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第一章15 想いは烈火の如く

 ――私達を見下ろし優しく、でも辛そうに微笑を浮かべる彼は、私の知っているコハクではなかった。


「こはく……?」


 優しく煌いていたはずの瞳は、ギラギラと鋭い光を放っている。私を安心させるように柔和な笑みをくれたあの口元は、緩く開き荒い呼吸を繰り返している。そして何より驚いたのは――彼の頬には、赤色に光る血管の様な筋が、根の様に張り巡らされたのだ。

 そんな彼は、ギリギリのところで理性を保っているというような風貌で、申し訳なさそうに私の方を見て、


「春来、ごめんなさい。こんなことになってしまって。僕にはね、守れなかった人がいるんです。だから、僕はもう誰のことも――」


 言葉が途切れると同時に、コハクは辛そうに顔を歪め、崩れるように膝を着いた。

 私は急いで駆け寄ろうとしたが、キャタがコハクの腕を掴む方が速かった。


「駄目だ!そんな大きな魔法を使って……死んでしまう可能性だってあるんだぞ!今すぐ解け!」


「キャタ、近付いちゃ駄目です。そろそろ僕は――」


「行くな!駄目なんだ、コハク!!」


 とその時、私達の気配を察知した男の声が愉快そうに鼓膜を震わせた。


「おやおやぁ?どうやら、他にも誰かいるみてぇだなー。おかしいなぁ?こんな馬鹿な娘でも見捨てずに、よう来てやるもんだねぇ。さーて、どこにいる?」


 言いながらゲオルはこちらを見上げ、即座に狂喜に満ちた笑い声を上げていた。


「お会いしたかったぜ、コハクさんよぉ!憎くて出て来ちまったか。悔しいんだもんなぁ?だって、お前の神様だったお兄様は、お前が殺したようなもんだもんなぁ?あの時、なーんにも出来なかったお前がよぉ」


 そんなわけがない。コハクが兄を心から敬愛していたこと、なぜか分かるんだ。伝わってくるんだ。想像だってできる。あの美しい聖堂で、毎日毎日手を合わせるコハクのことを。


「なんてこと言うんだよ、あいつ……」

 

 龍乃助は悔しそうに、固く拳を握り締めて怒りを抑えている。

 その通りだ。こんな酷いことを言われて、コハクは一体どんな気持ちで――。

 でも、私には何も出来ない。その背中に視線を向け、彼の心が少しでも抉られていないことを願うことぐらいしか。


「あは、あははは……」


 コハクはただ、笑っていた。悲しみも怒りも表さず、ただただ不気味なほどに笑っていた。


「何が可笑しいってんだ?とうとう狂っちゃったかぁ?」


「今更何を言うんです?狂ってしまったと言うのなら、それはもう手遅れかもしれませんね。……だって僕、貴方のことを殺そうとしているんですから」


 綺麗な顔で、綺麗な瞳で、あくまで穏やかに微笑を絶やさずに言うコハク。

 彼がその手を汚そうとしているのになぜか、私は止める気なんか微塵も起こらなかった。

 私は知っている。出会ったばかりでも知っている。コハクは狂っているんじゃないよ。どこまでも純白で痛いくらいに美しいその心に、怪物を飼っているだけだ。その怪物は手懐けるのが困難で、心にヒビが幾つも入るととうとう抑えられなくなり、理性も噛み千切って暴れ出した。ただそれだけのこと。――そんなコハクを前にして、それを止める権利なんて叫べないよ。


「善良な兄さんを侮辱するなら、悪鬼はこの手で潰させてもらう!」


 目を見開いて叫び声を上げたコハクは、大きく跳ねゲオルに向かって頭から急落下した。コハクが空中でぎゅっと目を瞑ると、その身は徐々に猛炎を纏っていく。


 しかし――。


「ぁ……ぐ……!?」


「この俺様を殺そうとしてんのは、この腕かぁ?すぐに折れちまいそうなんだが?」


 ゲオルは自身の掌が焦げ付くのも構わず、容易くコハクの腕を掴み、男の人にはあまり使わない言葉かもしれないが、まるで白魚のようなそれに思い切り伸し掛かった。本当に折れてしまいそうな程、強く。


