風 鳥 鬼 ①
大輔は少し急いていた。10分くらい前まで晴れていた空が、雲を集めて黒々とした波を打っている。山の天気は変わりやすいというが、あっという間の出来事だった。
自分一人ならまだしも、幼い子供二人を連れての山歩きはかなり不安だった。ほんの数10メートル先には林道が走っている。しかし藪をかき分けての徒歩は、幼い子供には苦痛であろう。弟の心太はすでにグズりだしている。
「パパァー。もう歩けない!」
ついに心太は泣き出した。
「しんちゃん、もうすぐだからね。」
なだめても泣き止む様子が無い。兄の勇人は泣きそうになる自分を必死で押さえているようだった。
「よーし、じゃあ、パパがおぶってやろう。」
大輔はしゃがんで心太に背を向けた。心太は泣きじゃくりながら大輔の背に乗った。少しだけ頬が緩む。
「お兄ちゃんはもう少し頑張れるかな?」
大輔は勇人に笑いかけた。勇人の眉はハの字になっていたが、それでも歯を食いしばって頷いた。勇人は2歳年上だが、それでもまだ5歳である。父にしがみつきたい衝動を抑えているに違いなかった。大輔は不憫に思ったが、二人を背負う訳にもいかない。それに、水滴が頬に当たりだした。一刻の猶予もないのだ。
林道に出れば家まではほんのわずかである。大輔は藪をかき分け、勇人に絶えず声を掛け、出来るだけ急いで山を下った。やっと林道に出たとき、雨は本降りとなり、風が出てきた。
「勇人! もう少しだ。がんばれ!」
「うん!」
「走るぞ!」
家は目前である。大輔は心太を背負ったまま走り出した。
その時、嵐のような突風が3人の間を駆け抜けた。大輔は勇人が気がかりだったが、大泣きする心太をまずは家に届けることを優先した。
玄関の扉が開き、中から頼子が顔を出した。手にはバスタオルを持っている。
「ママ、ただいまあ!」
「馬鹿ね! もっと早く帰ってくればいいのに!」
「そんなこと言ったって・・・」
大輔は心太を頼子に預けると後ろを振り返った。
「まったくぅ! 泣かないのよ、しんちゃん。怖かったよねえ。・・・あなた、勇人は?」
大輔は頼子の問いには答えず、土砂降りの雨の中へ駆け出して行った。
わずか1分・・・いや、もっと短い間だったはずだ。
後ろから走ってついてきたはずの勇人の姿が忽然と消えていた。