其の三十二 入眠
午後四時二十分。白雪村のはずれにて。
幽霊侵入事件発生から十五分後。黄昏が近づき、空はゆっくりと橙色に染まりつつある。いや、橙色というよりも、鮮やかな赤。まるで血のように鮮烈な赤だ。
沈みゆく夕日の赤、散らばる死体の血の赤、そして幽霊たちの身体の赤。世界全体がついに偽りを脱ぎ捨てた。黒い影が消え去り、絶望に満ちた現世がその本当の姿を現した。
血に染まった煉獄が、そこに広がっている。
いつか未来のある日、僕は今日の光景を思い出すのでしょうか。いや、それよりも、この記憶を永遠に忘れられたらどれだけ楽でしょうか。
まるで、意味不明な文字で埋め尽くされた紙をぐしゃりと丸めてゴミ箱に放り込み、二度と振り返らないように。
でも、心の底から自分に問いかけたい。
風鈴。本当に忘れられるのかな。
どれだけ思い出したくなくても、どれだけ目の前の現実を幻だと願っても……殺戮は続いている。争いは止まらない。人間の血と幽霊の血が、この荒涼とした寒冷の地で熱く交じり合っている。
この世界の誰も目を向けない片隅で、絶え間ない戦いが繰り広げられている。確かに、この世界にとっては、風花湾も白雪村も静寂のままかもしれない。何も起きていない。ただ穏やかで平和な日常が続いている。人々は時間の輪の中に閉じ込められ、それぞれの物語を黙々と演じているだけ。
でも、僕は世界ではない。僕は風鈴。ただの人間。そして、今この瞬間、風花湾の地に立ち、この全てを肌で感じている人間だ。
敵の叫び声は空に響き渡り、真っ白な雪は熱い血に溶けていく。黄昏の時間が訪れ、夜が災厄とともに迫っている。
風鈴。君、本当に忘れられるのか。
死んだ者がいる。今まさに殺された者がいる。必死に戦う者がいる。怯えて隠れる者がいる。
凶暴な幽霊たちは、村の上空を旋回し続けている。人間を見下ろしながら、まるで無力な虫けらを嘲笑うように。
弱すぎる。
風花湾は弱すぎる。白雪村は弱すぎる。ここにいる人々は、皆弱すぎる。
まるで折れかけた花のように、朽ち果てた老人のように、薄い氷の層のように。軽く触れただけで、花は散り、老人は倒れ、氷は砕ける。
ここにある全てが、あまりにも脆い。それなのに、この地を襲う災厄は終わりを知らない。
死を象徴する樹木は海の奥深くまで広がり、「海神」と呼ばれる邪悪な霊は海中を徘徊する。無数の寒鴉が村の隅々にまで浸透し、残酷な悪魂が雪山に潜んでいる。
つい最近まで、人間に友好的だった数少ない亡霊である墓守を、凛が殺した。その結果、人間と共存していた幽霊たちもまた、この惨劇の一部となった。
ここに住む人々は弱すぎる。そして、この地を襲う敵は多すぎる。強すぎる。
そう、弱すぎる。僕自身も含めて、弱すぎる。
ここに来て十数日を振り返る。僕は考え得る限りのことを考え、調査を尽くし、重要な場面ではほぼ最善の選択をしてきた。
それでも、この「現実」という、あまりに残酷で困難なゲームには、僕の努力など微々たるものだった。
成し得たことは、ただ「知る」ことだけ。「変える」ことはできなかった。最終的な真実に触れることはできたかもしれない。けれど、それを変える力は持っていなかった。
ゲームは続き、僕はその悲惨な結末を目の当たりにしながら、何一つ変えられないでいる。
ここに来たばかりの頃を思い出す。
あの時、皆まだ生きていて、僕のそばにいた。病気も、争いも何もなくて……あの時は、本当に全てが希望に満ちているように思えた。
無生、仁也、凛、エミ、そして僕。白雪村探偵団として、僕たちなら全ての謎を解き明かし、理想の夏を迎えられると信じていたのだ。
