第一章16 力になりたい
六月春来の兄は、六月真樹である。これは六月春来にとって、当たり前より当たり前な真実である。
身長は、幼い頃に家の柱に線を引いた高さをとうに越して、海外にいるお父さんくらい。趣味はゲームで、得意料理は卵料理。勉強はそこそこ出来るが、働くのは嫌い。
何を考えているのか分からなくて、けれど妹の私だけにはなんとなく分かる、兄の『パターン』みたいなものがあって。あまり似ていない兄妹だけど、それだけはなんだか兄妹だねって言える、ありふれた特別のようなもの。
そんな真樹が突然死んだら、それも他人の手にかけられて死んだら、私はその相手を殺さない程度の理性を保つことは出来るのだろうか。そして、それは当然にコハクも同じな訳で――。
「なあ、しゅん」
はっとして視線を声のした方へ移すと、龍乃助が心配そうにこちらを見つめていた。
「見なくて良いんだよ。初めて会って、まだ何にも分からないのに急にこんなことになって。コハクのことまだ何も知らないしゅんには、残酷すぎる――」
「だ、大丈夫!」
私は乱暴に顔を上げ、龍乃助と目を合わせた。龍乃助は私の予想外の行動に、驚いた表情を浮かべる。
「それに、何も知らないわけじゃないよ。彼は優しくしてくれた。コハクは美しくて、脆くて繊細で、でも心に何か強いものを宿しているってことくらいは、馬鹿な私にも分かるよ」
龍乃助は黙って私の言葉に頷いた。
確かに、この状況も、コハクの過去も皆の過去も、残酷だ。あまりにも悲痛だ。目を逸らしてしまいたい。でも――。
「そりゃあ私だって、こんな怖くて意味分かんない世界にいるの嫌だよ。今すぐにでも帰りたいぐらいだよ。でも、なんでかな、今ここで起きてる全てから逃げることの方が、もっと嫌なんだ。――それに私にも、兄がいるしね」
自分でも驚くぐらいに自分らしくない言葉を言ったものだ。
人付き合いなんて、何となく上手くやれば良いと思っていて、嫌われないように喧嘩しないように、面倒くさいことを避けながら生きてきた私。
でも、私はもう気付いてしまったらしい。
この戦いに決着が着いたその瞬間に、私は帰りたいと泣き喚くかもしれない。
これは、どうしようもなく矛盾していて、皆には失礼極まりない言葉なのかもしれない。でも――。
ああ、そっか。今は――せめて、今この瞬間だけでも、私はこの人達の仲間になりたいんだ。何もできないのに。足手まといなのに。力になりたくて堪らないんだ。
私は初めて、なりたいと思った。今まで自分から狭めてしまった小さな世界じゃどうしても見つけられなかった、一生を捧げても巡り会えないかもしれない、本当の『仲間』というやつに。
「そっか。流石だよ、しゅん」
龍乃助は、嘲笑することもなく、呆れることもなく、当たり前のようにその言葉を受け入れてくれた。
「だったら春来、キャタ達と一緒にコハクの手助けをする準備は出来ているな?」
「でもキャタ、さっき助けられないって――」
言いかけたその時、巨大な爆発音が響いた。
崖の小石がカラカラと音を立てて落ち、大きな岩石も粉々に崩れる。地震のように大きな揺れが続き、私は地面に叩きつけられた。
「いったぁ!」
訳が分からなくて、打ち付けた腰を摩るしか出来ない。
「キャタの予想、またもや的中。春来、キャタがさっき言ったのは、ゲオルのことだけだ。コハクの手で決着を着けなければいけないのは、ゲオルのことだけ。とにかく二人共、出番だ。いくぞ!」
「――なるほどな。予想とかいいから、先に言ってくれよ。あ、しゅん、俺のこれ渡しとく。危なくなったら使って」
キャタの言うことがよく分からない私だったが、龍乃助はどうやら分かっているようだ。
龍乃助に手渡されたのは、彼が腰に装備していた三本の剣のうちの一つ。太陽の様な模様が大きく描かれていて、ずしりとした重みが腕全体に伝わる。こんな状況下で述べる感想ではないかもしれないが、シンプルにかっこよかった。
「これで私も戦えるの?」
「そう。遠く離れたところからでも、ブンって相手に向かって振れば、その振り加減に合わせて重力魔法が使える。んじゃ、二人共ちゃんと掴まって。飛ぶぞ!」
