其の五 追放
さっきまで床にへばりついてた風鈴が、突然「へいやっ!」とか叫び出した。
……普通の人なら、そりゃビクッとするだろうけど、僕はもう慣れた。この謎だらけの中二病・紫色少女の奇行なんて、今さら驚かない。
考えてみれば、おかしな話だ。出会ってまだ二、三日しか経ってないのに、気がつけば僕は、もうこの少女の「仲間」になっちゃってる気がするんだ。
仲間?友達?それとも――風鈴の言う「共犯」?
……まぁ、どれでもいいけどさ。どうせ全部ロクでもない呼び方だし。ていうか、こいつの隣にいるってだけで、何かしらの呪いにでもかかった気分だ。
見ての通り、こいつはちょっと前に――いや、ほんとに何の脈絡もなく――崎零先生を罵倒して、いきなり斬りかかったんだ。
当然ながら、先生はただの先生じゃない。「雷の空想・黄金落雷」っていう、大騎士様の正真正銘な一撃をお見舞いされた風鈴は、あっという間に全身ビリビリ、石みたいに硬直して、そのままドサッと地面に倒れた。
いやぁ、あれは見事な天罰だったね。拍手したくなるレベルだった。
でも。でもだな。
なんで僕まで、何の罪もないただの通行人の僕まで、反省室にぶち込まれなきゃいけないんだ!?
チッ……風鈴のあの一言が、マジで呪いだったんだ。「共犯」だって?――うん、今となってはその濡れ衣が、現実になっちまったよ。
風鈴が声を上げたかと思うと、まるでナマズの裏返しみたいに、ビタンッと跳ね上がった。そして、そのまま華麗に着地。ぴたりとポーズを決める。
体をひねり、左腕を天に、右腕を地に……なんだ、ただのナマズじゃなかった。
どちらかというと、バレリーナのワンシーン。いや、褒めすぎか?いやいや、言うまでもなく――また中二病が再発しただけだ。
――おいおい、また無理すんなよ?さっきの大失敗、もう忘れたわけ?
まぁ、実を言うと、僕もちょっと感動してる。たった十分前に同じことやって盛大にぶっ倒れた少女が、また立ち上がったってだけで、なんだかんだで、嬉しいし、びっくりしてる。
でもな、それとこれとは別だ。あまりにもいろいろあったから、やっぱりツッコまずにはいられなかった。
「あと五秒見てて?」
まるで拍手を待ってるロボットみたいな口調で、動かない。そのポーズのまま、凍りついたかのように。
――またさっきみたいに、足がガクッてなって、顔面から地面へドーン、だろ?
…まぁいいや。数えるぞ。
3…4…
5!
「じゃじゃーん!」
勝利宣言。
その場でクルッと一回転して、口元に得意げな笑みを浮かべる。空気という名の観客に向かって、深々とお辞儀。
そして、幕は閉じる。謎の少女・風鈴、ここに完全復活――!
――うおっ、本当に回復してる…!?
「うん、本当。」
――三十五分…経ったよな。初回の失敗から十分足して…合計四十五分?
あまりにも羨ましくて、驚きすぎて、褒めるしかない顔になった僕に、風鈴は、ドヤ顔でウィンクを返してきた。
「予定より少し遅れたね。三十分で回復できると思ってたのに。」
――ふん、謙遜すんなよ。
大騎士の黄金落雷をモロに喰らって、四十五分でピンピン歩ける人間なんて、僕は学園で見たことねぇ。
「二回目だし、少しずつ慣れてきたのかもね。」
――は?慣れるってなに?お前さ、自分をなんかの神秘生物だとでも思ってるわけ?学生どころか、大騎士本人が自分にあの誇り高い魔法をぶっ放したとしても、しばらく動けないと思うんだけど。
「ほんとだよ。最初に雷に撃たれたときは…たしかね、二時間半くらい寝てたかな?あ、ちなみにそのときは三発連続で食らったよ。」
――???
……ちょっと待って。おい、祈。君は斥候だ。冷静であるべきだ。これはもう本能的にわかるだろ?
今この瞬間、この少女との会話を続けてる場合じゃない。すぐに大声出して誰か呼べ!この子、絶対どっかおかしい!とにかく病院だ!救急だ!!
そう、黄金落雷を三連発?いやいや、絶対無理。
僕は実際に食らったわけじゃないけど、わかる。普通の人間なら一発で一週間はベッド行きだ。なのに三発?連続?それで今ピンピンしてる?
