35.視察と出会い
「あの、魔王様……」
「違う違う。この格好の時はシアだって。二回目なんだから、慣れてもらわないと」
いつぞや視察に行った時のようにフードを被って、自分をにやっと見ているのは魔王様。戸惑った自分の声と対照的に、魔王様は楽しそうに注意をされているけれど。
自分は、魔王様がそのように着替えをなさる予定など、聞いていないのですが。
「シア様、どうしてその姿になっているのですか」
「ん、これがヴェルメリオからの課題だから、かな」
「どういうことですか」
疑問を解決するための問いかけだったのに、ますます意味が分からなくなってしまった。ヴェルメリオからの課題、というのはおそらく自分も受けている魔法についてのレッスンに関することだろうというのは、分かるのだけれど。
だからといって、魔王様がフードを被っていることにどうやって繋がるのだろうか。
「魔法を教えてもらってるけど、あんまり実戦で使うことはないだろ? だから、これで実力確かめるんだと」
くるくると回ってフードが外れないことを確かめている魔王様は、どこか存在が薄いというかなんかその場にいるのにいない、というような変な感覚になる。
もしかして、もう何か魔法を使っているのだろうか。
「街に視察に行っている間、魔法が解けずにいたら一応合格ってことらしい」
「ヴェルメリオ、魔王様にそんなことを……」
自分の考えが当たっていたらしい。街の視察にどれだけの時間を使うのかは聞いていないけれど、今はまだ昼前。これから視察をしてこの執務室に戻ってくるのは、早くても日が落ちてからになるだろう。その間、ずっと魔法を使っていることは、魔王様の魔力だけを見れば確かに可能だ。
けれど、魔法をずっと維持するための集中力は別。普通に魔法を使うときにだって、名前を呼ばれたり少し動いたりするだけで発動できないのだ、自分は。
もちろん、魔王様と自分の魔法の習熟度が同じだとは思っていない。街の視察をするということから、今回ヴェルメリオから与えられた課題は、そういう場合を想定している魔法なんだろうとも想像がつく。
「グランバルドは何も言われてないのか?」
「今のところ、何かを言われた覚えはありませんね。どこかで実力を確認されているのかとは思いますけれど」
そもそも、最近はあまり魔法の練習を出来ていないしヴェルメリオから何かを教えてもらう時間も取れていない。魔王様の魔力が落ち着いてきているのは、ヴェルメリオが上手い使い方を教えてくれているからであり、余っている魔力を魔石に補充するという仕事をこなしているからだ。
魔力の使い方を急いで覚えなければならなかった魔王様と違って、自分はそこまで焦らなくてもいい。その辺りもきっと違いとして表れているのだろう。
顔を合わせることも言葉を交わすことも多いから、きっとどこかのタイミングで実力のチェックはされていると思っているが。
「そんなわけで、今日の視察にはこの格好で行くから。文官のシアってことで、ひとつよろしくな」
「……善処します」
前回、ヴェルメリオからも柔軟にと言われてから魔王様をシア、と呼ぶことまではどうにか出来るようになった。けれど、それはかなり前の話。それなりに時間が経っている今、再び魔王様のことをシアと呼べるようになるまでには少しばかり時間が欲しい所だ。
「街に降りたのは、目的もある。人族との貿易を始めたはいいが、どこまで流通しているのかがまだ把握しきれなくてな。直接見たほうが早いだろうって話なんだ」
気持ちの整理の時間が欲しいと思っていたのに、気が付けば城を出て街に向かう道にいる。どのような魔法を使っているのかは、魔王様とヴェルメリオからそれぞれ話を聞いた。
今日の視察は城で働いている者には伝えてあるそうだ。それも、ヴェルメリオとヘンドリック様から認識阻害を使っている魔王様の魔力を探れ、という課題付きで。効率がいいと思えばそうなのだろうが、果たして魔王様が城に戻ってくるまでに魔力を探れるような者が出てくるのかどうか。
「なるほど。人族の国には、自分たちが知らないものもたくさんありますからね。使い方を知らない道具もあるでしょう」
「そういうこと。貿易に携わってもらってるのは、その辺に理解あるけどな。それが浸透しているかどうかを確かめるっていうのが、今日の目標だ」
人族の国との交流は、実は先代の時からひっそりとあった。向こうは向こうで、魔族に対抗する手段として魔道具を欲していたし、こちらは損害を与えた領地に賠償としての金銭を支払う必要があった。
今、魔王様が行っている貿易は、そのような血なまぐさいものではなく、単純にお互いの生活をよりよく出来るための道具や農作物を扱っている。それでも、魔族としては人族を見下してきた時期が長かったからか、人族の作る道具など、と触れることなく蔑む者だって多い。
