけたのだから、おそらく大丈夫だとは思いましたがね。それでも、万に一つの可能性でも我らが王に害をなす可能性があるのなら、見逃すわけにはいかないのです」
訓練帰りでシャワーを浴びることもなく執務室にやって来るヴェルメリオに、軍の最高責任者を任されているのになかなか顔を見せないヘンドリック様。
こうして、今までも自分の知らないところでヘンドリック様とヴェルメリオが護衛見習いの職に就いた者、ひとりひとりを確かめていたのだろうか。
料理を好きに頬張っていた二人が、動きを止める。そして、口調は違えど同じ意味の言葉を口にする。
「それで、合格ですか」
「ええ。これからに、期待していますよ」
にっこりと優しい笑顔を見せたヘンドリック様。その言葉の真意を二人が知るのは、しばらく経ってからだ。
「まっじであの方の笑顔は信用なんねぇわ!」
「おう、今日も負けたんだってなあ。庭にまで叫び声が届いてたぜ」
「え、そんなところまで聞こえたんですか」
「馬鹿言うな。そいつは今日、軍部の使う訓練場の芝を手入れしていたんだ」
「クリフ、嘘はよくない」
そんな会話が自室で繰り広げられるようになるのは、少し先の話。




