其の三十一 惨劇
運命と呼ばれる鎖が、容赦なく記憶を繋ぎ止め、因果と呼ばれる種が根を張り芽を出す。縁と呼ばれる赤い糸は、哀れな者たちの喉元を締め付け、真実と呼ばれる闇が世界を覆い尽くしていた。
全ての真相を一人で背負い、先へ進むべきなのか?それとも信頼できる誰かを探し、全ての出来事を語るべきなのか?
だが、鎖の音は止まらない。種は新しい葉を伸ばし、赤い糸は声を封じ込め、闇は果てしなく広がり続けている。
次の一手を考える暇もなく、僕はただ立ち尽くしていた。
――あれは……?
村の上空に浮かぶのは、真紅に燃える無数の提灯だった。
もし深雪号の調査を早く終え、村に戻ることができていたなら、あるいは全てを救えたのかもしれない。しかし、僕は絶望的な事実に気付いた。間に合わなかったのだと。
きっと、無駄なことに時間を費やしすぎたせいでしょうか。一連の出来事の因果を整理するのに十数分。複雑な感情を抑え、冷静さを取り戻すのにさらに五分。洞窟の草地に座り、寒鴉たちと瞑想するのに五分。調査に協力してくれた大公に感謝の意を示しながら羽を整えるのに十分。そして、墓守と凛を墓地に埋葬するのに三十分。
ほんの少しでも緊張感を持っていれば、何かに気付けていれば、村を救う機会を逃さなかったのかもしれない。
だが、時の神は容赦なく時計を進めていく。一分、一秒。一分、一秒。ここでは一瞬の油断も許されない。陰謀と悲劇は、静かに、しかし確実に流転し続けている。
きっと、どこかの瞬間に墓守のそばにいた小さな幽霊が、墓地で起こった惨劇を仲間たちに伝えたのでしょう。そして、また別の瞬間、幽霊の大群が墓地に集まり、凛に無惨に殺された墓守の姿を目にしたのかもしれない。それらは憤怒を共有し、墓守の復讐を誓い合った。そして、その怒りが形を成した幽霊たちは、雪山を越え、白雪村を目指して飛び立ったのでしょう。
これが僕の推測だ。そして今、この「一分間」に向き合わねばならない。この絶望的な一分間に。破滅が訪れることを示す一分間に。
深く息を吸い込み、顔を上げる。
真紅の提灯が、何十と僕を囲んでいた。怒りに燃える幽霊たち。その体は、どれも血のように赤かった。
巨大な幽霊たちが低く唸り始める。それは戦いの始まりを告げる音だ。苛立つ一部の幽霊は、両手に持つ鎖を振り上げ始めていた。次の瞬間、鎖が僕の体を打ち据え、その赤い茨が僕の肉体を貫く未来が見えた。
「うぅ……!」
だが、その時、大群の中心にいた小さな幽霊がそれらを制した。鋭い鳴き声を上げ、まっすぐ僕の前に飛んできたのだ。
小さな体は一瞬にして真っ白に変わり、鎖の茨は消えた。そして、幽霊は頬に体を寄せて、優しく鳴いた。
「うぅ……うぅ……」
――友よ……ありがとう。
「うぅ……」
――僕は愚かだった。友を守れなかった。墓守君……彼は最も優しい亡霊の一人だった。多くを助けてくれた。それなのに、我が同僚は彼を虐げ、僕も守りきれなかった……
幽霊の声は悲しみに震え、目を伏せた。垂れ下がった鎖がその無力さを物語っていた。僕はそっとその額に手を当てる。
――友よ。一つだけ確認したい。君たちは本当に、墓守君の復讐のためにここへ来たのか?人間たちと戦うつもりなのか?
小さな幽霊は真っ直ぐ僕を見つめる。
「うぅ!」
――何もかも、もう止められないのか?
「うぅ!」
――僕は君たちを助けないかもしれない。むしろ、人間たちの側に立つでしょう。それでも、僕を許してくれるか?
「……うぅ……」
――もう君の友ではいられない。君の仲間を殺すかもしれない。それでも、僕は人間たちを守りたい。それでもいいのか?
