其の十九 エミと白い約束
忘れるよりも、覚えることを選んだ。
風花湾の子供として、私はずっとその海を崇拝していた。時間海、時間神の故郷。時間神が人々に讃えられる伝説の中にしか存在しないとしても、時間海がどんなに神秘的であろうとも、私はずっと信じてきた。神は確かにそう優しい存在だ。
そう、神は優しい。歳月の流れは、すべてを穏やかにすることができる。時間神はこの世界のすべての生き物に、混沌な、原始的な、真実の始まりを与えた。そして最後に、時間神はこの世界のすべての生き物に、無情な糸の先端のように終わりを与える。生命が時間を失い、そして死に向かい、終わりを迎えるとき、混沌な、原始的な、真実の終わりが訪れる。
人生って、ずっと一筋の長〜い旅のようなものだと思ってたけど、実は、私たちの時間線は小さな円なのかもしれない。暗闇から生まれて、また暗闇に帰っていく。何も持たずにこの世にやってきて、そして何も持たずにさよならをする。死にゆくとき、振り返っても、道の終わりは見えない。私たちは長い道のりを歩いてきたように感じるけど、前へ進んで生と死の境界線を越えると、驚くほど、終点に着いちゃったって気づく。
終点に着いた、それとも終点に戻った?どの終点に戻った、最初の終点なの?もしかして、私たちの人生はひとつの円なのかもしれない。もしかして、私たちはただの輪廻の中にいるだけかもしれない。時間神が私たちに何も与えてくれなかったかもしれない。自分たちが時間を持っていなかったのかもしれない。
時間、時間。なんて愛しいけれど、なんて嫌いなんでしょう。ほとんどの人にとって、時間は優しい薬。だって、時間が遺忘をもたらしてくれるから。遺忘は芳香の花、濃厚なワイン、古い歌、海から吹く風のようなもの。
私、人間の記憶メカニズムって偽善的だなっていつも思う。そう、偽善的。私たちにとって、世界の全ては大したことないように見える。だって、時間はいつだって全ての傷を癒し、全ての苦しみを忘れさせてくれるから。時間は優しく、悪いものはゴミ箱に捨てて、美しいものだけを一つずつ記憶の箱にしまって、きちんと整理してくれる。
時間の噓と美化の下で、みんなの思い出って、綺麗だ。みんなが苦しいとか、孤独を感じると、昔のことを思い出して、その「素敵」な黄金の日々を懐かしがる。あの時は幸せだったなぁって。でも、気がついたら、時間神の「噓」に騙されて、編み出された夢に夢中になってしまうんだ。
でも、現実はどんどん悪くなっていく。全部が崩れていく感じ、本当に悲しい。同じ時、思い出はどんどん素敵になっていくし、全部が良くなっていく気がする。なんだかんだ、全部が永遠の喜びみたいな感じ。でも、本当は全部が嘘なんだって。
みんなが経験して、忘れちゃうんだ。忘れられたものは、神様にひっそり拾われて、新しい形でまた私たちに戻ってくる。その噓の思い出が私たちの力になって、ちょっとした休息になって、壊れかけた世界に立ち向かう勇気をくれる。私たちは前に進んで、また忘れて。
そうして、この繰り返しがひっそりと続いていく。ちっちゃな命はその繰り返しの中で、始まりから終わりまで歩んで、そして終わりがまた始まり。そして、時間神が織りなす糸は、糸車の回転の中でどんどん長くなっていく。
そう、忘れるって本当に不思議なこと。まるで、人間と時間神が結んだ、白い約束のようなもの。
でも私は忘れるのが嫌い。本当に、一番嫌いなのは忘れること。
私も自分に言ったことがある、咲、忘れちゃえばいいんだよって。全部、忘れちゃえばいいんだよ。墨雪家で経験したあの悲劇を忘れたら、自分の痛みも忘れられるかもしれないって。白雪村の人たちがあなたを憎む気持ちを忘れたら、あなたも彼らを憎まなくていいかもしれないって。遠くにいる兄の姿を忘れたら、彼を思い出すことで感じるプレッシャーも忘れられるかもしれないって。
でも、私にはできない。私は忘れたくない。
