26.再会のあたたかさ
場所を変えよう、そう言ったヴェルメリオだったけれどもこの往来だ。魔王様の正体を隠している以上、人の少ない場所などすぐに思い当たるはずもない。
悩むそぶりを見て、店主のほうから自分が泊まっている宿まで案内してくれた。
「一人で泊まるには十分なんだが……さすがに狭いな」
「あはは。押しかけてごめん」
店主と話し始めてからというもの、魔王様の口調がどこか幼く感じる。これはきっと、魔王になる前。ただのルディウスであった頃の魔王様の話し方なのだろう。
自分の考えを肯定するかのように、店主は魔王様の話しぶりを聞いていても何も変わった様子を見せやしない。少しでも驚くような素振りを見せようものなら、いくらでも理由を並べ立ててこの場から立ち去ることが出来るのに。
「構わないさ。落ち着いて話したかったのはこっちも同じだからな。それに、この宿の主人はいい人だったろう? 人族の俺でも魔族と同じ値段で泊めてくれるんだ。本当、ありがたいよ」
「魔族と人族で、値段が違うのですか」
口を挟むことはしない。そう決めていたのに、店主の言葉が気になってすぐに反応してしまった。魔王様はまだフードを被っているが、店主の言葉に動揺した様子はない。ヴェルメリオは、いつもと変わらない穏やかな笑みのままだが、少しだけ目を細めた。
そんな様子に気づかないのか、店主はああ、と何かに納得した様子を見せてから話を切り出した。
「ああ。魔族側からだと分からないことですよね。魔族の国なんだから当然なんだろうけど、基本的に人族の値段のほうが高い。人族の国は、逆に魔族のほうが少しだけ高くなっていますがね。
けれど、この街はどこでも人族との区別がなくて、商売しやすいんですよ」
「なるほど。いい情報をありがとうございます」
護衛としてのふるまいなのか、それともこの店主に対して何か思うことがあるからなのかは分からないが、ヴェルメリオがお茶の用意を進めていた。手慣れている様子など、執務室では見せたことがないのに。
先ほどの露店で買ったお菓子を添えて出せば、魔王様は嬉しそうに手を伸ばし、店主は申し訳なさそうにしている。二人同時に頭を下げられたことで、さすがにヴェルメリオも動揺したのか言葉少なに自分の隣に戻ってきたけれど。
それから少しの間、気持ちの整理をするようにお茶を飲むだけの時間が流れた。ちらりちらりと自分たちに向けられる視線、そのすべてを黙殺していたからか、店主が諦めたかのように息を一つ吐いてから口を開いた。
「さて、久しぶりだな。シア」
「うん、久しぶり」
にっこりと笑っているのが分かる声色だけど、魔王様はまだフードを取ろうとはしない。変装のための魔法は解けているから、紫の髪が覗いているけれど。
店主もフードを外さない魔王様に少しだけ戸惑っているようだけれど、それを指摘するような言葉は一つも出てこない。もしかしたら、そういうところが心地よくて魔王様はこの店主と話をしていたのかもしれない。
辺境の町、人族との境。それは、魔族に対する偏見だって色濃くある土地だろうから。
「気にするなって言っても、気になるよなあ」
ちらちら彷徨う視界の先には、自分とヴェルメリオが立っている。魔王様は店主と向かい合っているのだから、気付かないはずがない。
少し困っているのか、魔王様が首を傾げた動きに合わせてフードが揺れる。後ろに立っている自分からはちょこちょと動いているように見えるので、灰色のフードが動くたびに小動物のように思えてしまう。
「魔族の顔の良さには慣れたと思ったんだがな。まだこんな美形がいたとは、巡ってみるもんだ」
とうとう魔王様が声を上げて笑い出した。目の保養、だとかなんとか言いながら、自分とヴェルメリオを眺め続けている店主は、おそらく本気でそう思っている。
金髪碧眼のヴェルメリオは確かに見目がいい。軍部に所属していて魔王様の側近をしているから将来性もあると思われていて、縁談の話も毎日のように来ていると噂が立つほどに。
隣に立っている自分は、銀髪青目。色味だけならばヴェルメリオと対になるような扱いを受けることもあるけれど、美形だと感じたこともない。
「気になったの、そこだけ?」
「ふふ。お褒め頂きありがとうございます」
「そうだろ。俺も毎日見ているけど、きれいだなって思うもんな」
ヴェルメリオは言われ慣れているだろうに、どうやら店主の飾らない感想を気に入ったようだ。外向けの表情よりも少しだけ柔らかく笑っている。それよりも、自慢するかのように胸を張っている魔王様は自分たちをどう思われているのか。魔王様にそのように褒められてしまったら、自分も期待をしてしまうではないか。
そのように思われているという言葉を聞けただけで、この店主に対しての警戒心を解くことはしないが、ほんの少し信用してもいいのではないかという思いが生まれている。
自分も、案外単純なのだろうか。
「俺?」
「あ、そっか。あの時は髪で隠してたっけ」
フードを被ったままだということに、思い至ったのだろう。髪で隠していた時があったというのなら、フードで視界を狭くしていても動きに全く問題がなかったのも納得できる。
単純に、慣れていたというだけなのだろう。そうやって視界の狭い中で動くことが初めてではないということに、どうして自分はすぐかんがえられなかったのか。
