37.過ぎ去った日々
「後妻ってやつだよな。うちはそれなりに歴史ある家だから、血を絶やさないためにって周りから押し切られたようなもんだけど」
「貴族ですからね。その感覚は、当たり前でしょう」
魔王様の説明にただ茫然としながら飲み込むしかなかった自分とは違い、ヴェルメリオは理解も共感もあるようだ。
それは、生きてきた世界の違い。努力だけでは埋めることのできない感覚の差。けれど、理解できるようになりたい、という思いは自分の中に確かにあった。まずは魔王様のお話を最後まで聞くこと。それが、自分に出来ることだ。
「そう、当たり前なんだよ。だけど、俺も父上もあまりそうだとは思えなかった。小さい時の記憶はもうあんまり覚えてないけど、すごく幸せだったことは確かなんだ」
言葉を選ぶような様子なのは、記憶が確かではないからなのだろう。自分だって幼い頃の記憶など、そんなにはっきりとは覚えていない。ただ、これは嬉しかったとかこっちは嫌いだったなとかいう感情は残っている。
魔王様だって、同じような感覚なのかもしれない。育った環境は違っていても、そんなところはあまり変わらないのだと少しだけ嬉しくなった。
「だからかな。母上が亡くなって、あの人が屋敷に来て、兄が出来ても……俺は馴染めなかった」
「よくあること、なのですか」
目を伏せてしまった魔王様よりも、隣で真っすぐと前を見ているヴェルメリオに聞いた方がきっといい。そう思ったので、自分の問いかけはヴェルメリオに向けて。視線を向ければすぐに答えが返ってきた。少しだけ竦めて見せた肩は、ヴェルメリオの感情を表しているようだ。
「残念ながら、あなたの言う通りですよグランバルド。貴族の結婚とは感情からではなく、義務からくる方が早い」
「自分は、まだそのような感情を持ったことはありませんが。貴族の責務は、重いのですね」
「アンシアーズ家ならば、周りの声も大きかったでしょう。その中で嫁いでこられた方なのですから、そういった意味では出来た方だったのでは?」
そう、魔王様の家は王の血を継いでいる。だから相手となる人物にも、それなりに求められるものがある。貴族としての義務があるのならば、ただの感情だけでやっていける結婚ではないのだというのは、全く知らない世界だけれど。
それが当然という世界で生きているヴェルメリオは、当たり前のように自身の認識を告げただけだ。
「女主人としては、よくやってくれていたと思う。だけど、あの人は恋愛感情を持っていたし、その姿を見ていた父上もだんだん絆されていった、みたいだった。理解できなかったのは幼かった俺だけだ」
父と家の使用人、おそらくそれぞれできちんと説明をしていたはずだ。母がいなくなり、大人たちから話を聞いて知らない女性が母だと言ってやって来る。
貴族としての教育を施されているだろうけれど、後妻が当たり前ではなく、仲睦まじかっただろう両親の姿を見て育ってきたのだ。ただの幼い子供であった魔王様には、まだ理解できるものではなかったのだろう。
「連れてきた子は、俺よりも年上だったから兄と呼んでいたし、後から弟もできた。だけど、俺はあの人たちと馴染めなかった」
「それで、あのような場所に……?」
「そ、人族の国との境な。よくもまあ、あんなところまで探しにきたもんだよな。しかも逃げても追っかけて来るからさ、逃げ切れなかった」
そこまで話して、ようやく魔王様に笑顔が戻ってきた。とはいえ、そんなケラケラ笑って話すような内容ではないと思うのだが。
「追手は、当時の宰相ですか」
「最終的には一部隊連れてきて人の数で押し切った、ってところだな。いやあ、こんなガキ一人にそこまでするかって当時は思ったけど」
ちらりと横目でヴェルメリオの様子を窺えば、いつもの微笑みから嫌なものを思い出したかのような、うんざりした表情に変わっている。もしかして、その時に連れ出された部隊、いたんじゃなかろうか。前は閑職扱いの部隊長だったと聞いているから、可能性はある。
いくら宰相だって、人族の国の侵略に向かうような部隊を、人ひとり探すことには動かせないだろう。たぶん。
「家からの追ってはないと踏んでたんだ。あの人、人族嫌いだから」
「魔族ならそれは珍しいことではないですよね。今の世代はそこまで嫌悪感を抱かないとは思いますが」
人族が理不尽に侵略された魔族を嫌うことはあるが、魔族がどうして何の力もない人族を嫌うのだろうか。何かあっても、こちらは魔法が使えるのだから、優位なことに変わりはないだろう。