あの苦しみをしっかりと味わいたい、だって両親の顔を忘れることができないから。心の中からの憎しみを感じたい、だって村の人たちの顔を忘れることができないから。重い思い出に立ち向かいたい、だってお兄ちゃんの顔を忘れることができないから。
なんでも、私は忘れられない。
私はわかっている、私は反抗的な子供だし、神を冒涜する者でもある。もしかしたら神は私を嘲笑し、私を非難し、ため息をつきながら、指で私のこの愚かな頭をずんずんと叩くかもしれない。でも、私は何も恐れない。神に向かって、私はひるまないし、隠さない。真剣に彼女に祈り、真剣に私の願いを語るのだ。
私は時間神と、逆の約束を交わした。
「私を忘れさせないで、私が忘れないようにして。」
忘れるよりも、私は覚えることを選んだ。
夜の八時、風鈴が私の部屋に入ってきた。彼女は白い寝巻を着て、手には酒瓶を持っていた。
あれ、これって私の誕生会の時に残った半分の酒じゃない?山登りの時に彼女が持って来ていたんだけど、まだ飲み切ってなかったんだ。やっぱり風鈴って本当に酒好きだね。次に村長じいさんが来たら、もう少し風鈴に酒をくれるよう頼んでみようかな。村長って、たくさんの酒を集めてるのに、自分では飲まないんだ。きっと歳をとりすぎて、濃い酒はもう飲めなくなっちゃった。うーん、そう考えると風鈴って未成年だし、あんまり酒を飲ませちゃだめだ。まあいいか、風鈴だけ甘やかすわけにもいかないし、健康が何よりも大事だから、あんまり飲ませないようにしよう。
「エミ、これ持ってくれる?」
彼女が酒瓶を開け、それを私に手渡した。
ええと、私と一緒にお酒飲みたいのかな。前、あんなに激しい戦いを経験して、風鈴が一人であの怪物と戦って、それにずっと私を守ってくれたから、本当に大変だった。きっと今、少し酒を飲んだら、心が落ち着くんじゃないかな。うん、一緒に飲もうよ。
彼女は椅子に座って、そっと寝巻の裾をめくって、膝を見せた。その時、私は彼女の両膝に傷があることに気づいた。
「戦いの時、転んで擦り傷を負ったのかな。ああ、こんなに厚いパンツを履いているのに、膝が血だらけになるなんて。もっと気をつければよかったかもしれないね。」
彼女は話しながら、指を酒瓶に入れた。指に酒をつけて、それを傷口にそっと塗ってた。アルコールって消毒には効くんだけど、すっごい痛い。彼女、頑張って我慢してた。酒が傷口に触れて、赤い血と混ざると、彼女の身体がガクッと震えちゃった。でも、絶対に声出さなかった。二つの傷口を処理した後、彼女は指をペロッと舐めて、その上の酒と血をグイッと飲み干した。
うん、やっぱり少し酒味わわないと。自分の血でも手放さないんだから。風鈴、やっぱり凄いよ。
その後、彼女はため息ついて、すごく考えごとしてるみたいだった。そして、私を見上げた。彼女、きっとたくさん言いたいことがあるが、それらの言葉にならない感情は、最終的に静かな沈黙に変わったんだ。
彼女は酒瓶を手に取って、瓶口にくんくん嗅いで、その後に唇を舐めた。そして、また私を見上げた。
やっぱり、ちょっと飲みたい?大丈夫、私と一緒に飲もうよ。何でも言っていいからね。
彼女は返事をしないで、ただ黙って酒瓶を見つめた。数秒間の沈黙の後、彼女は木の栓を酒瓶に押し込んで、それをテーブルに置いて放った。
「ありがとう、エミ。今日はやめておこう。明日もまだまだ忙しいことがあるしね。」
一日中ずっと忙しくて、そしてあの危険な戦いを経験して、風鈴だって、頑張り屋の大探偵でも、もう疲れきっちゃってるんじゃない。もしアルコールが彼女をリラックスさせられたら、それが一番いいんだけどね。でも、明日もちゃんと頭を冷静に保つために、風鈴ちゃんはやっぱり諦めることにした。もうまるで一日中動き続ける機械みたいで、もう止まれないみたいな感じ。何か声をかけてあげたいけど、でも、彼女は私の言うことなんて聞かないんでしょうか。
