14.不調の原因
「魔王様、こちらの書類は……」
「んーー」
誰が来ても書類の置き場に困ることのないレイアウトを作り上げることができたので、執務室の改装はひとまず終わりになった。
とはいえ、魔王様と自分以外がこの部屋に長時間滞在することはほとんどない。自分たちが快適に使えるならばそれでもういいだろう、ということで落ち着いたのだが。魔王様が作っていた棚もひと段落したというのもある。
だから、魔王様が少々やる気を失ったような、燃え尽きたような態度なのは致し方ないと思う。棚を作っているときはあんなに活き活きと楽しそうに笑っていたのだから、投げやりな姿勢でいても多少であれば目を瞑っていようと思っていた。
けれどもこの魔王様の姿は、書類を届ける下働きには見せられない。
「魔王様? 何か不明なところがございましたか」
「……いや、大丈夫だ。グランバルドが指示を出している書類はいつも、分かりやすい」
「それだったらよろしいのですが」
机にもたれかかっていた魔王様が顔を上げる。紫の髪に隠れた金色の瞳は気怠そうに伏せられている。
自分が側近という立場になってから、魔王様のこのような姿は見たことがない。気を抜いた姿を見せてくれるまで、自分との距離が近づいた。そう楽観視できれば良かったのだが。
「そうだ、書類だよな。これから目を通す分はこっちに」
「ええ。置いておきましょう。それで、魔王様は少し休憩にしましょうか」
バサリと。自分が珍しく魔王様の言葉を遮ったからか、のろのろと顔を上げていた魔王様が目を丸くしてこちらを見ている。その姿は年齢よりも若く、ともすればまだ親の庇護が必要な子供のようにも見えてしまう。
ああ、そうか。なんとなく先ほどまでの魔王様の様子に見た覚えがあると感じていたのは、これだったか。下働きの仲間が、具合が悪いのを強がって隠そうとしていた時の姿にそっくりだ。
思い当たってしまえば、そのような態度を取る理由にもすぐに考えられるものがある。
「休憩? さっき休んだばっかりだけど」
「魔王様、魔力の高い方によくある症状をご存じですか?」
「え、なんだよいきなり……」
「ご存じ、ですか?」
まだ机から体を離そうとしない魔王様に、にこりと意識して外向けの笑顔を貼り付ける。
執務室の使い勝手を良くしてから思っていたが、魔王様は少々根を詰める傾向がある。もちろん、魔王様の署名なしで成り立たない書類が山のようになるのが原因だが、文官に振ってもいいものだって多少はあるはずなのだ。
執務室が前魔王様の仕様であった時には気づかなかった、魔王様の癖。気づいたからには、側近として適度な休息を入れねばならない。魔王様は控えめな声掛けだと手を止めてはくださらないので、これが自分にできる最大限。
「……魔法を使わないと、魔力が体にこもって悪さするってやつだろ? 最初に聞いたし覚えてるよ」
この数日で何度かこうして止めたことを、さすがに覚えてくださったのだろう。ふい、と顔を逸らしているのは、本当に下働きの仲間にそっくりだ。思わず笑ってしまいそうになったところを、ぐっと思いとどまった。ここで笑ってしまえば魔王様はおそらく、あの時の下働きのように拗ねてしまうだろうから。
「自分が推測するに、魔王様には今その症状が現れているものと存じます」
自分も、同じ話を同じタイミングで聞いている。ただ自分はそこまで魔力量が多いわけではないし、執務室と文官たちのいる部屋との往復などでわずかながらに消費をしているので、体に過剰な魔力がたまることも影響が出るということもない。
けれど、自分よりも魔力量が多く消費する機会の少ない魔王様はそうもいかないのだろう。溜まった魔力が発散する場を求めて、体の不調という形で現れるのだ。
「ヴェルメリオとの魔法の訓練がなくなってしばらく経ちますが、ここしばらくは執務室の模様替えで魔法を使っていましたので、そこまで影響がなかったのでしょう」
