其の十六 沈黙
眠れない。
本当に眠れない。
違うな、ずっと眠ってないか、それに早く目が覚めたか。わからない、わかりたくない。もうごちゃごちゃになった頭で余計な情報を処理するのはやめたい。しかも、その情報は何の役にも立たない。ただ一つだけわかってればいい。今、この瞬間、僕、風鈴、起きている、夢も見てない。そう、それだけでいい。
何時でしょう。月明かりを頼りに懐中時計を見てみよう。午前二時、丁度いい時間だ。いい数字だよな、ちょっと嬉しくなる。ずっと眠れないってことは、もう四時間もベッドで待っているってことで、それは不眠症ってことだ。早く目が覚めたってことは、まだ昼間まで何時間もあるってことで、それも不眠症ってことだ。
まず、結論から言うと、どっちみち、結果は同じだ。僕は眠れないんだ。ちくしょうっ、このくだらない問題を考えてるこの脳みそめ。もう十分に横になっているし、意識もぼやけてきて、理性も完全にぶっ飛んで、潜在意識が暴れ始めてんだ。ふん、もう脳みそは僕のじゃない。何の意味もない。
思考をコントロールできねえのは明らかだから、最善の選択は眠りに落ちることだ。もう全脳が混乱した潜在意識に支配されてんだから、それに負けるのがいい。とにかく寝りゃ、死んだのと同じだし、次の日になれば何もかも元通りになる。でもなぜか眠れない、あるいはもう一度寝れない。残されたメインの理性はもう硬い弦のようになって、どこかでギュッと緊張しているんだ。明らかに失敗は確定しているし、素直に死ねばいいのに。でもそれが続くんだ、まるでキレやすい牛みたいに、僕に対抗しようと。潜在意識が反抗し、メインの意識も反抗する。
僕、まるで裸で、一人に犯されてるみたいだ。全然抵抗できないから、気を失うしかないな。あれ、でも、そうもいかない。だって、もう一人が僕のまぶたを引っ張って、自分が汚されてる姿を見続けさせるんだ。そう、このクソみたいな感覚がそうだ。
しょうがない、もう手段を使うしかないみたいだ。手を上げて、自分の頬を向ける。
「バチッ!」
いい。目が覚めた。
手のひらと顔に同時に火傷のような痛みが走り、最高だ、この感覚が大好き。さて、潜在意識が消えて、主観が戻ってきた。とにかく眠れないし、今の状況をよく考えることができる。
フン、大探偵。その称号を思い出すだけで笑える。どうして大探偵がここで一週間も捜査して、問題一つ解決できないで、問題がますます増えていくんでしょうか?
深海に向かうやつらは、一体どうして死んじまった?海の中から立ち上がる黒煙って、一体どこから湧き出てきた?寒鴉たちは、どうして増えた?海の中に故郷があるって、それが一体何を意味していた?それに、あの悪魂は、一体どこから出てきた?昨日のその理不尽な行動は、一体何を示していた?
ちくしょうっ、頭がヤバイ状態だ。もう限界だ、くたばれ、くたばれって!
本当はこの週末はゆっくり休もうと思ってたのに、運命は全然そんなチャンスをくれるつもりがないみたいだ。ねえ、貴族のために働いている奴隷とか、家畜とかには定期的に休息の時間があるんでしょう?でも、この白雪村ってどうなってんだ、僕ってどうなってんだ?こんなにもクソみたいな現実って、一体どうすればいい?
