23.息抜きの方法
「魔王様、今度は何をしているんですか」
「ん~、模様替え?」
そろそろ人手が欲しい。主に、この書類をやり取りする場所に。魔王様の執務室と文官たちが業務に使っている部屋は、多少の距離がある。
機密を守るためとか、城の配置的にとか、理由はいくらか挙げられるが、最たるものは魔王様から漏れる魔力に耐えながら仕事が出来る文官がいない。これに尽きる。
先日の温泉に直通している魔道具が発動しなかった件で、自分の魔力は少ない方なのだと改められて突きつけられたが、あれはどうやら不具合だったらしい。それに付け加えるならば、魔王様の側近として働ける自分の魔力が少ない、なんてことはないそうだ。
かといって、いまだに自分の魔力の扱いに慣れず、初級の魔法を使うことが精々の自分には感覚のつかめない話ではあるが。
そんな会話を文官たちと交わしながら必要な書類と資料を交換し、魔王様のところへ戻ってきたというのに、執務室からは外まで聞こえるほどに騒音が響いていた。
「どうして疑問なんですか。今、手に持っている書類は何です?」
「これか? 今日までに終わらせないといけない書類だ。なくさないように、動かす予定のないグランバルドの机に避難させようと思ってな」
自分が執務室を出る前に署名をするかどうか悩んでいた書類には、きっちりと魔王様の名前が書かれている。小さい紙も別に添えてあるから、きっと改善して欲しい箇所にはチェックをつけているのだろう。下働きから上がった文官もいるけれど、数は少ない。城で働ける階級と、そうでない者たちとの考えの差は彼らが埋めてくれているが、魔王様も同じことをしている。
だから文官たちに慕われているのだということには、あまり気づいておられない様子だけれど。
「それなら、自分がお預かりします。文官たちのところに戻して、各部署に振り分けないといけないでしょう?」
「おお、助かる。俺が持っていくとあいつら緊張するみたいでな」
今さっき戻ってきたところへまた向かうことなど、面倒だとすら思わない。けれど、魔王様のそばにいられる時間が減ってしまうことには、思うところがある。
また、自分の目の届かないところで倒れてしまうような事態が起きたら。いくら大丈夫だと言われようとも、そう考えてしまう自分がいる。この胸に空いた不安という穴は、きっと塞がることはないだろう。
「彼らは魔王様とあまり接することがありませんからね。しかし、少しずつでも慣れてもらわねば。自分がずっと届けに行けるとは限りませんから」
「そうだなあ……」
そんなことない、そう否定して欲しくて最後に付け加えた言葉。自分は、この方にとって必要な人材だと思われていると確認したくて。
それなのに、言葉を途切れさせて何かを考えこむ仕草を見せた魔王様を見て、不安の穴は広がっていく。
「いつまで経ってもグランバルドに任せきりだと、仕事の負担が減らないもんな。今は城で働きたいって希望も増えてきたから、人を増やすか」
「……理由はともかく、人を増やすことには賛成です。魔道具を人族に売っていることで、財務には余裕があるようですし」
「だよなあ。その分、生活が豊かになるようになんか考えないといけないけど、そうやって頭抱えるのは苦じゃないしなあ」
先ほど感じた不安など、まるで嘘のように消え失せた。魔王様が自分に向けてくださる笑顔は、信頼されていると実感するには十分すぎるもの。そんな笑顔を至近距離で見て、どうして自分が不要であると思えようか。
仕事が増える気配はすぐそこまでやってきているようだけれど、魔王様と共にいられるのであればどんな仕事であろうとも構わない。
「失礼します、本日の見習いをお連れしました」
魔王様が避難していた書類の仕分けをしていると、軍で訓練を終えたヴェルメリオがやってきた。今日の護衛見習いは、前とは違う二人組。ヴェルメリオとヘンドリック様を除いて、基本的に護衛は二人一組だ。魔力に秀でている者と、物理攻撃に優れている者がセットで選ばれている。
そのため、魔力に秀でている者の初回は基本的に顔色が悪い。ヴェルメリオやヘンドリック様の訓練を受けてから来ていても、魔王様と直接顔を合わせるのはやはりしんどいらしい。
「お、ヴェルメリオいいところに。軍部で体力余っているやつとか、いないか? 出来れば社交性のあるやつ」
挨拶もなしに話が始まるのは、自分たちにとっては通常。けれど、見習いたちからはなかなかに驚く光景だったようだ。緊張からか伏し目がちだったのに、一瞬で表情を変えてこちらを凝視している。
魔王様からのリクエストは、先ほど話していた自分の仕事の負担を減らす、というものの第一歩だろう。各部署に書類を届けるだけでも誰かに任せられるようになると、自分のできることも増えるはずだ。