「嫌だ……コハクを助けてよ!」


 無力な私は、龍乃助とキャタに縋り付くしかなかった。自分には何も出来ない。この世界において、もはや私の常識なんぞ通用しないのかもしれないが、常識外れなこの状況を前に、私は無力だ。無力で、非力で、まごまごと傍観者になることしか出来ない。

 今やもう世界とかどうでもよくて、ただただコハクが死んでしまうのではないかと怖かった。そして何より、これ以上、悲痛な表情を宿したコハクを見ていられなかった。


「ごめんな……これは俺達にどうこう出来るものじゃないんだ。その前に、コハクがそれを許さない」


「キャタもコハクを止めたかった。でももう止められない。助けられない。それに――キャタはあいつをなんだかんだ信じてる。だって主様の弟だぞ?」


 コハクの死はこの世界の死を意味するというのに、見守るという選択を取る二人。『なんだかんだ』とか言って、その信頼の厚さは計り知れない。

 と思うと同時に、何も出来ない自分が酷く頼りなくて憎かった。援軍にもなれないなんて。


「やっぱ……この炎は兄譲りの強さみてぇだな」


 ゲオルは自身の右手を軽く上げ、それに目をやりながらそう言った。腕を掴むという方法でコハクに触れたゲオルの指は、黒く焼け焦げている。

 炎に触れてこの程度の損傷や反応で済ませられているという異常事態は、ゲオルはやはりただの人間ではないという事実を突き付けてくる。


「――痛いじゃないですか」


 コハクは不満そうに、不服そうにそう言った。


「でもね、僕だって強くなったんですよ。あの日兄さんを見殺しにした、憎い憎い『僕』は……僕がとっくに殺しちゃいましたから!」


「あがぁっ!」

 

 コハクは相手の隙を見抜いて、身に纏った炎をゲオルの顔面に勢いよく飛ばした。

 そして今度はコハクがゲオルを足で押さえつける。飢えた獣の様な表情をしていた彼は、勝ち誇ったように笑い、すぐ下の巨体を見下ろす。


「あなたの顔を見たら、思い出してしまいますね」


 一瞬悲しそうに潤んだその瞳には理性が戻ってきていて、頬の赤い筋も薄くなってきている。

 ゲオルの力は凡人より遥かに強いということは、私にも分かる。遠距離戦にした方がコハクは有利だ。それなのにコハクは、叫換を上げながら暴れるも動けないゲオルを、近距離からただ見下ろしている。


「兄さんは、僕の目の前であなたに連れ去られました。――まあ、厳密に言えばあなたは悪くは無いかもしれませんね。あなたが――に造り出された、という運命が悪いのかもしれません。でも、僕だって人間です。あなたに恨みを持ってしまうのは、仕方がないことですよね」


 一人で納得するかのようにそう言いながら、逃げないように一層強く巨体を踏みつけるコハク。


「やめろぉぉ!離せ……離せええ……!」


「兄さんは、僕を守るために死にました。僕が兄さんを殺したようなものだ。あなたの言う通りです」


 コハクはただただゲオルに語りかけた。前髪に隠された表情は読み取れないが、声は残酷な程優しく穏やかだ。


「ぁ……ぁ……謝れば良いのかよ。がはっ……謝るから……はな、せ……」


 ゲオルは掌を返し、むせながら呻いた。先程の威勢の欠片も感じさせないほど、情けなく。


「なぜ僕ら兄弟が、こんな目に合わなければならなかったのですかね?」


 ゲオルの言葉には答えず、謝罪も求めず、コハクは顔を上げてそう訊いた。

 虚ろな瞳だ。赤い瞼に、雫を乗せて震える睫毛。そんな彼の姿は声には出せない悲嘆を叫んでいて、それでいて――酷く美しかった。


「そんなの……あのお方に造られた俺に聞くことじゃねぇだろ」


 それを聞いたコハクは、一瞬同情するかのような笑みを浮かべた。しかし次の瞬間には、泣きながら、それでも笑って笑って笑って、何度も炎をゲオルに投げつけた。

 敢えて一撃でとどめを刺そうとしないでゲオルを甚振るコハクは、言葉で表せないぐらい残酷だ。


 悲惨な状況の渦中、キャタだけは冷静にゲオルを監視し「あいつ……多分一人じゃないぞ」と、そんな言葉を零した。

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