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91話 英雄の死

 

 トレントは暫く血を流しながら、色々な事を思い出していた。妻の双葉のこと、フェンリル軍の仲間、昔の友人達。どれもトレントにとっては刺激的で楽しい思い出だった。


「ああ、双葉にもう一度会いたい…最後に一言だけでも…」


 トレントは掠れた声で独り言ちる。そして、ポケットを漁り始める。暫くまさぐった後、その手には古めかしいライターと、葉巻のような物が握られていた。


「双葉と結婚してからは辞めていたのだが…最期くらいは吸っても…構わんか」


 トレントは震える手で葉巻を咥えて、ライターで火を付けようとするが、上手く付けられない。少しやってから諦めて、手を下ろす。


「トレントさん!」


 その時、車両庫の扉を開けて、カインが中に入ってきた。カインはトレントに駆け寄って、声をかける。


「ああ、こんなに血が…今すぐ止血を!」

「いや、もう遅い。それより火、つけてくれないか?もう腕が上がらん」


 トレントは手を捻ってライターを見せる。カインは慌ててライターを取って、トレントの葉巻に火をつける。

 トレントは葉巻を1度吸って、すぐに口から落としてしまった。カインは慌てて葉巻を拾う。


「済まないな…お前に教える立場なのに、この体たらくとは…情けないな」

「そんな事ありません!まだ諦めないで下さい、まだ…まだ生きてください!」


 カインは慌てて止血をしようとするが、既に血は辺り一面に広がるほどに、体から漏れ出していた。いくら抑えても、溢れ出てくる血を止めることが出来ずに、涙目になっているカインを、トレントは落ち着いた声で諌める。


「俺の延命は諦めろ…それより、死ぬまで少し話を聞いてくれ…」


 カインは諦めきれずに傷口を抑えながら、トレントの顔を真っ直ぐ見つめる。


「戦争はこんな事、日常茶飯事だ。お前は冷静にならなくてはいけない。皆にも、俺の死で気をおかしくするな、と言ってくれ」


 トレントは力を振り絞って話し続ける。


「第2軍はお前が指揮をとれ。別に俺と同じようにしろとは言わない。お前の考えで動かしてくれ、お前ならやれる」

「俺なんかがトレントさんの跡を継ぐなんて…無理ですよ…」


 カインは情けない声で答えるが、トレントは優しく微笑みながら、続ける。


「お前はよくやっている。自信を持て…」


 段々とトレントの声が掠れてきた。どうにか耐えていたがもう限界が来たようだ。


「カイン…最後に1つ頼みたい…事がある」

「はい!何でも…何でも言ってください!」


 トレントは苦しそうに息を吐いてから、声を発する。


「双葉に…お前と過ごした時間は幸せだった…大好きだ…と伝え…てく…れ…」


 言い終わった後にトレントはその生涯を終えた。カインは初めて大声で泣き叫んだ。この世界に来て、初めて大切な仲間を失ったのだ。

 カインはこの数ヶ月間ずっとトレントからの指導を受けてきた。最近やっと認められてきたくらいだったのだ。合格点を貰う前に、トレントは死んでしまった。

 カインはフェンリル軍の増援が来るまで、俯いたままそこで泣いていた。



「は?あのトレントが?マジで言ってんのか?」


 自分は第7軍の基地で信じられない報告を受けた。横にいたグランは聞いた瞬間に、目を見開いて固まってしまった。


「うん、敵の転生者に暗殺されたみたいです。まさかあんなに慎重だったトレントさんがあっさりと…」


 自分は俯いて考え込む。

 これは戦争だ。誰が死んでもおかしくはない。そう自分でも納得していたはずだ。だが、実際に戦死の報告を聞いても、その事実を受け止めきれない。


「ラザフォード、5日後に決行予定の作戦、明日に早めるぞ」

「え?まだ先日の戦闘からほとんど日が経っていませんよ!まだ兵士の疲弊が…」


 ラザフォードは慌てているが、そうしなくてはいけない理由があるのだ。


「時間が無い。トレントが死んで、こちらの士気が下がって、王都側に調子付かれたら、この戦争一瞬で負けるぞ」

「確かにそうですけど…急すぎないですか?」


 ラザフォードの言う通り、焦りはある。だが、今はこの戦争の中で一番重要な局面である。ここで進撃を止められてしまえば、そのまま数の暴力に押し潰されて、全滅が確定する。


