110話 人喰い
「ふふふ、かかってこい!」
ヨトゥンは走ってくるグランを嬉しそうに見ながら、体に力を入れる。巨幼の節制と呼ばれている、この幼女は七元徳最強とも名高い、化け物であった。
「嘘…」
後方で支援魔術を展開していた玉藻は愕然とする。
ヨトゥンは段々と大きくなっていた。
巨大化していたのだ。グランは気にせずに突っ込んでいるが、周りのメンバーは動けなくなっている。
ヨトゥンの身長は30メートル近くまで伸びていた。
「うがあ!あっつぅ!」
ヨトゥンは体から汗をボタボタ垂らしながら、手で暑そうに扇ぐ。垂れた汗1粒だけでも当たれば、並の人間気絶しそうな程の質量であった。
「んー、おおきすぎるね。ちょっとちいさく」
ヨトゥンは縮み、20メートル程の大きさになる。それでも、その大きさは圧倒的だ。
この世界の陸上では最大の魔物と言われるドラゴンが全長15メートル程だと言われている。そのドラゴンさえも、数十年前に殆どが絶滅したと言われているので、ほとんどの若い世代は、熊以上の大きさの生物を見たことがない。
ヨトゥンの能力を知らないメンバーにとっては、とてつもない恐怖だ。
「皆、怯まないで!どうせ倒すのは無理だから、足を狙ってこの船から落として!」
グランは指示を出しながら、足を切りつける。しかし、少し凹みが出来ただけで傷は出来ていない。パーミャチもどんどんロケットを発射している。顔を狙っているらしく、ヨトゥンの頭周りに煙が立っている。
それでもダメージどころか、嬉しそうに笑うヨトゥンが、揺れながら立っている。
「擬似妖術結界展開!指向性飛行殺生石!」
玉藻が何かの術式を展開する。下から石がめりめりと突き出る。その石はまるでミサイルのように、切片をヨトゥンに飛ばしていく。
石は足の露出した部分に突き刺さる。しかし、深くは刺さっていないらしく、ぽろぽろと落ちていく。
「ぐるるるるるあ!」
ハティは小さいB-29を出現させて、その上に飛び乗る。コメットはグランの横まで走っていき、同時に足を攻撃し始める。
ヨトゥンは腕組みをして、辺りを見渡す。平原が遥か下に広がり、遠くでは航空機がドッグファイトを繰り広げている。
「うーん、かりょくがでるひとが、いないから、このこたち、やばそうだね」
ヨトゥンはハティが周りを飛び回っているのに気付き、手で叩き落とそうとする。ハティは軽い身のこなしで躱して腕に飛乗る。そして腕の上を華麗に走り抜ける。目のマークは一方通行の標識。
「デカ物、喰らえ!」
ヨトゥンの大きな頬をハティは殴りつける。破壊的な衝撃が頬に伝わり、ヨトゥンはよろめく。
ハティは飛び上がって次の攻撃をしようとするが、ヨトゥンの手が既に、ハティの側まで迫っていた。
「速い!!」
ハティは防御姿勢をとるが、大きすぎる手から繰り出される平手打ちが、小さな体を吹き飛ばす。
その勢いは船から数キロ離れた所まで衰える事も無く、船が小さく見える程の位置までハティを運ぶ。そして硬い岩壁に当たる。
「きゅー…」
ハティは岩壁にめり込んで目を回す。
「終わった…」
飛んで行ったハティを見つめながら、グランは惚ける。グランは火力が出せるハティを頼りにしていた。
しかし、そのハティは既に姿が見えない所に飛ばされている。
「グランさまー!よそみは、きんもつだよ!」
今度はグランに向かって手が伸びる。グランは上に飛んで避けるが、近くにいたコメットが避け切れずに、手の甲に当たって吹き飛ばされた。
コメットはすぐに立ち上がって杵を構え直すが、ダメージは大きいようだ。
甲板にいる誰の攻撃もヨトゥンに傷を負わせられていない。グランは圧倒的な力を持つ化け物を前に震えるしか無かった。
グランにとって何度も見た事のある少女だが、敵として現れた今、恐ろしい程に強力な壁となって立ちはだかっている。
「うーん、おなかすいたなー。グランさま〜たべていい?」
「やめて。奢るから、後でたらふくステーキでも食べてなさいよ」
ヨトゥンは辺りから飛んでくる攻撃を、まるで風が吹いているだけかのように目を細めながら、グランを見下ろす。
