ー渉ー ㉝
こんなに晴れやかな気分で
自転車に乗るのはいつ以来だろう。
梅雨も明けて今日から八月だ。
一昨日の深夜一時ともみから連絡が着た。
携帯が光った瞬間ともみだと分かった。
僕の友人に日が変わって連絡してくる奴はいない。
急いで確認すると
「明後日家に来てほしい」という内容だった。
僕はベッドに携帯を投げ捨て、
そのまま大の字でダイブした。
ベッドの軋みが収まると目を閉じ、
ともみの笑顔を思い浮かべた。
明後日はあの笑顔を見られるのだろうかと。
そんな事を考えていると、また携帯が鳴った。
誰かと思って見てみると、桜だ。
『今日ともみに会ってきました。
そしてともみから全て聞きました。
明後日ともみから大事な話しがあります。
それを聞いてどうするか各々決めて下さい。
私は決めたから』という内容だ。
桜から真面目な文章が
送られてきたのは初めてだったので、
少し戸惑ってしまったが、一つだけはっきりとしていた。
ともみの笑顔を見たいという事だ。
何を決めるかは分からなかったが、
僕はともみの笑顔が見られる選択をしようと既に決めていた。
インターホンを押すと、おばさんが顔を出した。
「待っていたわよ。上がって」
「お邪魔します」と言って中に入った。
玄関にはともみの靴の他に桜の靴もあったので
、桜も来ているのだろう。
初めて手紙を届けた日以来になるリビングに通された。
あの日ともみはいなかったが今日はいる。
笑っているだろうかと少し緊張しながら廊下を進むと、
「渉君久しぶり」と、ともみは笑顔で迎えてくれたが、
服の上からでも前よりさらに痩せているのが分かる。
顔色も悪く頬がこけてもいた。
なので、五歳くらい老けて見え、
僕はその場に立ち尽くしていると、
「渉君座って。コーヒーと紅茶どっちがいい?」
僕は無意識に「紅茶」と答えたが、
ともみから目を離せなかった。
この一ヵ月の間に何があったのかと思ってしまう。
「ともみ、お母さん買い物に行ってくるから」
「うん、分かった」
ともみは紅茶の用意をしながら素っ気なく答えた。
ドアが閉まる音が止むと、
カップに紅茶を注ぐ音が部屋に小さく響く。
「今日は9番のお水だよ。桜が持って来てくれたの」
そう言いながらともみは僕と向かい合うように座った。
そこで桜がいない事に気付き振り向くと、
壁の寄り掛かりながら桜が立っていた。
「どんだけともみに夢中なんだよ」
桜は僕を小突いてからともみの横に座った。
「渉君、手紙読んだよ。ありがとう。
お礼ってわけじゃないけど全部話すね。
長くなるから飲みながら聞いて」
ともみは五年前からの出来事を話し始めた。
『病気』『五年後に完治』『再発』『一年生存率五十%』
僕は妙に落ち着いていた。
ともみの嘘は全て病気にまつわる事と分かった。
そして前に話していた『その日』とは病気の完治日。
点と点が線で結ばれていく。
だからと言って結論が変わるはずがない。
ともみは過去について丁寧に語り、
「これで終わりだよ」で話しを締めた。今度は僕の番だ。
「驚いたけど、結論は変わらないよ。ともみ、また付き合おう」
静寂な空気に包まれた。しかし迷いはない。
ともみに会えると分かってから、
伝えようと思っていた事を伝えただけだ。
「渉君、私の話しちゃんと聞いていたの?私死ぬんだよ」
ともみの声は震えていた。
「僕だっていつかは死ぬよ」
「渉君と私は違うよ。
私は後一年くらいしか生きられないんだよ。
渉君は明るい未来があるんだよ」
「ともみが話している間、
僕がともみだったらって考えていた。
たぶんだけど、ともみと同じ事をしていたと思う。
でも、それは自分勝手だとも思う」
僕はともみの目をしっかりと見つめた。
「ともみ、死ぬと分かって誰かと別れて、
その別れた人が幸せになるって、いつ誰が決めたの?
僕はその別れた人が幸せになれるとは思わない。
それにともみと別れてから幸せと思った事は一度もなかった」
「そんな事言われても困っちゃうよ。
私の命後一年だよ。その後はどうするの?
今から次の幸せを探す事はできないの?
渉君の方が自分勝手だよ」
ともみの目からは雫がこぼれていた。
「次の幸せを探す事なんてできないよ。
だってともみはまだ生きている。
仮に別れたとしても、
ともみと出会ってからのこの四ヵ月を
無い物にはできないし、
ともみの笑顔を忘れる事なんてできないから」
僕はともみの淹れてくれた紅茶を初めて飲んだ。
冷めていたがとおばさんの淹れてくれた物と同じ味がした。
「それに僕だけじゃない。ここにいる桜だって、
後から来る洸平達だって同じ事を言うと思うよ」
僕はもう一口紅茶を飲んだ。
「ともみ、顔を上げて」
ともみはゆっくりと顔を上げ、僕を見つめた。
「ともみ、もう一度言うね。
僕は今大切な人と大切な時間を共に過ごしたいです。
また付き合ってくれますか?」
ともみは両手を顔に持って行き、声を上げて泣き始めた。
「ともみ、言っている事めちゃくちゃだよ。
昨日と言っている事違うし。でも私の言った通りでしょ」
桜はそう言いながらともみの背中をさすった。
「渉、ちょっとトイレに行ってくるから、
ともみの事よろしくね」
桜は席を立ち小走りで僕の視界から消えて行く。
僕は桜の座っていた席に移動し背中をさすった。
「渉君、私死ぬんだよ」
「聞いたよ」
「後一年だよ」
「それも聞いたよ」
「本当に私なんかでいいの?」
「もちろん」
「私、幸せを望んでもいいのかな?」
「もちろん」
「渉君」
「何?」
「%&$&‘’&」
ともみは僕に抱きついた。
僕もともみを受け止める。
最後何を言っていたのか分からなかったが、
ともみのぬくもりから伝わってくる。
僕も言葉ではなく体で気持ちを伝えた。
ともみは今までいろいろな事と戦っていた事を知った。
そしてあの笑顔。
『死』という言葉と向き合いながら、
将来の夢を見つけ精一杯生きてきた
ともみだからこそできるものだ。
この笑顔を絶やさないために、
僕がともみのためにできる事は何だろうか?




