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第一章12 恩情の茶会

 ――なぜだろう。鼓動が高鳴っていた。恐怖じゃない。これから起こることにわくわくしている自分がいた。

 何より、必要とされたことが嬉しかった。


 紬から、屋敷の住民達と初めての顔合わせということで、親睦を深めるべく、そして何も知らない私への説明の場も兼ねての茶会に誘われたため、これから向かうところである。


 開かれた扉。爽やかな風。なだらかな丘陵上に存在する豪邸の外に出ると、青い空に鮮やかな緑の芝生を見下ろすことが出来る。私はこれから、異世界の大地へ初めて足を踏み出そうとしているのだ。

 この一歩を踏み出したら、きっともう戻れない。次の瞬間にはもう、元の何も知らなかった自分はきっと居ない。それでも、踏み出すしかないのだ。

 それが、平々凡々な人生を歩んできた自分に初めて与えられた使命のような気がしてならなかった。


「じゃあ……行きます!はじめのいーっぽ!」


 もう二度と感じることの出来ない「はじめの一歩」の感触を噛み締め、感動に震えている私に対して、


「楽しそうね、しゅんちゃん。だるまさんが転んだでも始めそうな勢いね」


「楽しそうなのは結構だが大袈裟すぎるぞ、春来」


 気持ちが高まる私を他所に、周囲は何気ない顔で同じ地面を踏みしめ、同じ風を浴びていた。


「楽しいというか……まあ、私もどうかしてるよ、確かに」


 我ながら、自分の決断はどうかしていると苦笑する。しかしそんなこと十分承知の上だ。それでもやっぱり、自分を必要としてくれている人達を見捨てることが、彼らが求めている未来への僅かな光を消すことが、私には出来なかった。

 しかしそんな私の決断というのも、私は決してそうは思っていないが、正直その場の流れや気持ちの舞い上がりによるものだとも捉えられることは否定出来ない。

 あの誓言だとも願望だとも取れる台詞を口にした後、龍乃助と紬はしばし思考が止まったかのように唖然としてから、手を取り合って踊るように喜んでくれた。というか、狂喜乱舞していた。

 だがコハク様は、期待に満ちた眼差しをこちらに向けたものの『まずは僕らのことや、この世界の事情について、あなたにもお話しなければなりません』と、私の気持ちが軽かったのではないかと思わされる程、最もすぎるくらい最もなことを口にした。


 と言う訳で、私達は近くにある喫茶店に向かっているという次第である。

ちなみにキャタは少し眠そうにしていたが、喫茶店に行くと聞いた途端、目を輝かせて着いてきた。


 紬が言っていた通りアカシア家から街までの距離はそう遠くなく、少し歩くと赤茶色の石畳に洋風の建物がちらほら見えてきた。その中にひっそりと紛れ込むように存在している木製の小屋のような建物からは、近付くと不思議な香りが漂ってくる。


「ここだよ!私とキャタのお気に入りの場所!」


 紬が軽やかなステップで一番乗りで、様々な植物で飾られたその建物の扉を開けると、可愛らしいベルのが私達を迎えた。


「いらっしゃいませ!――あら、紬とキャタじゃない!今日はお友達を連れてきてくれたんですね」


「ラウさん久しぶり!今日は、いつものやつ五人分お願いね!」


 ラウと呼ばれた艶やかな黒髪が印象的な長身の女性は、紬に指された私達を優しい眼差しで見つめると「かしこまりました。こちらへどうぞ」と、この喫茶店の中ではきっと大人数用なのであろう席へと案内してくれた。


❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖


「ええと、いざとなると何から話せば良いのか……」


 何も知らない状態で、いきなりこの世界に飛び込んで来た私には、説明しなければならないことが多すぎるのだろうか。コハク様は頭を撚らせていたが、少しすると考えがまとまったようで、


「春来さん――改め春来、まずはあなたに話すことは大きく分けて三つです」


 真剣な表情でそう言う彼だったが、対して私はというと、最初の一言で遙か彼方に意識を飛ばしていた。

 下の名前呼ばれるだけでも嬉しいというのに、不意打ちの呼び捨てときた。

 これは、私もコハク様改めコハクって呼んでも良いってこと?そういうことだよね?


「しゅんちゃん、聞いてる?」


「あ、ああ!ごめん!聞いてる聞いてる!私の耳に異常無し!」


 不思議そうな表情の紬に突かれ、肩を跳ねさせ必死で頷く。

 コハク(と勝手に今から呼ぶことにした)は一瞬困ったように笑うと、しかし真剣な表情に戻り「まず一つ目」と人差し指を立て、


「単刀直入に言いますが――この世界はいつ滅びるか分からないというのが現状です」


 簡潔すぎるぐらい簡潔にそう言うと、コハクは続けて立てた指をニ本に増やし、


「そして二つ目。この世界が滅びるのは、『僕が死んだ時』です。それが寿命であれど殺害であれど、僕の死と共にこの世界も一緒に滅びます」


 表情も変えずに、事務的とまでも思われるような声色で説明をするコハク。

 どこから突っ込んでいいか分からず混乱する私だったが、驚愕の声を上げる隙も与えず、あっという間に彼の立てた指は三本目に到達する。


「最後の三つ目。世界の滅亡を防ぐために必要な存在が『(しろがね)の牙』。誰にも僕を殺させないことで世界を守るのが役目です。つまり――ここにいる皆です」


 コハクは真っ直ぐな瞳で私達四人を見ながら最後の説明を終えた。そして彼はふっと表情を緩めて「ね、信じられないでしょう?」と言って柔らかな眼差しをこちらに向ける。

 緊張感が急に解けたというか、話の内容の割にやけに呑気なものだ。――その理由が、私には分かった。


「信じる。信じるよ。確かに意味が分からないし頭がパンクしそう。でも、私が今信じられるのは皆のことだけなの。だから聞くけど……話さなきゃいけないことって、それだけではないよね?」


