第一章22 水も滴る……?
「えーっと、とりあえずここまでの密度が高すぎる出来事を整理しなきゃ」
夕食と入浴を済ませ、贈り物の可愛らしいネグリジェを身に纏った私は、自分に与えられたこの広い部屋で、一人ぐるぐる歩き回っていた。
ちなみにネグリジェの贈り主は紬である。結局私は、あの後すぐに龍乃助とキャタを連れて来てくれたコハクのお陰で、あの感じの悪い方の執事と二人きりで食事をしなくて済んだ訳なのだが、それから少し遅れてやって来た紬(やけに晴れ晴れとした表情をしていた)に、夕食後にプレゼントとしてこれを貰ったのだ。
そういえばこの世界では、まだあの灰色ワンピースしか外着が無いことだし、明日こそ何か衣装を新調出来ないものかなぁ。
「まず私は普通に学校に行ってて……そんでりゅうのと鏡に飛び込んで、こんなところに来てしまったと。そしたらKOYUKI似の少年に会ったり、突然世界がどうとか言われたり、目の前で魔法を使われたり、ねえ……」
ああ駄目だ。口にすればするほど、駄目。纏めたところで非現実的すぎる。
家に帰って真樹に説明したところで、変な夢を見たと思われるか、それか酷ければ頭の心配をされるだけだろう。寧ろ夢だったなら、どんなに良かったことだろうか。とは言っても、この世界が夢だと考えたところでどうにもならないし、夢オチだって認識も一応捨てたってことになってるし。
いや、私は大事なことを忘れていた。忘れていたというよりは、次から次へと私を襲う出来事のせいで、色々重要なことを考えられなくなっていた。
「私がこの世界に来た目的って、七葉を助ける為だよね!?」
そうだ。私は異変を訴える親友、七葉を助けたい一心で、龍乃助の馬鹿みたいな説明を無理矢理信じ、こんなところまで来てしまったのだ。
『誰かが……誰かが私を呼んでいるの』
七葉の苦しそうな声を思い出す。結局あれは何だったのだろう。
けれども龍乃助に言わせてみれば、私がこの世界に召喚された時点で七葉は解放されたとかなんだとか。
結局この世界に来てから龍乃助と二人になる機会も無ければ、事が慌ただしく起き続けたせいで、そのことについての謎は放置したままだった。当然だが、それに関して頼れるのは龍乃助しかいない。
龍乃助は今、自室にいるはずだ。それなら、他の人達に話を聞かれる心配もないだろう。
私は本能のままに、何も考えずに部屋を飛び出した。が、しかし。
「うっわ……廊下長過ぎるよ」
この豪邸の中には、とにかく沢山の扉が並んでいる。その一つ一つに手の混んだ模様が彫られているのだが、私の部屋の扉はその中でもずば抜けて特徴的なので、どうにか自分の部屋は覚えることが出来た。
しかし他のメンバーの部屋の場所など知らされてもおらず、勢いに任せて部屋を出たのは良いものの、流石に龍乃助の部屋の場所については、誰かに聞くしか無さそうだ。
「さっきの大広間なら、まだ残ってる人もいるかもしれないな……」
私は鈍足なりに勢いを込めて走り出し、大広間へ向かった。
ーーはずだった。
「滑稽な走り方でそんなに急いで、どうしたんですか。ニンゲンさん」
……。見なかったことにしよう。そして聞かなかったことにしよう。
さて、私は大広間へ向かわなければ。龍乃助と話をしなければ。
「無視ですか。虫は無視ですか、ニンゲンさん」
「ねえ、君って化物じゃなかったっけ?」
ああもう!スルーすれば良かったところを、思わず突っ込んでしまった。こんなところでこいつに会うなんて、私ったら本当ついてないッ!
見た目も中身も黒い、感じの悪い方の執事ーーレキは、私を見下ろしてくすくすと笑っていた。
「ニンゲンさんにとっては、バケモノも虫も同じでしょう」
「馬鹿言わないでよ。夏に子供が化物を捕りに行くか?人が化物を見つけて手でパンってやるか?」
ジェスチャー付きで訴える私を見てくすくす笑っているレキは、髪の毛から水が滴り落ちていて、首にタオルを掛けている。どうやら風呂上がりのようだ。
こうやって見ると、彼が随分普通の青年に思えてくる。少し口と態度が悪い、ごく普通の青年。一体、自分に化物の要素がどこにあると思っているのだろう、この男は。
「今、あなたは俺のことをこう思いましたね。水も滴る良い男だと」
「いや確かに、水が滴っているなぁ……とは思ったけど、そこまでは思ってないから。それにしても、お風呂上がりまでその服装なんだね」
レキは先程と同じ黒いスーツを着て、白い手袋をはめていた。
彼はなぜ、お世辞にも動きやすそうとは言えないスーツを着続けているのだろう。仮に衣装がそれしか無いのだとしても、せめて手袋ぐらい外せばいいのに。
「俺は、朝でも夜でも風呂上がりでも、アカシア家の執事ですから」
さっきまでのレキを見る限りでは、彼がそんな意識の高い台詞を、ドヤ顔で言う資格がある人物だとは、どうしても思えないのだけれど。
ところで、この自称アカシア家の執事なら、龍乃助の部屋を知っているのではないだろうか。
「さっきレキは私に、どうしたんですかと聞いたよね?その質問に応えましょう。私は絶賛、泉川龍乃助の部屋を捜索中なのだ!」
「へえ、ああ、キリンさんですか」
キリンさん?ああ、確かに龍乃助はキリンみたいなスカーフを巻いていたけど。
「さあ、私はレキの質問に応えたんだから、今度は私がレキに質問をする番だね」
あまりにもそのまんますぎる龍乃助のあだ名は置いておいて、私は半ば強引に話を進め、
「ねえ、りゅうのの部屋ってどこ?」
レキは私の言葉を聞くなり、やれやれと首を振った。
「回りくどい言い方をせずに、正直に言えば良いでしょう。レキ様、無知と無知でムチムチな私に、どうかキリン様の居場所を教えて下さい……ってね」
「この世界においては無知であると認めるけど、ムチムチは違う!ちょっと自慢するけど、私の体にムチムチである部位は存在しなーい!」
私の体は、大袈裟に言えば、筋肉も無ければ脂肪も無い。大抵の女子は脂肪が少ないということに関しては羨ましがるのだ。
胸を張れるが、胸は無い。あれれ、ちょっと悲しくなってきた!
「まあ落ち着いて下さい、ニンゲンさん。この親切な執事である俺が、キリンさんの居場所を教えて差し上げましょう」
態とらしく濡れた髪をかき上げる彼を見たところで何の色気も感じないが、とりあえず龍乃助のところへ連れて行ってくれるらしい。
「やったあ!さっすがレキ様!」
「……あなたにはプライドというものが無いのですか」




