19.体力作り
「そうそう、その調子! なかなか筋がいいですよ王様!」
気分転換に散歩に行こう、そう言って立ち上がった魔王様はあっという間に執務室を出て行ってしまった。
魔力を過剰に溜め込んで倒れた魔王様は、しばらくの間仕事量を調節している。それは、文官と医師から決められた量だ。文官からは自分たちがもっと仕事が出来るようになるからと頼み込まれ、医師からは側近である自分がきちんと見張るように、と釘を刺された。
とはいえ、自分も似たように寝込んでいるのであまり信用はないらしい。なのでここしばらくは、厨房からコックの誰かが直々に昼食だと呼びに来てくれている。
そうしてバランスの取れた食事を作ってくれるコックたちに礼を言い、執務室に戻ってすぐの話である。
「お、っとこれは……」
「魔王様、いったい何をしておいでです?」
無理をするなと医師から告げられている以上、ここで魔王様を連れ戻しても意味がない。そう考えて、ゆっくりと十数えてからそのお姿を探しに出たというのに、見つけたのは思っていたよりも近場である、中庭。
なぜだか、自分の下働きからの顔見知りであり今は中庭の責任者になっている同僚と、並んで土をいじっていたけれど。
「グランバルド、見て分からないか。耕しているんだよ、畑を」
何言ってんだこいつ、という顔をしていたがその気持ちはそっくりそのままお前に返してやる。王様、そう呼んでいたのだから、目の前で紫髪をひとまとめにして鍬を一心不乱に振り下ろしているのが魔王様だとは、さすがに理解しているだろう。
魔王様の前では一応言葉遣いを改めているようだが、自分に対してはあの頃のままだ。それが少しだけ、こそばゆくもある。
「それは見れば分かります。どうして、あなたが畑を耕しているのかと聞いているのです」
「ん~? 体力作りの一環?」
「あの、軍のお偉いさんから頼まれてな。庭の一画を畑用にしていいって許可も下りたし、別に構わないだろ?」
同僚の言うお偉いさんがヴェルメリオかヘンドリック様のどちらを指しているのかは分からないが、こいつにとってはどちらも等しく偉い人の括りでしかない。
下働きのころからそうだった。人の顔と階級を覚えず、痛い思いをしたことだって少なくないはずなのに、それを直そうとはしない。興味のないことには清々しいまでに覚えが悪い。
庭の責任者という立場になっても、その頭の使い方は全く変わっていないらしい。
「ああ、確かに俺が許可を出した。この城には使っていない区画が多いからなあ。それに、畑があれば何かあった時に役立つだろ」
「確か前にも仰っていましたね。役に立つと」
それは、魔王様がこの城に来てまだ日の浅い時のことだ。散歩と称してあちこち歩き回り、そうしてこいつに出会って庭の責任者に据えた。その時にも楽しそうに話していたと思っていたが、その気持ちは今でも同じだったようだ。
その時から、魔王様はこうしていろんな事を考えては可能性を広げようとしていたのだろう。自分の、魔王という重荷だってあるのに様々なものを抱え込んで。
「そのためにこうして俺も畑を耕しているってわけだ。意外と体使うしな」
けれど目の前で金の瞳を楽しそうに細めている魔王様からは、そんな気持ちは全く読み取れない。もしかしたら、自分が深読みしているだけなのかもしれない。そう思うほどに。
ふらふらとした手つきながら鍬を振り上げて、耕している姿だけを見たら、この方が魔王様だとは思えないくらいには、似合ってもいる。
「ほら、王様だってこう言ってるんだからその怖い顔を元に戻せって、グランバルド。俺が小難しいことを考えらんねえってことは、お前が一番よく知ってるだろ?」
「ああ、そうだな。下働きからの付き合いだ。お前がそんな馬鹿なことを考えるとは、思っていないさ」