冷静にならなきゃってわかってるよ、こんなとこでまるでキチガイみたいにグチグチ言ってるのは。冷静に、冷静に、皆が冷静でいることは分かってるって。でも僕にはできない。素直に認める、少なくとも今はできないって。言い訳なんてしない、僕は十五歳の少女にとってこれがどんなに重たいかとか、そんなことは言わない。僕は責任を取らなきゃって、それは分かってる。経験豊富な旅人で、勇気を持って冒険する大探偵で、戦う守護者なんだ。僕の立場はずっとそうだ、永遠にそうだ。
でも、正直に言わなきゃ、僕は確かに疲れてきてる。全てが始まったばかりだけど、もう疲れてる。いつか全部のエネルギーを使い果たして、完全に崩れ落ちる日が来るかもしれないって、分からない。でも、しょうがない。今はまだ冷静でいられるし、今はまだ力があるし、僕の決意はまだ消えてない。それでいい、それだけでいい。
もっと真剣にこれらのことに向き合わなきゃいけない。だって前はただ惨劇を聞いてただけだったから。エミの両親でも、エイでも、無生でも、僕はただ聞いてただけだった。でも今は違う、なぜなら敵が本当にやって来たから。昨日、本当にやって来た。客席で観客が舞台上のホラーを楽しんでいるかのように、次の瞬間には自分が舞台上の役者になり、殺されることになり、そのホラーの一部になることになるんだ。
無生があんなに強そうに見えて、あの化け物と対峙したらあんなにボロボロになるなんて、思ってもみなかった。あの死を気にしないふりをしているように見えた無生が、実は死を恐れているなんて、考えもしなかった。無生がもう限界だとは、右腕から流れる大量の黒い血でコートが真っ黒に染まっているとは、思ってもいなかった。あんなに頼りになる兄貴が、弟を抱きしめて、泣きじゃくっている姿を見るなんて、想像もしていなかった。仁也表面上は何も言わないようにしていたけれど、実際にはあの襲撃がもたらした残酷な現実に向き合うことができなかったとは、思っていなかった。強かった凛が、敵に対して無力で怒りに満ちた様子を見るとは、思っていなかった。
一番辛かったのは、身近にいるエミが、実はエイへの思いがあんなにも重くのしかかっているとは、思っていなかったことだ。昨日、彼女はずっと泣いていた。山を下りるときも、家に帰るときも、夕食後も、そして寝る前も。その時、彼女が怪物を恐れているわけでも、無生や仁也の辛い状況に同情しているわけでもなく、ただ兄弟が抱き合って泣くその瞬間に、自分の兄のことを思い出しているだけだと気づいた。
ちくしょうっ、ちくしょう!前にエミが楽しそうに兄との思い出を話してくれたり、楽しそうに兄からの手紙を読んでいたけど、僕、彼女の気持ちに気づけなかった。早く気づいてあげればよかったのに、この子、村の呪いに耐えながらも、もっと重いものを抱えていたんだなんて。
ふん、何としてでも解決しなくちゃ。風鈴の名を賭けても、僕の運命を賭けても。
あれを見つけ出すまで...いや、すべての真実を見つけ出すまで。きっと、彼女をここから連れ出す。必ず、薄桜城へ連れて行って、エミと会わせてあげる。
彼女に、理想の春を見せてあげる。絶対に。
さて、決心はついたし、今は寝る時間だ。眠れなくても、何とか眠る方法を考えないと。ここでただ待っていてもしょうがないし、時間も無駄にして気力も消耗するだけだから、大失敗だ。
目を閉じて、何も考えないで。そう、そう、そのまま、そのまま。
「カチャー」
うーん。やっぱり混乱してるな、なぜまた幻聴が聞こえる。本当に不快な音だ、骨が擦れる音みたい。そう、悪魂の気配と同じだ。本当に迷惑だよ、眠ってるのに、この悪魂が僕を放ってくれないのか。仕方ない、聞こえなかったことにして、寝よう。
「カチャー」
気にしない。寝よう。午後は雪合戦大会があるんだ、凛との決戦が待ってるんだ。
「カチャー!」
やめてくれないのか!もういい加減にするよ!
――—ん?!
まずい、まさか!
ベッドからビクッと跳び上がって、急いで寝室を飛び出し、廊下を疾走してエミの部屋の前に立つ。もうドアをノックする余裕もなく、勢いよくドアを押し開ける。
――!
