ー渉ー ㊸
「この中に、パスポートの申請に必要な書類が入っている。
後は写真と身分証と記入欄に記入すれば申請できる」
「お父さん、どうして?」
「『ともみがベリーズに行きたがっている』と、
お母さんから連絡がきた時から用意していた。
必ずともみは私に助けを求めてくると思って」
「じゃあ、行ってもいいの?」
「もちろんだ。ただし約束がある。
一つは行く一ヵ月前までに
できるだけ詳しい日程表を私に見せる事。
もう一つは向こうに行ったら毎日朝と夜連絡する事。
これは渉君もだよ。約束できる?」
「もちろん。お父さんありがとう」
ともみは椅子から立ち上がりおじさんに抱きついた。
「ともみ、パスポートはどうする?
お父さんが行って来てもいいんだけど」
「私自身で申請したいの。お願い」
「分かった。明日一緒に行こう。
日程はどうなっている?」
「第二クールの検査が終わったら金子先生と
相談して決めようと思っているの。
年末年始になると思うけど」
「分かった。そこの席にお父さんも同席するから、
日時が決まったらすぐに飛行機の予約を取ろう」
おじさんは残ったビールを口に流し込んだ。
「渉君にもお願いがあるんだ」
「はい」
僕は改めて背筋を伸ばした。
「旅費はおじさんが出すから、
バイトを辞めてともみの側にいてほしいんだけど、
どうかな?」
「親も同じ事を言ってくれました。
でも、僕自身のお金で行きたいんです」
「分かった。
片付けはお父さんがするから二人はもう寝なさい」
そう言うと、話しは終わりと言わんばかりに
洗い物を流しに運び始めたので、
僕達は仕方なく客間に行き布団を敷いて入り込んだ。
「渉君、本当にありがとう。
渉君のおかげだよ。お父さんと仲直りできたの」
「そんな事ないよ。いずれはできていたはずだよ。
ともみの代わりに病院に行っていた事も、
ともみがベリーズに行けるように書類を用意していた事も、
いつかは気付いていたはずでしょ」
「違うの。今日の事じゃなくて、
出会ってから今日までの事。
私、渉君に出会ってからずっと笑ってきた。
そうしたら、過去の嫌な思い出が薄れていって
病気に掛かる前の私に戻っていたの。
さっき気付いたんだけどね。
だから素直に『ごめんなさい』
ってお父さんに言えたんだよ」
ともみの顔は暗くて見えないが、
クスッという笑い声が聞こえた。
「今日の夕食の時ね、五年前を思い出したの。
一日の出来事を話してね、
お父さんもお母さんも笑っていた。そして私も。
いつの間にか大切な記憶が思い出になって忘れていたんだね。
でも全部思い出したの。
全部ひっくるめての『ありがとう』だよ」
「そんな事言われると照れるよ」
「だって本当の事だもん。渉君、手を握っていい?」
「いいよ」
ともみは、サッと息遣いがはっきり聞こえるところまで僕に寄り、
手のひらを探すその手は僕の肘に触れ、
手のひらまで這って、強く握り締めてきた。
「これでベリーズに行けるね」
「そうだね」
「実はね、病気の事だけど……」
「桜から聞いた。第一クール終わった時の検査結果」
「そうだったんだ。
行くのは年末年始になると思うけど、いい?」
「第四クール終わった後じゃダメなの?」
「学校はサボっちゃダメだよ。
学校をサボるくらいなら行かない」
「分かった、年末年始に行こう」
「渉君、お父さんに聞いたんだけど、
ベリーズに行くのを迷っているの?」
ともみは僕の手をさらに強く握り締める。
「正確に言えば迷っていた、かな。もう迷いはないよ。
桜に検査結果の事言われた時からさっきまで
迷っていたのは本当だよ。
今日ともみの行きたい気持ちが心から伝わってきた。
後おじさんもね。だから決めた。迷わないって」
「ありがとう。後ね、
私から最後のお願い事があるんだけど、聞いてくれる?」
「『最後』の部分を除くならいいよ」
「あっ、そうだったね」
ともみは握り締めていた手を放し、ゴソゴソと動き、
暗闇になれた僕の目は敷布団の上に
正座をしているともみを捉えたので、
僕も慌ててその場に正座をした。
「渉君、お願いが三つあります。
一つはベリーズに行って挙式がしたいです。
後の二つはまた今度話します」
「どういう事? 挙式って?」
「えーと、挙式というか人前式かな。
後、お金は掛けないでね。
もちろん牧師さんも神父さんも斎主さんもいなければ、
参席者もいないから渉君の好きなようにしてくれればいいよ」
「いつどこでやればいいの?」
「明日簡単な日程表を書いて渉君に渡すから、
いつどこでもいいよ」
「分かった、やってみる」
「分かった」
と言ってみたが、僕自身にも何が分かったのか分からない。
「ありがとう。わがまま言ってごめんね」
ともみはそう言うと布団に入ってしまった。
僕も布団に入ると、ともみはまた僕の手を握り、
「今日は本当にありがとう」と言って寝てしまった。
僕は暗い天井を見ながらあと二つのお願い事とは
何だろうと考えているうちに眠りについていた。
9月9日
今日は実家に帰ったんだよ。
後病院にも行きました。
いろいろな事があったね。
今私の横で渉君が寝ています。
頬をツンツンしても起きないから大丈夫だよね。
少しの間電気を点けるね。
ごめんね。
他の部屋で書けばいいけど、
渉君の顔を見ながら書きたいから。
渉君、今日は本当にありがとう。
お父さんと仲直りできたのも、
病院で子供達と笑い合えたのも、
ベリーズに行く許可がもらえたのも、
全部全部渉君のおかげだよ。
ありがとう。
私、今とっても幸せだよ。
それから私のお願い事聞いてくれてありがとう。
最後に聞きたいんだ、
渉君の口から「愛している」って、
いろいろ考えたけど、
この方法しか思いつかなくて、
渉君にお願いしました。
私から言う資格がないからね。
渉君を一生愛せないから。
後二つのお願い事は決まっているけどやっぱり言えないよね。
三つ目のお願いは私の口から直接言えないけど、
渉君なら叶えてくれるよね。
本当のお願いは私の口から伝えたい事だけど
叶いそうにないから。
わがままばかりでごめんね。
明日はパスポートの申請に、
病院ではみんなにお別れを言わないとね。
辛いな。
明日泣いちゃダメだからね。頑張れ私。
もう少し渉君の寝顔見てから寝ます。
明日も幸せな一日でありますように。




