15.認識違いの準備
「うん、すまん」
遠征から戻ってきたヴェルメリオ率いる小隊が戻ってきてからというもの、城の中は誰もが連日慌ただしく動き回っている。今までは書類のひな型を作るために文官たちが忙しくしていたけれど、他の厨房や下働きたちはそこまで走り回る必要はなかった。
けれど、お土産とばかりに持ってこられた情報ひとつ、それがこんなにも忙しくなったことの理由。今日も役に立つかと思ってかき集めた資料を持ち、執務室に向かったが入るなり魔王様から頭を下げられてしまった。
「……いきなり何の謝罪ですか、魔王様」
「いや、まあ、うん。この状況に関して、かな」
棚を作り、自分たちの動線を確保しながら使いやすく改装した執務室。そこかしこに資料が山を作り、どうにか人の通るスペースは確保しているという状況に戻ってしまった。
自分に頭を下げた後、そこにある資料に目を落とした魔王様は少しばかり疲れた様子で息を吐きだした。
「分かってるつもりだったけど、こんなに忙しくなるんだな」
「その通りですよ。一国の王同士が会うのですから」
「向こうがどう出てもいいように、相応の準備は必要ですからね」
自分よりも少しだけ遅れて到着したのはヴェルメリオ。情報を持ってきたという自覚もあるのか、資料集めを手伝うという珍しい姿勢を見せている。とはいえ、軍に関係している資料は自分では持ち出せないので、とても助かっているのだが。
「前魔王……先代の時に人族の王と会った記録は?」
「声を出すよりも早く魔法を放っていたのに、記録が残っているとお思いですか」
前魔王様、王の証であった魔力の高さを失ってから今は、少し離れた地で過ごされているという。それだけであの好戦的な性格がどうにかなるとも思っていないけれど、魔王様に代替わりしてから今までは、何の問題もなく過ごしているようだ。
そんな先代が人族の国の王に会って、しかも会話を交わしている姿なんて想像すらつかない。魔法を放って、まわりを火の海にでもしている姿のほうがよほど簡単に思い描ける。
魔王様も、同じようなお考えなのだろう。呆れたようにつぶやいた自分に、苦笑いながらも頷いている。
「だよなあ。代替わりをした王がどんなやつなのか、接触してきたってところか」
「おそらく、我らが近くで演習をすると聞いて急いで駆け付けたのでしょうね。姿を見せたのは帰り支度をしていた時でしたから」
ヴェルメリオの遠征は、表向き軍に慣れさせるというものだったが、情報を探るという意味合いのほうが強かった。きっと魔族の演習を行うという情報を、意図的に人族の国のほうへと流したのだろう。そうして近づいてきたなかに、魔王様の過去を知る手掛かりがないかを、探していたはずだ。
帰ってきてから忙しくて話を聞くどころではなかったが、そろそろ成果がどうであったかを確認したい。
「人族の足で間に合う距離ではないはずですが」
「向こうにだって魔法を使える者はいますよ。魔族が使うものに比べたらずいぶんと効果は落ちますがね」
「そうまでしても、情報を手に入れたかったということですか」
資料を避けて、魔王様の前に広げたのはこの大陸の地図。人族と魔族の国境のほか、それぞれの城の位置しか書かれていないとてもシンプルなもの。前魔王様の時代には毎日のように領土が変わってしまっていたから、それ以上の書き込みが出来なかったのだが。
この国境も何度か書き直された形跡があるが、これからは修正することはあまりないはずだ。
「人族の国にだって魔力だまりはあるだろ。そうじゃなきゃ俺たちが魔道具売って稼げないし」
「まあ、今は良い商売相手としての関係を築けておりますが」
王が代替わりして、友好的な関係を築きたいと言われたところで、今までの例があるのだからそう簡単に信じられるはずはない。むしろ、それでこちらの提案にすぐ乗ってくるような王であったならば、人族からだって非難の声が上がるだろう。