その先に広がる光景は、裸のエミが安らかに眠っている姿だった。月の光が優しく彼女の顔に当たり、冷たい風がひゅうひゅうと吹き付ける。かわいそうな毛布はいつものように床に投げられている。すべてが平和で穏やかだ。
はぁ。やっぱり僕、多心なんでしょうかな。まさか睡眠不足で、頭がおかしくなっちゃったか。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん......うう......」
まだエミの小さな寝言が聞こえる。ああ、可哀想な子だ。今でも兄のことを呟いてやがるのか。彼女の夢の中で、兄妹が再会できることを願わずにはいられない。
エミの隣にそっと腰を下ろして、彼女の目元にまだ二筋の涙の跡があるのに気づいた。軽く頬を撫でてみると、彼女、気持ちよさそうな感じで、口元には何だか幸せそうな微笑みが浮かんでるんだ。
「うむ、風鈴、貧乳。小さくて、柔らかくて、可愛い......へへ、へへ。」
ああ!!!!!これ、彼女の声じゃない!これ、現実じゃない!きっと僕、頭がおかしくなっちまったに違いない、絶対に!
急いでエミの部屋から逃げ出して、エイの部屋に駆け込む。ベッドに飛び乗って、目を閉じる。
寝る!
午後、白雪村探偵団部活三日目、雪合戦だ!
よし、見ての通り、今、皆海岸に集結してた。そう、我々の戦場は凍った海の上なんだ!岸辺にあるから、時間神の制裁は受けないはずだ。はずだよね。それでは、左から紹介しよう......
えっ、皆、なんか元気がないな。やっぱり昨日のことか。やっぱり、探偵団のみんなは普通の少年少女で、僕みたいにいつも元気なわけじゃない。昨日のような刺激的で重い出来事を経験した後だから、今、元気が出ないのも仕方ないか。
あれ。いやいや、そういう強靭な心を持つ人物がいるな。そう、無生君だ!
「おいおい,みんな、気合い入れろ!今日は雪合戦の最重要イベントだぞ!死んだような顔してんじゃないよ!」
無生は車椅子に座って、まるで審判のようにしていた。右手には小さな青い旗を持ち、左手でみんなを指差していた。
「そう、僕が審判だ!だから、みんなちゃんと聞け。もう少し死んだような顔してたら、全員失格だぞ!」
やっぱり無生を雪合戦に参加させるのは現実的じゃない。まあ、それは明らかな事実だよな。侵された右腕、それを動かすのも大変だ。こんな状態で雪合戦なんて無理だろ。肌は硬くなり、肉は緩み、まるで水を吸ったスポンジのようで、少しの傷でもすぐに裂け、大量の血が流れ出す。でも、不幸中の幸いかもしれない。その腕は、亡霊のような強力な自己治癒能力を得ているようで、昨日までの怪我が血を止めるのが難しいと思っていたところ、傷口が驚くほど早く治癒していた。傷を負い、そして迅速に治癒する。まるで人間と亡霊の間で達成されたあるバランスのようだ。
まあ、僕たちはみんな、無生さんに家でゆっくりしてもらうようにって言ったんだけど、今日の雪合戦はキャンセルしようって話だったんだ。でも無生、強硬に反対してた。自分の時間がもう少ないって思ってるんだって。今のうちに、できるだけたくさんの探偵団の活動に参加したいって、何かの記念になるって。
「ちなみに、今回風鈴が来てくれてよかったな。こりゃあ、凛もまたいじめられることなくすんだ。」
──え?それってどういうこと?
以前は四人での雪合戦は二人と二人の戦闘だった。でも、無生が病気になってから、もう雪合戦には参加しなくて、審判をやることになった。そしたら、残りの三人ではチームを組むことができなくなっちゃった。だから、団体戦が個人戦に変更されたんだ。凛、エミ、そして仁也、三人の中から一人の勝者を決めるしかなくなっちゃった。
雪合戦の度に、凛は仁也を手助けしてる。彼女は仁也くんを攻撃したくないから、全部の攻撃をエミに向けちゃう。凛の強烈な戦闘力、みんなが知ってる。仁也が必死に止めても、彼女はエミを的にすることができる。だから、雪合戦の結末はいつも凛がエミを追いかけて、雪玉をまるで銃弾のように放ちまくる光景だ。エミは叫びながら、フィールド中を逃げ回るしかないんだ。
──これって、エミがいじめられてるってことじゃん?
