34.階段下の語らい
珍しく、というか今回は自分が魔王様にわがままを言って休みを調整してもらった。こんなことを魔王様に告げるのはとても心苦しかったが、理由を聞くこともなくすんなりと許可を頂けたことにほっとした。
理由を聞いてほしかったと思う気持ちがない、とはいえないが。それでも、おそらく魔王様は察しているのだと思う。せっかくだから、と持たされたのが上等の酒につまみ。魔王様と一緒に厨房からの差し入れをつまんでいるから、自分の好みは把握されているとは思っていたが、用意していただいたのは、その好みとは少しだけ外れている。
つまり、これは自分から誰かの手に渡ることを想定して用意されたものだ。にっこりと笑って執務室を後にした魔王様からは、ゆっくり楽しんで来いとも言われた。
そんな事をされたのだから、自分の休みの理由など聞く必要などなかったのだろう。ただ、このひと時を楽しめるようにとの配慮から来ているのだと、理解できないほど愚かではないつもりだ。
「このメンバーで顔合わせるなんて、久しぶりじゃねえか」
鍵はかけていないから好きに入っていいとは伝えていた。なので、いること自体は構わないが、少々部屋を荒らしすぎではないだろうか。
ちょこんと座って、おとなしく自分を待っていてくれた方に声をかけるのは、当然だろう。
「ラド、何を飲む?」
「えっとね、僕は……あ、これがいいな」
「よかった。好みは変わっていないんだな」
「ありがとう、バル。覚えていてくれて、嬉しい」
「お前ら聞けよぉ!」
休みを合わせて、久しぶりに三人で話でもしないか、と誘ってきたのはラドだ。下働きの時から一緒にいるが、ラドが自分からこうやって誰かを誘うことなど数えるほどしかない。
その機会は、自分たちの立場が下働きから変わったことで二度とやってこないと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。
「ったく……俺は酒をもらうぜ」
休みをもらっているとはいえ、街に出てしまうと面倒に巻き込まれないとも限らない。誘ってくれたラドも、場所をどこにするかは決めかねていたらしく、政務室の一室を借りれないかという相談から始まったのだから。
それなら、と提供した場所は自分の自室。側近という立場を頂いているからか、下働きの時とは比べ物にならないほど広くて立派な部屋を、自室として使っていいと提供されている。
魔王様の執務室にほど近いからか、人通りもほとんどない。その分、ラドもこいつも来るまでは気を遣うが、部屋に入ってしまえばあまりに大騒ぎをしない限り、誰からも文句を言われない。
「なんだなんだグランバルド。お前のこういうところも変わってねえじゃねえか。これ、俺が気になってるって話した酒だろ?」
自室で開催すると決まってから、出来る準備はしてきた。それぞれ終業の時間は違うけれど、おそらく自分が一番遅い。この二人だって手土産はあるだろうけれど、部屋に入ってしまえばどこかに調達に行くというのも少しどころか、だいぶ面倒だと感じるだろう。
日持ちのする乾物や酒、部屋に備え付けの冷蔵庫に収まる程度の食糧は何日かに分けて用意した。
そして、にやにや笑って手に持っているのは、そのなかの一本。
「偶然、献上されてきただけだ。魔王様は、酒を好まないから処理に困っているからな」
「ふーん、そうか。それじゃあ、遠慮なく」
飲んでみたいという話は聞いていたし、覚えていたから魔王様にお願いして譲り受けてきたものだ。このタイミングで献上されてきたのは、本当に偶然なんだけれど。そして魔王様も味見程度にしか酒を嗜まないから、増えていく一方。
その点、こいつはうわばみではないが、自分や魔王様に比べたら酒を飲んでくれるのでちょうど良かったのだ。味の感想も的確なので、送られてきた先にお礼の手紙も送ることが出来る。
「クリフは、その後順調?」
「どれの話だ? 果樹か、畑の拡張か?」
「どっちも」
