40.知らぬ間の勝負
「休みに何をしているか、ですか」
執務室、いつものように書類と向き合っているところにやって来たヴェルメリオは、自分の問いかけにきょとんとした顔をした。
無理もない、新人の護衛たちを連れてきて交代させたと思ったら、いきなりこんな質問をしてしまったのだから。
それでも話を拒否することなく、聞く体勢を取ってくれたので、思っていたことをここぞとばかりに口にした。
「ええ。魔王様もお休みを取っていただいているのですが、どうにも休んでいるとは思えなくて……」
「なるほど。それは確かに私も感じておりました」
自分は側近という立場をいただいているから、自然と魔王様との休みは同じタイミングになる。それなのに、自分が休み明けに処理しても間に合うと思って横に置いてあった書類が、片付いているのだ。それも、当たり前のように。
魔王様が早く来て処理したのかと思っていたが、それが何度も続けばそう思えなくなってくる。そして、その場合の答えはひとつしかないのだ。
「護衛は常に側に配置していますが、同様の報告を最近よく耳にしますので」
「熱心なのは大変すばらしいと思いますが、休みは休みです。いつかのように倒れられてしまっては、と不安になる時があるのです」
「その通りですね。魔王様が倒れてしまっては、業務すべてが滞ってしまう。これは早急に、休みの大切さを覚えてもらわねば」
ありがたいことに、ヴェルメリオも自分と同意見だったようだ。こうなったら話は早い。うんうんとお互いが畳みかけるように声を重ねていく。
その声の先にいる主は、少々居心地が悪いようだが。こればかりは理解してもらわねばならないので、その表情を見ないようにして話を進めていく。
「……お前らさ」
「はい、なんでしょうか魔王様」
勝った。いい加減無視できなくなったのだろう魔王様が、呆れたように声をかけてきた。唯一と定めたお方に対して、あまりこういう手段を取りたくはなかったのだが、自分ひとりよりもヴェルメリオを巻き込んだ方が、魔王様への効果は高い。
「そういう相談は、本人がいないところでやるもんだろ」
「ええ。そうですね」
本来なら、魔王様の言う通りに本人に聞かれないところで相談すべきことだ。けれど、それはもう階段下でやっている。実行役が自分しかいないことであまり効果が出なかったから、今日こうしてヴェルメリオの力も借りているのだけれど。
「その返事は、思ってないな。グランバルド?」
「思っておりますよ。自分は、魔王様の側近ですから」
「ふふ。グランバルド。そのしたたかさは私の好みですよ」
「ヴェルメリオの好みに合っても、あまり嬉しくはないのですが」
にやりと笑ったヴェルメリオは、自分の言葉を聞いてもその笑みを引っ込めようとしない。まあ、護衛としても魔王様が休みを十分に取られないことに、思うところがあったのだろう。
「はいはい。分かったよ。休みをちゃんとに取れって話だろ?」
「ご理解いただけたようで何よりです。ですが、ヴェルメリオが休みに何をしているのかが気になったのも、本当ですよ」
仕事以外で顔を合わせることはほとんどない。昔も、今も。だからこそ、急に気になったのかもしれない。軍の中でも上から数えたほうが早いと言われるほどの実力を持ちながら、先代魔王様の時には閑職扱いされていた部隊長。
その、私生活を知る機会など、おそらくそう来ないだろうから。
「私の、ですか。あまり面白いものでもないと思いますけれどね」
「まあ、せっかくだし参考に聞かせてくれないか。どんなことして過ごしてるんだ?」
「魔王様が仰るのであれば、話さないわけにはいきませんね。私の休日の過ごし方は、読書や鍛錬ですよ」
「へえ。詳しく聞いてもいいか?」
自分が思っていた以上に、魔王様のほうがくいついた。これはヴェルメリオも予想していなかったようで、少しだけ目を丸くしている。
けれど本人も言っている通り、魔王様から聞かせて欲しいと願われたら、答えないわけにはいかないだろう。
「読書は、街の本屋で適当に買った物と、城の図書室にある物と半々ですね。歴代魔王が集めた本は、今ではもう手に入らない物も多い。当時の生活なども理解できますし、面白いですよ」
本は今でこそ自分のような下働きでも手に入れられるほどの値段になったけれど、少し前までは高価なものだった。だからなのかもしれないが、城には部屋の壁一面を埋め尽くすように本が集められた図書室がある。一生かかっても読み終えないだろう膨大な本と資料、それは手続きさえ取れば誰でも閲覧可能なものだ。
