第一章20 氷結少女
はあ……泣きそうです。
美少年に部屋を案内してもらうのを邪魔された挙句、よく分からないメイドさんに睨まれながら歩くなんて。私ったら本当ついてないッ!
「ねえ」
もういっそ夢だと思って、何があっても呑気に生きてみればいいのだろうか。いやしかし、これが夢じゃないことなんてとっくに分かってしまっている訳で。頬を抓っても目は覚めませんでしたし。
これから何が起こるんだろう。異世界に来て一日も経たないうちに、現にもうこの目でひと悶着見届けている訳だし――見届けるどころか、なんなら参加もしたんだったっけ。
「ねえ。無視するとか、ない」
「お、おっと!ごめんなさいね、考え事をしてて。無視した訳じゃなくてですね」
距離感が掴めなくて、よく分からない喋り方になってしまった。
今現在、私達は、これから私の部屋となる予定の部屋に向かっている。ミシュアによると、私の部屋はこの豪邸の入口から大分離れているそうだ。つまりこの、私のことを明らかによく思っていない少女と、暫く並んで歩かなければならないというのが現状だ。
「あんた、アルジの何なの?」
ミシュアは、それが一番聞きたかったというように、事の真相に迫るかのように、そう言った。
警戒するかのような、敵意剥き出しの視線が私の身体を――心臓を、射抜く。彼女が、先程コハクに天使の様な笑顔を向けていた少女と同一人物だなんて、恐怖で鼓動が速まってしまう。
「えーっと、コハクさんとは今日会ったばかりでしてね。ただ一緒にお茶をして、ちょっとだけ一緒に戦っただけというかですね。そういうあなたはメイドさんか何かなの……でしょうか?」
「はっ!見れば分かるでしょ。じゃなくて、ミシュの質問にちゃんと答えて!」
怒らせてしまった。年下に敬語は逆効果だったみたいだ。ここは、この先この娘に舐められないようにすることも考えて、方向転換。別方向からのアプローチ。年上っぽくいこう。
「まあまあ落ち着きなさい。と、その前に……そのミシュって呼び方可愛いね。ぜひ私にも呼ばせて。そしてこれから私のことは、お姉ちゃんって呼んでいいからね!」
「全力で却下」
片手を上げてただ真顔で、虚無を全面に出したかのような表情で、ミシュアは否定を私に叩きつけた。なんだその空洞のような瞳は。
全力さの欠片も感じられないね――という、私のツッコミをガン無視して、もうこれ以上こいつに付き合っている方が面倒だと思ったのだろう――ミシュアはまるで何事も無かったかのように歩き始めた。
気まずい無言の時間が流れ、足音だけが反響して耳に返ってくる。すると、この無言空間に耐えられなくなった訳ではない――あくまでもミシュアの意思で、気まぐれで、
「そろそろふざけるのやめて。ミシュの質問に答えて」
若干声のトーンを低くして、ミシュアは再び敵意をチラつかせてきた。
だからもう私は、彼女と少しでも仲良くなろうとか、コハクの思いに応えようとか、そういうのはきっぱり諦めて、
「だから本当に、まだ知り合ったばかりだって。まだ関係とかそういうのを答えるのは難しいよ」
溜め息混じりにそう答えると、ミシュアは素っ気なく「あっそ」と言った。
「まあいい。アルジに変なことしたら……ミシュ、あんたのことしばくから」
その可愛い顔で怖いこと言うの辞めてもらっていいですかね、ミシュアさん。そして私、もう取り返しのつかないほど嫌われている気がする。取り返すも何も、この娘にここまで嫌悪されるようなことをした覚えは、これっぽっちも無いのだけれど。
と、隣を歩いていた足音がぴたりと、ある部屋の前で止まった。
「ここ、あんたの部屋」
彼女の細い指が、嫋かな動きで金色のドアノブを掴む。扉が開かれた瞬間、その華やかな空気に息を呑んだ。
