28.気分転換はほどほどに
文官たちのところに書類を届けていた時に、ふと目に入ったひとつのおもちゃ。何日か前にこれをと同じものを下働き達の休憩室で同じものを見たな、と思い出す。
そうして話を聞けば、同じような遊び方をして気分転換をしているのだと教えてくれた。下働きと文官が同じおもちゃで遊んでいるなんて珍しいなと思いつつ、日に日に書類と向き合う時間が長くなっていく魔王様のために、譲ってもらえないかと交渉をしてから執務室に戻る。
「魔王様、ご存じですか。今、城で働いている者に流行っているのですが」
「この、木の小さな板が?」
やはり、魔王様はご存じではなかったようだ。箱から出せばざらざらと音を出しながら同じ大きさに整えられた木の板が、魔王様の机に広がっていく。どんな理由で流行っているのか、それを知らないと模様も絵柄も何もない、ただの木の板。
「なんでも、こうして積み重ねて順番に抜いていくそうです。そして、積み重ねたタワーを崩した者が負けだと」
ひょいひょいと積み重ねて、見てきたとおりの形を完成させる。そうして聞いてきたばかりのルールを説明すれば、思っていた通り魔王様は興味を持ったように表情を変えた。
「へえ。こんなのがねえ。でも、魔法使えばそんなの簡単に……」
「魔王様、たかが息抜きのゲームに魔法を使うことはありませんよ。まあ、軍の方々は分かりませんが」
どうやら、このおもちゃは下働きを通じて軍部のほうまで流行の兆しを見せているらしい。まあ、下働きは城のどんな部署でも関わっているから、話が行っていること自体は分からなくもないけれど。
軍の兵たちがこんな小さい板をちまちま抜いては積み重ねている姿を想像することが、どうにも出来なかった。
そして、魔王様が魔法を使うという事を当たり前のように口にしたことに少しだけ動揺して、せっかく積み上げたタワーを崩してしまった。
ガシャンと派手な音を立てて崩れた木の板は、魔王様の机の上から床に滑って落ちてしまう。
「そっか、そうだよな。最近、魔法を使うってことが当たり前になってきたから、この考えはちょっと良くないな」
「いえ。魔族であればその選択肢が常にあるのは当然です。流行り始めたのが、魔力の少ない下働きからでしたので」
その少ない魔力を業務で使っている下働き達は、息抜きに魔法を使うという発想すら出ないだろう。そちらに魔力を使うのであれば、城の掃除や移動する足を速くするために魔法を使うはずだ。それは、自分でも同じ選択をするだろうという確信であり、おそらく間違ってはいない。
「コックたちからはそんな話を聞かないなと思っていたら、そこからだったのか。それで、グランバルドは遊んだのか?」
「ええ。馴染みたちと少し。……勝てませんでしたが」
「あははっ! なら、俺とやってみるか」
魔王様が自ら文官たちのところに顔を出すことはそう多くない。ようやく慣れてきたとはいえ、魔王様の魔力を直接感じると文官たちはまだ緊張すると言われているからだ。そろそろ、自分以外にあの部屋との運搬が出来る人材を増やしてほしいとは思っているのだけれど、こればかりは魔力との相性という問題もあるので、話が進んでいないのが現状だ。
なので、魔王様がよく行くのは厨房か中庭。まあ、そのどちらでも息抜きは必要だけれど、これは出来ないだろう。
「ええ。魔王様相手とはいえ、負けませんよ?」
自分のほうが先に遊んできているという、ちょっとした余裕。それが表情に出たようで思わず口元が緩んでしまった。
そんな自分の表情を見て魔王様の負けず嫌いに火が付いたと知るのは、数ゲーム終わってから。
「それで、グランバルドは一人で黙々と積み重ねているのですね」
新しい護衛見習いを連れてきたヴェルメリオが、自分を見て笑い出したのをきっかけに、魔王様が事の経緯を説明する。
こんなタイミングで新しい護衛見習いなど連れてこなくてもいいのに、なんて明らかな八つ当たりの感情が喉から出かかったが、寸でのところで押し留めた。これから共に仕事をする関係を、早々に壊すようなことをするべきではない。
壊すのは、このおもちゃのタワーだけで十分だ。
つるりと滑らかな手触りは、量産品ならばかなり高い品質だろう。持っていたのが文官だったので、もしかしたらそれなりにいい所で買ったのかもしれない。
魔法を使ったにしても、これだけの数を均一の質で完成させるのには日数を要するだろうから。
「ああ、ヴェルメリオ。お前もこれ知っているのか」
「先ほどまで、少し遊んできましたから。兵たちと遊ぶ時には魔法の訓練も兼ねていますけれどね」
護衛見習いたちはまだ遊んだことがないようで、仕事をしようとしながらもちらちらと視線が自分の手元に向けられている。
もちろんヴェルメリオもその視線には気づいているようで、自分の手元から木の板を何枚か抜き取ると、どのように魔法を使って遊ぶのかを説明し始めた。
ふわりと浮かぶ板、指を動かすとそれを追いかけるように板が宙を舞う。そうして、自分がひとつひとつ積み上げていったタワーと同じものを、作り上げる。違いは、魔法を使って一切自身の手を触れていないところだけ。
「俺とグランバルドは魔法なしで遊んでたんだがなあ、なかなかこいつは奥深い」
始めは自分が聞いてきたとおりのルールで遊んでいたのに、あっという間にコツをつかんだ魔王様がいろいろと考えてルールを追加し始めたのだ。
何も縛りもない、ただ抜いて積み上げるだけだったら自分だって勝てていたのに、魔王様がルールを増やすごとに負けばかりになっていった。おかげで、積み上げるのはこの短時間でかなり早くなったと思う。
「いい気分転換にはなりましたか」
「ああ。短い時間だったがずいぶんと頭がすっきりした。これ、執務室にもらいたいくらいだ」
そういえば自分は、どこから持ってきたとか借りてきたのかどうなのか、という事を説明していなかった気がする。
名残惜しそうに箱を撫でている魔王様に、自分とヴェルメリオは同じことを思ったのだろう。だからこそ、ヴェルメリオからの問いかけにはすぐ答えることが出来た。
「グランバルド、これは誰から?」
「念のために、自分が買い取ってきました。街ではどこでも売っているようで、喜んで売ってくれましたよ」
「そうか。なら後で清算するからな。売ってくれた奴にも、礼を言っておいてくれ」
「わ、分かりました。きっと喜ぶでしょう」
文官は、魔王様にだったらと献上する勢いだったけれども。それだと魔王様が何も気にせずに遊べなくなってしまうからと、どうにか言いくるめて買った代金に少しだけ色を付けた分で支払ってきたのだ。
やはり、自分の考えは間違っていなかった。清算するのは自分だから、きっとあの文官が魔王様の金銭感覚を知ることはないはずだ。
辺境の町で育っているから、堅実なのかと思えば必要だと感じたところには出し惜しむことすらない、魔王様の感覚を。
この小さなおもちゃ一つが国全体での流行となり、人族の国でも遊ばれるようになるのは、しばらく後の話だ。




