第一章13 鈍色の誘拐
「なにこれ、葡萄ジュース?」
「ハーブティーよ。私とキャタのお気に入り!これを目当てにここに来るぐらいなの。しゅんちゃんは分かってないんだから」
優しく輝く藤色に口を付けると、ふんわりとした甘さと温かさが心地よい。異世界の飲み物というだけあって刺激的な味を想像していたので、その優しい味に少し驚く。
「では春来の望み通り、鳳凰――ユキとのペアリングについて詳しく話します」
ごくりと唾を飲み込む。
知ることによって、私はこの世界にもう一歩を踏み入れることになるのだ。
緊張を浮かべる私に向き合って、コハクは小さく息を吸い込んで口を開く。
「現在、牙である逸材の三人には、それぞれと同じ精霊の加護を受けている霊獣とのペアリングが成り立っています。例えば龍乃助なら雷の精霊。龍乃助のペアリング相手である麒麟も、雷の精霊の強力な加護を受けていますね。そしてユキは風の精霊の加護を受ける霊獣。その相手である最後の一人を、探し続けてやっと見つけることが出来ました」
涙でも浮かべそうな表情でそう言うコハクだが、まだ私をその道へ導いて良いのか悩まずにはいられないらしく、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「そして、僕達と霊獣がなぜこうした関係を結ぶことになったかというと――」
と、コハクが言いかけたその時だった。
ガタンと乱暴に扉を開ける音が響き渡り、周囲の視線が一斉にそちらに向けられる。
「いらっしゃいませ。四名様ですね?ご案内しま――きゃっ!」
そこに現れたのは、まるで盗賊団のような格好をした四人の男だった。そしてそのリーダー格の男の行動に私は目を疑った。
店の扉を破壊しかねない勢いで扱われたというのに、対応を変えず穏やかに接客を試みたラウさんを、一際図体の大きな巨像のようなその男が突き飛ばしたのだ。
「俺等が用があんのはこの店じゃねぇ」
悲鳴を上げて倒れたラウさんに直ぐ様駆け寄った紬は、敵意を剥き出しにして男を睨みつけ、キャタも同様にその愛らしい顔を憤怒で歪ませている。
男は全く動じることはせずに大きな足音を立てて近付いてくる。
「ラウに、そしてこの店にこれ以上危害を加えるつもりなら、キャタはお前を始末する」
「ああ?言っただろ?この店にもこの女にも、そしてお前みたいな子供にも構ってやる時間なんて無ぇんだよ。そいつは邪魔だったから軽く飛ばしてやっただけだ」
キャタの目がみるみるうちに釣り上がっていく。子供扱いされたことに加え、それだけの理由で何の罪も無いラウさんに暴力を振われ、相当怒っているようだ。
しかし男はそんなの痛くも痒くもないという風にどかどかと足を進め、そこにいる人間の顔を一人一人まじまじと眺め、
「やあっと見つけたぜ、お嬢ちゃん。あのお方がお呼びだ」
舌なめずりをしてそう言う男の視線の先にいたのは――紬だった。
声を発する隙も与えず、その男の命令で下っ端三人が紬を取り囲む。それを横目で確認するや否や、男は玉のような物を取り出しそれを宙に投げた。
その刹那、真っ白な煙が店内に充満し、そこら中で咳込む声がし始める。煙玉だ。勿論私もその被害者のうちの一人で、視界が奪われると同時に呼吸も苦しくなり涙が滲んだ。
何だ――?一体、何が起きてる!?