……いや、もし仮に、この子が嘘をついてないとしたら、そっちのほうがもっとヤバい。
つまり、病院に送る理由が変わるだけだ。調査目的で入院させなきゃいけないレベル。もしかして、滄溟みたいな不死身系の邪霊がまた学園に紛れ込んでるんじゃ――?
亡霊ってのはな、一体いれば充分だ。二体目とか、冗談じゃない。
「祈君、その顔……まだ信じられないって感じ?」
――疑ってるっていうより、もう「怖い」んだよ僕は。
……いや、もう考えるのやめよう。
『どうせ風鈴だし。変なことするのが普通』って思っとけば、なんとか精神保てる。うん、そうしよう。考えるな、感じろ。
「いいねぇ。祈君、どんどん『共犯』っぽくなってきたじゃない?」
――誰がだよ。
「んふふ~」
少女が手を差し出す。その顔には、満開の春風みたいな笑顔。
脳も筋肉も「やめとけ」って全力で警告してたはずなのに。無意識にその手を伸ばしてしまった。
「ぱんっ!」
掌が重なった音が、小さく、でもやけに鮮やかに響いた。
――ていうかさ。お前、なんで大騎士たちにケンカ売るわけ?崎零先生に無礼だっただけでも大問題なのに、雷を三発食らったってことは――他の大騎士にも喧嘩ふっかけたってことだよな?
「うん。」
――「うん。」、じゃないわっ!!なんでそんな、涼しい顔してんだ!?
「ん?別に?そんなことないよ?今思い返すとね、もう、恨みと悔しさで胸いっぱいだよ?」
……やばい。
やっぱりこの子、大騎士たちと相当な因縁があるっぽい。こりゃ、早めに縁切っとかないと――このままだと、僕もそのうち巻き添えで死ぬ。
いや、でも。なんか。ちょっと面白いかも?うん、少し。刺激的な気も?
……バカか、僕は。
何考えてんだ、祈。君はもう、あの乱暴でバカな子どもじゃない。蘭空家の養子として、それなりに立派な貴族の一員なんだぞ。そんな「貴族の品格を損なうような発想」、捨てろ捨てろ。
――ま、とにかくさ。「頼れる先輩」として一応忠告しとくけど。あんまり崎零先生に怒りをぶつけない方がいいぞ。もし過去に何か嫌なことがあったとしても、少しずつ解決していけばさ。
「うん、たしかに怒りはあるけど、それも練習のためだし。」
――練習?
「そう。もっともっとあの崎零を怒らせて、もっともっと雷落としてもらえば――そのうち耐性つくでしょ?」
……
風鈴の言葉は、まるで標高がどんどん上がってく山道みたいに、聞けば聞くほど訳がわからなくなっていく。
もういい。
心を鎮めろ、祈。心を、鎮めるんだ。
いいか?これは風鈴。風鈴なんだから。常識なんて通じるわけがない。何やっても驚いたら負け。
――で?体も鍛えられたし、先生も生徒をしっかり罰したし、めでたく和解して、これからは仲良くやっていきましょう、とか?
「違うよ。そのあとは、この憎たらしい大騎士たちを全部ぶっ倒すの!」
――さすが…だな。お前を「いい子」だなんて思った僕が、バカだったな。
退屈な雑談も終わり。そろそろ時間だ。この少女を連れて、ここを出るとしよう。
はぁ。問題は、ここからなんだよな。
風鈴がやらかしたのは、学園の規則に照らしてもかなり重い違反だ。こんなの、ただの謹慎で済むレベルじゃない。
まず思い浮かぶのは――悠奈。僕の偉大なる「お姉様」が、もしこの一件を知ったら。
蘭空悠奈の弟として、そして風鈴の“先輩”として…あー、たぶん、僕。終わった。
いや、姉上に怒られる程度なら、まだマシだ。問題は、未明森と月影原の生徒規則だ。そっちに従えば、僕らふたりとも…はい、アウト確定です。
って、ちょっと待て。
なんでまた「共犯者」みたいなテンションで話してんだ、僕!?
ああ、やばい。完全に風鈴の呪いに取り憑かれてる。
僕、何もしてないだろ?!絶対に先生たちに潔白を主張しなきゃ。今のうちに風鈴との関係を切って、潔く逃げ延びるべきだ!