そして……その間に起きたことは、すべてわかっている。
だが、もう思い返したくはないし、ここで再び語るつもりもない。
今の僕は、何の幻想も抱いていない。ただ、死んだ仲間たちに別れを告げ、その理想と使命を背負って進むことしかできない。
どんな結末が待ち受けているのか、それはわからない。だが、今はただ、前に進むしかない。進み続けること、それが倒れるその日までの唯一の選択だ。
時々、自分を慰めるようにこう思うことがある。
――これは僕のせいではない、と。
そう。僕はただの異邦人だ。ただの通りすがりの旅人だ。本当に幸運だったなら、こんな自分には無関係な一連の出来事に巻き込まれることなんてなかったはずだ――と。
だが、それがただの責任逃れであることもわかっている。
それが臆病者の思考であることも、仲間たちへの裏切りであることも、旅人の風鈴という名を背負う者には似つかわしくない考えであることも理解している。
それでも今の僕は、どうしようもなくそう考えてしまうのだ。
もしかしたら、小さな白雪村は、こうした大きな苦難を背負うべき運命だったのかもしれない。
ここに住む人々は、救済を受ける資格などないのかもしれない――そんな思いさえ、心に浮かぶ。
彼らは何も知らない。
この哀れで、愚かで、脆弱な人々は、一体何を知っているというのでしょうか?もし彼らが知っていたら、変わることができたでしょうか?もし彼らが僕のように、この因果の連鎖の背後にある論理とつながりを理解したなら、彼らはどんな気持ちを抱くのでしょうか?
彼らは幽霊たちの前世を知っているか?
――幽霊たちは死んだ人間が変化した存在だということを。彼らは知らない。
彼らは幽霊たちがなぜ自分たちを殺そうとするのか知っているか?
――それは、凛が墓守を殺したからだ。墓守は幽霊たちの友であり、父親のような存在でもあった。彼らはそれさえ知らない。
彼らは白雪村のすべてが、悲惨な輪廻に囚われていることを理解しているか?
――祖父が死に、怪物と化し、父親を殺し、父親がまた怪物と化し、娘を殺す。その事実を、彼らは決して知り得ない。
こうして、運命の鎖に縛られる中で、絶望と悲劇は無限に連鎖し続けている。何も良くならず、すべては悪化していく。絶望から抜け出したと思った瞬間には、さらに深い絶望に陥っていくのだ。
僕はこれを「輪廻」と呼ぶ。層を重ねる輪廻。簡単には断ち切れない輪廻だ。
ここにあるすべては、既定の運命から逃れることなどできないのかもしれない。人々はただ、幾重にも重なる輪廻の中で死に、そしてさらに深い死へと進んでいくだけだ。
それは僕にとって悲しくもあり、そして馴染み深いものでもあった。
村人たちだけではない。
きっと彼も、そうでしょうか。
そして、彼女も。
灯台の麓で、青い光が輝き出すまでは。
世界が不吉な赤に染まった今この時でさえ、その青色の光は星のように瞬いている。
――寒霜杖!
その光がどこから来ているのかを理解した瞬間、僕は光の方向を振り返った。
そこに立っていたのは、蒼白の少女だった。
彼女は灯台の下で誇らしげに立ち、その髪は風になびいている。その瞳は青い光を放ち、手に掲げた一本の鉄パイプ――それはかつて寒鴉の主に属していた秘宝、「寒霜杖」だった。
杖の先端から放たれる光は、夜の闇を切り裂くほどに明るい。彼女はまるで、小さな神のようにこの暗い世界を守っていた。
そして、その目の前にいるのは、あの見覚えのある影。
無生や仁也を襲い、僕とエミを襲い、凛を殺したあの怪物。幾度も僕たちを翻弄し、白雪村探偵団最大の敵として君臨し続けたあの存在。僕たち全員の心に巣食う悪夢。
――悪魂!