今、こいつが鍬を武器として使って攻撃を仕掛けてきたら。鍬を使ったことのない自分と、ほんの少し前に触っただけの魔王様。とてもじゃないが立ち向かえる気がしない。
そう考えていた自分の事を当然とばかりに受け止めているのがこいつのいい所であり、もう少し物事を深く見ろと怒られる所でもあるのだが。
「そんじゃ、これな。ほい」
「ほい、と渡されても、これは」
「見て分かるだろ、鍬だよ。畑を耕すための、な」
ほらと示されたのはまだ手を付けていない畑になるはずの区画。ざっくりと線を引かれてはいるが、目印になるものなどないうえにやったこともないのに、どうして耕せると思っているのだろうか、こいつは。
自分たちが話している間、ざっくざっくと音を立てて無言で耕している魔王様が、知らない人のように見えた。
「今なら王様と一緒に耕した、って触れ回れるぞ?」
「よしグランバルド。一緒に畑作ろうぜ!」
「ストップ、王様。今日はここまでだ」
頬に土をつけた魔王様は、大粒の汗を光らせながら笑っている。その姿を見てストップをかけた同僚に驚いたのは、自分だけではなかったようだ。
魔王様の手から鍬を文字通り奪い取り、休憩用のベンチに座らせている。有無を言わさぬその動きに従って呆然としていた魔王様の手には、いつの間に持たせたのか水を注いだグラスがあった。
不思議そうにグラスとあいつの顔を見ている魔王様の前で、腰に手を当てたまま動こうとしない。そうしてようやく魔王様がグラスに口をつけたのを見て、安心したようににっこりと笑った。
「そうそう。それでいいんです。王様は休憩だからな、そのベンチから動かないように」
「え、だって今グランバルドに鍬を……」
自分が持たされている鍬を指さし、魔王様はあいつの顔を見ている。日に焼けて薄褐色になった肌に、まるで草を宿したような緑の髪が映える。
その茶色い瞳に映る魔王様は、さぞ困惑しているのだろう。あいつは面白そうに笑って、そうして自分を含めた下働きに話すようないつもの調子で、告げた。
「グランバルドは、な。王様はさっきまで体動かしてたじゃないか。やりすぎはよくない。なんでも、な」
そうだ、こいつは人の顔と階級を覚えない。だけど個人としてはとても良く見ているんだった。
まあ、この城に金目の魔族は魔王様ただ一人だけだし、王様と呼んでいる時点で階級と顔がしっかり紐づいているという証拠はあった。
もう一杯と水を出してきた同僚に素直に従った魔王様は、少し恥ずかしそうだったけれどそれでも笑顔だった。
「はははっ、知られてるってことか」
「そりゃあ、俺はグランバルドの同僚だからな」
魔王様の耕したところは、お世辞にもまっすぐとは言えない。その隣の区画を整備したのが、おそらく同僚でありとてもいい見本があるから余計に比べてしまう。
きっと、中庭の主たるこいつから見たら手直しをしてやりたいところはたくさんあるのだろう。
けれど、魔王様の体力作りだと言って、この区画は全て任せると宣言した。それは、つまり毎日のように通って様子を見て手を加えろということだ。
ずしりと重みが響く鍬を握り、魔王様の代わりに続きを耕すために思い切り振り上げる。
「グランバルド、お前にはもっとたくさん耕してもらうからな!」
「自分にも、仕事があるんだが?」
「城の中駆け回ってたんだ、王様よりも体力はあんだろ」
この馬鹿に、体力とやれるかどうかは別問題だ、と教え込もうと決めたのは手に出来たマメが書類仕事の邪魔だと気が付いてからだった。
「魔王様、ご存じですか。民たちは今、連休というものを楽しんでいるそうですよ」
「へえ、具体的には何をするんだ。その、連休ってやつは?」
「噂に聞いた話だと……好きなように楽しむのがいいそうですよ」
「それじゃ、今度やってみるか!」