私は龍乃助の体に腕を回し、キャタも私の腰に掴まる。
すると有り得ないことに龍乃助は、魔法も道具も使わず、崖から身を投げ出した。勿論、私達も一緒に。
「ちょっと、なにやって、ぎゃああああああっ!」
思わずけたたましい絶叫を上げたが、その声は本日二回目の爆発音によってかき消された。
急落下する感覚は一瞬で終わり、龍乃助は綺麗に着地していた。
「りゅうの!何やってんの馬鹿!」
「大丈夫。足だけは頑丈だから!こんなところで告白するのもアレだけど……実は俺、麒麟って霊獣に契約という形で取り憑かれてるお陰で、脚力だけは相当自信あるんだぜ」
ちなみに紬のペアは応龍な、と付け加える龍乃助。
なるほど、それでキリンスカーフをねぇ……。異常に足が速かったのも、蹴りが半端なく強かったのもそのお陰?――って本当に、こんなところで告白するのもアレだよ。しかも、紬のとこの霊獣までとばっちりを受けている。
と、突然背筋が凍るような感覚を訴えた。背後に何かがいるのを嫌でも感じる。こんなことを今まで経験したことは無いが、どうやら私にも、命の危険を察知する能力というものがあったみたいだ。
「なんか、うじゃうじゃいやがるぜ。手分けして戦おう」
「だな。キャタは影に隠れながら戦うが……二人共気を付けるんだぞ。砂煙で辺りが見えにくくなっている」
キャタの言う通り、砂煙がもくもくしてしまっていて何も見えないけれど、私のこの寒気は一体――?
「うらぁっ!」
「いっ―――!?」
脇腹に激痛が走り急速で振り返ると、ゲオルと同じ様な格好の男が、こちらに向かって拳を振りかざしていた。
あの時のゲオルの仲間だ。様子を窺って加勢しに来たんだ。やばい。戦わなきゃ!
「とは思うけど……無理ーー!」
「あ、クソ!どこ行きやがる!」
鈍足なりに最大限の力を振り絞って走ったものの、明らかに相手の方が速い。私を捕えようと伸ばした手は、宙に舞った私の長い髪の毛を掴んだ。
ああ神様。こんな目に合う運命なら、もっと身体能力を賜りたかった。私ったら本当ついてないッ!
「や、辞めて下さい!髪は女の命なんです!」
「ああ!?大人しくしないと、お前の命引き千切るぞ!俺達は、あのお方の為に使命を全うするのみだ」
「さっきから、あのお方あのお方って……何なんだかよく分かんないけど、尊敬する人なら名前くらいはっきり言ったらどうかな!」
そう喝破しながら頭を振り回して逃れようとするも、男は私の髪の毛を放す様子は無い。
「予定通り、一発殴らせてもらうとするか。気絶しちゃうけど、一瞬で終わるから我慢しろよなぁ?」
男が拳を強く握り、力を入れるのを感じた。この一撃を喰らえば、きっと一秒も経たないうちに私は気絶するだろう。
でも、私はそんなことになるつもりはない。今この状況を切り抜ける唯一の方法を、得ているからだ。
私はゆっくり剣を引き抜いた。音を立てないように、ゆっくりと。
相手は油断している。今ならきっと――、
「それは勘弁。くらえっ!」
右手で引き抜いた剣を両手に持ち替え、素振りをするように思い切り振るう。
その刹那ばかりで、男は勢いよく飛ばされていた。
相手の何処にも掠っていないのに、私が加えた力以上の力で、この剣は相手を放り投げる様に遠くへ飛ばしたのだった。
「や、やったー!」
腑抜けた声で成功を喜んでいる私の元に、するとちょうど一人敵を倒した龍乃助が駆け寄ってきた。
「やれんじゃん。重力魔法の道に進まない?」
うーむ。確かに、浮いたりふっ飛ばしたり出来るのは魔法っぽくて格好いいかも――と、すっかり己の目的も忘れるくらい考えに耽っていると、
「だーめ。しゅんちゃんは、私と一緒の召喚魔法使いになるの」
その声の主は、少し悪戯っぽく宗教勧誘ならぬ魔法勧誘をしてくる、その声の主は――紬は、巨大な生物の上に乗っていた。
その生物は、蛇の様に長く白い体に、立派な翼を生やして飛んでいた。
「えっへん。これが私の召喚魔法だよ、しゅんちゃん!」
「紬!!」
無事で良かった――!
