緑 髪 鬼 ⑤
空が抜けるように青い。
「天高く・・・なんちゃら・・・ってヤツだな。」
ヒートアイランド現象の猛威も少しは過ぎ去り、少しばかりの涼しい風が窓から吹き込んでくるようになった。9月も半ばを過ぎたのだ。
溝口は振り返ると稽古場の中を見渡した。ここには色々な思い出がある。そう考えると少しばかり名残惜しい気持ちが頭をもたげてくる。メインの二人の先輩が突然失踪してから2カ月以上経つ。いったいどこへ行ってしまったのか? チームメイトの誰も知らない。噂では大森先輩が田中先輩を殺害して失踪したという奴もいるが、証拠もなく、ただただ噂が独り歩きしている。何しろ大森先輩の部屋から、田中先輩への借用書が大量に見つかったというのだ。彼ら二人が仲が悪いのは、みんな知っていたが、借金があるとは誰も知らなかったのである。
だがお蔭で溝口にもチャンスが回ってきた。ヒーロー役が自分に回ってきたのだ。ただのスーツアクターではあるが、それなりにランクは存在する。顔が映らないというだけで、ヒーロー役とその他大勢では全然扱いが違うのだ。お蔭でかなりしごかれたが、溝口はそのチャンスをものにした。
「ミゾ。なに感慨にふけってんだよ。そろそろ行くぞ。」
「はい、今行きます。」
「窓、閉め忘れんなヨ。」
「大丈夫ですよ。」
溝口は窓を閉めると、クレセント錠を掛け、荷物を肩に背負う。
今日で稽古場を閉めるのだ。8月の上旬くらいに、別の稽古場が見つかったと言われ、引っ越すことになったのである。
「しかし、田中先輩はどこ行っちゃったんですかねえ?」
「さあな。けど、旬を過ぎたとはいえ、あのままだったら、名アクションスターになってたかもしれねえな。」
「なんせ、あの動きは人間離れしてましたからね。俺もビックリしたっすヨ。」
溝口の師匠であるこの男は口髭をさすりながら、少しだけ遠い眼をしていた。
「お前、あのオバケの話信じてんのか?」
「俺には分からないっす。なんせ、そういうのとは無縁ですから。」
「俺もだ。けど、首のない幽霊じゃ、それが田中かどうかなんてわからんじゃないか。」
お盆も過ぎたあたりから、稽古場に幽霊が出るという噂が立ち、それもここを引き払う要因のひとつであった。
「これでオバケ騒ぎも終わりだな。」
「オバケまで引越しについてこないですよね。」
「それは御免こうむりたいね。」
彼の師匠は口髭の間から白い歯をのぞかせた。
二人は稽古場を出ると、その重い扉を閉めた。
胸が重い。
なんだか胸のあたりに鉛のように重い物質が乗っているような感じがする。モヤモヤとしたような痛みが胸にはあって、それがやけに煩わしいのだ。
伊吹はゆっくりと目を開けた。天井が見える。アイボリーホワイトの天井にはLEDの照明が埋め込まれているようだが、伊吹には見覚えがなかった。
(ここは、どこだ・・・?)
動こうとしたが、体が動かない。どうもベッドに固定されているようである。鼻のあたりにも異物を感じるし、左腕にも少しばかりの痛みを感じる。
(察するに、病院だな。)
伊吹はあの時のことを思い出そうとした。
あの時・・・伊吹は緑の髪の男と対峙した。緑の髪の男は、壁を蹴り上げ、伊吹の頭上から襲ってきたのである。その時、急に周りが薄暗くなった。薄暗いというより、すべてが青くなって見えるのである。
『慌てるニャよ。今からお前の身に起こってることを説明してやるニャ。』
すかした百目鬼らしくない言葉遣いだが、伊吹にはこの現状が理解できなかった。周りが青くなった瞬間、すべてのものがゆっくりと動くのだ。まるでスローモーションの映像を見ているかのようである。しかもその中で動いているはずの自分がもどかしい。ショルダーから抜いたデザートイーグルの安全レバーを解除する自分の指が実にゆっくりなのだ。実にもどかしい。通常なら一連の動作で1秒もかからない筈。
『今、お前は少しばかり進んだ時間の中にいるニャ。』
『進んだ時間?』
『百目鬼の力で特定の空間の時間を進めたのニャ。理屈は分からニャいが、その空間の中では意識がやたら早く進むのニャ。だからお前は普通に動いてるけど、意識は早いから実にゆっくりと感じられる筈ニャ。』