その姿を目の前にして、僕はもはや驚かなかった。むしろ、少しだけ納得していた。
これまで僕は何度も自分の予想を否定し、こんな考えはあまりにも邪悪だと自分を叱りつけた。現れてほしくないと祈り、そんな考えを抱くことで安心しようとすらした。
だが、現実は常に残酷で、そして真実だ。
まるで精密に動く機械のように、完璧に演じられた舞台劇のように、原因と結果が絡み合い、真実は必ずその姿を現した。
そうだ、ここに現れないはずがない。現れない理由など、どこにもないのだ。
この悪魂は狡猾な屠殺者であり、あまりにも賢い敵だった。
これまでのどの瞬間も、奴は混乱と危機の中で現れ、巧みにその陰謀を進めてきた。そして今回も、白雪村が幽霊たちの侵入を受けていることを察知し、この機を逃すことなく再び舞い降りたのだ。
村人たちが幽霊の対応に追われている隙を突き、僕がここにいない間を見計らって、奴は最後の標的、エミを狙い始めたのだ。
いや、狙っているのではない。
その行動がどれほど狩猟のように見えたとしても、すでに真実を知っている僕にとって、それは狩猟ではなかった。
だが、エミを前にして、僕は他に選択肢がない。
苦痛と悲しみを飲み込むしかない。迷わず、この最後の戦いに身を投じるしかないのだ。
――エミ!
少女の名前を大声で呼びかけた。
だが、彼女は答えない。
ただひたすら寒霜杖を高く掲げ、その輝きを消すことなく保ち続けている。
青色の光は目に見えない盾のように、小さな少女を守っている。
悪魂はその光を恐れるかのように、少女の周囲を回旋しながら哀しげな声で鳴き叫ぶが、一切攻撃を仕掛けることができない。
エミが無事でいるのを目にして安心すべきなのに、なぜか僕は一切心を落ち着けることができなかった。
何かがおかしい。そんな嫌な予感が胸を締め付ける。
――エミ!!!
再び彼女の名を大声で呼ぶ。
今度は彼女の耳に届いたようだ。ゆっくりとこちらを振り返り、口を動かして何かを言おうとしている。だが、声が出ない。
その姿を見た瞬間、全身に寒気が走る。
エミの状態が明らかにおかしい。
もともと浅青色だった彼女の瞳は、今では寒霜杖から放たれる光に完全に覆われている。
杖から発せられる呪力は、無数の細い青い糸となって少女の右腕をきつく絡め取り、その糸の先端は鋭い針に変わり、次々と彼女の皮膚を貫いていた。吸血ヒルのように、呪力は彼女の血を貪るように吸い上げている。
――まずい、間に合わなかったのか!
このままでは、確実に事態は悪化する。
以前、雪山でのあの一件では、寒霜杖が自ら呪力を凝縮し、寒鴉を召喚して悪魂を撃退したことがあった。
あの時は、これが何らかの理由でエミを守ってくれたからこそ、僕は彼女にこの杖を持たせ続け、それを信頼できる武器として使わせていたのだ。
だが、今回は明らかに様子が違う。
寒霜杖は今もなおエミを守っているように見えるが、その力は既に制御不能になっている。
今や、エミを守るどころか、彼女自身を侵食し、彼女の体を無慈悲に蝕んでいるのだ。
杖が盾であるべきだったのに、その盾は成長しすぎて巨大な網へと変貌し、エミを完全に捕らえようとしている。
そう。エミの反応がそれを証明していた。
彼女は武器を掲げる姿勢を保っているものの、その意識は明らかに朦朧としている。今や、武器を操るべき彼女が、その武器に操られているのだ。
――くそっ。
寒霜杖。やはりこれは、元々が海神の宝物であることが原因なのか。
普通の人間に邪霊の武器を扱わせることの危険性が、ここでついに現れてしまったのか。
でも、考えている時間はない。後悔している暇もない。今僕にできる唯一のことは、悪魂を倒し、エミを取り戻すことだ!
