29.魔王という矜持
辺境の町で過ごしていたのに次代の王に選ばれた魔王様だけれど、初めからその就任を祝われていたわけではなかった。
前魔王様の時に集まった魔力を使って暴れたいだけの集団、これを軍と一括りにしていたわけだが。その扱いをどうするのかという問題もあったし、魔王様自身が今までどう暮らしていたのかを想像すると頭が痛くなるような姿で城に連れてこられた、というのもあっただろう。
ある程度の反感は前宰相様が力づくでねじ伏せたらしいけれど、その時の詳細を魔王様に聞いたところで答えは返ってこない。
魔王様自身も、自分が王冠を戴くことでどのような声が上がるかを理解していたが、それをどのように抑え込んだのかは未だに分からないからだそうだ。
どうして今、そのような事を思い出しているのかといえば、先ほど人気のない廊下で吹っかけられた言葉が原因だ。
「王だと、誰もが認めていると思うなよ」
魔王様はただ一言、そうかとだけ返してその場を後にしたが、執務室に戻られてからというもの、何かを考えるかのようにずっと窓の外を見ておられる。
「な、グランバルド。ひとつ提案があるんだが……」
魔族にとって、王とは魔力の高さを示すものでもある。そもそも、王になりたいと願ったとて、それは簡単にかなえられるものではない。
王の血筋であることはもちろんだが、王を選ぶのは、王冠なのだ。意思があるのかと思われているが、それがどのようなものなのかは分かっていない。
ただ、王冠が選んだ人物が王になる。そして、王冠が自身を冠するに相応しくないと判断したら王ではなくなる。
だからこそ、人族の国を侵略していた前魔王様だって、全土を手中にすることなく王の座から降ろされた。
それを分かっていながら、魔王様に声をかけたのだ。おそらく、魔王様のこの提案には喜んで乗ってくるだろう。片方の口角を上げて笑う姿は、確かに“魔王”の名にふさわしいと思うのには充分すぎるものだった。
「王冠は、今でも俺を選んでいる。だが、このような場を開いてみるのも面白いじゃないか」
ああ。あの場では事を荒げないための一言だけを返しただけだったのだ。そばにいるからではなくとも分かる。魔王様は、怒っているのだ。だけどそう言われることも理解できるから、正当な場で第三者の目を通して、魔王だという事を改めて突きつけようとしている。
あの男には気の毒な展開になったものだが、あのような言葉を投げてきた以上、想像もしていなかったなんて言わせるつもりもない。
「魔族なら、当たり前のものだと認識しているのだろう? どのように王が選ばれるのか、なんて幼い子供でも知っているのだと聞いた」
「その通りです。ですから、王の血筋を持つ家では、子供たちへの教育を欠かしません。選ばれる可能性が、あるのですから」
「ま、俺のところはその例外だった、ということだ。それが今は王として立っているのだから、笑えるよな」
「魔王様……」
聞いても、話してくれないのは理由がある。そう考えているから無理に話を聞くことをしなくなったが。全く教育を受けていないのであれば、王として選ばれてこんなにすぐ書類と向き合えるはずもないし、業務の改善だって出来るはずがない。
この城に連れてこられた時にはそうだったのかもしれないが、少なくとも土台になるものは出来ていたはず。そうでなければ、あの宰相がすんなりと城を離れるはずがない。
前魔王様の、手当たり次第に人族にちょっかいを出していたあの攻撃性の高い性格を、上手くいなしてくれていたのは宰相であると、当時下働きだった者は全員知っている。
「それはいいとして。グランバルド。やるとしたら、どれくらいの時間がかかる」
「城の中だけであれば、一日。街からも集めるのだとしたら三日。そのほか、地方からとなると……移動も含めてひと月ほどでしょうか」
城の中で、いまだに魔王様に対して王と認めていない者は、おそらく少数派だ。そしてそれは、軍に固まっている。それならばヴェルメリオやヘンドリック様に声をかければすぐに集められる。他にもいるだろうけれど、軍に声をかければ奴らはスピーカーよろしく城の中にあっという間に話を広げてくれるだろう。
場を整えるのだって楽じゃないのだから、そのくらいは役立ってもらわねば。
「それじゃあ、ひとまずは街でやるか。いい見世物にもなるだろうよ」
「魔王様は、その……よろしいのですか」
まだ窓のそばから離れない魔王様は、時折視線を外へと向ける。ここから街の様子まではさすがに肉眼では見えないけれど、魔法を使えば出来ないこともない。ぐんぐんと魔法の知識を託われている魔王様であれば、おそらく遠見の魔法はもう使えるようになっているはずだ。
それよりも、お披露目ですら渋々といった様子だった魔王様が、自ら目立つような催しをすることが、かなり引っかかる。
自分の姿を見せるのもそうだし、そんなことに時間を使うくらいだったらこの国の魔族がもっと過ごしやすくなるような事を考えるほうが大事だと、言い切れるようなお方だから。
「よろしいかって聞かれたらあんまりよろしくないさ。目立つようなことを自分からするつもりもなかったしな。
けど、これからもそんな声に悩まされるくらいだったら、ここらで一度見せとくのも悪い選択じゃないだろ」
正論だ。そして、魔王様はその声を真正面から潰そうとしている。それが出来るという自信を持っているからだろうか。こちらを向いた魔王様のお顔は窓からの光であまりよく見えないのに、どうしてだか自分の頭の中にはにやりと笑っている表情がはっきりと浮かんでいる。
「それに、王冠とは仲良くやってるから大丈夫だ。一応、今回の事もさっき説明したからな」
「は!?」
「怒ってたぜ~。自分の選んだ者を否定するのかって。多少痛い目にあってもらえば、王冠も納得するだろ」
ちょっと待って欲しい。王冠が王を選ぶとは確かに教えてもらった。だがそれは、あくまで何かを示すだけなのだと思っていたのに、説明しただって?
怒っていたという、その理由まで魔王様がはっきり口にしたという事は、王冠とは対話が出来るという事なのだろうか。
今まで誰からも聞いたことのない話を聞いて、自分の頭の中で組んでいた段取りが一気に吹き飛んだ。
そんな自分の混乱ぶりなど、まったく分かっていないだろう魔王様は、ふらりと執務室を出ていこうとする。
「え、ちょっと魔王様どちらへ?」
「機嫌取りだよ。不機嫌になると、俺までざわざわしちゃうからな。ちょっと厨房に行くだけだ」
すぐ戻るから、なんていつもと変わらぬ様子で出て行ってしまった魔王様を引き留めるような言葉ひとつすら出てこない。
扉が閉まり、しんとした執務室には、自分の言葉だけが響いた。
「……王冠って、もの食べられるのか?」