けれど、ヴェルメリオがそのような時間を好むとは知らなかった。
「自分も少しずつ読んでいますが、昔の文字が読めないので諦めていました。ですが、ヴェルメリオはそれが読めるのですね」
「これでも貴族の端くれですからね。その辺りは叩き込まれています。よろしければ、こちらも教えましょうか?」
例えば、仕事で使うような過去の資料を探すとき。昔と今では使っている文字が違うようで、似ているのにどうやっても文脈が読み取れない資料が存在する。文官の中にはその辺りを読める者がいるので、どうしても必要な場合は翻訳を頼むが、他の資料でも事足りるときはそこまでしたことがない。
それを、自分で読み解けるようになれるというのは、少々どころではない。かなり魅力的な提案だ。
「……時間が出来れば頼みたいな。さすがに今、その余裕はないけど」
「魔王様がお時間取れるときに、自分も教えていただきたいです。読めない本があるのは、少々悔しいので」
けれど、今の自分と魔王様には、スケジュールに余裕がない。もう少ししたらこの間入ってきた新人の振り分けを行うから、業務を行う手は増える。増えるけれど、その分教えることも多くなるので結果、まだ自分たちに余裕が出来るところまではいかないだろう。
「向上心があるのは素晴らしいですよ。その時には、しっかりと教えましょう」
ヴェルメリオは本当に、出来ないことなどないのだろうか。魔法を教えてもらっている身からすると、教え方はうまい。決して無理ではないが、頑張らないと出来ない加減を見つけるのが、上手なのだ。でなければ自分がここまで短期間で、魔法を使えるようにはならなかっただろう。
「あとは、鍛錬だっけか。軍に所属してるとはいえ、今の仕事は護衛がほとんどだからなあ。やっぱり、体は鈍るか?」
「訓練しているときよりも、体力に余裕があるのは事実です。ですが、その程度で鈍るほどではありませんよ。鍛錬というよりは、個人的な習慣ですね」
申し訳なさそうにしている魔王様に、緩く首を振ったヴェルメリオ。確かに、今までは閑職とは言え部隊長。任務は人族の国の攻撃だったのだから、体も魔力も使っていただろう。
魔王様の護衛として、気を張っているのだとは思うが、今までのように体を動かすことは少なくなっているはずだ。
個人的な習慣、と言われても自分は仕事以外で体を動かすようなことはなかったので、あまり思い当たることがない。それは魔王様も同じだったようで、答えを求めるかのように習慣、と呟いている。
「いるでしょう? 毎日、城周りを飽きもせずに走っているのが。あれと似た感覚ですよ」
「ああ、いるな。朝と夕方になると軍部でもないのに走りこんでいるのが」
ヴェルメリオに言われて、ああと納得した。魔王様とこの部屋でよく見るのだ。何人かで固まって、城の周りを走っている姿を。
談笑している様子から、おそらく軍の訓練ではないと思っていたが、あれが個人で体を動かすという習慣というものなのだろうか。
「一周がちょうどきりのいい距離になるそうですよ。やる人が増えてきたので、道の整備を進めようという話がそろそろ上がると思います」
「やる気があるなら、やってもいいんじゃないか?」
まあ、どこか知らない場所を走って怪我をされるより、勝手知ったるところのほうが安心できる。それなりの人数がいるのであれば、なにかを巻き込んだりしないように城の整備を進めてもいいだろう。
魔王様もなんだかおもしろいものを見るような声で、軽く承諾してくださっているし。
ヴェルメリオが、これから話が上がるだろうというのなら、おそらく近いうちに陳情は来るはずだ。その時にどういった意図で城周りを走りこんでいるのかを聞くのも、悪くないかもしれない。
結局、ヴェルメリオの話を聞いているうちに、当初の目的である魔王様に休みの大切さを理解してもらう、という部分があやふやになってしまったことに気が付いたのは、その日の夜だった。
魔王様をこちらのペースに巻き込めたと思っていたのに、気が付けば巻き込まれていたのは自分だった。
でも、ヴェルメリオの事を知れたのは良かったと思う。
これからも共に仕事をするのであれば、少しは相手の事を知っておいて損はないだろうから。