ラドは、全く酒を飲めないのでジュースだ。両手でしっかりとグラスを持っている姿は、背の小ささも相まってか庇護欲を誘う。
下世話な欲を出したやつは、返り討ちにされるけれど。
クリフ、とはラドがつけた愛称。クリフォードって名前が長いし、あいつもそこまで名前に頓着しないからそのままずっとクリフ、と呼ばれている。時々、庭の責任者として必要な書類にさえクリフ、と書いてくるからな、あいつは。
やつの名前を自分が呼ばないからか、久しぶりに聞いた。あっちも自分の事をあまり名前で呼ばないからお互い様だが。さっき名前を呼んできたのは、からかいの一環だろう。
「そうだなあ。果樹は長い目で見ないと分からねえからなあ。でもまあ、根付いてはいるはずだ。ちっとずつ背が伸びてるからな。そのうちお前の身長抜かされるんじゃねえか、ラドガル」
ほれ、とクリフが伸ばした手はラドの身長をゆうに超えている。それは、ラドがジャンプしたところで届かない高さ。果樹がどのくらいまで成長するのかは知らないし、どんな種類を植えているのかなんてすぐには思い出せないが、おそらくラドでは届かない高さまでは成長するのだろう。
「う……そんなに大きくなったら、僕、収穫出来ないや」
「ラド、そうなったらこいつを踏み台にすればいいんだ。そうすれば届くだろう?」
「あいっかわらずお前は俺に優しくねえな!」
若干据わった目で自分を見てくるが、この程度の軽口はいつもの事だ。まあ、お互い城にいて顔を合わせることはあっても、話まで出来る時間はほとんどないから、こうしてぽんぽんと言葉の応酬をするのも久しぶりだが。
「ふふっ」
こらえきれないといった様子で笑い出したラドに、二人で肩を竦める。もちろん、ラドだって自分とこいつの応酬には慣れている。下働きは四人で一部屋。ベッドしかない狭い部屋で、疲れ果てて帰ってきたときにだって、こんなやり取りをしていたのだから。
「クリフだって、分かってるでしょ。そう言っても、バルは僕たちに優しいんだって」
用意してあった料理に、飲み物。そして居心地が良いようにと数日前から準備した部屋。そわそわして落ち着かない気持ちを見透かされたようなラドの言葉に、思わず顔をそむけてしまった。
楽しみにしていたのだと伝わってしまったことが、少し恥ずかしくて赤面しているだろう自分の顔を隠すようにそむけたけれど、どうやらそれは二人に確信を持たせるだけだったようだ。
「そうだなあ。王サマの側近で、こんないい部屋で生活してるのに、俺たちを何の迷いもなく呼んでくれるんだからなあ」
「そうだね。僕らは相部屋だから、こうやって集まるのは難しいし……」
「下働きからの、付き合いだからな。それに、こうして気楽な話が出来るのもお前たちだけだ」
魔王様の傍にいられることは、嬉しい。頼りにされているのだと感じることも、誇らしく思う。
けれど、こうして何気ない会話をしてただ笑い合える関係では、ない。だからだろう、いそいそと準備をして部屋を片付けていた自分に呆れながらも、その手は止められなかった。
ああ、そうか。魔王様もここ数日の自分の様子を見ていたから、気付いたのだろう。ヴェルメリオにだって、言葉こそなかったが優しく追い出されたのだし。
「その口調! 王サマに見せないようにしてるんだろ? 一緒に来た時の話し方、笑っちまいそうになったんだよなあ」
「そうかな? 僕は、仕事とプライベートを分けられるバル、すごいと思ったよ」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
仕事用の口調でにやりと笑って見せれば、二人はまた笑うのだ。
その様子を見て浮き立つ自分の気持ちは、きっとあの頃のまま。
楽しい時間はあっという間だというのは、どうやら本当のようだ。
気が付けば日を跨ぎ仕事が迫ってきてしまっていた。
誰ともなしにまたやろうと呟けば、もちろん、と即座に答えが返ってきた。
この会は、これからも定期的に行われることとなる。