でも、さ。風鈴をちゃんと見守れなかったこと、悠奈や風鈴自身の信頼に応えられなかったこと――それって、やっぱり僕の責任でもあるんじゃないかって。
あぁ、もう。考えても仕方ない。あいつら、もう来ちゃったんだ。
そう、事態があまりにも深刻だったせいで、もはや僕たちが自分から出頭するまでもなかった。学園側は、直接先生を派遣してきた。僕らの罪を告げに。そして、裁きを下すために。
ギィィィ……
謹慎室のドアが、重たく軋んで開く。そこに現れたのは、見慣れた姿だった。
――蒔恩先生?
月影原・魔法科普通系の担当教師。大魔法使い――いや、正確に言えば「変わり者の大魔法使い」。奇妙で不可解な魔法(というか、もはや魔法ですらない何か)を日々研究してて、見た目も言動も滑稽そのもので、威厳とかまったくない。どっちかっていうと、コント芸人に近い。
僕は、けっこう好きなんだよな、このじいじ。礼儀とか、あんまり気にしなくていいし。むしろ丁寧にしすぎると、こっちまでぎこちなくなる。
「おやおや?こんにちは、蘭空くん。んでもって、こっちは…ミス・風鈴かな?」
――さ、さっさとどうぞ。処罰でもなんでも、受けますから。時間のムダはナシで。
「おおっと!ずいぶん急いでるじゃないか~。そっかそっか、女の子と一緒だと、時間の感覚が違うんだねぇ。安心しな、ジャマするつもりはナッシング!」
――やめてくれ、そのイジり。さっさと本題に入ってくれよ。
「オーケー!」
蒔恩はそう言って、くるりと背を向け――スタスタと歩き出した。
――おいっ!?ちょ、先生!? まだ何も言ってませんけど!?
「もう、全部済んだみたいだし? さあさ、悠奈のとこに行こうか。」
風鈴はまるで予想済みだったみたいに、軽く僕の肩をポンポンと叩いた。
――ど、どういう意味?
「無罪。」
――冗談だろ!?
「そうううのとーり!」
十メートルほど先で、蒔恩が振り返り、風鈴に向かって思いっきり親指を立ててきた。
「それじゃあ、蘭空くん、ミス・風鈴、バイバイ!」
「またね、先生!」
――っ……。
笑顔を交わし合う二人。
そして、一人で発狂しそうな僕だった。
――なあ、風鈴。お前、いったい何者なんだよ。
僕、断言するけど。悠奈が出てこようが、いや、悠奈の祖父が直接動こうが。今日の一件で僕らが「無罪」って、そんなの絶対にあり得ないって。
「祈君の質問に、シンプルに答えるよ。僕は風鈴。旅人。南森南の助手。そして……君の共犯。」
――南森!?また始まった。チっ……。
反論しようとしたその瞬間、脳内であの言葉がリフレインする。
『どうせ風鈴だし。どんな変なことでも、やりかねない。』
はいはい。わかってる。わかってるけどさ…
それでも、今日のはさすがに異常すぎるだろ!?たとえ千代城の力がどれだけあったって、こんなことまでできるか?
「え、祈君? なんか勘違いしてない?今日のこと、多分…南とは関係ないよ?」
――マジかよ。じゃあ、一体なんで?
無邪気で、でもどこか困ったような顔。その顔を見た瞬間、なんとなく察してしまった。
――はいはい、もういいよ。それよりさ、なんでお前、そんな人の助手なんかやってんだ?
「それは昔の話だ。」
――『人体実験』?
口が勝手に動いてた。
自分でも意味がわからない。
別に、深く考えたわけでもない。
冗談で言ったつもりもない。
予備知識なんて、あるわけがない。
でも――僕の耳は、確かにその言葉を聞いた。自分の喉から、確かに出た声だった。
『人体実験』。
知らないはずなのに。
南森南のことも。千代城の若き当主で、風鈴が「旧友」と呼ぶその人のことも。
僕は、何も知らないはずなのに。
それでも――
風鈴の、驚きと、どこか苦しげなその表情を見た瞬間。僕は、確信してしまった。
さっき、僕が口にしたその言葉は――
『人体実験』。
間違いなく。そうとしか、思えなかった。-
さっきまでの雰囲気は、確かに違ってた。たしかに、風鈴とふざけ合って、ちょっと笑ってたはずなのに。
でも――「あの言葉」を口にした瞬間から、空気が変わった。少女の顔には、いまだに笑みが浮かんでいた。
だけど僕にはわかる。その笑顔は、もう死んでる。突然「止まった」あの瞬間に。あれは、表情じゃなくて、仮面になった。皮膚に貼りついた呪いみたいに、動かない。生気がない。だけど、恐ろしくはなかった。
「ふふ。祈君って、さすが蘭空家の人だね。悠奈から聞いたよ?蘭空家って、南森家と何かしらの繋がりがあるって。だったら、ちょっとくらい南のこと知ってるのは、普通だよね。」
――あの…
「何?」
少女が、ぎこちない微笑みを無理やり作る。その笑みに応えようとして、僕は、気づいた。
……二つ目の失敗。クソっ、祈。今はもう、これ以上深入りするな。少なくとも――今は、ダメだ。
こんな短時間で、風鈴の本音を見抜くなんて無理だ。あれは警告か?それともただ驚いただけか?僕の言葉が地雷だったのか、それとも偶然だったのか?
