第一章21 二人の執事に異常アリ
「あ、新入りさんだよね?」
あれから廊下に出たはいいものの、どこに行けばいいのか分からず、ふらふらしていた私は、偶然歩いていた執事らしき装いの青年に声を掛けられた。
まず印象的だったのは、藤色の髪の毛と黒縁の眼鏡。だがよく見ると両耳に三箇所ずつほどピアスをしており、眼鏡をかけることで得られる真面目そうな印象を絶妙に中和している。
優しく細められた瞳や感じのよさそうな表情からして、この人の方がミシュアよりかなり好印象だ。
「ど、どうも初めまして。六月春来です」
「ムツキ・シュンライ……変わった名前だね。ムツキさん、初めまして。執事兼調理人のシノム・サフェランでーす!気軽にシノムって呼んでね!」
私が若干噛みながら挨拶すると、彼はサラサラの髪を揺らして、軽く会釈した。
な、なんと……!ミシュアとは大違い。突然現れた好青年な使用人に、私、感動して涙が溢れそうです。
「丁度良かった。今、食事を用意して来たところなんだよ。冷めないうちに、たーんとお食べ!」
「それが、えっと、どこに行けばいいのか分からなくて」
「え!コハク様ったら、大広間の場所すら教えてくれてないの?」
「あ、いや、違うんです。私を案内したのはコハクじゃなくて……ミシュアという、異様にコハクを好いている、なんだかよく分からないツンデレ少女なんですけど」
すると彼はそれだけで全てを察したかのように頷き、
「あー、分かるよ。ミシュアって、コハク様のことは大好きだけど、女の子嫌いだもんね。僕と同じで」
――今なんて?私の聞き間違いかな?「ボクトオナジデ」って一体なんのことだろう。
「そうだ、君も女の子だった!」
パンと両手を合わせて、黒に縁取られた透明なレンズ越しに、深紫色の瞳をキラキラさせるシノム。
「じゃあ、これから一つの屋根の下で生活する上で、知ってもらわなきゃいけないね。僕、女の子だーい嫌いっ!なんだよね!」
語尾にハートマークでも着くのではないかと思うほど喜々としながら、突然そんなことを告白されて、「はい。そうですか」と返せるほど柔軟且つ冷静な私ではない。
頭を思い切り殴られたような衝撃が走るが、それでも私の脳は仕事を全うしようと、グルグルと必死に今の状況を整理する。
「君も女の子だった」足すことの「女の子だーい嫌い」イコール……私、初対面の人にいきなり大嫌い宣言されたってこと!?
「でもさ、春来ちゃん。そりゃあ、僕だって好きな人には良い自分を見てもらいたいよ。大好きなコハク様には、ね。でも、大嫌いでどう思われようが知ったことのない相手には、本当の自分を見せられると思わない?という訳で、君も僕のストレス吐き出す為の道具になら、してあげるからね!だから安心して?」
返す言葉もございません。
言わせてもらう。最ッ低だ!最低最悪!こいつ、好青年の皮を被った非人道野郎だった!逃げろ春来!今ならまだ間に合う!
「ちょー!何、逃亡を図ろうとしてる訳?逃がさないよ?」
今まで生きてきた中でこんなに恐ろしい「逃さないよ」など、聞いたことがあっただろうか。
くるりと背中を向け逃亡を図った私だが、哀しきかな、ものの見事に追い越され、非人道野郎に真正面に立たれてしまった。
まったくもう、この屋敷は一体どうなっているのでしょう。ロクな使用人がいないじゃないか!
叫ぶ暇もなく腕をがっしり掴まれ、そして押し倒された。
まさか、こんなところで人生最大の危機に遭遇するとは。一分前の安心感に包まれていた自分自身を、思い切り殴りたい。もしくは、そもそもこの世界に来てしまう決断をした時の私を絞め殺したい。
「な、な、何なんですか。私、犯されるんですか?」
「はぁー?何言ってんの、この女。僕が犯してなんてあげる訳ないでしょ?ばぁーか」
シノムは文字通り上から目線で、眼鏡の奥から覗く瞳をギラギラ光らせて私を見下ろすのだった。
なんということだ!なんて日だ!こいつにだけは馬鹿と言われたくなかった。もう私、お嫁に行けない!
「春来ちゃん。僕達ってさ、これから同じ屋敷で、同じ屋根の下で生活を共にするんでしょ?なら知って。僕のこと、よく知ってよ。教えてあげるから……君の回らない脳で精一杯咀嚼して、呑み込んでよ。ねえ」
「あーもう、本当に何なの!私、別にあんたのことなんか知りたくもないやい!この悪趣味!」
シノムは何をそんなに怒られているのか、ちっとも分かっていないといった風に首を傾げ、
「なんだかよく分からないけど……僕の趣味を否定するのだけは違うよ、春来ちゃん。僕が好きなのはね、禁断の果実なんだ。甘美な毒は、触れたくてめちゃくちゃにしたくて僕を狂わせるけれど、僕の本心は決してそれを望まない。だって彼は、きっとすぐに壊れてしまうからね……嗚呼、切ない!」
「なんか詩的なこと言ってるけど、コハクに変なことしたら、私も含めてここの皆が許さないよ。あと、いい加減にもう私行くので!」
一喝と同時に、私は目の前で恍惚とした表情を浮かべるその顔面に、思い切り頭突きをかましてやった。
油断していたシノムはそれを食らった痛みに蹲り、私を押さえつけていた握力は緩んだ。その一瞬の隙を見て、私は自分史上最速(50メートル走で言うなら10秒ぐらい)のスピードで、とにかくシノムから少しでも遠いところへと逃走したのだった。
嗚呼、まったくもう。ミシュア、残念ながら完全なるターゲットミスだよ。この男こそが、コハクの最大の天敵だよ!