『その通りだ。』
『だから慌てることはないのニャ。あいつの頭を狙ってゆっくりと引き金を引くニャ。』
緑の髪の男は、とんでもない跳躍力で、伊吹の頭上めがけて襲い掛かろうとしていた。伊吹は銃の照門と照星が緑の髪に重なる瞬間、絞るように引き金を引く。銃口から飛び出す銃弾が、ゆっくりと回転しながら緑の髪の男に一直線に向かって行く。実にもどかしい。眠くなってしまいそうだ。
『寝るニャよ!』
『へいへい・・・。』
『2発目を撃つニャ。』
『撃つのか、撃たねえのか、どっちだよ?』
『下僕のクセにご主人様に口答えするニャ! 撃つに決まってるニャ!』
相手を殺害するなら、必ず2発撃ち込め。訓練で教えられた鉄則だった。急所に1発撃ち込んだから終わりなんてのは映画の世界だけだ。
緑の頭の男の左頬に最初の一発は着弾した。血しぶきが飛ぶが弾は貫通しないようである。ハローポイントのせいなのか、それともダムダム弾にでも細工が施されていたのかは分からないが、少なくともその反動で、男の首がガクンとのけぞる。空中での男の動きにややブレーキがかかる。
デザートイーグルのスライドが戻り、ハンマーが起きている。伊吹は銃の反動でズレた照星を少し修正して、再びヤツの頭に狙いをつける。こういう時は意識の方が早いと非常に楽である。
少しだけ胸に痛みが走った。良心の呵責というヤツなのか? 伊吹は悪童ではあったが殺人は初めてである。2発目も男の下あご付近に着弾した。
その瞬間に、伊吹は現実に引き戻された。風景がもとに戻り、色んな音が普通に耳に入ってくる。血まみれの男がアスファルトの上に落ちてきた。そして向かい側に居たひげ面の大男と、コスプレの犬がはこちらに向かって走ってくるのを見たのが最後だった。
伊吹は後頭部に衝撃を受けて意識を失ったのだ。
『あの野郎・・・。』
配置的に言って、伊吹の頭を殴ったのは百目鬼しかいない。しかも今は病院らしきとこで、ベッドに縛り付けられている。
「クソッ! いったいどういうつもりだ!」
起き上がろうとしたが、体は動かない。・・・が、
「少し落ち着くのニャ。」
突然間の前に黒猫の顔が迫ってきた。
「な・・・なんだこれ。」
しかも喋ったのだ。
右側に重みを感じると、長い顔の白い犬が伊吹を覗き込んだ。
「あら、思ったより元気そうじゃない。よかったわね。」
犬も喋った。
バサバサという羽ばたきが聞こえ、左肩にカラスが停まった。
「おいおい、そんなに立て続けに話したら混乱するだろうが。まずは自己紹介ってのが人間の掟だろ。オレは那由他、よろしくな。」
その叫び声は病院中に響き渡ったに違いない。伊吹は猛獣のように吠え、驚いた2匹と1羽は一気に伊吹から離れた。
『落ち着け、落ち着くのニャ!』
『・・・・・テレパシー・・・?』
黒猫が伊吹の胸に飛び乗った。・・・胸が重い。
「クラマ、赤鬼を呼んできてくれニャ。」
「わかったわ。それじゃ自己紹介は、また後でね、坊や。」
白い犬は扉を器用に開けて出て行った。
白い長毛種の犬・・・どこかで見た覚えがある犬・・・いや、あれは黒犬だった筈だ。たとえ額に同じ角があろうとも!?・・・・え?
「黒夜よー。コイツ大丈夫か?」
「こいつはバカだから心配ないのニャ。」
黒猫の耳と耳の間に2本の尻尾がユラユラと揺れていた。よく見ると点滴の台に載っているカラスの足が3本ある。
「叫ぶニャ!」
「・・・お・おぅ。」
心臓が早鐘のようにドキドキと鳴り、心電図の波形が大きくうねっていた。
「コイツ死んじゃうんじゃねえか?」
「大丈夫ニャ。」
平然と黒猫は伊吹の胸に落ち着いた。
「コイツは俺の下僕だからニャ。簡単には死なないのニャ。」
この声・・・伊吹には聞き覚えがあった。それと同時に少しずつ落ち着いてきた。
「お前らは、いったい・・・」
CGのアニメ映画じゃあるまいし、これが現実に起こっているとは到底思えなかった。
「それは赤鬼が説明してくれるのニャ。」
黒猫の眉が少しゆがんだ。痛みでもこらえているかのようであった。
忙しくてずっと書けなかった。実は登場人物の名前を忘れていたW




