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第一章24 純白の爆弾

「コハク……どうしてここに?」


「先程レキとすれ違った際に、こう言われたもので。『そういえば主様。ニンゲンさんとキリンさんが二人で会議をしているようですが、誰かが欠けているのでは?』ってね」


 絵に描いたような好青年のコハクが、これまた絵に描いたような慇懃無礼なレキの物真似をするのが面白くて、私は少し吹き出しつつ、


「まあその予想、大当たりなんだけど」


 コハクはそれを聞いてくすくす笑うと、こちらにゆっくりと歩み寄って来て私の隣に腰を下ろした。


「兄さんのことは現在の主として、本当は僕から春来に一刻も早く話さなくてはいけなかったことです。どうか話に参加させてください」


「そうだな。――やっぱ主様のことについては、コハクから話した方が良いよな」


 そうですね、とコハクは頷く。声色が、瞳が、唇が、彼の哀傷を物語っていた。


「兄さんは『神の子』の異名の通り、限りなく神に近い存在でした。幼い僕は本当に、兄さんは神の子だと思っていました。でも彼には、一つだけどうしても叶えられなかった願望があります。それは――この世界をある『呪い』から守ること」


「呪い――?」


 私の反射的な問いかけに、今度は龍乃助が口を開いた。


「そう。んで、その呪いをかけた張本人は、しゅんが鳳凰使いになる候補だと知って、なぜかしゅんをここに召喚する手助けをした。つまり――しゅんの大事な人である七葉ちゃんの精神に干渉して、しゅんがこの世界に来る理由を作った。それが永遠の悪夢のような悪魔、『ナイトメア』と呼ばれている」


「ナイトメア――」


「多分、鳳凰使いが現れることによって僕達が動き出すのをずっと待っていたのでしょうね」


 鳳凰使い――。

 非現実的すぎて混乱しかける私だが、ここはもう素直に、そうなんだと受け止めるしかないみたいだ。今この時点で聞きたいことは山程出来てしまったが、今は取りあえず話を一通り聞こうとただ頷く。


「ナイトメアがこの世界にかけた呪い――それは、僕が死んだ瞬間に、この世界が全て滅ぼされるという形で実行されます」


「ええ!?」


 それには流石に、大人しく聞いているだけという姿勢は取れなかった。


 冗談じゃない。こんな危険で命の保証もないような世界に、私は――。


「しかしナイトメアは、呪いを実行する前に一人、人を殺しました。それが兄さんです。兄さんはあの時、ナイトメアに作り出されたゲオルによって、僕の目の前で連れ去られました。直接殺されたところを見はしなかったものの……もうあれから二年は経ちます。兄さんが戻って来ると本気で信じているのは、紬ぐらいですよ」


 今目の前にいるコハクが、そんな恐ろしい呪いをかけられていたなんて。でも、じゃあ私は、コハクのために何が出来るというのだろう。何のために、召喚されたというのだろう。


「当初のナイトメアの目的は、こんな出来損ないの僕ではなく、兄さんを生贄として殺すことだった。そこで取った方法が、僕を人質にし、そして兄さんの命と引き換えに契約を結ぶというものでした」


「その契約ってのが……ゲオルがコハクを殺せないってのと関係があるの?」


「その通りです。ナイトメアの一番の目的は、この世界を手に入れること。奴はこの目的のために、ある大きな呪いを完成させました。しかし、世界を手に入れるなんていう非現実的に思えるほど巨大な呪い、達成出来る訳がない――そう思いませんか?」


「そ、そりゃそうだよ!世界をって――まず対象が大きすぎるし、手に入れるっていうのも、独裁とかしない限りは無理なんじゃないの?ほら、ヒトラーとかみたいに」


 あ、ヒトラーなんて言っても通じないんだっけ。


「そうです。ナイトメアの呪いには、あまりにも大きな生贄が必要でした。そこで奴が目をつけたのは兄さん――ではなく、まずは僕でした。神の子と呼ばれた完璧な兄さんに与えられた唯一の不幸は、弟がいたことです」


