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雪化粧

作者: 雨足怜

 私は、雪が好きだ。雪が大地を覆い隠している間、私はつかの間の自由を享受することができる。

 今年もまた雪が降っていて、張り詰めていた緊張の糸がほどけ、こわばっていた体から力が抜けた。

 普通の人は、雪が降ると体が硬くなるらしい。それから、場合によっては凍結した地面で転ばないようにだとか、車がスリップしないようにだとか、水道管の中の水が凍らないようにだとか、そういった緊張をするらしい。

 私とは全く逆というのが、少し面白い。

 けれどまあ、私は寒いのが嫌いだ。それはきっと、体の一部、右腕の肘当たりの皮膚にまるで蛇のうろこの様な跡がついていることと無関係ではない。

 そしてそれは、私が冬以外の季節を嫌う理由でもあった。


 もうはるか昔、私は余呉湖のほとりに住んでいた。

 生まれつき体が弱くて、優しい兄と両親に支えられて、何とか生活を続けていくことができていた。足手纏い、しかもどんくさかった私は女性の仲間内での目の敵にされていて、いつも居心地の悪さを覚えていた。どうして自分はこんな風に生まれてしまったのだろうと、両親を、あるいは神様を憎んだこともあった。

 そんな私が、けれど曲がらずに成長できた最大の理由は、菊石姫様の存在があったからだと思う。領主の娘さんだった彼女は、いつも本当に優しくて、私をさりげなくかばってくださるかただった。

 だから、そんな菊石姫様が干ばつから村を救うためのいけにえに名乗りを上げたとき、私はとっさに自分が代役をすると手を挙げました。

 だって、ただのお荷物である私のほうが、菊石姫様よりもよほどいけにえに向いている。自分でもわかっていた。私が村のほとんどの人に疎まれていることを。

 いけにえになることで村を救える。それは、本望だと心から思った。生まれ初めて、家族のために、村のために何かができる。ならば、この身をささげても怖いはずがなかった。

 菊石姫様は、なんども言っていた。領主の娘である自分が、その責務としていけにえになるべきだと。それでも、彼女の言葉は村の民意に押しつぶされた。多数派が私をいけにえに選んだ。泣きそうで、けれど菊石姫様という素晴らしい人を救うことにもつながるのだと思えば、誇らしいと思えた。

 そうして、運命の日がやってきた。日照りはますます強くなり、農作物は皆が首をたれ、黄色く染まってしまっていた。

 今雨が降らないと村が滅びる。だから私は今日、余呉湖に飛び込み、この身を蛇に転身させて雨を降らさないといけない。

 村人たちが待つ中、ずっと背中を支えてくれていた兄に笑いかける。

 兄の手は、震えていた。行くなと、やめてくれと、その目が語っていた。

 手が離れて、気づく。震えているのは、私もだと。

 いまさらになって、恐怖が込み上げた。私はこれから、人として死ぬのだ。そう改めて考えたとき、どうしようもなく足がすくんだ。

 咳き込み、口を押えた手に血がにじむ。もう長くないのだから、こんな私がいけにえになるべきだ。

 けれど、もし、だ。もし私が身を投げて、けれど蛇に転身することができなかったとしたら。私は、完全な無駄死にだ。

 その確率は決して低い者ではないように思えた。果たして、大した徳を積んでいるわけでもない私が蛇になれるのか。

 それを考えてしまったらもう、一歩もその先に足を踏み出すことはできなかった。

 そんな私の横を走り抜ける影が一つ。

 あ、と思わず声が漏れた。伸ばした手は、菊石姫様を止めるためのものか、あるいは、その体を突き飛ばすためのものか。

 掌が彼女の背中に触れ、そして、彼女の体は余呉湖へと投げ出された。

 跳躍した彼女は、水しぶきを上げて水面を揺らし、そして次の瞬間、目を瞠るほどの美しい青蛇へと生まれ変わった。

 彼女は水を散らしながら空高くへと飛び上がり、天空の水をかき集めて雲を降らし、村に慈雨をもたらした。

 やっぱり菊石姫様こそが、蛇になれる存在だった。私とは、違って。

 雨を降らすことに成功した菊石姫様はゆっくりと地上に降りてきて、その黄金の瞳でぐるりと村人を見回した。目があったと思ったのは一瞬、菊石姫様は、彼女の乳母に、抉り取った片目を授けた。

 投げられた眼球は石の上で一つ跳ねてから乳母の手に収まった。

 万病をいやすとされる、龍を目指す蛇の目。その目の力は石に宿り、やがて蛇の目石が地上に誕生することになる。それは、実物よりはずっと小さい、けれど確かに力のある石だ。その石が今も私をあちこちでにらんでいるように感じたのは、私の、私たちの罪のせい。

 菊石姫様の目は乳母の手にわたり、けれどその目を、兄が盗んでしまった。乳母には要らず、何よりここには飲むべきものがいるからと。原因不明の病を治すためにどれだけの効果があるか検証しなければ――そんな勝手なことを言いながら蛇の目を私に食べさせてしまった。その日から、きっと私には呪いの様なものが見えるようになった。

 その呪いは、時に大きく強く、そして深くなり、私の道を阻んだ。輪廻転生を繰り返して、こうして再び人間になっても呪いは残っている。

 その闇の先へと、決して行こうとしてはならない。


 今朝もまた、道端に転がっている石ころがごろりと動き、私に焦点を合わせているように感じる。それはまるで、蛇目石のように。降り始めた雪が積もった隙間から覗く灰色の石たちは、いつだって私を見ている。

それはさただの錯覚などではなく、大自然と一体化した菊石姫様が、今日も私の生き方をジャッジしようと、じっと見つめているのだと思う。

 だから私は、いつだって背筋を伸ばし、徳のある人として生きて。

 けれど、雪が大地のすべてを覆い隠した間だけは、つかの間の息抜きとして力を抜くのだ。


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