ー渉ー ㊳
ここからは聞こえなかったが、
母が頼みごとをしているように見えた。
すると突然母は土下座をした。
「ちょっと止めて下さい」と、
ともみとおばさんの甲高い声に、
みんなもそちらの方を向く。
数秒の出来事だった思うが、
僕にはその数倍の時間が経ったかに思えていた。
母は何をお願いしたのだろう。
その後何事もなかったかのように、
ともみは片付けの輪に加わり、
母とおばさんも普通に話していた。
「ともみ、さっき僕のお母さんに何を頼まれたの?」
「『旅行に行かせてあげて下さい。お願いします』
って言っていた。渉君、それよりも本当にいいの?聞いたよ。
一浪して旅行に行くって。
なんで私のためにそこまでしてくれるの?」
ともみの目は潤いに帯びていたが、嬉しいのか、
申し訳ないのか、それとも別の感情なのかは分からない。
「僕がそうしたいって決めたから。
ともみと一緒に行きたいって決めたから。それじゃ、ダメかな?」
「渉君、前に言っていたよね。
『家あまりお金がないから現役で行ける大学に行く』
って、矛盾しているよ」
「事情が変わったから仕方ないよ。
それに、お父さんもお母さんも賛成してくれた。僕に迷いはないよ」
「でも……」
「ともみ、いい加減に素直になりなよ。
行きたいの?行きたくないの?」
桜がともみに歩み寄り声を掛ける。
すると自然にともみの周りに縁ができ、
みんな口々に励ましの言葉を掛けた。
「私、旅行に行ってもいいのかな?」
「いいと思うよ」
「お母さん、絶対に反対するよ」
「みんなで説得するよ」
「私……、私……」
ともみは泣き出してしまった。
おばさんに見られないようにみんなで隠したが、
「大丈夫、もう泣かないって約束でしょ」
と言いながら、涙を拭いた。
「渉君、決めたよ。ベリーズに行こう。
私も迷わない。お母さんに反対されても絶対に行く」
ともみはそう言い切り笑った。
桜達は「よく言った」と頭を撫でていた。
「渉、これで引き返せないぜ」
「分かっている」
「何かあったら言えよ。俺達にできる事なら何でもするから」
「ありがとう」
洸平の何気ない言葉だったが、僕にはありがたかった。
強気で言っていたがもちろん不安はある。
しかし、みんながいれば超えて行けると思った。
「ともみ、行く宣言してきなよ」
「怒られるよ」
「大丈夫、渉の親が何とかしてくれるから。行っといで」
桜はともみの背中を押した。
ともみはこちらに振り返ったが、桜は手を振っている。
ともみはおばさんの方に向き直り、
ゆっくりと前まで進み凛とした姿で立った。
こちらからはともみの顔が見えなければ、
声も聞こえないので、
おばさんの表情から読み取る事しかできないが、
表情を一切変えず、口を動かしていた。
「私行くから。もう決めたから」
ともみは突然叫んだ。
そして百八十度向きを変え、
こちらに見せた表情は怒っているとも安堵しているとも取れた。
そして全く表情を変えなかったおばさんはポカンとしていた。
それからのともみは元気がなかった。
おばさんに何を言われたのだろうか。
しかし「私行くから。もう決めたから」
と聞けただけで充分だ。後は行くだけだ。
夕食の時、母にともみとおばさんが何を話したのか聞くと、
「行ってもいい?」という質問に
「ダメに決まっているでしょ」と即答され、
あの宣言に繋がったと言っていた。
「後は渉とともみさんの問題だから、頑張れ」と、
母はさらに付け足して言った。
そう、後はともみと僕の問題だ。時間はまだある。
ぎりぎりまで粘ろう。そして絶対に叶えよう。
ともみのお願い事を。
8月9日
今日ね、ベリーズに行く事に決めたよ。
お母さんがいくら反対しても絶対に行くからね。
金子先生にも相談しないとね。
ベリーズかぁー。早く行きたいな。
待ち遠しいよ。全部渉君のおかげだよ。
それに渉君の覚悟もしっかり受け止めたよ。
ありがとう。
渉君のお母さんもありがとうございます。
私のために土下座までしてくれて。
ちょっとびっくりしちゃったけどね。
初めて土下座を見たから。
問題はお母さん。車に乗った瞬間だよ。
「絶対に認めない」って怒られた。
「学校に行くのも、渉君と付き合うのもいいけど、
お願いだから、命を縮めるような真似はしないで」って言われた。
お母さんの言いたい事は分かるよ。
私の事を大切に思っている事も知っているよ。
でも、私の最初で最後のわがまま聞いて下さい。
お願いします。
後ね、七夕飾りを燃やしました。
みんなのお願い事天まで届いたかな?
届いたよね。みんなのお願い事叶うといいな。
神様お願いします。
8月10日
今日金子先生に相談したんだ。
先生は少し迷いながらも「川見さんがそう決めたなら応援する」
って言ってくれたんだよ。
でも、「お母さんの了承は必要かな」とも言っていた。
後、渉君にも桜達にも言っていないんだけど、
検査結果の数値が予定より悪かったんだ。
だから行くとしたら年末年始かな。
本当は第四クールが終わってすぐにでも行きたいけど学校だもんね。
学校サボってまでは行きたくないな。
だからこれ以上進行早めないでね。
お願いします。
8月18日
今日から二学期が始まったね。
でも私は昨日から第二クール。
みんなちゃんと学校行ったかな?
私も早く行きたいよ。楽しみだなぁー。
佐藤先生のところにも行かなきゃだね。
退学届けの件しっかり謝らないといけないね。
早く学校に行きたいな。
8月29日
九月の四日から学校に行ける事が決まったよ。
本当に楽しみです。
後もう一つ。二つだね。決めた事があります。
一つはお母さんが首を縦に振ってくれません。
なので決めました。
実家に帰ってお父さんにお願いするって。
本当は嫌だよ。でも仕方ないよね。
お父さん承諾してくれるかな? して下さい。
お願いします。
もう一つは渉君にお願いがあります。
正確には三つだけどね。
早く学校に行きたいな。




