33.休日
「ヒマだなあ……」
この執務室は、基本魔王様とヴェルメリオ、それから自分の声しか聞こえてこない。それが日常。だから魔王様が今、ぽつりと落とした声がよく響いても普段通りだから思うことはない。ないのだけれど、いつもは人の声があちこちから聞こえてくる城は、今日とても静かだ。
「ヒマだ、と思ってもらうための休日ですよ、魔王様」
城の機能を維持するための必要最低限、つまりは厨房くらいしか動かさないようにしている今日は、一斉に取ってもらった休日。
魔王様はもちろんのこと、文官や下働きまでも休日としたのは、誰かが動いていると働かなければならない人が出てきてしまうから。
動いてもらっている厨房も前日から作り置きを頼んでいるし、食事をするために街に行ったのならその費用は一定額を負担するという通達をしている。
つまり、魔王様からの指示で、本日城の者たちはみな、思い思いに休日を楽しんでもらっているというわけだ。
「分かってるって。けど、ここまで丸っと一日休みってなかっただろ」
「城の者たちには、週に一度の休暇を与えていただいておりましたが、まさか魔王様本人がお休みを取られておられないとは」
ヴェルメリオもそうだし、自分も側近という地位を頂いてからというもの、難しい時は別として週に一度は一日の休みをいただいていた。自分がそうだから魔王様も同じだろうと思っていたのだけれど、休み明けに執務室に来てみれば書類はきれいにまとめられているし署名も済んでいる。
もしや、と思って先日問い詰めた時に発覚したのが、魔王様自身の休みは全く取っていなかったという事実。
「まあ、何て言えばいいかな。王になったからには、って気持ちがずっとあるからな」
「そのお気持ちは素晴らしいですが、それで体を壊してしまうのはいただけませんよ」
自分は魔王様の親にでもなったのかと言われてしまいそうな事を、思わず口に乗せてしまった。けれど、それを聞いた魔王様は何かを思い出したかのように苦笑いしている。
「同じようなことをヴェルメリオにも言われたな。そうならないために、こうして休みをもらっているんだけどさあ……」
今日は姿を見せていない護衛は、どうやら自分と同じことを思っていたらしい。魔法の教鞭も取ってくれているヴェルメリオだって負担は大きいだろう。若手の育成をしていても、ヴェルメリオがそばにいることがほとんどだ。人の声がしないことに対しては何も思うことはないが、視界にあの金髪が入らないのは、少しだけ不思議な感じがした。
「正直なところ、休みっていうのは何をすればいいのか全く分からん」
頬杖をついてぼんやりしていた魔王様が、くるりと椅子を動かした。勢いをつけた分、ギシッと音を立てた椅子に座っている魔王様が、自分を見つめている。
「グランバルドは休みに何をしてるんだ?」
「主に与えていただいた自室で、読書……ですね。下働きの時の仲間と街に出ることもありますが」
嘘ではないが、本当でもない。本を読むことは多い。けれどそれは、仕事に役立ちそうな資料を読み込むことであり、自分がその時に抱えている案件を解決できるための糸口を探るものだ。
下働きから城にいるといえども、政務に携わるようになったのは魔王様が代替わりしてからだ。新人魔王と下働き上がりの側近。残してある資料は人族の国を侵略したという記録がほとんど。
国を引っ張っていくために使える資料を探しても、今の時代で使えるものなのかどうかの判断だってつけられはしない。ひとつひとつ、別の資料と資料を紐付けて、ようやく使えるようにしたものを読み込んで。それだけの事だけなのに、それだけで一日が終わってしまう。
街に出るのは、そうやって自室にこもる自分を心配した下働きからの仲間が声をかけてくれるから。
「街かあ。それもいい案だな」
「魔王様、それは……」
「この間のあれこれからそんなに時間が経っていないんだ、さすがに無理だって分かってるさ」
あの三人組の騒動で、魔王様は姿を変えることなく戦っている。城のなかの者たちだけならば大丈夫だっただろう。街の住人たちがあれだけの近距離で魔王様を見たのは、つい最近。
変装すれば可能かもしれないが、騒ぎになる可能性がある以上、街に出るのは避けたいところだ。休日が、休日ではなくなってしまう。
けれど、視線を逸らした魔王様の横顔を見た瞬間、自分は頭の片隅にずっと置いていた提案を、言葉にしていた。
「近いうちに、視察の予定を組みましょう。住人がどのように生活しているか、自ら確かめることも大事です」
これは視察であり仕事なのだから、と理由をつけているが結論としては魔王様の息抜きだ。ヴェルメリオからは、人の多さの中でも魔王様の魔力を探れるかという課題をもらっているから、自分にとっては息抜きにはならないのだけれど。
「いけませんね、このままだと仕事の話をしてしまいそうです。魔王様、城の中の散策でもいかがでしょう?」
「それはいいな! よし、行こうグランバルド」
今度こそ満面の笑みを浮かべた魔王様は、その感情を表すように勢いよく椅子から立ち上がった。
時間を持て余しているのだと分かるその行動に、今度は自分が苦笑いを浮かべてしまう。そうして、すっと目の前に出されたのは、魔王様の手。
まるでエスコートでもするようなその仕草に、考えることを放棄して固まってしまった。
「あれ? 行かないのか?」
「……ありがたく、ご一緒させていただきます」
自分は、魔王様がおひとりで行かれるつもりで提案したもの。魔王様が執務室を出たらここを軽く掃除でもしておこうか、と思っていたのに。
一緒にいるのが当たり前だと感じてくれているのだと思ったら、魔王様が差し出してくださっている手が、輝いているように見えて。
ぎゅっと握り返して立ち上がると、感じた輝きのように眩しく笑った魔王様が迎えてくださった。
そうして、城の中をあちこち歩き回ったおかげで、王しか知らない通路に、その通り方まで知ってしまったことは、この胸の中に秘めておくことにする。