「うぅ……」
悲しみに染まる小さな幽霊は、最後に頬を優しく寄せた。そして、僕はそっとその頭を撫でる。一切がもう止められないことを悟りながら。
それの体は再び血のような赤に染まり、細い鎖には鋭い茨が甦った。それは振り返り、大群の中へと戻っていく。
その後、大群は僕を無視して、村へ向けて進み始めた。
無数の真紅の提灯が、村の上空を埋め尽くしていくのが見えた。
一瞬にして、村全体が地獄と化した。
先頭に立つ巨大な幽霊たちが一声命令を下すと、大群の幽霊たちは村人に対し無差別な攻撃を開始した。
人間の姿を見つけるやいなや、それらは怒りの咆哮を上げながら近づいていく。そして攻撃の距離に達すると、鎖を力任せに振り回し、その鎖に生えた棘を村人たちの体へと射出するのだった。
鋭い棘はまるで矢のように人間の血肉を貫く。一撃では命を奪うことはできないことも多く、その場合、負傷した村人たちは必死に逃げ出そうとする。しかし、幽霊たちは容赦なく呪力を解放し、さらに多くの棘を鎖に生やして次々と追撃を仕掛ける。標的が倒れ込むか、息絶えるまで、それらは決して諦めることはなかった。その後、次の獲物を求めて再び動き出した。
中には好戦的な大幽霊もいて、それは直接村人たちへ突撃を仕掛けていた。膨張した巨大な体で村人を押し倒し、その喉元を鋭い茨で切り裂いていく。
このような攻撃方法は極めて効率的だったため、多くの幽霊が遠距離攻撃を放棄し、怒りの咆哮とともに怯える村人たちの中へと突進していった。
僕が村の中心街道にたどり着いた時、そこには惨憺たる光景が広がっていた。地面にはいくつもの遺体が横たわり、その体には数百本もの棘が刺さっていた。
「うわああっ!」
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
声の方に目を向けると、地面に横たわる一人の子どもがいた。僕を見ると、その子は力を振り絞って右手を持ち上げようとした。しかし次の瞬間、その腕は力なく地面に落ち、鮮血が飛び散った。
この子を、知っている。
あの時、海岸で僕に「海の悪魔って何?」と興味津々に尋ねてきた、あの子どもだ。
僕は近づき、その子の傷を確認した。喉は完全に刺し貫かれ、鮮血が絶え間なく流れ出ている。表情には痛みが刻まれ、大きく息を吸おうとするたび、命が削られているのが分かった。時が経つにつれ、その目の光は薄れ、呼吸の音は次第に弱まっていく。
「……あ、あ……」
何かを言おうとしているのだろうか。喉が小さく動いたが、声の代わりに飛び出してきたのは勢いよく噴き出す血液だった。
――おい、君……
言葉を紡ぐことをやめた。それにはもう意味がなかった。
その子は静かに目を閉じ、二度と開くことはなかった。
「……うぅ!」
背後から幽霊の声が聞こえた。
僕は立ち上がり、振り返った。そこには空中に浮かぶ三体の大幽霊がいた。それらは興味深げに僕を観察したが、攻撃を仕掛ける気配はない。僕の存在を確認すると、それらは短く会話を交わし、次の標的を求めてその場を離れようとした。
幽霊たちは僕を敵と認識していない。だから攻撃してこないのだ。それは分かっていた。
だが、その時、僕は目にしてしまった。
その中の一体が持つ鎖が、人間の血で真っ赤に染まっていたのを。
鎖の先端から、鮮やかな血が一滴、また一滴と地面に落ちていく。その鎖こそが、この子を殺した凶器なのだと直感的に理解した。おそらくほんの数十秒前、この幽霊が子どもを地面に叩きつけ、喉を切り裂いたのでしょうか。
血は流れ続け、鼓動は鳴り響いている。音はないはずなのに、僕は聞こえた。心の奥底から響く、生ける者の絶叫が。
怒り、絶望、悲しみ……圧倒的な感情が、僕の体内に潜む魔力を駆り立てる。流れ出した魔力は「星滅」の刃に集まり、その刀身を暗赤色の炎が包み込んでいった。
次の瞬間、迷うことなく、その殺人幽霊に向けて攻撃を仕掛けた。
「影の霊・黒炎斬!」
幽霊は明らかに反応できていなかった。燃え上がる三日月型の斬撃は正確にその体を捉え、爆発を引き起こした。その瞬間、幽霊の体は魔法の炎に包まれ、燃え上がった。
幽霊は苦しそうに咆哮し、空中を無秩序に飛び回ったが、炎はその白い布のような体にしつこくまとわりつき、どうやっても振り払えない。数秒後、力尽きた幽霊は地面に落下し、その体と二本の鎖もろとも灰へと消え去った。
自分が何をしたのかは分かっている。これで僕は幽霊たちから与えられた特権を自ら放棄し、人間側に立ち、幽霊たちに宣戦布告したことになる。
案の定、仲間の死を目撃した残る二体の大幽霊は、信じられないというように怒りの咆哮を上げた。それらが攻撃を仕掛けてくる前に、僕は先手を取った。
「影の霊・三重陽炎!」
刃に三つの火球が凝縮される。刀を振り、その火球を二体の幽霊へと放った。だが、それらは既に警戒を強めていたようだ。火球が届く直前、それらは瞬間移動を使い、戦場の反対側へと姿を現した。
……また瞬間移動か!悪魂もこの技を使ってきたし、海神もこれで僕を苦しめた。それに、こんな見た目の鈍重そうな幽霊たちまでがこの技を使うとは!もし僕の魔法技術がもう少し洗練されていたら!ほんの少しでも上達していれば、これらの忌々しい亡霊をすべて撃破できたのに!