 私のその言葉に、相変わらず眠そうにしていたキャタ含めて全員が驚いたようにこちらを見た。


「いえ、確かに説明は短くしましたが、それはなるべく話をすっきりと分かりやすくする為であって。とりあえず重要なことは――」


「こっちの事情を何も知らない私にとって、唯一与えられていた情報である、ユキとのペアリングについても知りたいんだけど」


 私には分かった。これだけ聞けば少々問題ありだが、コハクの整った面を目に焼き付けるようにして見ていたお陰で、分かったことがある。(よってこの行為は良しとしよう。次からはガン見しないように気を付けようではないか)

 コハクは最初から私を「銀の牙」とやらに加える気など無かったのだ。というのもその優しさから、何も知らない私を巻き込むのは危険だとか、私に負担が大きすぎるだとか、まあ多分そのようなことを考えたのだろう。

 ――しかし。彼の意に反して、私を見つめる瞳に宿る悲痛な色は隠し切れていなかった。本当は助けを借りたいと、本当は逃したくないと、必死にそう叫んでいたのだ。


「……まさか、僕のこの説明を聞いても本当にあなたは――」


 と、コハクが言いかけたところで、バンとテーブルを叩く音が響いた。


「ごめんコハク。俺、やっぱり我慢出来ねえよ。なんだかんだ言って、やっぱり俺もやっと見つけた逸材を、そんな簡単に手放したくない」


 龍乃助は表情を歪ませて、喉から絞り出すようにそう言った。

 すると今まで黙っていたキャタは、感情に任せての行動を取る龍乃助を横目でちらりと見た後、


「コハクには貪欲さが足りなすぎる。この世界を滅ぼしたくないと思うのなら、『兄の最期の言葉』を信じるのなら、もう少し野心的になった方がいい。春来が嫌がっているなら話は別だが――そうではないみたいだぞ?」


 キャタがこちらを見るので、私はしっかり頷いて意思表示をした。それを見たコハクは内心驚いたようで、


「本当の本当に、本当ですか?」


 と、「本当」の三重重ねをお見舞いした後、ずいっとこちらに身を乗り出してきた。


「まあ正直、今のコハクの話を聞いて、すごく混乱したよ。でももう、私もここに来た時点で散々信じられない思いしてるし、コハクの説明は全部素直に受け入れる!だから……もっと、この世界について教えて!」


「ふふ、春来は不思議な人です」


 笑いながらのコハクの予想外の言葉に少し気が動転する私だったが、やっと心を開いてくれたような気がして嬉しくもあった。

 少ししてコハクは真っ直ぐに私を見つめると、


「分かりました。ここまで聞いても、物怖じせず引き下がらないでくれたあなたには、僕もそれに釣り合う対応をしなければいけません」


 龍乃助、紬、キャタの三人は、やっと私の思いが伝わった様子のコハクを見て嬉しそうな表情を浮かべ、期待を込めた眼差しで私達を見守る。


「お話中のとこごめんね!お待たせしましたーっと!」


 そこで丁度、藤色の液体が入ったグラスを五つお盆に乗せて運んでくる女性が見えた。ラウさんと同じ制服を身に纏ったポニーテールが印象的な美人だが――その頭部を見た瞬間私は衝撃を受けた。


「リ、リアル猫耳!?」


「ありゃ。もしかして、あたしみたいな耳を見るのはお初です?」


 その女性はグラスを一つずつ置いていきながら、驚愕する私の方を見て、ぴょこぴょこと可愛らしく耳を動かした。

 なんなんだ、この罪深い可愛さは。猫耳恐るべし。


「オーキッド。春来は、龍乃助や紬と同じで訳ありの世間知らずなんだぞ。だから多分獣人を見るのも初めてだ」


 キャタの世間知らず、という言葉に鋭い視線を送る龍乃助と紬。しかしキャタはそんな二人を気にもかけず、運ばれてきたグラスに早速口を付けた。

 その後のキャタの頬の緩んだ幸せそうな顔の可愛らしいこと。一体どんな味なのか、実に気になる。


 するとその女性――オーキッドさんは、そんなキャタの様子を見ながらにっこり微笑み、


「そーなんだ!あのね、あたしはバステトって呼ばれるちょっと珍しい種族とのハーフなの!可愛い耳でしょ?じゃあ、ごゆっくりー!」


 さっさと自己紹介を済ませると、爽やかに手を振って行ってしまった。その後ろ姿を見て初めて気付いたが、なんと柔らかそうな尻尾まで生えている。

 舐めてたよ。完全に舐めてた私。なんてファンタジーな世界!猫耳万歳!

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