いや、どっちにしても。ここで話題を変えないとダメだ。
一秒のうちに、思考を切り替えろ。
今すぐこの空気を流せ。何か、別のことを――!
――えっ、あっ、あーっ。そ、そうだ。風鈴がそんなに強いのも納得だぞ!さすが、南森家の助手って感じだよな!えーっと、それで!あのっ、もしよかったら。今、薄桜城国立大学で競技大会のエントリーしてるんだけど、風鈴も出てみない?まだ間に合うよ? どうかな?
「え、競技大会? やだ。全然興味ない。」
……よし。よしよし。成功だ。話題は変わった。
風鈴が気を遣ってくれたのか、それとも本当に何も気にしてなかったのか――それはわからないけど。でも、とにかく僕らの間に「沈黙」はなかった。あの言葉――『人体実験』なんて、今この場には存在しない。
それでいい。それが一番だ。
油断するな。まだ終わってない。ここからが本番だ。今度は僕のターンだ。
――ほら、せっかくだしさ。この大会って、学園でも超人気で盛り上がる、いわばお祭りなんだぞ。他の生徒たちと腕を試してみたいって、思わない?
「やだ。戦ったり殺したり、嫌い。」
――えーと。え―とさ!悠奈とか、竜一とか、滄溟とか、ヒカリとか!みんな僕らの友達でさ!一緒に練習したら楽しいよ?
「やだ。新しい友達と戦闘するの、もっと嫌。」
――うっ……そ、それじゃ……あ、そうだ!優勝すれば豪華な記念品とか、結構な賞金とか出るんだぞ!
「やだ。お金にも記念品にも興味ないし。」
…ダメだこりゃ。
もう無理。これ以上この話題引っ張るの、僕の精神が耐えられない。
――はぁ……わかった。まぁ、ただの提案だったし。風鈴が嫌なら、それでいいさ。
――でもさ、正直なところ。君なら、いけると思うんだ。竜一を倒して、優勝することだってできるかも。いや、もしかして――南森すらも、倒せるかもな。
「南森?」
真っ白で整った顔立ちに、あの深い紫の瞳が。ぱちっと、大きく見開かれた。
――そう。南森綾。天時郡皇家大学の優勝者。ここ何度か、うちの竜一が薄桜城国立大学代表として戦ってきたんだけど、一度も彼女に勝てたことがないんだ。あの南森綾って、南森南の妹らしいよ?めちゃくちゃ強いって評判。
「……ほんとに?綾?ほんとに綾なの?」
あの、どこか影を纏ってた紫の世界に。一瞬だけ、まるで真昼の陽光みたいな光が、ぱあっと差し込んだ。
――まぁ、風鈴。お前って南森家の助手だった。当然知ってるだろ。
「祈君。僕、出る!」
少女が、全身から勇気と決意と情熱をあふれさせて、右手を高々と突き上げた。
――ん?
「出るって言ったの!」
――戦いは嫌いじゃなかった?
「うん!」
――新しい友達とぶつかるのも平気?
「うん!」
――賞金も記念品も、どうでもいいんじゃなかった?
「うん!」
風鈴という名の少女。それは、漆黒に包まれながらも、あたたかくて、どこまでも眩しく燃える。奇跡みたいな影だった。
「じゃあ、優勝目指して。明日から特訓だね!祈君と僕、がっつり殴り合いしよっか!」
――よし!僕に任せろ!
えっと…
なんか。変な感じ。
ちょっと。今、誰が誰に特訓って言ったんだっけ?
…うん。まずい。
――ボボボボボク?