「焦るな、まだ話してないって。」
そう、見物に来てる寒鴉たち、エミがいじめられてると知ると、一斉に凛に向かって大声で叫びながら飛び込んだ。凛がどれだけ強くても、そんなにたくさんの素早い鳥たちには絶対対処できない。だから実際の雪合戦の結末は、寒鴉たちが凛を追いかけて、凛が叫びながら逃げる姿だ。
──ああ、そういえば、凛。僕に感謝しなきゃいけないな。
「馬鹿言うな、旅人。今日は絶対に負けない!」
挑発に対して、少女は引き下がる様子を見せなかった。真剣な表情で僕を見つめ、赤い瞳には闘志が燃え上がっていた。
「いいぞ!その気合い、素晴らしい!では、凛と兄さんが風鈴とエミと対戦しよう。二人と二人、そして相手の心臓を完全に破壊したチームが負けとなる。」
言われるがままに、僕たちは特製のチームウェアを着ることになった。実際はただの単色のコートだが、海草の葉を胸に貼り付け、テープで端を固定する。その海草の葉が「心臓」を象徴している。それはただの乾いた葉っぱだが、とても簡単に砕ける。参加者たちがやるべきことは、相手の「心臓」を雪玉で砕くことだ。
「風鈴、僕の聖なる鎧を身に着けた以上、裏切らないでくれ!凛を徹底的にやっつけてくれ!」
──任せろ、無生!僕もお前と共にある!
「で?ほらほら、お前ら二人とも中二病患者、なんで結託してるの?無生、君は裁判なのに、なんで旅人をかばってるのよ!」
「ふん、凛に追いかけ回された屈辱な記憶は忘れない!今は復讐できないが、風鈴ならやってくれる!そうだろ、我が盟友よ!」
──はい、将軍!
「ふんっ、私に負けるわけにはいかない、旅人!」
──そうか?この世で戦闘力がないやつは旅人なんかになれないよ。馬鹿にするなよ、凛!
「この!」
「よしよし、もういいよ。これって超意味あるんじゃない?お前ら、ちょっと戦闘スキル競い合って、将来あれらの亡霊相手にもなれるんだろ。つまり今日の雪合戦もトレーニングだよ、わかる?手心を加えないでくれ、そういうのはダメだぞ!」
「手心を加える?ふん、この旅人を泣きつかせてやるからな!」
──こっちのセリフだ!
「おやおや。そう、まさにその通りだ!」
僕と凛のハイテンションな雰囲気を見て、無生は満足そうに頷いた。彼は戦争好きのように、大きな目を見開き、次の大戦を楽しみにしているかのようだった。
「おい、兄さん、エミ。ここで見てるだけはダメよ。さっさと試合の準備をせんかい!」
「俺はここで待ってる。この世界大戦に巻き込まれて、絶対殺される。」
車椅子の後ろに隠れていた仁也が言った。
「うんうん。私も。」
車椅子の後ろに隠れていたエミは、賛成を示すように頷いた。
「まあ、まあ。安全第一だって、わかってるな。」
無生はあきれたようにため息をついた。そして右手から旗を左手に持ち替え、振り上げた。風になびく旗は「ふーふー」と音を立てた。そして、僕と凛を見つめた。
「では、準備はいい?」
「はい!」
――準備完了!
