38.先へ繋ぐもの
「気乗りしない」
今まで魔王様がこれほどバッサリと切り捨てた案件はあっただろうか。自分には思い当たることはない。珍しくヴェルメリオが苦笑いしているけれど、気持ちはとても良く分かる。
ソファーに背を預けゆっくりと上を向いた魔王様は、これまた時間をかけて息を吐いた。
「そう、言えたら楽なんだけどなあ……」
「言っても、誰からも咎められる立場ではございませんが」
思わず呟いてしまった。魔族の中で一番の権力を持っている王の行動に、誰が文句を言えるのだろうか。何かが魔王様のスイッチを押したらしく、くすくすと笑い始めた。
「咎められるって。王冠から。責務を果たさないならいつでも引きずり下ろすって言われてるから」
「それは、なんと気概のある……」
ひらひらと手を振りながら、ここにはない王冠を想像したらしい魔王様は渋い顔だ。自分とヴェルメリオは今まで知ることのなかった王冠の新たな一面に、驚けばいいのか真剣に捉えたらいいのか悩んでしまう。
ヴェルメリオは若干、呆れているようだが。
「言われなくても、自分で決めてこれを戴いてるんだ。仕事はきちんとやるさ」
「では、文官たちへ日程の調整を依頼しましょう。今の時期はあまり立て込んでいませんから、すぐに予定が入ると思います」
「分かった。心の準備はしておくさ」
「寛大なお心に、感謝申し上げます。では、グランバルドを借りていきますね」
話を聞いたのがヴェルメリオだったからだろうか、この調整を最後までやってくれるようで書類は自分の手にやってこなかった。
視察の報告も共有しておきたいし、このあと文官たちが仕事をしている政務室には行かなくてはと思っていたところだ。文官たちだって魔王様の予定をすべて把握しているわけではないだろうから、日程の相談もしなくては。
そう思っていたから席を立つのは構わないが、借りていくとはどういうことだ。この部屋を出てから、ヴェルメリオに文句の一つでも言うとしよう。
「短い時間でしたが、お気持ちは整理できましたか」
「ん~、どうだろうな。魔力を抑えるのは増やしてもらったけど。一応、この部屋にも魔力を外に出さないような術式を書いてもらったし、出来ることはしたつもりだ」
「ヴェルメリオが言っていた通り、確かにすぐに組まれましたね」
本当に、こんなにすんなりと面会の時間が作れるとは思ってもいなかった。確かに魔王様が視察に出れるくらいには落ち着いている時期だから、そう待たせることもないだろうとは思っていたけれど。
軍部所属のヴェルメリオがその辺りを把握していたことにも驚いたけれど。魔王様も同じ考えだったらしい。今朝、魔王様に会った時にここまで把握されてるの怖い、と小さく呟いていた。
「グランバルドは聞いてなかったのか?」
「自分は、魔王様と共にいたので後回しだったのでしょう。あれからきちんと説明を聞きましたよ」
「そうか、疲れてるところに悪かったなあ。今日もよろしく頼む」
「もちろんです。自分は、魔王様の側近ですから」
にっこり笑えば、魔王様も安心したように肩から力を抜いた。さて、これからは気を引き締めなければ。
魔王様と魔族の謁見だけれど、魔族は身内だ。仕事に私情を挟まない魔王様だけれど、今回はどうなるか分からない。側近として、事情を知る者としてしっかりとした気持ちを持って臨まなければならない。
「魔王様におかれましては貴重なお時間を割いていただき、深く感謝申し上げる次第でございます」
招き入れたのは、昨日の男性。城で魔王様との謁見だからだろうか、かっちりとしている服をまとっている姿は街であった時とは別人のようにも見える。
それでも金髪と緑の瞳、それから魔王様を見て眩しそうに目を細めた表情は同じ男性なのだと教えてくれる。それから、大切なものを見る兄の顔なのだと。
いつもの謁見だったら護衛に、書記として文官を配置するが、今日は魔王様の希望でこの場にいるのは自分とヴェルメリオだけ。家の事情をあまり公にしていないうえに、どんな話が出るか分からない以上、最低限の人員になるのは当然だろう。
「……そう思うのであれば、本題を。遠い地より遥々やって来た貴殿には、休息の時間もなくすまないが」
「いえ、お気持ちありがたく頂戴します。本日、私はお詫びと感謝を伝えるために参りました」
豪華な椅子に座った魔王様と、膝をついた男性。それはいつもの謁見と変わらない光景。けれど、兄と弟だという関係を知っている自分には、それがそのままあの二人の距離のように思えてならない。
事情を知って、致し方ない距離なのだとは分かっているけれど。
「どちらも、思い当たることがないな」
「ええ。そうでしょうね。おそらく、魔王様が直接お出しになった指示ではないと思われますから」
「そう思っていて、どうしてここに来た?」
言葉を短くしているのは、仕事だと気を張っていてもあまりに多く話そうとすると、昨日のように魔力が不安定になるかもしれないと思っているからだろう。
それもあるけれど、魔王様はおそらく、本当に思い当たるところがないようだ。わずかに首を傾げる様子は、何かを思い出そうとしているときによくするもの。
「私がお預かりしている土地は、十分な貢献が出来ておりません。恥ずかしながら領民には日々の生活を送ってもらうだけで、精一杯です」