それを見越していたのかは分からないけれど、魔王様はごくわずかな量の魔道具を人族の国に売り出している。そうして、その便利さに気づけば、見境なく争いを仕掛けるという魔族のイメージを覆せるかもしれないからと言って。
自分が小さい時にそうであったらいいと思ったことをしているだけだ、と笑っていたが、そのような発想は歴代の王にはあまりなかったものだ。そうして今は多少なりとも魔族という言葉のイメージは変わっているはず。
「人族じゃ持て余していた魔力だまりを有効活用出来ているはずなんだ。それなりに信用はあるだろ」
「魔力だまりに順応したのが我ら魔族ですからね。体の構成は同じはずなのですが、どうしてだか人族の王を守るようにかなりの兵たちが控えておりましたけれど」
ヴェルメリオのため息の理由に思い当たる様子のない魔王様は、きょとんとした顔で首を傾げている。
ヴェルメリオの言い分としては、ただの一部隊、それも遠征をして軍に慣れさせるというまだまだ訓練中の者たちと対峙したところで、そこまで警戒されるのはどういうことだということだろう。
同じような感想を抱いていたので、魔王様がどうして不思議そうにしているのか、それが自分には不思議でしょうがない。
「……うちだって一部隊の演習だからそれなりに数は揃ってただろ?」
「今回は少数で経験を積む計画だったので、十名ほどですよ?」
ヴェルメリオの言葉を聞いて、魔王様は息を吐きだした。それはもう深々と、体の中の空気を全て出し切るような深い、ため息を。
「それ、人族から見たら一小隊くらいになるんだって。そりゃ構えるだろ」
たかが一部隊、そう思っていた自分たちに魔王様が告げたのは、その数倍にもなる小隊という単位。
その認識の違いに呆然としているのを横目に、魔王様は慌てて机の引き出しを漁っている。上質な紙に、ほとんど使うことのないインクを取り出したところではたと我に返った。
その認識を飲み込めないまま、どう言葉にしようかと考えていたら、同じような考えが違う声で聞こえてきた。
「……そうなんですか」
「そうなんです。どうしてグランバルドまで驚いているんだよ」
「いえ。人族が我らをどのように認識しているのか、という資料はほとんど残っておりませんので、詳しいことを知っている者は少ないんです」
残っていないというか、残していないというべきか。歴代魔王様にとって、人族は良き隣人ではなくただそこで生きているだけ。もしくは利用価値のある駒。そう考えていることが分かる資料なら残っているのだが、さすがに今違う関係を築き始めている魔王様に見せるのは違うだろう。
その資料も解放されているところにはあまり置いていないので、知っている者も少ないけれど。
「そういうことか。まあ、小さい頃から人族との境で生活してたからな。向こうが俺たちをどのように認識しているかは、多少知っているつもりだ」
そうやって話しているうちに、一枚の手紙を書き上げた魔王様は丁寧に封をした。今すぐに宛名を書くつもりはないようで、資料や書類に混ざってしまわないように引き出しに戻された。
今までの会話から手紙を送る相手には察しが付くが、それを口にするよりも聞きたいことがある。
「そうですか。では、魔王様。こちらが人族の王と会うのにどのような準備をしていればいいかの指示を、お願いできますよね?」
「あれ? これは、自分で仕事を増やし……」
「今回はヴェルメリオに同意いたします。魔王様、何なりとご指示を」
そう、自分たちでは思いつけない人族に対しての準備。あちこち走り回っている文官はじめ、城勤めの者たちを少しでも楽にできるのであれば、魔王様であっても使わない手はないだろう。
にっこり笑ったヴェルメリオと共に、逃がさないという力を込めて魔王様の肩に手を置いた。
魔王様から人族との感覚の違いを教えていただけたので、あれ以降準備のためにばたばたと走り回ることはなくなった。
おかげで、面会を控えてはいるけれど今までと変わらず業務を回すことが出来ている。
……魔王様には少々、無理を押し通してしまったので、厨房に寄ってから執務室に向かうことにする。




