27.ひとつの実験
「魔王様、今お時間よろしいですか?」
「用件によるけど、どうしたんだ?」
執務室に入って来るなり、少し難しそうな顔をしていたヴェルメリオがいきなり切り出した。そんな態度を不思議に感じたのは魔王様も同じようで、ペンを置いてしっかりとヴェルメリオに向き合った。
「実は、先日の魔力を抑える腕輪について少しお話を伺いたく」
「分かった。この書類だけ終わらせるからちょっと時間をくれ。グランバルド、急ぎの書類はあるか」
ヴェルメリオの言葉を遮るように話されるなど、珍しい。そう思ったけれども自分に向けられた問いかけに頭の中を切り替える。街を見て歩いてからというもの、魔王様の仕事に向き合う熱量はかなり高くなっている。それに刺激を受けているのかどうかは知らないが、文官たちからもなかなかに魅力的な提案を受けていたりするものだから、書類仕事は少しずつ減っているはずなのに、日々の業務量は全く変わっていない。
そんななかでの急ぎの書類。今のところは急な要請などはなにも来ていないし、やる気のある魔王様が前倒しで書類を処理しているから、実際急いで片をつけなければならないものは、なにひとつとしてない。
「本日はこちらを処理すれば、あとはございません。腕輪の件でしたら、こちらで話を聞いた方がよろしいですか」
「そうですね。まだあまり大きな声では話せませんので」
「では、区切りがついたら連絡しましょう。ヴェルメリオを呼べばいいんですよね」
さらりと何でもないことのように言ってみたけれど、ヴェルメリオは驚いたように自分を見ている。練習に付き合ってもらった魔王様は、なんだか嬉しそうに笑っているけれど。
「ふふ。グランバルド、魔力の使い方が上手になりましたね。ですが、あなたの魔力量はあまり多くない。無理をしてはいけませんよ」
ヴェルメリオが驚くのも無理はないだろう。なにせ、使い方はちょっと説明しただけでまだ実用できるほどの実力がなかった自分が、魔力を使って離れた人物ともやり取りできるようになっているのだから。
それがどの程度の魔力を使って、どのくらい消耗するのかをきちんと理解している魔法の先生は、きっちりと釘をさすことを忘れてはいないようだ。
「無理はしていません。ですが、自分が側近として魔王様のそばにいるためだったら、努力はすべきでしょう?」
「いい心がけだと思うけどな、本当に無理はするなよ。グランバルドがいないと仕事は滞るし、なにより心配だからな」
「ありがとうございます。無理はしておりませんので、ご安心ください」
今の自分だと話が出来るのは魔力を感知できる魔王様とヴェルメリオ、試していないけれどおそらくヘンドリック様とも通じるだろう。ただし、一日で出来る時間は本当にわずかで、それ以外に魔法を使おうものなら容赦なく体力気力を奪われる。
使えるようになりたいと思った理由は様々だけれど、結局のところはヴェルメリオにも伝えたことが一番だ。
そばにいるために、努力する。だから、今までつながったと思った直後にぶつりと切れて自分の魔力も限界を迎えたりしたことが数えきれないほどあったのだって、努力した証だと思うことが出来る。
「それじゃあ、俺はこの書類を終わらせるか」
「よろしくお願いします。私は……話を伝えてきます。夢中になって、こちらの問いかけに気づいていないようですから」
どちらにせよ、ヴェルメリオはその腕輪を今管理している人のところに行かなければならないのではないか。そう思ったけれど、魔王様の護衛である以上この場をまた離れるのはヴェルメリオなりに思うところがあるのだろう。
新人も着々と経験を積んでいるのだし、少しくらいならば問題ないだろうけれど。そうして扉の前に立つ護衛見習いに声をかけてから、ヴェルメリオは執務室を後にした。
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございます。先日の魔道具は無事に機能したようで何よりです」