 そんな、たった一人の弟の存在を、唯一の不幸だなんて――。


「ナイトメアがなぜ僕に目をつけたのか。人質ってやつですね。奴は僕を殺そうとし――本来ならその通りになるはずでした。しかし兄さんは、己の命と引き換えに、『ナイトメアはコハク・アカシアの命を奪わない』という契約を結んだんです」


 夜空を見上げるように空を仰いで話すコハク。その表情は、見るだけで私の心をきつく締め付けた。 


「神の子と呼ばれるほど強烈な力を持った兄さんを生贄に、そして呪いは『コハク・アカシアが死んだ瞬間に全てを滅ぼす』という不完全な形で完成してしまった。それが今のこの世界の事情です。少し一度に色々なことを話してしまいましたが――分かりましたか?」


 つまり、ナイトメアがこの世界を手に入れる為には、コハクの兄のような大きな力を持った代償が必要だった訳であって――でもコハクが人質として間に挟まれたことによって、この世界はコハクの死により滅びることになってしまった、と。


 ――悲しすぎる。だって、この世界が滅びる程の引力は、元はといえばコハクの兄にあったんだ。それをまんまと利用されて、彼は居なくなってしまった。

 心優しいコハクは、何度自分を恨んだことだろう。兄の尊い命が、自分を守って失われた時の彼の悲しみは、痛みは、きっとコハク本人にだって分からないだろう。

 でも、どうして。


「どうして、ナイトメアはそんなことをするの……?ナイトメアって一体何なの?」


「それは――僕達にも詳細がまだよく分かっていないんです。それを見つけていくのも、僕達の役目でもあります。ただ一つ分かるのは――ナイトメアは生身の体を持っていない、概念のようなもの」


 概念――。

 更にややこしくなり頭がこんがらがってきた私を見かねてか、不意に龍乃助が、


「この事情を知っている数少ない人間から、コハクが何て呼ばれてると思う?」


 がらっと変わった話題に頭が追いつかず、私は首を傾げると、


「純白の爆弾」


 コハクが、自嘲するように自らその異名を口にした。


 純白の爆弾――。その言葉は酷くコハクに相応しく、そして彼を縛り付けている気がした。


「そう、なんだ……。えっと――話を戻すけど、その契約を守ってもらえるって確信は出来るの?」


 戸惑いぎこちない反応しか出来ず、先程感じた疑問を投げかけた。

 ナイトメアがそんなに残酷な悪魔なら、正直契約を守ってもらえるとは考えにくいのではないだろうか。


「例え悪魔が相手でも、契約は契約。コハクが言っただろ?主様は完璧だった。一概に強いって言葉だけでは表せないぐらいに。だからその主様が命を落としてまで結んだ契約は、それこそ呪いのような形でナイトメアに絡みついて離れない。そういうもんなんだよ」


「なるほどね。でもそれだけじゃ、まだ私が召喚された理由が分からないよ」


 私が一番聞きたかったことであり、一番不安だったこと。

 確かにナイトメアについてもコハクの兄についても、多少は理解出来たと言っていい。しかし、私がいることで、この状況がどう変わるというのだろう。こんな『ただの人間』がいることで。


「あなたは逸材なんです。風の精霊の加護は、あなたがいた世界では何の力も持たなかったかもしれませんが、それを受ける者がまだ存在していたというだけで、どんなに僕達が心を救われたことか」


 魂が抜けたように生気を失くしていたコハクだったが、彼は意を決したように私と目を合わせ、長い指で私の両手を包み込んだ。


「麒麟、霊亀、応竜、鳳凰――彼らは、兄さんが心を通わせた霊獣です。『この四霊獣を操る者達が、この世界の救世主となる』――これが、兄さんが死ぬ間際に僕にくれた最後の言葉です」