街で出会った、魔王様の昔を知る人族。それくらいしか直接言葉を交わした人族はいないけれど、何の力も持っていなさそうなへらっとした表情を崩さない男、好きだとは言えないが嫌う理由など思いつかない。
「良くも悪くも、古典的な魔族の貴族令嬢、って感じだったから、表には出さないようにしてたみたいだけど。それが、父上が人族に討たれた時に一気にタガが外れた感じかな。そこから、あの人の標的は俺になった」
「標的、というのは……」
「そのままの意味だよ。人族に対して抱いていた嫌悪感、そのやり場のない感情が全部俺にぶつけられるようになった。使用人が咎めようにも、主を喪った家で女主人であるあの人を諫められる立場なんて、ないだろ?」
さらりと流されたからそのまま、口を挟むタイミングを逃してしまった。魔王様の父は、人族に討たれたのか。
ああ、そういう背景があるのだったら、人族を嫌う理由が出来てしまった。確かに畏怖の対象だろう、理不尽に侵略された過去もあるだろう。人族が魔族を攻撃する理由の大半は、その時に失った何かに関係するものだ。
その当時、魔王様のことを知らない自分が怒っていい話題ではない。人族に報復をしていいはずがない。けれど、この胸には怒りと呼んでいいのか分からない感情が渦巻いている。
これをどうにかするために何かに当たれるなら、きっとスッキリするだろうなというところまで理解できてしまった。
「家名をそのままにしたのは、宰相だ。王の血筋であると広く認めてもらうには、これが一番早く理解されるってな」
「家との縁は切っていたのでしょう?」
「切ったさ。あの人に泥を塗るつもりでな。ま、それが泥どころじゃないのは、王冠のおかげだけど」
血を継ぐ子供がいるのなら、後妻だろうとそのまま家を任せられるだろう。王の血を継ぐ家、そして二度も主人を喪いながらも懸命に家を守ろうとする女主人。なるほど、それだけを聞けば美談として扱われる。
だけど、そこに嫡男が行方をくらました挙句、家との縁を切ったとなったなら。美談どころではない、家を守る資格があるのかという糾弾に変わるだろう。
ましてやその嫡男は今や、魔族の王なのだから。
「きっと宰相も家に話をしに行ったんだろうなあ。けど、あの人は俺の居場所を知らなかったし、俺も家に居場所を伝えなかった」
王に選ばれた、というのはきっと縁を切って逃げた当時の魔王様は想像もしていなかったのだろう。おそらくその時、家には宰相からの叱責があったに違いない。最上と定めたのは先代魔王様だけれど、仕事に関しては不利益になろうが、きっちり最後までやり遂げる。あの人は、そういうお方だ。
「本当だったら、もっと早く王の代替わりしたかったんだと。だけど、俺が見つけられなかったし、王冠の声を宰相は聞けなかった。そして、先代はまだ戦える場を求めていた」
「悪あがき、とも取れましたがね。自分の終わりを悟っていたのは間違いないと思いますよ」
当時を知るヴェルメリオが言うのであれば、きっとそうなのだろう。自分は他の下働き達と同じように毎日城と街を走り回っていたから、あまりこの時期にどうだったのかという記憶はない。
パタッと仕事がなくなった日、それが代替わりの時だというのは後から教えてもらったくらいだ。
「ま、いろんなことが噛み合わなかったってことだ。けど、俺はこうして王冠を戴いてる」
「貴重なお話を、ありがとうございました。街で出会ったあの青年が、お兄様なのですね」
「そ。さっきも言ったけど、ここに絶対いるはずない。そう思ってた兄上が、いきなり現れたからな」
街であった青年の姿を思い出すと、紫髪金目の魔王様とは持っている色が全く違っていた。金髪緑目、血が繋がっていない兄ならばその色にも納得だ。
あの人の多さの中できょろきょろと辺りを見渡している様子だったのだから、他の誰かから声をかけられていてもおかしくない。それが、自分たちのところに来たのには驚くだろう。どうして魔王様がそれほどまでに動揺しているのか少し不安に思っていたのだけれど、今までの話を聞けば理解できた。
「だから動揺して、魔法の制御も上手くいかなくなったし魔力の操作も不安定になった」
申し訳ない、ともう一度深く頭を下げた魔王様からは、今日の視察の目標などすっかり吹き飛んでいるらしい。まあ、不測の事態だろうからヴェルメリオだって事情をくみ取ってくれるだろう。
「今までの話を聞いたうえで、申し上げるのは本当に心苦しいのですが」
くみ取ってくれなかったらしい。一言、思わず呟いてしまった。長い指を組み、自身の顎をそこに乗せながら前かがみになったヴェルメリオは、神妙な面持ちでこう告げた。
「その、魔王様の兄上から面会を希望する手続きが取られております」