手に持っていた木片を投げ捨て、腰の刀を抜き放った。
その瞬間、敵は僕の動きに気づき、素早くこちらを向く。
「うああ!」
悪魂が甲高い咆哮を上げる。その様子からして、エミに近づけない苛立ちと、殺戮への渇望がすべて僕に向けられた。
――来るのか、ちょうどいい!
暗赤色の炎が、「星滅」の刃に燃え上がる。
――喰らえ!影の霊・黒炎……
その時だった。
「ボンッ!」
寒霜杖に凝縮されていた光が突如炸裂した。
轟音と共に、眩い光がさらに強く輝き始める。世界は昼間のように明るくなり、充満する呪力が巨大な光球を形成していく。
光は目を刺すように眩しく、肌を焼くような熱が全身を駆け巡る。思わず頭を下げ、目をきつく閉じた。
やがて、光球が完全に炸裂し、その輝きが消えた後、ゆっくりと目を開けた。
そして目の前に広がる光景に、息を呑む。
光の中から、無数の青い光点が舞い散っていた。
――これは……
砕け散った光球はまるで破れた繭のようで、そこから飛び立つ光点は蝶の姿をしていた。
蝶だと!?
僕はその瞬間、風花湾で見たものを思い出した。そうだ、これは間違いなく海神の呪術だ!
黒い羽根、黒い蝶、黒い灰、そして黒い雪!
くそっ、やはり寒霜杖は海神の武器として、その力を暴走させてしまったのか!
だめだ、急がないと。これ以上エミが侵食されれば、取り返しのつかないことになる!
では、敵はどこだ?
すぐに顔を上げ、その悪魂を探した。
「うあああああ!」
悪魂は痛ましい鳴き声を上げていた。
相手は明らかに先ほどの呪術に圧倒されていた。何かに打ちのめされたように、完全に戦意を失っているようだった。
蝶の姿を目にした瞬間、悪魂はまるで何かに打ち抜かれたかのように突然バランスを崩し、そのまま真っ直ぐ地面へと落下した。
「うあ!うあ!」
雪の上でのたうち回る悪魂。痛みに苦しみ、地面で転げ回っているものの、もはや飛び上がることはできない。
数秒間必死にもがいた後、力尽きたように動かなくなり、地面に横たわった。微かに顎が動くだけで、他には何もできない状態だった。
何が起こったのか、僕はまるで理解できなかった。
先ほどまであれほど圧倒的な力を誇っていた悪魂が、光の一閃を受けた途端に戦闘能力を完全に失ってしまったのだ。
それが芝居でも罠でもないことは明らかだった。その苦しみも、もがきも、すべてが紛れもなく現実のものだった。
敵は本当に限界に達している――その確信が僕の中に芽生えた。
だとすれば、今こそ行動すべきだ。
「行け、殺せ!」
突然、自分自身の声が心の中で響いた。
それは、心の奥底から湧き上がった、無意識の中の「僕」の声だった。
――なんだ?
「殺せ!今すぐ!」
......
その瞬間、僕は無意識の声が正しいと感じたのかもしれない。
敵は倒れている。今なら、近づいてその首を切り落とせば、それですべてが終わる。歩み寄り、悪魂の喉元に刀を振り下ろす。その脆い骨を断ち切るだけ。それだけの簡単なこと。
迷う時間はない。考える暇もない。
敵はまだ苦しんでいるが、次の瞬間に復元する可能性だってある。エミはまだ意識が朦朧としており、次の瞬間には完全に意識を失ってしまうかもしれない。
今、僕に残された時間はごくわずかだ。
やるべきことはただ一つ、この貴重な機会を逃さず、この悪魂を殺し、寒霜杖をエミの手から引き剥がし、遠くへ放り投げることだ。
「そうだ、それでいい!今だ!殺せばすべてが終わる!君もエミも、みんな助かるんだ!」
――でも......