ゆっくりとフードを外した魔王様の、本来の色が店主の目に映る。当時の魔王様が魔法を使えたとは思えないので、店主の見ていた色は紫髪であったはずだ。驚いたように目を丸くしている店主の瞳に、魔王様の姿が映る。
髪で隠れていない瞳は、金色。今の自分には向けられていないその色が、なぜだか無性に見たくなった。
「なんだ、シア。お前も美形なんじゃないか!」
丸くなった目を細めて、店主は魔王様の頭をぐりぐりと撫で回し始めた。ヴェルメリオが動こうとして肩を揺らしたが、害するつもりがないのだと分かったのかすっと元の姿勢に戻る。
町のやつらが見たら驚くだとか、これじゃ見てても分からなかった、とかあれこれ騒いでいるが、聞き流せなかった言葉がひとつ。
「女の子だって、思ってたさ! 大半がそうだと思ってただろうけどな!」
華奢な体つきで長い髪、甘い菓子を好んで食べていたというところだけでの判断だったようだが。そしてその頃、魔王様はあまり話すこともなかったから声を聞いた者がほとんどいなかったという事もあったようだが。
慌てて訂正している魔王様の姿がよほど面白かったのか、店主は浮かんでいる涙を指で拭っている。
魔王様の立場を大っぴらにするわけにはいかないから黙っているが、この店主に一度くらい文句を言ってもばちは当たらないと思う。
ひとしきり話が終わり、菓子もなくなったのでそろそろ解散という空気が流れ始める。それは、自分よりも店主のほうが敏感に感じ取ったようだ。さすがに商売をしているというだけはあって、その場の空気を察するのは上手なようだ。
「おっちゃんの目的って、なに? 手伝えることある?」
きっとこれが最後だろう、そう思ったのは自分だけではなかったようだ。魔王様だって、今日は特別にこの街に視察に来たけれど、基本は城の中で政務を行っている。
これから先、偶然会う機会などおそらく来ない。少しばかり焦っているようにも聞こえるが、もう会えないと思うゆえに、店主の力になりたいと申し出たのだろう。
辺境の町でどのように暮らしていたか、魔王様本人から語られることはあまりない。その時のことを多少知ることが出来たので、この程度だったら店主の力になってもいいだろう。与えてもらった分は、返さなくては。
「ははは! 目的なら今達成したさ!」
「今?」
「目的は、おまえだよ。シア。急に消えたおまえを探してたんだから」
真剣な目を見せた店主に、ヴェルメリオの目つきが険しくなったのが分かった。確かにあの町の住人からしたら魔王様は突然消えたように思えるのかもしれない。実際、あの宰相だって急いで魔王様を連れてきた様子だった。
けれど、人族から見たらただの魔族だ。それも、女と思われていた非力な魔族。それを探して人族と魔族の辺境の町から、この魔族の国の中心までやって来るほどの労力を割くことなど、するだろうか。
「……え?」
「あの町のみんな、心配してたんだよ。町出たのもそのためだ。情報を手に入れるために、な」
理由も分からず固まった魔王様の動きを溶かしたのも、また店主の言葉。心配、そう言った店主の表情を含めてすべてに嘘はない。それは、ヴェルメリオがいつでも攻撃できるように準備していた魔力が霧散していったことで自分にも理解できた。
ここまで高めた魔力に気づかないのは、人族でも全く魔法を使えない部類だというのがとても良く分かった。多少扱える魔族であったなら、きっと反応していただろうから。だからこそ、何かあってもヴェルメリオと自分がいれば魔王様に危害を加えることなど、どうあがいても出来やしないと考えられるようになったのだけど。
「ま、今では商売が楽しくなって、あちこち歩き回っているんだよな。でも、元気でよかった」
「うん、ありがとう」
そうして、店主と別れて宿の主人にも突然の来訪を謝罪する。別に泊まりでなく談笑しているだけだったし、騒がしくもなかったから何も問題ないようだ。
魔王様が気にかけるようなことにならずに済んで、ほっとした。こんなことで魔王様の印象を悪くしてしまっては今後に差し支えるかもしれないから、と丁寧な言葉遣いを心掛けた甲斐があったというものだ。
それなりの時間話し込んでいたのだろう。店主と会った時にはまだ頭上近くにあった太陽は、もうその姿を隠そうとしていた。
魔道具に変化はないが、ヴェルメリオが集めた魔力を感じ取った者は確実にいるだろう。まだ見ていない通りが残っていることは申し訳なく思うが、これ以上街の視察を続けることは出来ないとの判断を下す。
この時間であれば、城に直接向かってもあまり問題はなさそうだというヴェルメリオの言葉に倣い、ゆっくりと歩いていく。確かにすれ違う人は昼間よりも格段に減っている。今日の城の見張りには視察に行く旨は伝えてあるので、姿を隠す必要もなさそうだ。
「魔王様」
「……うん」
帰り道、まだ店主と話していた時のままの幼い口調の魔王様は、ヴェルメリオの問いかけにただ一言だけを返してきた。
「あなたが、あの町を出て魔王となり、ここまでやってきたことは間違っていなかった。私はそう受け取りましたよ」
「うん、そう……だといいなあ」
髪で顔を隠したりしていない、フードを被ってもいない。それでも魔王様の瞳は、自分の手で覆われて自分たちからは見えなかった。
だから、その手の間からすうっと透明なしずくが流れていったことは、自分もヴェルメリオも見ていない。そう伝えられたらいい。