「よし、じゃ――開始!」
しゃがみ込んで、地面の雪をサッとつかんだ。雪玉をこねている最中、なんかが飛んでくる感覚がした。
そうなん、凛のスピード速すぎじゃないか! 体をよけ、凛の攻撃をぎりぎりかわした。光る雪玉は、耳をかすめて飛んでいった。
――なにそれ、氷?凛、てめえ、ズルすんなよ!」
「ふざけんな。ルールはただ一つ、心臓を砕くことだ!」
「そう、その通り。風鈴、気をつければいいぞ。」
遠くから無生の声が聞こえた。
――ちくしょう、喰らえ!
雪玉をすばやくこねて、放り投げた。流星みたいに、凛の「心臓」めがけてピンポイントで飛んでいった。相手は身をよける気配もないし、まだ反応してないみたいだ。
よし、この一撃でやっつける!って、待ってよ――
雪玉が「心臓」を砕こうとする瞬間、巨大な拳が猛スピードで襲ってきた。雪玉はまさにその瞬間に粉々にされて、無数の破片が地面にばらまかれた。
「ふん、そんなに簡単に私をやっつけられると思うなよ!そりゃ!」
左手で防御し終えた凛が、右手で三つの氷の塊を放り投げてきた。これは散弾だ!ダメだ、その場ではかわせない!逃げるしかない!
激しく左に跳び、攻撃をかわした。脚に一つの氷の塊が当たったけど、まったく脅威ではない。脆弱な「心臓」を守れるなら、まだ戦い続けられる。
分かってる、凛は地勢の優位性を持っている。彼女の足元は大きな小さな氷の塊で覆われていて、もしかしたら予め計画されていたのかもしれない。だめだ、ここを離れて、もっと安全な場所へ移動しなきゃ。
それがベストだ。正面から戦うのをやめて、振り向いて後ろに逃げよう!
「あら?逃げ出すの?そうか、そういうことか、旅人よ!」
よし、思ったとおり、凛が僕を追いかけ始めた。今だ!振り返って、凛の位置を大まかに確認し、手に握っている雪玉を投げつける!
しかし、相手は警戒していた。立派なハンターとして、攻撃するときは自分も守ることを忘れない。凛は最初、ちょっとびっくりして、その後すぐに反応して、軽く身をかわして、僕の急襲をかわした。彼女のちょっとした驚きから、たぶんこの攻撃は予想外だった。
今がチャンスだ!右手の雪玉はたんなるおとりで、今が最高の機会だ!凛がまだビックリしている間に、左手の雪玉もぶち込む!
「しゃ――」
またまた見事な一撃で、飛んできた雪玉を粉砕した。
「ほら、それが君のやり方か、旅人?ビビリなのに、隠れん坊ごっこしてるだけ?」
やばい、もう手に弾薬が残ってない。ちょっと休憩する隙間を見つけないと......うわっ!
運よく頭を下げて、後ろから次々と飛んでくる三発の雪玉をかわした。
――凛、てめぇ!
後ろからの攻撃では絶対に「心臓」を狙えないこと、僕たちはみんな知ってる。でも凛はそんなこと気にしないみたいだ。本当に残酷で狂気じみた戦い方だ。彼女の考えてることは、たぶんただ雪玉で僕を殴りつけることでしょうか。
ふん、かかってこい。とにかくこれ以上無駄に体力を消費するのは......でも、果たして僕は凛の体力に勝てるか?彼女を甘く見るべきではないな。
よし、そろそろ逃げるのも限界だ。もう無生には僕たちが見えなくなるくらいだ。時間神がやってくる前に。立ち止まって、頭を下げて、攻撃をかわして、雪玉をこねて、反撃!
予想通り、凛にまた阻まれてしまった。僕が立ち止まると、彼女も足を遅らせ、まるで圧倒的な悪魔のように、じわじわと近づいてくる。
連続攻撃。一撃目、凛の拳に打ち砕かれる。二撃目、またもや打ち砕かれる。三撃目!再び打ち砕かれる。
――ちくしょう!
