31.隠した爪と牙
目の前の訓練場では魔王様と三人組の模擬戦が続いているからか、自分たちのほうには一切視線を寄越さずにずっと前だけを見つめているヴェルメリオ。
その様子をヘンドリック様がただ微笑ましそうに見ているだけだからか、少し気恥ずかしくなっているだろうヴェルメリオの気持ちも、理解できなくはない。
側近となるときにもらった資料には、ヴェルメリオの身辺調査のようなものだってあったから、軍の中でもどのような位置にいたのかを知っていた。軍の一部隊長だけれど、前魔王様の進軍にはついていかない、留守番部隊。護衛に真っ先に名前が挙がっていたから、守ることに特化しているのだと勝手に判断をしていたけれど。
「それは、どういう……」
ヴェルメリオに聞いたとしても答えてくれないだろう。そう思ったから初めからヘンドリック様に聞こうとそちらを向いた瞬間、訓練場からひときわ大きな歓声が上がる。
「おや、向こうは盛り上がっているようですね。さすがは魔王様でしょうか」
観客席として作った場所には、防壁を張っているから土煙がどれだけ上がろうが何の影響もない。魔王様と三人組の声も拾っているから、状況が分からなくなるようなことにもならないはずだ。
けれど、自分たちがいるところは魔王様と三人組が戦っている場所にほど近い。そのため、魔法による防壁はない。何かあってもヘンドリック様にヴェルメリオがいれば、対処が出来ると思われているからだ。
そしてその通りに、魔法に不勉強な自分がいても何の問題もなく戦いを見守ることが出来ている。
「ただ叩きのめすだけならば、城で働いている者だけで十分でしょう。
ですが、ここまでの観衆の中でその実力を見せたのならば話は変わってきます」
「そうか、例えあいつらが城の外で文句を言ったところで」
「ええ。その言い分は理解されないでしょうね。その前に、こうして自分の目で力の差を見ているのですから」
魔王様が政務に励んでいる城は、ある意味で閉鎖空間だ。城の中で何かあっても、街で暮らしている人々には何の影響もないし話が広がることもない。
だから、例えば魔王様が訓練場でただ三人組と勝負して下したのならば、街の話題にはなりはしない。あの三人組が、自らスピーカーにならなければ。
そうさせないためには、誰の目から見ても明らかだと言える状況を作るほかない。自分の目で見たという人の数が多ければ多いほど、噂を信じる人の数は減るからだ。
「魔王様はそこまで考えていらっしゃったのかは、私には分かりません。ですが、人目を集めることを好まないあの方が、意味もなくここまでの催しを開くとも、思えません」
ヘンドリック様も、魔王様が自分のお姿を見せることを好んでいないと、把握していたようだ。そうと分かっていながらも、人を集めるのに協力してくれたという事は、ヘンドリック様もあの三人組に頭を悩ませていたのかもしれない。
あの三人組の所属は軍だから、あながち間違っていないと思う。
「よりにもよって、魔王様に喧嘩を吹っかけるとは本当に救いのない」
「ヴェルメリオは、魔王様にも魔法を教えているじゃないですか。自分だったら勝てる、と思うときはないんですか」
自分と魔王様は、ヴェルメリオから魔法を教わっている。今の実力にはかなりの差がついてしまったが、学び始めたタイミングは同時。
今まで魔王様と自分が何か、分からないところがあった時にヴェルメリオからの答えがなかったことはない。ヘンドリック様も言っていたけれど、ヴェルメリオは本当に魔法に理解が深いし実力もあるのだろう。
ふ、と疑問に思ったことを何も考えずに口に乗せた。これを考えたことは、一度や二度ではない。
「グランバルド、あなた自分のほうが実力があると思っても魔獣に手を出しますか」
「生活を脅かされたならともかく、普段通りに暮らしているのならば出しません」
「それは、なぜ?」