細かいところは調整が上手くいかずに、自分たちの手で行った。けれど、魔法を全く使っていなかったというわけではない。魔王様が楽しそうにしていた時に無意識でも魔法を使っていた可能性だってある。そうして消費出来ていたのに、その機会がなくなれば使われることのなくなった魔力が体の中に留まってしまう。
「ですが、今は魔法をほとんど使っておりません。魔王様の魔力をどこかで発散させないと、その不調は治りませんよ」
「なんだ、気づかれてたのか」
降参とばかりに両手を見せて肩をすくめた魔王様は、ようやく体を起こした。間近で見たら自分の推測は正しかったのだと思わさせる、顔色の悪さ。机にもたれかかる姿勢の悪さは、この顔色を自分に見せないようにするためだったのだろう。
「そう仰るということは、体の不調を魔王様はご自身で感じ取っておりましたね?」
「自分の魔力が影響しているって理解したのは、この城に来てからだ。その前には、この感覚当たり前だったからなあ」
「魔王様!」
思わず、声を荒げてしまってからはたと我に返り自分の口元を押さえる。城に来る前の魔王様の境遇はそれなりに分かっているつもりだったが、改めて突きつけられてみると胸が苦しくなる。
今の自分がそんな気持ちになったところで、あの頃の魔王様を助けて差し上げることなど出来やしないのに。
「ん、分かってるって。ちょっとフレデリックに相談して何発か魔法使ってくるから」
「おや、魔王様。失礼しました」
「ヴェルメリオ」
苦笑いを浮かべた魔王様が、ゆっくりとドアの前に向かう。自分に振り返ったところで、執務室のドアが開いた。そこにいたのは、遠征に行っているはずのヴェルメリオ。向こうも驚いていたようで、碧眼は大きな宝石のように丸くなっている。
「おかえりなさい、ヴェルメリオ。あなたはまた連絡を怠りましたね」
「今回はきちんとコウモリを使いましたよ。私のほうが早かっただけでしょう」
もうすぐ帰ってくるだろうという連絡は受けていたが、今日この城にたどり着くまでの距離まで戻ってきているとは聞いていない。言っていることが本当かどうかは怪しいけれど、今ここにヴェルメリオがいるというのは、正直ありがたい。
自分の知識では、魔王様の苦しみを取り除くことが出来ないのだ。魔法について頼れる存在がいるのだから、ひと安心だ。
「そんな事よりも、どこかへお出かけですか」
「ああ、ちょっとな」
すうっと面白そうに細められた碧眼にも気づかず、魔王様はそれ以上の言葉を告げることなく執務室を出ていこうとする。ちら、とこちらに向けられた視線に答えるように、自分はわざと声を張り上げた。
「魔力が滞っておいでだ。少し消費が必要なので、ヘンドリック様のところへ向かうつもりです」
「あ、グランバルド!」
「魔力に関しては隠していたって気づかれますよ、魔王様。私達が誰から教えられていると思っているのですか」
気づいていたでしょう。そう聞けばもちろんと短い返事。魔王様の不調を即座に見抜いているのだから、執務室の入り口で驚いた様子を見せたのはただのポーズだろう。魔王様を驚かせないための気遣い、かもしれないが。
「ふふ、グランバルド。この短い間で少々態度が変わりましたね」
「魔王様の隣にいるためには、強気でいなくてはならない場面もある。そう学びましたので」
特に休憩の入れ方については、この何日かでかなり鍛えられたのではないかと自負している。それでも、魔力による不調にはすぐに思い当たることが出来なかったが。
ちょうどいい機会だし、今後も確実に必要になるので、自分も魔王様について行ってどのように解消したらいいのかを学んでおこう。
「しかし、魔力ですか……ちょうどいい提案がございますよ」
「ヴェルメリオがそんないい顔をしているときに俺にとってもいい提案だとは思えないんだが。一応、聞こうか」
顎に指を添えたその仕草は、いやに芝居がかっているのにどうしてだか、ヴェルメリオにはとてもよく似合っている。ふふと小さく笑いながらこちらを見た動きで、金髪がさらりと揺れる一連の動きが、とても。
「人族の国が、謁見を希望しているそうですよ」