いつものように、風鈴が「おやすみ」って言って、私の部屋を出て、そっとドアを閉めるんだけど。でも、今日は、彼女の行動がちょっと予想外だった。ドアのそばまで行って、ドアを閉めて、そしてまた戻ってきた。彼女が椅子に座って、やさしく目をこすって、くしゃみをした。
「あの、エミ。今日はここにいさせてくれるかな。寒がりだから......夜中窓を開けないでくれる?」
彼女の行動に驚きつつも、私はそれほど気にしなかった。私はうなずき、彼女の頼みを受け入れた。
風鈴が今晩ここにいるのは、私の安全を心配してのことだった。そうだよね、この数日間、あの怪物の襲撃に遭ったし、もしかしたら私たちは敵に狙われているかもしれない。風鈴がここにいてくれると、本当に安心するね。
「僕、今夜は起きているから、気にしないで。エミ、寝よう。僕がいるから、大丈夫だ。」
彼女は言いながら、また大きなあくびをした。
うーん、風鈴が本当に起きていられるね。私を守ると言っても、一度寝ちゃったらそれも無理だよね。そうだったら、役割を交代すればいい。風鈴は今日私を守ってくれた、だから今度は私が彼女を守る番だ。さあ、大探偵、しっかり休んでね。
こっちにおいで、風鈴。ベッドに、私のそばに来て。
「え?でも......ベッドは気持ちよすぎて、眠っちゃうかも。」
彼女は首を振り、何か迷っているようだった。
大丈夫だよ。絶対に眠らないから。もし風鈴が眠ったら、窓を開けて雪玉を顔に当てて、寒さで飛び起きさせるわ。
その小悪魔のような言葉を聞いて、彼女は微笑んだ。彼女は頷いて、クローゼットから枕を取り出して、私の枕の隣に置いた。そして、ベッドに上がり、私のそばに横たわった。
「うーん......気持ちいいな。」
でしょ。そうそう、風鈴は私みたいに寒さに強くないから、厚い毛布はとても重要だ。もしかしたら今日は、私が蹴ってベッドの下に落とさないかもしれない。それは素晴らしい護衛となり、風鈴を寒さから守ってくれるでしょう。
軽く毛布を整えてあげると、彼女は何かを思い出したように笑顔を浮かべた。
「ふふっ。今日はやっと布団、エミに蹴られないで済んだね。」
やっぱり風鈴らしい。もしかしたら、毛布くんは本当の持ち主を見つけて、運命が変わったのかもしれないね。
「うんうん。あの、実は......まだちょっと寒いかもね。」
寒い?うーん、ここに来て一週間以上経ったけど、風鈴はまだこの場所の気候に慣れていないみたいね。
「まあ、そんなに大したことない。エイの部屋で寝る時は、夜はだいたいこんな温度だったから。」
あれ?こんなことがあるんだ。う、風鈴、可哀想。でも、ふふん、風鈴がそう言うんだったら、私もこの問題を解決しなきゃいけないね。
服を全部脱いで、風鈴の布団にジャンプ!人間ヒーター、起動!今日は私が風鈴を暖めてあげる。
「きゃーっ!」
ちょっとやりすぎちゃったかな。風鈴は赤くなっちゃって、恥ずかしそうに叫んじゃった。急いで背中を向けて、もう話さなくなっちゃった。
窓を開けないで、厚い毛布でくるまってる。まだ数秒しかたってないのに、もう堪らない暑い。でも、風鈴のために、今夜は我慢するわ。
で、風鈴はどうしてる?私の後ろ向いて、ぴくりともしない。何も言わないで、ただ呼吸してる。えっ、こんなに短時間で寝ちゃったのかな。
ふん、ありえない、きっと私を見て怖がってるんだ。私がこんなに犠牲を払ってるのに、彼女に無視されるなんて?ひどいよ、ちゃんとしつけないと。
指を伸ばして、彼女の腰をそっとくすぐった。風鈴の身体がビクッと震え、彼女は笑いながら布団の中でくねくねと動いた。
「やめて、エミ!もう、だめ......」
ふん、私を無視したらこうなるのね。それに、風鈴の意見も聞かないと。私みたいなヒーター、どうでしょう?
「はい、はい。本当に暖かい、エミ。ありがとう。」
この返事、なんだか適当な感じがする。まあいい、もう十分満足だ。風鈴ももう眠そうだし、もう彼女をいじめるのはやめてあげよう。暖かい私のそばで、静かに眠ってね。
......
