01.所在確認の方法について
「王様? こっちでは見てませんよ」
これから王様のところに行くのであれば、追加の書類をお願いしていいですか。採掘している山の土砂崩れが起きそうなので、補強工事の許可をお願いしたいのですが。
自分が抜けたことで正式に配属となった後輩の声を背中で聞きながら、文官たちが集まっている職務室を後にする。確かにあの山にはいろんな資源が眠っているから、きちんと管理してこれからも採掘が続けられるように手を入れておくべきだ。あそこに派遣しているのはどこだったか、と考えたところで頭を振って思い直す。自分はもう、その辺の調整で頭を悩ませる立場ではなくなったというのに。
今、自分がやらないといけないのは人を探すこと。ここにいないとなると、他にいるだろう場所は、どっちだろうか。
「え、王ならさっきまでそこで話してたけど」
花壇どうするかって相談してたみたいだよ。ほら、ここってなんかあった時の避難場所だったりするじゃん? 食料植えるのどうよって盛り上がってたけどな。
どっちか、と思って選んだのは中庭。誰か住んでいてもおかしくないような広さを持つ、お決まりの散歩コース。ここで見つけることが多かったから今日も、と思ったのに残念ながら空振りだったみたいだ。けれど、久しぶりに顔を合わせた同僚が嬉しそうにしているので、来て良かったと思った。
土のついた顔で笑っているのは、下働き時代からの同僚。一緒に働いていた時は書類を運ぶだけで迷うからと仕事を任せられず頼りないと言われていたのに、この庭に限っては迷うことがない。そうして、今やこの城の食を預かる一人となっているのだから、不思議だ。
立場が変わったのは、自分も同じだけど。
「魔王様!!」
「お、追いついたか」
「追いついたか、ではありませんよ!」
目の前にいるのは、ずっと探し回っていた我らの王。けれど、片手に茶請けを持ち、優雅に腰かけているのは厨房のシンク。どこからどう見ても休憩中の料理人としか思えない。
ここまで城の中を走り回ってその所在を探していたということもあり、ついつい声は大きくなってしまう。
「そんな怒らなくてもいいだろ。ほら、これでも食べて一息入れろ」
「誰のせいで怒っていると、むぐ!?」
「うまいだろ?」
にこにこと笑っているけど、人の口に容赦なく食べ物を突っ込んでいるんだが。怒るにしても何にしても、この口の中の食べ物だと思うものをなくさなくてはならない。もぐもぐと口を動かして飲み込めば、さくさくした歯触りの代わりにべたっとした甘さが残る。
「ほら、お茶」
「ありがとう、ございます」
ちょうどいいタイミングで差し出されたお茶を受け取って、口の中に水分を満たして甘さを流し込む。落ち着いてから魔王様のほうを見ると、向こうも自分を眺めていたようでバチリと目が合った。
「感想は?」
「はい?」
「だから、今食べた感想。おいしかっただろ?」
署名の欲しい書類が残っているんです。そう言おうと思っていたのに、先に求められたのは今さっき食べた物への感想。自分を見る魔王様の金目はキラキラしているし、厨房のシェフたちもこちらを気にしていないようなそぶりを見せてはいるけれど、どこかそわそわとしている。
感想、ねえ。何も見ないまま口に突っ込まれたし、お皿には何も残っていないので、見た目についての評価はできない。言えるとしたら、味だけれど。これは魔王様が求めているものだから、自分の感想が役に立つとも思えない。けれど、こちらをずっと見ている金目は、何も言わずにいることを許してはくれないようで。
「ええ、はい。甘さが口に残りますけど、食感はいいと思います」
「……だってさ。だいたい、俺と同じ感想だな」
くるりと器用に振り向いた魔王様が、シェフたちを見てにやりと笑っている。ああ、同じ感想だったんだ、と少しだけ安堵した自分の気持ちなんて知るはずもないのに。なぜだか魔王様は自分に向けても笑っているような気がした。
「くっ……! まだまだ改善が必要ですか」
「期待してるからな」
この厨房はまだ男が多いので、全員が声を出すとビリビリと響く。例えそれがやる気からくるものであっても、至近距離で雄たけびが上がれば、反応してしまうのは仕方ないだろう。
ビクッと揺らした肩を見た魔王様が少しだけ口元を緩ませていたが、改善点をあれこれ議論している厨房のシェフたちに気づいた様子はない。そのまま、そっと自分とともに魔王様は厨房を出た。
「魔王様、誰にも言わずに城の中を動き回るのやめてもらえませんかね?」
先を行く魔王様の足取りには迷いがなく、自分の望む場所へと向かっていると気づいた時にはゆるゆると息を吐きだした。
そうして、少しばかり安心したからだろうか。チクリと、小さくても鋭いとげのある言葉が飛び出してしまったのは。
「それはできない相談だな」
自分のことをチラとも見ることなく、悩むそぶりを見せることすらなく。即座に返ってきた言葉に苛立ちを感じたけれど、それはぐっと手を握り締めることで自分の内に留めた。
前を歩く魔王様の顔は見えない。風に揺れる紫の髪しか視界には入らないことでさえも、苛立ちを感じさせた。
「俺はまだ、この城がどれだけ広くてどの通路が繋がっているのかを理解できていない。それは、お前だって分かっているだろ」
「それは、そうですが……」
さきほどまで感じていた苛立ちは、いったいなんだったのだろう。そう思えるくらいすぅっと感情が静まったのは、こちらに振り向いた魔王様が言葉とは違い、寂しそうな顔をしていたからだ。
魔王様だって、自分と同じ。いや、今この城の中にいる誰よりも城のことを知らないのは、魔王様自身だ。
下働きだったけれど、城にいる期間だけで言えば自分のほうがずっと長い。
「だからといって、そばで働いてくれてるお前に何も言わなかったのは俺が悪いな。すまない、グランバルド」
誰もいない廊下を歩いているのをいいことに、立ち止まった魔王様は自分に向けて頭を下げている。
この人が、魔王となった経緯は少し特殊だ。下の者に向けて頭を下げるなど、歴代の魔王では絶対に見られなかった姿。けれど、魔王様はそれが当然とばかりに謝る言葉をくれるし、態度で見せてくれる。
魔王様、と呼んではいるし上司として従うべきだとは思っているが、こういう自分の感覚に近しい姿を見ると、王でも上司でもなく、ただこの人の力になりたいという気持ちのほうが強くなる。
「次はちゃんとに言ってから散歩に出るわ!」
「少し前に感動した空気を返してくださいませんか」
「ん? お、なんだ感動なんてしてくれたのか。いやあ、嬉しいなあ」
「あ、ちょ……今のは、言葉のあやってやつで……!」
だから、うっかりと口を滑らせてしまったことが恥ずかしいのに、こうやって冗談のように言葉を交わし合える時間が楽しい、だなんて思ってしまうのだろう。
わははと大口を開けて笑いながら廊下を疾走する魔王様に追いつこうにも、開いた距離は縮まることなく執務室へと到着してしまった。
わずかに上がった息を整えるために、深く息を吐く。そうしてもはや慣れ親しんだ古い書類やインクの香りを、存分に吸い込んだ。
「走り回る前に、魔力検知すれば良かったんじゃ?」
「……あ」
「長年の癖が抜けないのは、お互いだな」
苦笑いしている魔王様に、自分も同じ表情しか返せなかった。
魔王様が執務室にいないときは、中庭か厨房のどちらかを探すべし。そこでも見つからない場合は、空き部屋で休憩している可能性がある。
ただし、現在使用していない部屋はたくさんあるので、緊急の場合は魔力感知を使用することをお勧めする。
グランバルド