「体力だけならばそれなりに出せますが、社交性もとなると……どのようなご用件で?」
「執務室と文官たちの部屋……あっちも執務室か。で書類の運搬を任せたくてな。これまではグランバルドに頼りっきりだったから、少しでも負担を減らしたくて」
ヴェルメリオからちらりと意味ありげな視線を送られたけれど、書類の仕分けに集中することで流すことにする。体調を崩したことで周りからの目が少しだけ変わった自覚もあるだけに、多少こそばゆい気持ちになる。
「なるほど。人選には少しお時間頂けますか。書類を取り扱うのであれば、それなりの者を見定めないとなりませんから」
ヴェルメリオの言うことは最もだ。書類をもらってくるだけだったら正直、そこまで難しいことはない。けれど、各部署に届けるときには言葉を交わす必要があるだろう。それに、扱っているものは書類。中身を見てしまった時に黙っていられるか、万が一所属している部署に不都合が生じる内容でも手を加えずにいられるか、など体力以外に必要な部分が多いのだから。
「ひとまず、書類のやり取りについては護衛の交代時で承りましょう。急ぎのものに関してですが、しばらくの間は今まで通りグランバルドに任せてください」
護衛見習いたちは、ヴェルメリオと魔王様、それから自分の会話を真剣な表情で見ている。正式に護衛となった時に、このような話を振られるかもしれない、そう思っているのだろう。
勉強するのは今後の役に立つと思うので止めはしないけれど、おそらく魔王様はヴェルメリオとヘンドリック様が護衛の時以外は、このような話を振らないとは思うが。
以前の見習いには、このような話を振っていた記憶もない。魔王様は親しみやすいけれど、その辺りの線引きは思いのほかきっちりなさるお方だ。
そんなことを考えていたからか、自分の前にどさりと書類が置かれるまでヴェルメリオの声に反応できなかった。
「……ヴェルメリオ、どうしてあなたが仕切っているのです」
「おや。魔王様から人を融通して欲しいと頼まれたのは私ですよ。いけませんか、魔王様?」
「今の流れなら、問題ないな。グランバルドの前で話してるんだし、状況は把握できるだろ?」
「そうなの、ですが……」
模様替えをするために書類を済ませている魔王様は、どことなく楽しげだ。気持ちに余裕があるのが、顔に現れている。どのように模様替えをするのか、想像しているから楽しそうだとも言うのだろうが。
「魔王様、グランバルドは仕事を取られてご不満のようですよ。何か、新しい仕事を差し上げてはいかがでしょうか」
「ヴェルメリオ!」
ふふ、とこちらも楽しそうな笑みを見せたヴェルメリオから、先ほどまで想像していたことが本当になってしまうのではないかと思わせるような言葉が飛び出す。
今までだったらぐっとこらえていたけれど、今はあまりにもタイミングが悪すぎた。見習いたちの肩を跳ね上げてしまったことは、あとでこっそり詫びを入れるとしよう。
「新しい仕事、かあ。そうだなあ。それなら……」
「魔王様、ご無理なさらずとも。自分は今の役割に満足しています!」
配置換え、別の部署に行ってもらう、下働きに戻れ。自分の頭の中を駆け巡るのは、そんな言葉ばかり。
魔王様から即座に否定の言葉がなかったことが、その考えに拍車をかける。自分は、いらないのだろうか。
「じゃあ、厨房に行って試作ないか見てきてくれるか?」
「魔王様、それはただのお使いと言うのでは……」
「ほら、グランバルド。魔王様直々のお願いですよ」
くすくす笑う二人は、不安を感じている自分などまるでお見通しとばかりに穏やかな顔をしている。その顔を見れば、先ほどまでのやり取りは本心ではないと、理解できた。理解はしたが、感じた不安は本物なので少しくらいはやり返したって許されるだろう。
「分かりました。ついでにこの書類は各所に届けてきますね。厨房には、魔王様の夕飯は少なめにするように伝えておきましょう」
「ちょ、ちょっと待てグランバルド! それは話が違……」
仕分けの終わった書類。これなら、部屋を三つほど回れば渡しきれる。そうして厨房に行くのだって回り道をする必要もないが、菓子を待っている魔王様を少し焦らすのも面白そうだ。
ならばついでに中庭に行って、同期に顔を見せるとしよう。なに、業務の一環として畑の具合を確認するだけだ。
頭の中で思い描いたこれからの算段を、その通りに実行するのはなかなかに楽しくなるだろう。わずかに浮上した気持ちのまま、自分の口元に笑みが浮かんでいる事にも気づかぬまま、執務室を出た。
「グランバルド、なかなか言えるようになったじゃないか」
「ええ。あれで思いつめるタイプですので、少しガス抜きにはなりましたかね」
見習いたちに謝罪に行った際、そうやって魔王様とヴェルメリオが話していたのだと聞くのは、これからしばらく後になってからだ。