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「うわぁぁん!紬ー!怖かったよぉ!」
「ど、どしたの?しゅんちゃん。もうてっきり、夕飯でも食べてるもんだと思ってたよ」
私は、一体いつあの変態が追っかけてくるのかという恐怖に慄きながら手当たり次第に走り回り、やっとのことで、大広間に向かう途中の救世主に巡り合うことが出来たのだった。
先程起きたことを半泣きでそのまま伝えると、紬の表情はみるみるうちに険しくなっていき、信じられないといった様子で怒りを露わにした。
「あいつがどうしようもない奴だってことは理解していたけど、流石に大事な新入りを怖がらせたとなると許せないわね。ーーあー、ちょっと私用事が出来ちゃったなぁ。それも、今すぐ片さなきゃいけない用事が。しゅんちゃん、先にご飯食べててね。この先真っ直ぐ行けば大広間だから」
かなりご立腹の様子だった紬は、コロリと表情を変えると私に向かってウインクをし、スキップで去って行ったのだった。
ところでその用事って……。まあ、詮索はしないでおこう。そしてシノム、ざまあみろ。
今の私がすべき最優先のことは、夕飯を食べること。紬には悪いが、先に頂くとしよう。
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大広間に着くと、私の癒しであるコハクが出迎えてくれた。
まったく、ここに辿り着くまで長かった。言うまでもないが、どれもこれもここの異常な住民達のせいだ。
ところで、ぱっと見た感じだとコハクしかいないみたいだけれど、龍乃助やキャタはまだ来てないのだろうか。
「ほら、遠慮せず座って下さい。春来」
言われるがまま席について、目の前の光景に蓄積した疲労が吹き飛ばされる。果たして私は、落ち着いて食事を出来るのだろうか。
テレビでしか見たことの無いような、西洋風の大広間。長い机にはシックな赤色のテーブルクロスが敷かれ、それを囲う椅子は座るのを躊躇う程高級感に包まれている。
そして何よりーー。
「あわわわわ……美味しそう!」
なんともまあ、魅惑的な料理達。野菜なのか木の実なのか分からないものから、唐揚げのようなものまで、まあとにかく色々な食べ物が並んでいる訳だ。そしてそれら全てがキラキラと輝き、私を誘っている。
食べたい……今すぐにでもかぶりつきたい!だって、今日はまるで4コマ漫画を一気読みしたみたいに、色々なことが次から次へと起きて疲れたんだもん!
でもその前に私には、どうしても確認しておかなければいけないことがあるのです。
「この料理、本当にあのシノムが作ったの?」
輝きを放っていた自らの瞳は、一転して訝しげに料理達に視線を注ぐ。何か変なもん入ってんじゃないでしょうね。
「あ、早速シノムに会ったのですね!そうですよ。シノムの作る料理はすごく美味しいんです!」
コハクはどこか得意気に頷くと「皆を呼んで来ますので、お二人は先に食べてても良いですよ」とだけ言い残し、去っていった。
うん、おかしい。とてもおかしい。なんでコハク、そんなに普通にしていられるの?
コハク、私は胸が痛いよ。真実を知らないで、ああも嬉しそうな顔をして。おいたわしや、コハク。必ず!必ず!魔の手から守って差し上げますから!
「そういえば今コハク、お二人って……言った?」
哀れなコハクを悪から守ろうと誓ったところで、私はワンテンポ遅れて、彼の言葉の違和感に気付いたのだった。
「さっさと食べればどうですか」
聞き覚えの無い無愛想な声が後ろから響き、体に電撃が走ったように分かりやすく飛び跳ね驚愕する。
「どうも、バケモノです」
振り向くと、一人の青年が長椅子に寝そべってこちらを見上げていた。
一体全体、今度はどんな奇天烈な生命体の対応をしなければいけないのかと覚悟したものだがーー全然、人でした。
なんだ、この人。 突然話しかけてきたと思ったら、自分のことを化け物だなんて言う。それにしても彼、服装に対して言動や行動が不適合にも程がある。
どういうことかというと……黒い髪に黒い瞳を持つその青年は、白い手袋をはめどこか堅苦しい黒いスーツを着ていながら、だらりと長い足を放りなげてゴロゴロと長椅子で転がっているのだ。
この態度じゃあ、どこの会社のサラリーマンにもなれそうにない。面接全落ちだ。
「あなたも名前くらい名乗っては如何ですか。俺はちゃんと自己紹介しましたよ」
いや、どう考えてもしてないよね?という言葉は、なんだかもう色々と面倒くさいから置いておいて。
とりあえず彼の真似をして、「どうも、人間です」と答えておいた。
「それで、本当の名前は何ていうの?バケモノさん。料理が冷めちゃうから早めに教えて」
「ここの人達には、レキと呼ばれていますが」
「なら最初からそう言いなよ……。まあいいや、私は六月春来。レキさん、とりあえずまあ、よろしくね!」
「あの……決して認めたくはありませんけど、一応あなたの方が立場上なんですよね。さん付けとか気持ち悪いので、レキと呼んで下さい。あなたは主達と一緒に戦ったり色々面倒なことをしますが、俺はただの執事なんで」
彼の言葉に私は雷に打たれたような衝撃を覚えた。
執事だって?こんなやる気なくて感じ悪いやつも、この豪邸の執事だって?薄々ーーというより大分勘付いてはいたけれど、この家にまともな執事は存在しない訳?
「ほら、料理が冷めてしまいますよ?」
唖然と立ち尽くしているだけの私を見て、厭らしい微笑を浮かべながら、レキはそう言うのだった。