「ふふ、こんな程度の攻撃、勝てるわけがないでしょう!」
凛の言葉は確かに正しかった。全力で雪玉を揉んでいるが、攻撃の頻度は依然として遅すぎる。凛は十分な反応時間を持っており、僕の攻撃を次々と無効化する。結果、無駄な攻撃を何度も行い、体力が相当消耗してしまった。
そうならば、じゃあ——凛の最初の作戦を使ってやる!雪玉をこねるのは無駄なら、こねないでそのまま氷をぶん投げてしまおうか?凛も僕の狙いがわかってる。それで彼女がそれを防げるかどうかなんてな。
で、凛に向かって突進した。このアクションがあまりにもウィアードすぎるせいか、凛はどう対処すべきか分からないみたいだ。彼女は慎重に横に避けて、片手で心臓を守りつつ、もう片方の手で雪玉を上げた。
それから、僕たちはすれ違った。凛はチャンスを逃さず、雪玉を僕の顔面にワンショット。
――うわあ!
雪が一瞬で溶けて水になり、目に流れ込んだ。その一瞬で何も見えなくなった。鋭い寒さが顔中に広がる。手で顔を拭って視界は戻ったけど、二度と戻れるチャンスはない。凛が後ろから追ってくるのを予感し、本能的に足で地面の雪をぶっ飛ばしてやった。
「うわ!」
この一撃はまさに絶妙だった。雪と土の粉末でできた煙が凛にピンポイントで命中し、彼女は慌てて頭をかしげ、目を閉じて身をかわした。その隙に、僕は素早く距離をとって、凛の最初に立っていた場所に向かって疾走した。
「だめだ!彼女を止めて、仁也君!」
――なんだって?
凛の叫び声が戦場に響き渡った。その命令を聞いていた仁也さえも、一瞬驚いた。凛の意図を理解した後、仁也は僕に向かって素早く駆け寄ってきた。
「おお、面白いな......」
車椅子の上の無生平が静かに口を開いた。彼はもう旗を振ることなんかなくて、ただ黙って僕たちを見つめてた。この試合をめっちゃ楽しんでるみたい。
ちくしょう、マジで戦闘中に援軍呼ぶとか!ふん、確かにその戦術見落としてたかもな。二人と二人の試合だから、僕と凛がひとりで戦ってるからって、仁也とエミも戦場に入れんとか思ってたら大間違いやで。
でも、仁也は焦りだしてきたみたい。彼はあわてて雪玉作って、僕に向かって駆けてきた。きっとただすぐに支援しようとしてた、防御とか考える余裕なんて全然なくて、胸の前の「心臓」をベラベラさらしてた。
チャンスだ。今なら凛もまだ遠いから、雪玉こねる時間もある。仁也の「心臓」めがけて致命的な一撃くらわせて、そして逃げ出して、凛を倒す策を考え続ける。
だけど、油断はできない。相手が逃げないってことは、彼が防御しないとは限らないってことだ。こんな正面からの攻撃、もし仁也が凛と同じように僕の雪玉を直接打ち砕いたら、絶対にヤバい。
チャンスは一度しかない、無謀に賭けるわけにはいかない。
だから、今回の攻撃の可能性を高めるしかない。
――エミ、攻撃!
「よいしょ!」
よっかた、エミは確かに仁也よりも戦闘意識がある。彼女はすでに用意していた雪玉を仁也に投げつけた!
背面からの攻撃は心臓には届かないけど、それは重要じゃない。仁也がエミに気を取られているその瞬間、僕からの、正面からの攻撃が彼の運命を決定する――
今だ!
雪玉が弾丸みたいに、仁也にピシャリと命中した。
「なに!」
仁也が気づいた時には、もう手遅れ。大げさな回避行動を取ってみたって、無駄なんだ。雪玉が見事に彼の「心臓」をぶち抜いた。そしたら彼はバランスを崩して、地面に叩きつけられた。
――よっかた!エミ、よくやった!
「はい!」
白い彼女はウキウキしながらジャンプした。
――次、凛を攻撃して!僕をかばって!