「何を躊躇ってるのだ!風鈴!くそっ、じゃ僕にやらせろ!」
無意識の「僕」は怒り狂い、その支配力を一気に強めてきた。
彼女は僕の感情を押し殺し、理性を引き裂こうとしている。僕の体を乗っ取り、僕そのものとして行動を終わらせようとしていた。
感情は抑圧され、思考は分断される。体は機械と化し、それとも「本来の僕」とでも言うべき存在へと変わりつつあった。
僕は自分自身が「風鈴」という少女となり、悪魂に向かってゆっくりと歩み寄るのを、ただ見つめていることしかできなかった。その目は敵の喉元を捉え、両手は高く掲げられる。持つ武器、「星滅」の刀には魔力が集中し、炎が激しく燃え上がっていた。
次の瞬間、僕はその刀を力強く振り下ろし、悪魂の首を砕く――そしてすべてが終わる。
そう。それが最初から取るべき行動だったはずだ。
自分のすべてを無意識に委ね、本能のままに行動する。それが一番いい方法ではないのか?
そう思いながら、目を閉じた。
処刑の瞬間が訪れるのを、ただ静かに待っていた。
「違う、ダメだ!お願い、彼を傷つけないで!」
ぼんやりとした意識の中で、僕はエミの声を聞いた気がした。いや、あれはエミの声ではなかったのかもしれない。それは同じく僕自身の声。内なる別の「僕」の声だった。
彼女は僕の分身のように、無意識の「僕」に対抗していた。
このもう一人の「僕」は、一瞬の間に先ほどの「僕」の影響力を弱めた。今、心の中で二つの「僕」が対峙している。
「ちくしょう!何をためらっている!この悪魂を殺せ!」
冷酷で、暴力的で、明晰な「僕」。殺戮を求める、暗黒の「僕」。
「待って!やめて!」
優しく、臆病で、愚かな「僕」。慈悲に満ちた、真っ白い「僕」。
気がつくと、右腕は空中で固まり、武器を振り下ろすことができなくなっていた。
心の中で二つの感情が激しく衝突している。
どちらもエミのため。どちらもエイのため。
だが、それぞれが異なる道を示しているのだ。
「もう全て、取り返しがつかないんだ。風鈴、今すぐ決断しなければならない!君がやるべきことは、自分の手で、この本来存在するべきではなかった悪夢を終わらせることだけだ!早く!このままだとエミまで失うよ!」
その瞬間、暗黒の「僕」が吼えた。もう我慢の限界に達した彼女は、純白の「僕」の首を強く締め付けた。
白い「僕」は一瞬で泡のように消え去り、永遠に消滅してしまった。黒い「僕」が勝利したのだ。彼女は完全に僕の身体と意識を支配した。
「今だ、風鈴!やれ!」
――ごめん、エミ!僕!!!
最後の決断を下した。目を閉じ、力強く武器を振り下ろした。
「ザクッ——」
悪魂の脆い首筋が砕け散る音だった。
すべての悪夢が消え去る音だった。
理想の夏が崩壊する音だった。
少女の祈りが虚無に帰す音だった。
悲劇の結末が訪れる音だった。
運命の鎖が断ち切られる音だった。
災厄の輪廻が止まる音だった。
......