落ち着かないくらい広い空間、テレビでしか見たことのないような大きく煌びやかなシャンデリア、そして様々な装飾がなされた純白のベッド。その全てが、私にとって新鮮で堪らないものだった。
「ここで暮らしていいの……?」
私は思わず気の抜けた声を出す。
しかしミシュアは急に固まり、ぼんやりとした瞳で部屋を見つめているだけだった。その光景になんだか少し恐怖を感じた私は、思わず彼女の肩を揺すった。
「ねえってば、ミシュア」
彼女は、はっとしたように我に返ると、初めて見せる表情で――寂しそうに、恋しそうに、そしてそんな自分が情けないという風に笑った。
「ここは――この部屋は、あの人が使っていた場所」
そう聞いて思い当たるのは、たった一人しかいない。面識すらもない、その一人しか。
「大切な人なの。ミシュの、皆の、大切で大切で、会いたくて会いたくて、仕方がない人なの」
どこか悔しそうに、ぎゅっとエプロンドレスを握り締めて、心の内を見せ始めたミシュア。
私は彼女に抵抗されるだろうとかも構わず、気付いたらそんな少女の頭を撫でていたた。
「そっか、分かった。私、コハクに頼んで、他の部屋を使わせて貰うことにする」
例え初対面の、それも嫌われている少女に対してであっても、これぐらいの配慮もできない私ではない。
しかしミシュアは驚いた表情をすると、急に頭を撫でられたことも含め、まるで「なんだこいつ」というような笑みを浮かべ、
「あんたがそんなこと言ったら、ミシュがワガママだからって、アルジにも、もう一人のアルジにも怒られちゃうでしょ」
でも、この「なんだこいつ」は軽蔑ではなく、少しだけ、ほんの少しだけ、「別にそんなに遠ざからなくったって良いけど」という、あくまでも無愛想な風を吹かせていることを、私は感じ取った。
「ミシュは確かに思った。あの方が使っていた部屋なのに、なんでこんな余所者に渡さなきゃいけないのって」
やっぱり、思ってたんじゃないか。
「でも、誰よりもあの人を慕っているアルジが、なんであんたにこの部屋を渡したのか考えてみた。ミシュなりに、二つ思いついた」
もしかしてあの無言の時間に、ミシュアはそんなことを思慮深く考えていたのだろうか。
「一つ目は、アルジなりの歓迎の証。ミシュは全くあんたのことなんか歓迎していないけど」
「余計な一言をつけないの!」
「うるさい。二つ目のほうが大事。この部屋の元持ち主――つまりもう一人のアルジが、あんたのこと守ってくれると思ったんじゃない。そうでもしないと、あんたが頼りなさすぎて、アルジは夜も眠りにつけないってわけ」
「だから、余計な毒を吐かない!」
私の言うことを聞く訳もなく「まあ、ただのアルジの気休めってこと」と、ミシュアは付け加えた。
「それじゃあ私は、予定通りこの部屋を使っても良いってことだね?」
「ご自由に」
ぶっきらぼうにそう言われても何とも思わない耐性が、免疫が、そろそろ私にも付いてきた。
「あんたに謝罪したりはしたくない。でもまあ、多少は不甲斐なかったと思ってる。――こんな阿呆そうなあんたに、変な気遣わせたわけだし」
まったく、尽く余計な一言が多い。これは永遠に口を酸っぱくして注意し続けても、治りそうにない。寧ろ注意したらした分だけ、喜んで悪態を続けそうな気がする。
「それじゃミシュ、戻るから」
「え、あ、おん」
なんだこの返事は。
「くれぐれもアルジに告げ口しないで」
彼女は扉を開けて廊下に踏み出すと一旦立ち止まり、「もし、したら……全力でしばく」とだけ言い放ち、そそくさと出ていこうとして、
「ミシュア」
散々毒を浴びせた相手に呼び止められた彼女は、意外そうに振り向いた。
「ミシュアは主様のこと、もう一人の主って言うんだね」
「当たり前。バーカ」
ちょっと照れたようなその横顔を見てやったので、バタンと扉が閉められた後に私はつい笑ってしまった。