「うん!今行く......うわっ!」
誰もが予想してなかったのは、少女が走り出そうとしたその瞬間、足がずるりと滑って、一気に地面にダイブしたことだった。事態があまりにも唐突で、僕だって思考が追いつかなかった。
エミが地面の状況を見落としたせいで、こんな突然のアクシデントが起きたのかもな。でも大丈夫、彼女が立ち上がれば、僕たちは凛に勝てる。もう少しタイムロスすれば、何とか......って、なに?!
そう、見間違いじゃなかった。少女の体が、地面に向かってタンクする姿。胸の「心臓」が完全に露わになり、まるで巨大な象に押し潰されたみたいに、地面に叩きつけられた。
「カチャ、カチャ――」
「心臓」が砕ける音が聞こえた気がした。
「うわっ、痛い......」
エミが身を翻すと、彼女の体の下から「心臓」の破片が風に吹かれて、緑色の鳥のように空中に散らばった。
――エミ!大丈夫?
「捕まえた。」
――?
背後から、赤い影がそっと現れた。熱い息が僕の首筋に触れ、ゾクッとした。もう振り返る間もなかったけど、その光景がなんとなく想像できた。ついにチャンスをつかんで、最後で一番致命的な一撃を放つ姿。燃え盛る炎みたいで、怒りに燃える野獣みたいな、女の子の姿。
――やば......
一瞬、胸に大きな衝撃が走り、僕はガクッと体を震わせた。世界はその瞬間、静寂に包まれ、耳に響くのは「心臓」が砕ける音ばかりだった。
振り返ると、少女が優しい微笑みを浮かべていた。ゆっくりと頭を下げ、雪片と緑の破片が風に舞い上がった。
「チェックメイト。」
彼女が言った。
壮大な狩猟が終わったかのように、彼女の顔に自然と自慢げな微笑みが浮かんだ。そしてその微笑みは、僕の死刑宣告であり、勝利のファンファーレだった。
僕は負けた。
エミと仁也が立ち上がり、僕と凛の方に歩いてくる。凛は僕の襟を掴んで引っ張り、勝利者の自信に満ちた顔つきだった。捕まった獲物のように彼女に牽引され、刑場へ向かう罪人のようだ。
仁也が僕たちの近くにやって来て、大きく親指を立てた。
「うまくできたな、凛。」
「うんうん。」
凛は嬉しそうに頷いた。
「あの、あの......」
エミは何だか恥ずかしそうで、顔を下げ、僕を見なかった。
「私のせいなの。もっと気をつけてたら......」
――謝らなくてもいいよ、エミのせいじゃない。凛は本当に凄すぎるんだから。
笑って、彼女の頭をなでなでした。
「ふん、降参したの、旅人?」
――降参、降参。白雪村最強と認める。
「ふふん、そうなるべきだよね。」
でも、今頃無生は何してる?こんなにも興奮する試合を見て、裁判が出番なのに、全然動きがない。どうした、夢中になって見てるのかな?もう。
――おい、無生!仕事しろ!早く凛様の表彰式を開始してくれ!それに、僕にも準優勝者の賞をくれよ!
無生は車椅子に座って、静かに僕たちを見つめていた。
――おい!もう終わった、見てるのはやめろよ!働けよ、働け!聞こえる?
無生は反応しなかった。
――無生君!
一瞬、何か悪い予感が頭に浮かんだ。
――え、無生......
何かに気付いたかのように、僕は少年のもとへと疾走した。
彼はまだ車椅子に座ったままだが、もう意識はなかった。両手は無力に垂れ下がり、小さな青い旗が雪の中に放り投げられている。頭は横に傾き、熟睡しているかのようだ。呼吸は断続的になり、まだなんとか維持されているようだ。暗い赤く黒ずんだ血液が、両の鼻孔と口角からじわじわと流れ出し、三つの恐ろしい曲線を描いている。
「無生!」
惨状を目にした仁也は、絶望的な悲鳴を上げた。