すべてが、ここで終わった。
「う、うああ——!」
次の瞬間、痛ましい泣き声を聞いた。
それはどんな音よりも哀切で、悲惨な声だった。心臓が引き裂かれるような痛みと、身体が燃え上がるような苦しみを伴う声だった。
それは、死よりもなお重い涙声だった。
悪魂からの、最後の声だった。
目を開けると、悪魂の頭は体から転がり落ち、刀には黒い血が滴っていた。
敵は死んだ。ついに死んだのだ。
それは亡霊として死に、二度目にして、最後の死を迎えた。
それの死を悼む暇もなく、エミのもとへ駆け寄った。彼女の手から寒霜の杖を力いっぱい奪い取り、それを地面に投げ捨てた。
目の前には、青白い顔をしたエミがいた。
「風……鈴?」
ようやく僕に気づいたのか、少女の唇がわずかに動いた。
彼女はかすかな微笑みを浮かべたが、その瞬間、全身が崩れ落ちるように地面へ倒れた。
急いで駆け寄り、彼女を抱きしめた。
――ごめん、ごめん……遅くなってしまった、エミ……
「風鈴……」
冷たい。酷く冷たい。その寒さは風雪のものではなく、鋭い剣のように容赦なく骨髄を貫いてくる寒さだった。
決して寒さを感じないエミ、いつも身体が炉のように温かいエミ。だが、今の彼女からは何の温もりも感じられなかった。彼女の身体はもう、死体のように冷たかった。
涙で視界が滲み、心臓が激しく震える。言葉はもう形を成さず、喉から出るのは後悔の嗚咽だけだった。
涙は彼女の蒼白の頬を伝い、泣き声は彼女の耳元で響いた。彼女は最後の力を振り絞り、そっと僕の背中を叩いた。
「大丈夫…風鈴…全部、大丈夫だから……」
――そんなはずないよ、エミ!全部僕のせいだ、僕のせいなんだ!お願いだ、許して、お願いだから目を覚まして!これがただの冗談だと言って、一緒に家に帰ろうって言って…」
「いや……」
彼女は小さく息をついた。そして、かすかな微笑みを浮かべた。
「信じて…風鈴。きっと…ゴホッ、ゴホッ!」
最後まで言い終わることはなかった。彼女の身体が激しく痙攣し、苦痛の表情が浮かんだ。
そして、一口の黒い血が喉から噴き出した。
その血液は彼女の白いドレスを染めた。それは太陽のように赤くはなく、漆黒の闇のように黒かった。
それは人間の血ではなかった。それは呪力に侵食され、完全に変質した血液だった。亡霊の血そのものだった。
信じたくはなかったが、ある事実を認めざるを得なかった。
すべてが遅すぎたのだ。もはや希望はどこにもなかった。
死神が到来し、唇に指を当てて沈黙を命じていた。巨大な鎌を掲げ、その刃には地獄からの光が反射していた。
僕の任務は失敗した。エミを守ることはできなかった。
敵はエミを傷つけなかった。僕が悪魂を殺した。だが、エミは寒霜杖に侵食され、避けられない死へと向かっていた。
「風鈴…私、聞こえる。海からの、呼び声……」
呼吸は次第に浅くなり、静かになっていった。
「海へ…行こう…」
瞳は虚ろになり、果てしない白に染まっていく。その瞳にはもう、止んだ雪と荒涼とした暗黒の世界しか映っていなかった。
「海へ……行こうよ…」*
喉から、かすかな叫びが漏れた。
「海へ……」
言葉は、ついに途切れた。
時計の針は止まり、彼女の時間はついに終わった。
白鈴花は枯れ果て、その花弁は完全に散り落ちた。
凍りついた海は変わらず、彼女の故郷は完全に凍結した。
地平線から太陽は沈み、彼女の光は消え失せた。
美しい夢は泡と化し、彼女の願いは砕け散った。
すべての人々が思い描いていた理想の夏は、激しく燃え上がった。誰もが期待していた幸せな結末は、もう決して訪れることはなかった。
夜風が彼女の最後の息を連れ去り、呼吸はこの瞬間に止まった。
彼女は眠りにつき、夢の中へと帰っていった。
二度と目を覚ますことはない。
彼女が死んだ。