煙の影響で痛む目を必死にこじ開けても、視界は真っ白で何も見えない。
否、龍乃助が何かを唱えた後に視界が少しずつ晴れていき、彼が剣をうまく振って煙を払い除け、周囲が見えるまでにしてくれたことに気付いた。
「大変です、紬が!」
「ああ、分かってる」
焦りを隠し切れずに切羽詰まった声を出すコハクと、同様に額に汗を浮かべて剣を握り締める龍乃助。キャタも頷き、三人は早急に店の扉の方へ向かう。
「ちょ、皆どこに――」
何一つ状況を理解しておらず取り残されかけた私だったが、龍乃助に腕を引っぱられ、抜けていた腰を立たされる。とりあえず三人を見失うまいと、私は足を縺れさせながらも皆に倣って懸命に走った。
「ちゃんと着いてきてるか!?しゅん!」
「な、なんとか!」
店を出てからも、三人の後を追って只管に走る。突き飛ばされたラウさんや店内の様子が心配だが、恐らく大事には至らないはずだ。
「クソッ、あの謎の煙玉のせいですっかり見失った。いいか皆、紬は攫われたが、多分人質だ。奴等の本当の狙いは――コハク、お前だ」
龍乃助の視線に、コハクは分かっていたかのように頷く。
「どうやら、僕達の『止まっていた時間』が本格的に動き出したようですね。まあ……ヤツもそう簡単に先陣切らせてくれないってことですか」
「ああ。でも不思議だ、俺怖くなんてないぜ。んで、しゅん。今から俺達は奴等の思惑通り、紬を取り返しに行くところ!分かったか?」
「イエッサー!――って、ちょっと待って?思惑通りって言葉が非常に気になるところなんですけれども」
そんな、奴等の操り人形みたいに素直に追いかけて行って大丈夫なのだろうか。
それ以外にも、私には分からないことばかりだ。なぜコハクが狙われているのか。そして、なぜ紬が人質にならなければいけないのか。
しかしそんな私を、焦燥感に駆られている周囲は待ってはくれない。
「なあに、上等だ!!」
それだけ言って、白い歯を光らせ、バチンと決めポーズをかます龍乃助。どこからそんな自信が湧いてくるのか知りたいぐらいだが、今はとにかく皆を見失わないように走るので精一杯だ。
――が。全くと言っていい程体力がない私は、本来なら百メートル程走っただけで疲れ果てる。ここまで息が続いているのも奇跡のようなもので、
「ヒュー……ッ、ヒュー……ッ。も、もう無理……」
「お、おい。病人の死に際みたいになってんぞ?」
まったく龍乃助という男は、この大変な時に気の滅入るようなことを言うな!
先程言葉を交わしてから数秒も経たずに、この世の終わりみたいな顔で過呼吸気味になる私を見て、心配を通り越して驚愕する龍乃助。どうやら私の体力の無さを舐めていたようだ。
あ、もう流石に息が――。む、無念。
「本当に体力無えなーしゅんは。まあ、奴等が?万が一?強かった時のために?出来るだけ魔力は温存しときたかったところだが……これぐらいなら問題無いな。ほらよっと」
龍乃助が私のふらつく足元に向けて人差し指を立てると、突然私の走るスピードが速まった――いや、私はもはや走ってなどいなかった。足は止まったまま、僅かに浮いて皆に着いていっているのだ。
「なななにこれ?すごい!すごいよ、りゅうの!傍から見たらなんか格好悪いけど」
「格好悪いだと?んなこと言うなよ!これは軽い重力魔法。このメンバーの中じゃ、俺しか使えないお役立ち魔法だ!」
走りながら息も切らさずに得意気に話す龍乃助。今思い出したがこの男、陸上部なんだった。
と、このまま走り続けていてもあの大柄の男率いる集団を見つけることは困難だと判断したキャタが、一旦立ち止まり、
「ここはキャタに任せろ。――よし、あの影から侵入開始だぞ」
石造りの建物の下に出来た影を指してそう言うが早いか、右手を上げて何やら黒い光線を掌に集め始めるキャタ。よく見るとその光線は――その黒く歪んだ像へと繋がっている。
「こ、これって魔法――?」
「その通りだ。少しの影さえあれば、闇を増幅させるのは簡単。――あぁ、そろそろ堕ちそうだ。久しぶりに感じるこの感覚こそが、キャタに闇に染まった血が流れていることを……痛いぐらいに教えてくれる」
キャタの右手に集中した黒い輝きは瞬く間に膨れ上がり、キャタを飲み込んでいくようだった。
それを目の前で見た私は、何とも言えない不安感に襲われ、心がそわそわと落ち着かない。
「んじゃあ、捜査開始してくる!」
最後に愛くるしい笑顔を見せると、キャタは遂に影に吸い込まれていった。
「助かります、キャタ」
「よろしくな!無事に戻って来いよー!」
「ねえ……あれ、大丈夫なの?」
呑気にキャタに手を振るコハクと龍乃助に、キャタが消えていった方を指差しながら訊ねる。
「キャタの使う魔法は闇魔法です。ルミエールには殆ど闇を操れる者はいませんが、キャタは特別な体質を持っている様で、闇魔法を使ってもその身に害は無いみたいですよ」
闇魔法……か。あんなに可愛らしい少女が使う魔法なのだろうかという疑問が残るが。更に、光悦とした表情で黒いものに飲み込まれていく少女を、笑顔で見送る人がいるだろうかという疑問も残る。
「キャタは、闇という闇、影という影を巡り巡って紬を探してくれるんです」
「それにしても、見てるこっちを不安にさせるよなー。闇魔法ってもんは。キャタなんて、体を闇に溶け込ませてるし」
「は!?」
発したは良いものの、本日何回経験すればいいのか分からない驚愕で、私の声はもう大分覇気が薄れたものになっていた。