それらが僕の攻撃を回避できる以上、このまま戦闘を続けるのは得策ではない。そう判断すると、素早く踵を返し、その場を後にした。
大通りを辿りながら、村の中心を目指す。背後からは幽霊の怒号が響いてくるが、それらの飛行速度は思った以上に遅いため、僕に追いつくことはほとんど不可能だ。
低空飛行で急降下を試みることもあったが、それはすぐに体力を消耗させる。あるいは、瞬間移動を連続して試みることもあったが、移動距離が短く、呪力の消耗が激しいため、あまり有効ではない。結局、ほんの数十秒でその二体の幽霊は追跡を諦めた。
だが、幽霊の大群は共通の意思を持っているようだった。僕がその場を離れる間に、他の幽霊も既に仲間の情報を共有しているらしい。四方八方から幽霊たちが集まり、僕に攻撃を仕掛けてくる。
幸いなことに、彼らの動きはそれほど敏捷ではない。突進も、棘の射出も、今のところは全て回避することができた。幽霊の目の前をすり抜けると、それらは苛立ちながら追いかけてくる。しかし、追いつけないと悟ると、すぐに追跡を断念する。そして次の幽霊たちが僕を見つけ、また攻撃を仕掛けてくる――
全く、単調で繰り返しばかりの展開だ。それでも、体力がじわじわと消耗しているのが分かる。動きにもわずかだが鈍さが出始めていた。
今は何とか幽霊たちの追撃をかわし続けているが、体力が尽きれば、きっとどこかでミスを犯し、その瞬間に幽霊たちの手にかかるでしょうか。
だからこそ、心の中で祈るしかなかった。どうか運が味方してくれますように。生き残っている他の人間や、幽霊に対抗できる力が見つかりますように。そして、この絶望的な状況を覆す手段を見出せますように――と。
幸運なことに、ついに目標を見つけることができた。
驚いたことに、村人たちは全員、村長の家に集まっていた。
先頭に立つのは、屈強な体格をした数人の壮年の村人たちだ。厚手の騎士鎧を身にまとい、剣と盾を構えながら村長の家の入り口で防御態勢を取っている。
その後ろには、十数人の若い村人たちが一列に並び、周囲の状況を警戒していた。彼らの装備は簡素で、防具を着けている者はいなかったが、手には様々な武器を持っている。弓、斧、木の棒、銛……彼らは第二の防衛線を形成していた。
そしてその後方には村長がいた。を見つけると、村長は手を振りながら声を上げた。
「若者よ、こちらのじゃ!」
村長の声を聞き、残りの力を振り絞り、生存者たちの防衛線に向かって全速力で駆け込んだ。
最前線にいた二人の騎士が身を引いて道を空けてくれる。頷いてその隙間をすり抜け、中に飛び込むとすぐに振り返った。
その瞬間、顔に向かって矢のように刺が雨あられと飛んできた。しかし、騎士の一人が素早く前に出て盾となり、僕を背後で守った。刺は硬い鎧を貫通できず、地面に落ちていく。
「うううう!」
怒り狂った大幽霊が低空飛行で突撃してくるのを見て、村長が叫んだ。
「防御!」
その号令とともに、一人の騎士が大声を上げ、幽霊に向かって突進した。高速で迫る幽霊に恐れる様子もなく、騎士は正面から突っ込んでいく。
まるで古代の戦士同士の決闘のようだった。騎士と幽霊がぶつかり合い、激しい衝撃でお互いが弾き飛ばされる。
騎士は地面に倒れ込むも、すぐに立ち上がった。一方、幽霊は地面に崩れ落ち、苦しそうに鳴き声を上げていた。どうやら一時的に眩暈を起こしているようだ。
だが、その場の全員が呆然と幽霊を見つめるだけで、次の動きを取ろうとはしなかった。
――何だ!何をためらっている!早く仕留めろ!