「ここで押し切ってせめて、山脈まで進む。もう時間が無い、既に整備は終わらせている筈だ。ケチっていたカラドボルグ重爆撃機も発進の許可を出す」

「分かりました、連絡してきます。作戦に変更点は?」

「南東の防衛拠点は爆撃で潰すから、そこの大隊は南西の増援に回してくれ。正確な爆撃の地点は後で送る」


 ラザフォードは小走りで部屋を出ていく。自分は椅子に座り直して、溜息を着く。よく惜しい人を亡くしたと言う表現があるが、トレントは惜しいどころの騒ぎではない。

 フェンリル軍の主力である第二部隊が宙ぶらりんになるのは、相当な痛手なのだ。


「どこまで持ちこたえられるか…そろそろ連盟の加盟組織を増やさなくてはやってけないぞ」


 自分が頭を抱えて悩んでいると、後ろからヨルムンガンドが現れて、声をかけてきた。


「エライ事になってきたな。フェンリル軍の英雄の死とか、めっちゃやばいやん」

「マジでヤバいよ。下手したら1ヶ月もせん内に負けるで、これ」


 ヨルムンガンドは自分の横に座って、何かを齧りながら話す。


「派遣魔族軍の増強した方がよさげやな。あまり人間界に関与するのもあかんかなーって思てたけど、もう四の五の言ってられへんわ」

「せやな、連盟でも中々評判ええし、誰も文句は言わへんと思う。けど、あんまこっちに手かけてると、自分の所大丈夫なんか?」


 魔族達の世界でも色々といざこざがある。西部東部の領地争い。魔王都市への反乱軍の襲撃。数えはじめたらキリがないくらいだ。それを纏めるのが魔王の役割である。その軍を割いてくれているというだけでも相当な事である。


「大丈夫やって、最近サタンちゃんが本気出してくれとるから、反乱軍も大人しいねん」

「うーん、ヨルムンが決める事やから俺は何も言えんからな〜。じゃあ、有難く支援受けとくわ」

「あいよー、任しといてー。マヤも気いつけやー」


 ヨルムンガンドはそう言って立ち去ろうとするが、忘れ物をかのように急に振り返った。


「せや、トレントに弟子入りした子おったやろ?あの子、もしかしたら復讐に囚われて目の前見えてへんかもしれんから、ちゃんと面倒見たってや」


 そう言い残してヨルムンガンドは消え去った。自分は腕を組んで背もたれにもたれ掛かる。


「カインか…確かに、戦い慣れてない感丸出しだからなー。感情的になりやすいし…」


 自分は立ち上がって、部屋をウロウロと歩き回る。本当に落ち着けない。トレントはこっちに来てから早い時期で知りあった仲間だ。冷静に対応しようとはしているものの、流石に完全に普段通りに頭が働かない。

 グランは顔を手で押さえたまま、ずっと俯いている。自分達はまだまだ未熟で精神的にも成熟していない。トレントの死は皆に深い傷を与える事になるだろう。


「自分が今まで以上にリーダーシップを発揮しなきゃ行けないのかもな…キツイな…」


 自分はグランの横に行って軽く頭を撫でる。グランは自分の手を握って、こちらを見上げる。その顔は涙の後が残っていたが、自分をしっかりと見つめる。自分はグランを抱き締めて、小さな声で話しかけた。


「俺が成し遂げる…なんとしてでも。だから…例え、俺が頼りなくても、信じていて欲しい…」


 自分でも情けなくなる程の小さな声だったが、グランは頷いてくれていた。


「うん、トレントも天国で信じてくれてるよ…だから、私も信じるよ」


 グランは自分を抱き締め返しながら、そう言ってくれた。この信頼に答えなくては。


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