そんな偏見がある土地ながらも、よいと思った道具は一部の貴族だけでなく普通の人たちが使えるように流通させるのが、自分たちの役割だ。
「ヴェルメリオからも話を聞きましたよ。文官一人で視察に行くことはあまりないですし、自分も街を見るのは好きですから」
「そう言ってくれると思ってたさ。んじゃ、あっちの店から見に行くか」
人族の国のそばで暮らしていた魔王様は、道具の有用さを理解している。とはいえ、いくら使い勝手が良くとも押し付けるだけでは生活に浸透しない。
普段の生活の中でどのように使われているか、それを直接確かめたいのだろう。気持ちは、とても良く分かる。
露店の並ぶ通り、人の流れを見て嬉しそうに笑う魔王様に、自分もつられて笑顔になっていることになど気づかずに歩きだした。
「へえ、これは人族のものなのか」
「ああ、そうさね。使ってみるまではこんなの、って思ってたんだがね。なかなかどうして使い勝手がいい。他の店のもんにも勧めたところさ」
店主はカラカラ笑って、その道具を使って作ったという細工品を紹介している。どうやら、魔王様が思っていた通りの使われ方をしているし、大切に扱われているようだ。
そのほかの店でもあれこれと話しては買い物をしているからか、そこそこの大荷物になってしまったが、もう持てなそうだと思うとどこからともなく軍部の誰かがやって来て荷物を預かって消えていく。
ヴェルメリオからの指示だと言われたが、事前に話した時にはそんなことを一切聞いていない。一言くらい言えただろうと思ったが、荷物がなくなって身軽に歩けることは素直に助かったので、文句は喉元で飲み込んだ。
「シア、そろそろお時間が」
「そうだなあ。あっという間なんだよなあ……」
認識阻害の効果も出て、ただの文官の一人として好きなように歩き回れていたからか、名残惜しそうに街を眺めている魔王様の視線が、一点で止まる。人の流れに逆らって歩いている青年は、何かを探しているかのように視線を巡らせている。
周りの人の様子など目に入っていないようで、焦っているのだろうというのは離れている自分たちでもすぐに分かった。
魔王様ならきっと声をかけにいくだろう、あの青年一人くらいならそこまで時間を取られることもないだろうから、それが終われば城に戻ればいい。
「あ、あのすいません。少しお聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい、構いませんよ」
立ち止まった青年は、自分たちの姿を見て安心したように表情を緩めた。街のこともあまり知らない様子だから、ここには何か用事があってきたのだろうか。
隣にいる魔王様には声をかけずに、自分に声をかけてきたことに少し疑問を感じたけれど、今の自分の姿は文官で、魔王様はフードを被っている。まあ、自分のほうが顔が見える分安心感もあるのだろう。
「ありがとうございます。実は、地図のこの場所に行きたいのですが迷ってしまいまして」
「ああ、この場所なら反対側……あ、ちょっと!」
近づいてきた青年の持っている地図を覗き込んでいたら、ぐいっと肩を掴まれて体を後ろに寄せられた。
その手はもちろん、魔王様から。
「え、その人は……」
「用は済んだだろう」
ゆらり、と魔力の揺らぎを感じた。それは、自分だけではなく周りにいた人――青年も一緒だったようだ。びくりと肩を揺らしてから、少しだけ青ざめた顔でフードを被ったままの魔王様を見ている。
青年が固まってしまったのをチャンスだと思ったのか、魔王様が低い声で一言だけ告げる。今度こそはっきりと青ざめた青年を置いて、魔王様に連れられるまま街から離れていく。
「シア……魔王様。もう、城の中です。手を、離していただけませんか」
「あ、ああ。悪い。赤くなってるな……」
ぎゅっと力強く握られ続けていた自分の手は、確かに赤くなっている。解放されたとはいえ、まだ若干痺れてもいる。けれど、それよりも魔王様の様子のほうが気がかりだ。
「魔王様の認識阻害はよほどのことがないと揺らがない、とヴェルメリオが行っていました。
先ほどのことは、そのよほど、なんですよね?」
自分でも分かったくらいの魔力の揺らぎ、それがあった後から魔王様に感じていた薄皮一枚のような隔たりを感じなくなった。つまりは認識阻害を維持できなくなったということだ。
あの青年から聞かれたことはよほどのこと、とは思えない。つまり、魔王様が認識阻害を使えないほどまでに動揺したのは、あの青年が理由だという事だ。
「魔王様、どうか教えていただけませんか。あの男性と、魔王様はどのような関係なのかを」
「……あの人は、俺の兄上、だ」