幽霊が回復し始めるのを見て、僕は声を張り上げた。
「南森様!俺たちの武器じゃ、こいつに傷をつけられないんだ!」
そうだ、それも無理はない。彼らは戦士ではなく、亡霊との戦闘方法など知るはずもない。
通常、幽霊には魔法が最も有効だ。しかし、この場にいるのは僕を除けば誰も魔法を使える者はいないでしょうか。
ならば、別の方法を取るしかない。即座に仕留めることはできなくても、十分に効果的な手段がある。
――よく聞け!奴の体の左右に垂れている鎖を狙うんだ!あれはただの鉄の鎖じゃない。幽霊の両腕、血肉でできた腕なんだ!僕の指示通りに、今すぐそれを叩き切れ!一人一本ずつだ!
「了解、南森様!」
勇敢な騎士が頷き、僕と共に未だ意識の戻らない幽霊へと駆け寄る。二人は息を合わせ、それぞれの武器を垂直に振り下ろした。
「ガシャッ——ガシャッ——」
幽霊の両側の鎖が一瞬で切断された。黒い血液が噴き出し、激痛に襲われた幽霊は意識を取り戻すと同時に、痛ましい叫び声を上げながら空へ逃げ去っていった。
――よし、もう追うな、すぐに失血死するから!みんな、どう戦えばいいか分かったか!
「はい!南森様!万歳!」
ついに敵を倒した喜びで、村人たちから歓声が上がる。いいぞ、たった一体の幽霊を倒しただけだが、これで士気が大いに上がるでしょう。この調子なら、局面を打開できるかもしれない!
――よし。じゃ、あとは任せた!
「了解!」
僕は軽く頷き、防衛線を抜けて村長のそばに向かった。
そこで気づいたのは、村長の家の中にたくさんの村人たちが避難していることだった。ほとんどが子どもや女性、お年寄り。僕の姿を見た途端、人々がざわざわと話し始めた。
「南森様、ご無事で何よりです。私たち、ずっと心配してたんですよ。」
年配の女性がそう言いながら近づいてきた。
――ありがとう。おかげで何とか無事だ。
どうやらここが避難所になっているみたいだ。村長の的確な判断のおかげで、村人たちがここに集まれたのだろう。ざっと見たところ、五十人くらいはいるようだった。
「村長、ここにいるのが全部の生存者だか?」
村長は少しだけ首を振った。
「いや、外にもまだ生き残っている者がいる。心配するな、捜索隊を出してある。彼らがきっと残りの者たちを安全な場所に導いてくれるだろ。」
――そうか。じゃ、今僕は灯台へ向かわなければならない。エミを探しに行くんだ!
僕がそう言うと、村長は目を大きく見開き、鋭い声で問い詰めてきた。
「何のじゃ?!お前、エミのところから来たんじゃないのか!一体どこで何をしていた!」
その瞬間、僕は村長の気持ちが痛いほど分かった。エミは僕にとって大切な存在であり、村長にとっては最愛の孫娘だ。きっと彼も、僕と同じ思いを抱えているのでしょうか。
だけど、事情を全部説明している時間なんてなかった。ただ、無力さを感じながら首を横に振るしかなかった。
――ごめん、村長。いろいろあったんだ。詳しく話してる時間はない。今すぐ出発しないといけないんだ!
僕の言葉を聞いて、村長はしばらく黙り込んだ。怒り、不安、悲しみ、諦め……彼の目にはいろんな感情が入り混じっていた。
だけど、数秒後、彼は静かに息を吐いて、僕を見つめながらうなずいた。
「承知した、気をつけろ。君もエミも、無事で戻ってくることを信じてる。」
村長の言葉を聞いて、僕は強くうなずいた。この信頼に応えるためにも、絶対にやり遂げるしかない。
――はい、必ず何とかする。
「じゃ、これを持っていけ。」
村長が木板を手に取り、僕に差し出した。
木板の真ん中には鉄の取っ手が付いている。村人たちが急いで作った即席の盾らしい。僕は盾なんて使ったことなかったけど、幽霊の攻撃を防ぐには役に立ちそうだ。
――ありがとう。
盾を受け取り、しっかりと握りしめた。そして、村長や村人たちに短く別れを告げると、その場を後にした。
次の瞬間、全速力で灯台へ向かって駆け出した。
小説を読んでいただき、ありがとうございます。
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