44.ご褒美
「温泉って、気持ちいいですね……」
「魔王様が気に入ったのも分かるなあ。あ~これ、癖になりそう」
周りの環境が整って魔法陣を使わずとも行けるようになるまで、存在をあまり大っぴらにしていない温泉。執務室では温泉に行けることを隠してはいないし、魔王様が時々行ってくると告げることもあるので、護衛達の間では認知されていた。けれど、見たことも行ったこともない人に説明したとしても、それが果たして本当に気分転換になるのかどうかは、体験してみないと分からない。
温泉に行くときの護衛を頼むのはヴェルメリオにだけ。執務室の護衛は入れ替わるけれど、誰も温泉というものがどんなものなのかは分からない。
そんな話をヴェルメリオに聞いたから、今回の計画が立ち上がったのだけれど。
「日頃の労いを込めて、という事です。さすがに全員を連れてくる事は出来ませんでしたが」
軍部の中でも護衛達から話が広がっているらしく、希望者は多かったそうだ。それでも、希望した者全員を連れてくるにしてはこの場は狭く、業務を疎かにも出来ない。
参加者を絞るのはヴェルメリオに任せたので、自分も魔王様も今回の人選をどのようにしたのかを、実は聞いていない。
「そんな申し訳なさそうな顔をしないでください、グランバルド様! これは勝ち上がった褒美なんです」
「そうですよ! 俺ら、すっごい頑張ったんですから!」
「そういう事なら、自分の発言は頑張った皆さんを侮辱するものでしたね。申し訳ありませんでした。それでは、存分に温泉を楽しんで帰りましょうか」
ざばっとお湯をかき分けてまで自分の近くに寄ってきたのは、ついこの間まで護衛見習いだった二人。正式に護衛の任務に就くようになってからは、あまり訓練に参加する時間だって取れなかっただろうに、それでも優秀な成績でもって今日の権利を勝ち取ったようだ。
二人の言葉から察するに、ヴェルメリオは軍部の中でトーナメント戦でもしたのだろう。魔法の使用を許可したかどうかで成績は変わるかもしれないが、どんな状況であっても戦える二人なのは間違いない。
ヴェルメリオ本人は魔王様と共に別の場所で涼んでいるので、その真意を聞くことは出来ないが。
「もう次回の開催を望む声がありましたよ! 帰ったらそいつらに自慢してやります」
「護衛への士気が上がるのはいいことですね。魔王様の傍では、あまり出番がありませんから」
「護衛なんて、やることないならそれが一番っすよ~! それに、魔王様は俺らにも優しいから、護衛って今は人気なんです」
代替わりをした魔王に、暗殺者が向けられるなんてよくある話だ。先代魔王様は戦に明け暮れていて一か所に留まることがなかったうえに、常に隣には宰相がいた。そもそも、自分の力で人族の国を破壊することを唯一の娯楽のように思っていたあの方に、武力で敵う者なんてどれほどいるだろうか。
次代に選ばれたのは、見た目では強いとも思えない、辺境から連れてこられた何も知らなそうな青年。侮られるのは、当然だろう。
魔王様も、ご自身が魔王となる時にそれは考えていたようだったから対策もしていたけれど。
即位直後から見ているからか、今の護衛を入れ替えたりこうして少し城を離れたり出来ることは、嬉しく思っている。それ以上に、あまり仕事のない護衛にそのように思ってもらえていると知れたのは、今回の収穫だ。
「嬉しい話を聞けました。ありがとうございます」
「お礼言うのはこちらのほうです! グランバルド様だっていつもよくしてくださいますし」
「自分に出来ないことをしてくれる皆さんに、敬意を払っているだけですよ」
「それだって出来ないやつは多いんですって~! 軍部ってだけで見下されることばっかですもん」
もう一人が慌てて水音を立てたけれど、しっかりと届いてしまった言葉。魔王様が即位してから、いろいろなところを改善しようとしている。下働きだった自分が、魔王様の側近という立場にいることだってそのひとつ。
ヘンドリック様を呼び戻したのだって、人族の国を侵略することの一端を担っていた軍部を、内側から少しずつ良くしていこうという考えからだ。そう簡単に事が進むとは思っていなかったけれど、前よりは良くなっているのではないか、と思っていただけに今の発言はさすがに聞かなかったことには出来ない。
けれど、今は慰労として温泉に来ている。これ以上の話を聞くのは、城に戻ってからだ。
「温泉は気分が良くなるだけでなく、少しばかり口の滑りも良くなるようですね。貴方たちはもう上がった方がいいのでは?」
「そうさせてもらいます。グランバルド様、お先に失礼します」
失言をしたという自覚もあったのだろう。二人は少しばかり焦った様子で温泉を出ていった。脱衣所に向かう足取りが覚束なかったのは気になったが、肌が赤くなっていたのできっと慣れない温泉で長湯をしてしまったのだろう。
外の風は涼しいし、先に上がった魔王様とヴェルメリオだっている。この場であれば、何があっても対処のしようはあるはずだ。
「さて、そろそろ上がるか」
ぼんやりと空を眺めながら温泉に浸かっていたら、思いのほか時間が過ぎていた。静まり返った空間で、自分の声がやけに響いているような気がした。
どうやらあの二人に忠告できるほど、自己管理が出来ているわけではなさそうだ。火照った体を冷やすように、意識してゆっくりと呼吸する。夜のひんやりした空気が体に染み渡るような感覚は、とても気持ちの良いものだ。
「さすがにもう誰も……っ!?」
ガラッと脱衣所の扉を開けた瞬間、自分の目に飛び込んできたのは先ほど上がった二人。床に倒れ伏している二人は、どちらもきちんを服を着ている。髪はまだ湿っているが、このくらいの長さだったら自然に乾くと判断したのだろう。軍部だったら、なおさら。
思わず息をのんだけれど、このまま放置しているわけにもいかない。自分の体を軽くタオルで拭いてから、肩を揺すって声をかける。
「おい、こんなところで寝たら風邪を引くぞ」
二度。反応はない。そして思い切り力を込めた三度目。これにも全く反応を示さなかった。後から謝ればいいと理由をつけて、思い切り蹴り上げてみたが二人とも結果は同じ。
「目を覚まさない。これは……何かの魔法か」
魔王様にはヴェルメリオがついている。何があってもあいつだったら魔王様を守ってくれる。
ならば自分がすべきことは、無防備なこの二人を守ることだろう。出来るかどうかは別として、この場で動けるのは自分だけなのだから。
ひとまず二人を壁に寄せて、その前に自分が立つ。この脱衣所に出入りできるのは、温泉に続く扉と魔法陣へと続いている扉だけ。温泉側には認識阻害の魔法具を置いてあるから、誰かが入ってくるとしたら魔法陣側からだ。
戦闘の経験などないに等しい自分にとって、警戒すべき箇所がひとつであるというのはありがたい。こんな時に抱く感想ではないだろう、と思わず苦笑いが漏れた。
「おや、あなたは魔法にかからなかったんですね」
そうして警戒している自分の前に姿を見せたのは、金髪碧眼の青年――ヴェルメリオだった。