「鳳凰――ユキは、私にとってどういう存在なのかな」


 少し俯き胸に手を当てて、ユキと出会った時のことを思い出しながら、私は訊ねた。

 動物に好かれない私に触れた、あの柔らかな雪色の毛。今だから分かる、強引にユキと私を接触させた紬の必死さ。

 コハクの兄が遺した言葉通りに、私は動けるのだろうか。皆の望みに応えられるのだろうか。


 鳳凰は――と、コハクは言う。


「鳳凰は、風に乗って現れます。あなたの必要な時に、必ず。ユキは目に見えなくても、いつだってあなたの側にいるのですよ」


「よく分からないよ」


「霊獣というのは本来違う次元にいて、僕らの目に映ることはない。それを、人の生命エネルギーを使って実体化させたり、『化身』という、比較的省エネな姿で側にいてもらうこともできます」


「そうそう!化身の姿ってのは便利でさー、俺らが認識しやすいように人の形になってくれるぜ。そりゃ実体化して霊獣の姿でいる時より随分と弱小化するみたいだけど」


 コハクの説明と龍乃助の補足を聞いても尚、いまいちピンとこない私だったが、コハクはそんな私の頬にそっと触れ、顔を自分の方に向かせた。


「あなたが必要なんです。僕はこの世界を――兄さんが愛した世界を守りたい。己の命が尽きる前に、ナイトメアを調べ上げて、超越して、そして倒したい。自分勝手なことをお願いしてるって、分かっています。でも、守りたいんです。あなたのためなら何だってします。だから、どうか――」


 だって。だって私は今まで普通の女子高生で。何もすごいことなんてしたことなくて。面倒事から逃げてきて。

 世界を救うなんて、出来る訳がない。無理だ。私には、無理だ。


 ――なのに、なんでだろう。


「私ね、いつかコハクの本当の笑顔が見たい」


 初めてコハクに会った時も、コハクが仲間の為に形相を変えて戦っていた時も、私は心のどこかで「綺麗だな」なんて間抜けなことを考えていた。


 一目惚れ、なのかな。


 コハクがたまに見せる笑顔が好きだ。皆を安心させるような柔らかな笑顔も、皆を微笑まし気に見て無意識に浮かぶ笑顔も、意外とちょっとしたことですぐ見せてくれる無邪気な笑顔も。

 でも、どこか消えないんだ。悍ましいような畏怖が、いつだって彼にこびりついているんだ。


 未だに何を言われているのか分からないといった風にぽかんとしているコハクと、そんな様子をどこか可笑しそうに見守る龍乃助。


「だからどうか、この世界を守り切った時には――その時には本心で、笑ってよね」


「そんなので……良いんですか?」


「良いんです!私、誰かに必要とされることなんて初めてで、正直嬉しかったんだ。だからちょっと舞い上がっちゃってるところはあるってのは認めるけど……。でも絶対、途中で試合放棄したりはしないって約束するから」


 ああもう。私、完全にどうにかしちゃってるよ。

 コハクが笑ってくれるのなら、何でもしたいと思ってしまった。でもこれはきっと、いや確実に、単なる勢い任せではない。自分の生き方を賭けた一種の決断だ。


「どうしてですか――?どうしてですか、春来。どうして貴女はそんなに真っ直ぐに受け入れてくれるのですか。どうして何も反対しないのですか。だって、僕は本当に無理なお願いを――」


「そんなの私にだって分かんない。でも一つ確かなのは、あなたが私に、この世界を守りたいって、ここにいても良いかなって、思わせてくれたこと」


 まだ信じられないといった様子で目を見開いているコハクに、これだけは忘れないで欲しいという願いを込めて、私は本心を出来るだけ丁寧に、心を込めて彼に贈った。


「じゃあ改めて、さ。コハク」


 龍乃助がそう言うと、コハクは私に向かって手を差し出した。


「春来、これは契約を求めるという形であなたに委ねます。僕と――僕達と一緒に、世界を救って下さい」


 コハクは今まで言葉に表せないほど悩んで、辛い思いをしてきたのだろう。


 縋ったって良い。頼ったって良い。たまには強がったって良い。――そう胸を張ってあなたに言えるように、私も頑張るから。

 私達は絶対、ナイトメアなんかにあなたを殺させたりはしない。


「仰せのままに。コハク・アカシア」


 私は迷わずにその手を取った。

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