魔王様の境遇からも、なんとなく想像はついていたことだ。けれど、こうして今の領主からの言葉を聞くと、改めてまだまだこの国にはやらねばならないことがたくさんなのだと痛感する。他の領地だって似たようなところは多い。魔王様は自分がそこの出身だからと優遇するような方ではないが、城から離れて人族の国に近くなる辺境ほどに、貧しい境遇のところが多いことはすでに把握している。
それは、自分以上に魔王様が感じている事だろうけれど。
「先日、縁あった方からだと言って馴染みの商人から大量に支援をいただきました。久しぶりに、領民たちに満足してもらえるほどの食事を、作れたのです」
もしかして、と筆記の手を止めて魔王様に視線を送る。ヴェルメリオには見えないように、としていたようだったけれど、確かに自分に向けて魔王様は目配せされた。
魔王様のことをシア、と呼んだ商人はあれから街で出会っていない。店を構えているのだから、顔を見るくらいはしてもおかしくないのに。
今の話を聞いて、おそらくそういうことだろうというのは理解できた。きっと、率先して動いたのはあの商人だ。
「商人は、その方のお名前を最後まで出されませんでした。私には、魔族の貴族への伝手もない。ですので、魔王様にお伝えすればその方まで届くのではないかと思い、こうして参ったのです」
「それだけで、わざわざここまでやって来たのか。移動魔法陣も使わず、自らの足で」
「魔族を名乗っている身ながら、魔法に明るくありませんので」
そうか、辺境というのは物資だけでなくこのようなところでも足りないところが出てくるのか。魔王様との血は繋がっていない男性でも、貴族の子息であることに違いはない。少なからず魔力はあるはずなのに、それを使いこなせるほどの勉強までは出来ていないという事か。
男性もそれは分かっているけれど、恥ずかしいとも思っているけれど、ここにいる自分たちに隠すつもりはないようだ。そうでなかったら、もう少し言葉を取り繕うだろう。
「……そうか、その縁あった人物が誰であるかは、分からないが。きっと今頃喜んでいるだろう」
「そう仰っていただけると、私の苦労も報われます」
間違いなく魔王様のことを言っているのだと、ヴェルメリオだって気づいただろう。護衛として部屋の入り口に立っているヴェルメリオは、会話に混ざってくるつもりはないようだけれど。
それからは魔王様から領地の状況の確認や、支援の足りないところ、領民たちでどうにか出来ることなどを話していた。領地に戻ったらこうして直接話せる機会はもう来ない。お互いにそれが分かっているから、話せることはこの際、一気に話しきってしまおうというのだろう。
カリカリと自分が筆記を続ける音がずっと響いている。
……ずっと、はおかしい。先ほどまでは魔王様と男性が話している声がずっと聞こえていたというのに。思わず視線を上げると、何かをこらえるような顔をしている男性と、同じような表情で唇を噛んでいる魔王様が見つめ合っていた。
「最後に、少しだけよろしいでしょうか」
その最後、にどれだけの意味を込めていたのだろうか。ぐっと重くなった空気に負けないように、魔王様はしゃんと背筋を伸ばした。
姿勢を正したことが了解の意味だと思ったのだろう、男性はほっとしたように小さく息を吐いてから話し始めた。
「元気そうで、安心したよ。だけど、人の顔を見て硬直するのは、どうかと思うよ?」
「……誰のせいで、そうなったと」
「うん、まあ。私のせいだね」
ガタンッとひときわ大きな音が響いた。椅子から立ち上がった魔王様の勢いがそのまま、大きな音になったようだ。椅子の前で立ち尽くす魔王様に、男性は苦笑いをしているが、すっと立ち上がった。先ほどよりも近くなった距離。それでも、男性が魔王様を見上げる視線は変わらない。
「こっちがどんな思いで待っていたと思ってる。何も知らないような顔をして入って来て」
「私だって、緊張していたよ。けれど、きちんと話を聞いてくれたじゃないか。さすがは王だ」
「やめてくれ。あんたにそう言われると、どうしていいか分からなくなる」
「王でないと、そうやって話すんだね。そっちの方が私は好きだなあ」
くしゃりと自身の前髪を乱した魔王様はそのまま俯いた。まるで、小さな子が怒られた時のようだ、なんて場違いのようだけれどあながち間違ってもいなさそうな感想を抱いてしまうほどに。
それほどまでに、今の姿は兄と弟なのだとすとんと自分の胸に落ちてきた。
男性がヴェルメリオ、それから自分の事をじっと見る。あまりに凝視してくるものだから少し居心地が悪くなって、思わず視線をそらしてしまったけれど、その自分の仕草ですらふふと微笑まれてしまった。
「こんな素敵な人と、一緒にいられるんだね。ルディウス」
「そ。これは王になってよかったことだな」
胸のあたりがむず痒い。こちらこそ、魔王様に見つけてもらわなければ、このような幸せな気持ちになど辿り着くことはなかったはずだ。感謝を伝えたいのは、自分のほうだ。
同じ目線になってぎこちないながらも向かい合う兄弟を見て、ふんわりと笑う。こうやって笑えるのだって、魔王様が魔王になってくれたからなのに。
「アンシアーズは、預けたんじゃない。二人にあげたんだ。だから、頼みます。兄上」
「かわいい弟からの、お願いだからね。全力で叶えよう」
次を約束して別れた二人の、再会はきっとそう遠くないだろ。