彼女の髪をそっと撫でた。反応はない。
彼女の耳をそっと撫でた。反応はない。
彼女の背中をそっとつついた。反応はない。
うーん、やっぱりもう眠ってるみたいね、まだ数十秒しか経ってないのに。耳で確かめてみようかな、ええと......数分前の呼吸とは違って、はすでにとても穏やかで、ほとんど聞こえない。本当に眠ってるみたいだね、良い夢見てね。
それでは。おやすみ、風鈴。
ふわっとそのセリフを口にすると、つい笑みがこぼれた。心の中には何だか変な感じがあるけど、笑ってしまう。なぜ笑ってしまったのかわからないから、ますます心の中が変な感じになる。
ああ、わかった。なぜ笑ったのか。昔のことを思い出したから、馴染んだ感じがしたから。身近にいる少女が、お兄ちゃんを思い出させるから。
そう言えば、お兄ちゃんと風鈴って本当に似てるね。ずっとずっと私を支えてくれて、世話をしてくれて、守ってくれる。すべてのことを一人で抱え込んで、危険で困難なことも私のためにやってくれる。そう思うと、彼らから愚痴や相談を聞いたことがないような気がする。兄もそうだし、風鈴もそう。まるで立派な騎士のように、私に何かを求めることもなく、私から何かを得ようともしない。ただ黙々と、私のために、友達のために、みんなのために行動する。余計な言葉は一つもない。
彼らは超人なの?無敵なの?違うよ。彼らはただの普通の人。傷ついたり、悲しんだり、疲れたりすることもある。いつも頼りになってたお兄ちゃんも、時々自分を部屋に閉じこもって、ひそかに泣くことがある。風鈴も、いつも勇敢で、男の子以上にすごいと思われる子も、私が写真で兄を見ると、わぁと泣いちゃうことがある。
私、自分が弱いこと、わがままなこと、よくわかってる。お兄ちゃんや村長、風鈴......こんなにたくさんの人が私を愛してくれてるのに、私は彼らに報いることができない。私ができることは、本当にちょっとすぎる。自分がこんなに無力だと思うたびに、自分をぶん殴りたくなるくらい怒りがこみ上げてくる。でも、怒りや痛みが過ぎた後に残るのは、長々と続く、消えない無念だけなんだ。
彼らに報いたい、本当に報いたい。できるだけ迷惑をかけないように、小さなことをちょこっとするつもり。たとえそれが些細なことであっても、彼らが気にするかどうかもわからないことであっても。彼らはきっと言うでしょう、「エミを守るのは僕たちの役目だ、僕たちにエミの助けは必要ない。全部任せてくれれば、僕たちは幸せだ」と。彼らは間違いなくそう思ってるはず。
でも、私もやらなきゃ。私の小さな力を借りて、彼らにちょっとしたことをして、彼らへのちょっとした報いを示したい。風鈴のヒーターを務めて、彼女が心地よく眠れるようにする。お兄ちゃんに抱きしめて、彼が孤独や悲しみを感じないようにする。村長じいさんともっと話すことで、彼も少しは楽しい時間を過ごせるようにする。うん、これらのことをやるんだ。きっとやるんだ。
例えば今、もう一度おやすみを言う。
おやすみ、風鈴。
もう一度、おやすみ、風鈴。
そう、そうなんだ。いつもお兄ちゃんに言ってたみたい。
おやすみ、お兄ちゃん。
うーん、そう言えば、なんだか懐かしい感じがするね。「おやすみ、お兄ちゃん。」この言葉を思い出すと、たくさんのシーンが脳裏に浮かんでくる。あの思い出、あの時の流れが、この静かな夜に再び蘇ってくる。
私の記憶では、お兄ちゃんはいつもとても内向的だった。笑わないし、言葉も少ないし、涙もろいし、まるで木のようだった。当時、村の人々はみんな、墨雪瑛は墨雪咲の反対だと言ってた。そう、私が墨で、彼が雪、私が黒、彼が白。私が雪原で転がって遊んでる時、お兄ちゃんは家で本を読んでた。村の子供たちが墨雪家に遊びに来ると、私は誰の名前も正確に言えたのに、お兄ちゃんは基本的に覚えられなかったり、間違えたりした。夏に私が冷たい海に飛び込んで泳いで、それで両親に叱られた。しかし兄ちゃんは水が怖くて両親の船に乗れず、それでまた叱られた。
私ははっきりと覚えてる。村の人々が私を白雪村の有名人だと思っている時、彼らは私以外の墨雪家の男の子がいることすら覚えていないことを。