そう言って抱きつきたい気持ちは山々なのだが、何せ彼女は翼の生えた得体の知れない生物の上にいることになるので、とてもそれが出来ない。
「お望みとあらば、こわーい悪魔とかも何でも召喚出来ちゃうの。まあ、今のとこ私の言うことを聞いてくれるのはこの子だけだから、そんなの呼んだら意味無いどころか大変なことになっちゃう訳なんだけど」
一体どうやって檻から出てきたのかを聞く隙も与えず、尚召喚魔法のことを説明し続ける紬。
先程、重力魔法のことで思考が明後日の方向に飛んでいた私が言うのもだけれど、正直この状況でうんうんと召喚魔法の話を聞けるほどお気楽でもないのだが――。
「これが、さっきりゅうのが言ってた応竜?」
「えー!りゅうのったらいつの間に。私の方から紹介したかったのに、まったくもう。じゃあ早速紹介するね、この子は応龍のシロ!白いからシロ!大事な相棒なの」
紹介し直すところも、単に白いからシロと呼んでいるところも紬らしい。それならまだ私のほうが、ネーミングセンスに富んでいるのではないかと一瞬思ったけれど、よく考えなくとも似たようなものだったので、不毛な争いはやめておこう……。
とかなんとかやりつつ、溌剌としている紬に安心したのも束の間、
「おいお前ら!ビビってるんじゃねぇ!まずはあの怪物を殺せ!」
先程の爆発と同時に上手くコハクの下から抜け出したのか、ゲオルは所々が焼けて黒くなった体を仲間に支えられながら、怒号の指示を出した。
「この乱暴者!私の相棒を殺すなんて百万年早いのよ。とは言っても今私は何も出来ないから――ええい、キャタよろしく!」
「まったく。勝手な奴だな、紬は。まあいい。では、あそこらへんに一発」
キャタは、外で魔法を使った時の様に右手を上げると、黒い塊をその手に集め、崖に向かって放出した。その光線は崖を破壊し、ゲオルの仲間四、五人の上に雪崩の様に岩石を落とした。
見てられない。あれ、絶対死んじゃってるよ。
「キャタ素敵!いーぞいーぞ!」
「喧しいぞ紬。キャタだって、こんなこと好きでやった訳じゃない。それに、早くその応竜を戻してやれ。この場所でそいつの得意な水技を使っても、キャタ達まで全滅してしまうぞ」
「あ、そっか。あのねしゅんちゃん、シロは私が閉じ込められていた檻をぶち破るために召喚したの。今からシロを戻そうと思いまーす」
なるほどなるほど、そういう理論で――とはならんでしょう、普通に考えて。
紬は応竜――シロから降り、いつの間に手にしていた長い杖を使い、地面に素早く大きな円を描いた。それは忽ち怪しげに光りだし、魔法陣に変化した。戻る時は案外あっさりしている。
「じゃあ、シロ!ありがとー!」
シロは紬の言っていることが分かるのか、大人しく魔法陣の中心に入り光と共に消えていった。
そんなシロに笑顔で「ばいばーい」と手を振る紬が、先程光のない瞳からだらだらと涙を溢していた少女と同一人物だとは、とても思えない。
「大分片付いたとは思うが、このアジトにあんなに多くの敵達が潜んでいたとはな。それにしても、龍乃助とコハクは大丈夫だろうか」
キャタのか細い声に応える様に、すぐ近くで崖が崩れる様な音が大きく響いた。
「紬、春来、ここから離れろ!」
紬と私に指示を叫びながらも、キャタは辺りを警戒する体制を取ってその場から動かない。睨むように空間を見続け、状況の認知を図っている。
「りょーかい!しゅんちゃん行くよ」
「ま、待って。キャタが危険―――」
キャタが危険だって、と。
その声が紬に届く頃には、否、届く前に―――紬は目の前から消えていた。
私を引っ張ろうと腕を掴んでいた彼女の掌の温もりは消え、代わりに目の前で骨と骨がぶつかるような音が響いた。
それだけで十分だった。自分を捉えようとしているあの男に、紬も私も殺されそうになっていることを、理解するには。
「うぅぐっ!?」
頭に酷い衝撃が走る。痛み、音、そして意識を奪われる感覚。
そっか……紬も今こうやって――。
「この俺様が、コハクに簡単にやられるとでも思ってたのか?油断し過ぎなんだよ、鳳凰使いさんよぉ!」
私は激痛に悲鳴を上げる頭を抱えながら、必死に気を保とうとして、しかしその奮励虚しく気を失った。