「当り前じゃないですか。魔獣は自分が勝てる相手ではない……」
そこまで答えて、ようやくはっとした。魔獣は、魔力だまりに当てられた動物。普通に暮らしていたらお互いの領域を侵食することはないし、魔獣を使役することだってある。使い魔だって、魔獣だ。
けれど、手を出そうと思えないのは、意味なく攻撃を加えればその種族全体が報復に来ると理解しているから。
狂って群れから追放された個体を、自分たちが駆除しても何のお咎めもない。むしろ、場合によっては感謝の意味を込めて群れの長が顔を見せることすらある。
ただ己の享楽のために魔獣に手を出そうものなら、その末路は悲惨の一言であり、当然の報いだと助ける魔族だっていない。
「そういうことですよ。あの方に爪と牙の使い道を教えた。私がしたのはそれだけです」
つまり、魔王様の実力を正しく理解しているからこそ、手を出そうと考えることすらしない。ヴェルメリオが言いたいのはそういうことだろう。
魔力の使い方を学んだからこそ、魔王様はその身に有り余る魔力をようやく抑え込むことが出来ている。それを敏感に感じ取る文官たちが未だに魔王様を恐れて、執務室になかなか来ようとしないことも仕方ないことだと笑っているのが、我らが王だ。
「勝てる相手ではないと本能で理解できるのに、しっぽを踏むのはごめんです」
にっこりと笑ったヴェルメリオの後ろで、どがんと何かがめり込む音がした。思わず音の鳴った方を見れば、土で汚れた金髪が壁に全身を打ち付けられていた。その近くには青髪が転がっていて、茶髪は魔王様の程近くにいるけれど、うつ伏せに倒れている。肩が動いているけれど、顔を動かす力も残っていないのだろう。金髪のほうに顔を向ける、という行動すら起こせないらしい。
魔王様の掲げた手の傍には、ひゅんひゅんと音を立てる風が舞っている。あれで金髪を吹き飛ばしたのだとすぐに理解できた。
「おや、もっと早く決着がつくと思っていましたが」
「逃げ足も速かったのでしょう。魔王様は逃げる虫を叩く方法などご存じではないでしょうから」
ヘンドリック様だけではなく、ヴェルメリオもあの三人組には手を焼いていたらしい。口調はいつも通りなのに言葉の選び方が雑というか、三人組のことを心底どうでもいいと思っていなければ出てこない単語ばかりだ。
ヴェルメリオとの話に夢中になってしまったが、魔王様が戦っている姿は、余裕という言葉を体現したようなものだった。
茶髪の魔法は確かに発動は早かった。けれど、指摘されてからよく見てみれば、狙いは単調でしかも同じことの繰り返し。あれならば自分でも五回くらい浴びれば対処できそうなものだ。
そして青髪と金髪は、茶髪よりも発動は遅いけれど一発が重め。けれど、詠唱が長くなってしまうのでそのタイミングで魔王様が攻撃すれば、魔法の発動は妨げられる。
わざとらしく大技を使っていた魔王様のおかげもあり、観客として集まった街の住人や城の者たちは興奮している様子だ。それも、魔王様が狙っていたのだろうか。
「なんだ、もう終わりか? まだまだ足りないって言われるのはこっちなんだがなあ」
最初と同じように、王冠を指でくるくると遊ばせている魔王様の服には、土埃による汚れが少しついているくらい。
それと比べて三人組は、たくさん地面に転がったのだろう。顔といわず全身土に塗れ、赤く滲むものも見えている。
魔王様の声に応える気力もないようで、聞こえてくるのは肩を上下するときの呼吸音だけだ。
もはや、これは勝負ありと言っていいだろう。
「そこまで。この勝負、魔王様の勝利です」
ヘンドリック様の合図に、観客席から歓声が上がる。
悔しそうな三人組に、待機させていた医務室の面々が駆け寄っていく。訓練場の一画には、魔王様が魔法を使う姿を見て顔を青ざめている兵たちがいたけれど、あの三人組に近付くのは医療室の者たちだけだった。