覚えてるわ、昔は兄ちゃんをバカにして、いじめてたことを。その頃の私は彼を見下し、彼をダメなやつだと思ってた。何も言わないし、海にも行かないし、友達とも話さないし、何もしない。本気か冗談か分からないけど、私はいつも彼を怒鳴りつけてた。
私がそうやって彼を罵ると、彼は決してキレたり悲しんだりしなかった。彼はただ笑って、私の髪をそっと撫でてた。私は彼の手を強く叩いて、遠ざけさせた。彼は頷いて、そしてまた部屋に戻って本を読み続けた。
「僕は確かに咲ほどじゃないな。咲が有名人になったら、僕みたいな無能な兄を忘れないでね。」
あの言葉、今でも覚えてる。思い出すだけで、また泣きたくなる。
ああ、あの頃の自分が嫌い。もし過去に戻れたら、「咲」の襟首を思いっきり掴んで、顔を思いっきり叩きたい。そして大声で言う、違う、黙れ。お兄ちゃんは絶対に無能じゃない、そんなはずない。
そうだね、お兄ちゃんも思ってなかったかもしれないね。五年前のあの日、両親は私たちに別れを告げて、海へと帰っていった。
私ははっきりと覚えている、その後、お兄ちゃんが変わったことを。ある日を境に、彼は突然、変わった。変なんだ、いつものお兄ちゃんじゃなくなった。
彼は話し上手になり、人と話すことも好きになった。村の人に会うと、以前のように見て見ぬふりをするのではなく、笑顔で迎え、何か手伝えることがないか尋ねるようになった。
彼はもう本を読まなくなった。私は目の前で、彼が愛していた本を全て暖炉に投げ込むのを見た。彼が一番好きな本が灰になるのを見ても、彼はやはり我慢できずに泣いてしまったんだ。
彼はもう一日中家にこもってない。毎朝早く起きて、村へ行って、夕方まで帰ってこないこともある。時には夜遅くまで帰ってこないこともある。彼が帰ってきたら、私が用意した焼き魚を食べながら、ポケットからお金を取り出して、私の手に置いてくれた。
彼はもうわがままじゃなくなったし、涙もそうそう流さなくなった。腕についてる赤い傷を見せても、泣かないで、ただ黙って揉んでいた。私がいじめっ子に立ち向かおうとしても、彼は私を止めて、謝るだけで、自分は無能だって言って、もっと頑張るって繰り返した。
彼はもう臆病じゃなくなって、勇敢になった。昔の友達が敵になって、家の前で口喧嘩して、私たちを呪いの子って罵ると、彼は外に飛び出して、その子たちと向き合うんだ。お兄ちゃんが外に飛び出したら、私もついていって、乱闘に参加した。七八人の子供相手でも、私たち二人では絶対負けないんだ。
彼は何か責任を感じた、もう子供じゃなくなった。村長が家に来て、私たちにお金や食べ物を持ってきたけど、お兄ちゃんは断った。自分と私の世話は自分でできるって言った。村長が去る時、彼は村長とある冗談を言い合った。
「もしもの時、僕が倒れたら、ぜひ咲のことをよろしく頼む。彼女は僕の妹だから。」
そんなことを思い出して、私は笑った。同時に、涙もこぼれ落ちた。
たぶん、これは冗談じゃないかもしれない。今、お兄ちゃんは本当にいない。村長がずっと私のことを気遣ってくれてる。ただ、彼はきっと、数年後の今日、風鈴っていう女の子が私のそばに静かに現れるなんて思ってもいなかった。
ああ、お兄ちゃん。もしできたら、本当に戻ってきてほしい。もう一度君の顔を見たい。君がどれほど私を懐かしんでいるか、わかってるのかな。
「ふーふー」
ん?これは何の音?
「ふーふー」
うるさい。あら、風鈴だ。
「ふーふー」
ええと、ゴロゴロ音?ちょっと待って、今、何時かな。
彼女の懐中時計を見ると、わぁ、十時だった。もう二時間もベッドに寝そべって、過ごしてたんだ。
うーん、そろそろ寝る時間かな。明日起きた時、今日のことを忘れないでいられるといいな。
心配しなくても大丈夫だよ、これは絶対に忘れないから。だってね、私は時間神と白い約束を結んでいるんだ。風鈴のことでも、お兄ちゃんのことでも、絶対に忘れないから。
忘れるよりも、覚えることを選んだ。もしもう一度選べるなら、やっぱり覚えることだわ。
永遠に覚えることを選ぶ。
永遠に。