しばらくしてから、無事に書類の処理も終わってヴェルメリオを呼んだところ、思いのほかすぐにその人はやってきた。
魔王様は一度温泉で話していて面識があるので、この場で初めて彼を見るのは自分だけだ。
軍の魔法専門ということでそちらに所属しているからか、他の兵たちとは着ている服の質が違う。魔法の研究もしている部署だと聞いているから、暴発などの危険も常にあるのだろう。
「おかげで楽しく街を見て回ることが出来た。遅くなったが、礼を言わせてほしい。いい魔道具を作ってくれてありがとう」
「そのように仰っていただけるのであれば、作った甲斐もあるというものです」
にこやかに話している姿だけを見れば、ただの好青年にしか見えないのだけど。先ほどのヴェルメリオの言葉を借りるならば、話が全く耳に入らないほどに何かに熱中するような人には見えない。
「それで、本日こうしてお時間をいただいているのはですね。その魔道具を使って、魔力を遮断した空間を作れないかという実験を行いたいのです」
「魔力を遮断……」
「まあ、簡単に言えば人族の国と同じ魔力濃度の空間を作ってみたいということです。人族の国には魔力だまりが少ない。ゆえに大多数の魔族が魔族の国で暮らしているわけではあるのですけれども」
興味深そうに話を聞いていたのは魔王様とヴェルメリオ。自分は、魔力に関しての知識は二人よりも劣るし、理論的なものは時間をかけなければ理解が出来ない。
なので、腕輪を作った彼と、魔王様、ヴェルメリオがあれこれ議論を重ねている間は給仕とメモ係に徹していた。
そして一晩経ってから自分の書いたメモを見ても、話のおそらく一割くらいしか理解が出来ていなかったということに気が付いた。
メモを見返し、昨日の話を思い出してようやく、三割程度といったところだ。
けれど、ひとつだけ確かに分かっていることがある。それは、魔王様が乗り気であったということだ。
「それで、ここが実験に選ばれたってわけですか」
「お前の言い分も分かる。だが、この城のなかで魔王様が定期的に通っていても不自然でなく、なおかつ業務に支障のない場所となると、ここしか思いつかなくてな……」
そうして、こうやって下働きからの馴染みであり今は城の庭の責任者であるやつの元に、説明に来ているわけなのだが。
すぐにいい返事がもらえるとは思っていなかったが案の定、渋っている。
「そうやって頼られるのは悪い気しないけどよ、でもそれ本当に大丈夫なのか?」
「先日魔王様が身をもって体験済みだ」
それ、とはつまり魔力を抑える腕輪の事を言っているのだろう。やつの言いたいことだって分かる。荒れ放題だった中庭を整え、花を植えて畑を作り、果樹を育てようとしているのは、確かに彼の功績だ。それを認められて、中庭だけでなく城全体の植物関係の責任を全て預かっているというのもあるだろう。
上手くいかなくて、ここまで立派に育てた草木たちが全滅してしまうというのならば、すんなりと許可を出せないのだって頷ける。
今はこの庭で、城の食糧生産の一部分を担っているのだから、簡単にいいよとなどは言えないだろう。
「王様第一のお前がそう言ってるんだったら本当に大丈夫か。なら、こっちの区画を使え。今は誰も手を入れてないし、何も植えてない」
「すまない。助かる」
お互い下働きからの仲だという事が、こうやっていい方向に作用するとは思ってもいなかったが。どうやら、その時からの信用というものがあったようだ。そっと示されたのは、中庭のなかでも渡り廊下からはあまり目につかない場所。
日当たりのいい場所なのだから、真っ先に手を入れていそうだったのにまっさらなのは、ここに植えても育ちが悪く根も付きづらいという事で後回しにされていたからだという事だ。
「そんで、出来たもんは俺にも食わせろ。魔力のあるなしがどれだけ影響が出るかは、責任者として知っておかなきゃなんねえからな」
「ああ、頼りにしてる」
おかげで、魔力が植物の生育にも影響するのかという実験にはぴったりだ。