「そろそろ、つんつんされるのも、あきたー。だれかわたしの、おやつになってもらわないとねー」
ヨトゥンは伸びをしてから、重心を落とす。パーミャチは急に近くにあった階段に飛び込んだ。
玉藻はその様子を疑問に思いながらも、殺生石の影に隠れる。
「ちょっ、パーミャチ速いって!」
グランはさっさと逃げ出しているパーミャチに怒りながら、ヨトゥンの周りを飛び回っている。ヨトゥンはグランをまるでハエでも捕まえるように、手で捕まえた。コメットもついでかのように、素早い手の動きで捕まえた。
「「うぎゃー」」
グランとコメットは2人で悲鳴をあげる。パーミャチは階段から頭だけ出して、その様子を見つめる。横で玉藻はあわあわとしている。
「ええ!捕まってしまいましたよ!」
「ありゃー。あのサイズなら簡単に食われるねー」
グランはギャーギャー言いながら、手の中で暴れている。コメットは諦めたように、口を開けてボーッとしている。ヨトゥンは手の中の2人を握りしめながら、顔を近づける。
「さあ、どっちがおいしそうかなー。うさぎちゃん?グランさま?」
品定めする様にジロジロと見つめる。
「う、うさぎちゃんの方が美味しいよ〜。魔力たっぷり…」
「私骨ばっているので…味ないですよ!グランちゃんはぷにぷにで美味しいですよー!」
グランとコメットは、相手に醜い争いを繰り広げていた。その様子をパーミャチは笑いながら、観戦していた。
「どっちも食べられたらどうするのよ。こりゃだめね。玉藻さん、逃げる準備しておいてね」
「え!?助けなくていいんですか?食べられたら一大事じゃないですか!」
玉藻は焦っているが、パーミャチはなんて事のないと言う顔で頭を振る。
「大丈夫、でかい時のあの子の胃袋、消化できないから。胃酸の濃度が弱酸位まで薄まってるから。ヨルムンガンドがあの子が逃げる迄に来てくれるだろうから、そのまま逃げられて、誘拐されるって心配もないし」
「なるほど、死ぬ事は無いんですね。それでも…酷くないですか?」
グランとコメットはまだ自分が食べられないように、怒鳴りあっている。そしてヨトゥンはニヤニヤしながらそれを見つめる。
「じゃあ、うさぎちゃんは、さすがにかわいそうだからやめとこ!」
「ええ!やだやだやだ!もうヨトゥンのお腹の中はヤダー!」
グランは悶えているが、全く抜け出せる気配はない。ヨトゥンはゆっくりとグランを口元まで運び、大きく口を開ける。
「うぎゃあー!」
グランは大きな口に放り込まれて、一瞬で姿を消した。玉藻とコメットはヒエっと息を飲む。パーミャチはうわあと言う顔でその様子を見上げる。
「ひゃー!喉を!喉を通ってるー!」
コメットは間近で見ていたためか、恐怖でガタガタ震えながら叫ぶ。次は自分の番かもしれないと言う恐怖だ。
しかし、ヨトゥンは容赦なくコメットを口に近付ける。
「うさちゃん、わたしまだ、おなかすいてるんだー。もうなんにんか、たべたいな」
「ちょっと待ってください!辞めて!」
ヨトゥンは垂れていた涎を拭いて、口をゆっくりと開ける。すると、パーミャチが階段から飛び出て、ヨトゥンに叫ぶ。
「ヨトゥンちゃん!魔族は美味しくないわよ!ここに美味しそうなのがいるからこっちにしなさい!」
パーミャチは自分の胸を指さしながら、飛び跳ねて、自分の存在をアピールする。ヨトゥンは口を閉じてパーミャチを見つめる。
「パーミャチちゃんが、じこぎせいとはびっくり!このこ、パーミャチのしんゆうなんだー。じゃあ、パーミャチちゃんでガマンする!」
ヨトゥンはそっとコメットを甲板に置いて、パーミャチを掴みあげる。パーミャチは覚悟を決めた顔でヨトゥンと目を合わせる。
「さあ、やるなら早くして!」
パーミャチとヨトゥンが見つめ合っているのを、下から玉藻とコメットが見上げる。
「玉藻さん、意味が分かりません…」
「ええ、人数を減らさなくても勝てるのに、わざわざ食べるんですか、全く理解できませんね」
2人は首を傾げながら、目の前の不可思議な状況をただ、見上げる事しか出来なかった。




