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鬼界の掟  作者: 弐兎月 冬夜
15/20

風 鳥 鬼 ⑨ 白

 ― 大阪府某所 ―


 しとしとと降る雨の中、白いビニール傘をさした一人の女が、古ぼけたマンションを見上げていた。

女の年のころは20代前半くらいだろうか、もっと若いかもしれない。

 小柄なその女は白いレインコートを身に着け、白い長靴、ニトリルの白い手袋、白いマスク、白いシャツに白いエナメルのパンツを履いている。肌が露出しているのは顔の一部のみだが、抜けるように白い。容姿は整っていそうだが、目深にかぶった幅広の帽子にピンクの水中メガネのような奇抜なサングラスをしているので顔かたちは一切分からない。そしてロングの髪までもが真っ白なのである。

 女が見ているマンションは、5階建ての古ぼけたマンションで、住人はほとんどなく、怪しい企業のオフィスなどが主に入っていて、そのお蔭でこの辺りは治安が悪いとまで言われている。そのマンションを見上げている彼女はぶつぶつと何かを呟いている。

『どうでもいいけど、相変わらずダサい格好よね。』

「ほっといて。あたしは濡れたくないの。」

『せめてさあ、長靴はやめてくれないかなあ。』

「これが一番楽なのよ。ヒールで仕事するのは漫画だけよ。」

『ぜんぜんイケてないし、やたら目立ってるわよ。』

 確かに・・・雨の日とはいえ全身白づくめの服装で歩道に立っている姿は目立ってしかたない。

「あのね。あたしは絶世の美女ではあるけれど、モデルじゃないの。分かる?」

 一体誰と話しているのか? 

周りにもし人が居たら、独り言をブツブツ言っているちょっと可哀そうな(たぐい)の人だろう。

『長靴って音が五月蠅(うるさ)くない?』

五月蠅(うるさ)いのはあなたの方でしょ。」

 雨が少し強くなってきた。傘をさしているとはいえ、ポツンと一人で立っている白い女は異様である以外の何者でもなかった。

「もうすぐパシリの兄ちゃんが帰ってくるんだからぬからないでね。」

『へい、ガッテンでさあ、姉御!』

「・・・あんたが冗談言っても面白くない。で、中は見えてるんでしょ。」

『見えてまーす。入口の奥に監視カメラがついてるわ。多分エレベーターの中にもあるわね。きっと奴ら見張ってるわ。ここからじゃ他には無さそうだけど裏の非常階段にもカメラはありそうね。どうする、美香?』

「どうするって? もちろん正面玄関から入って、エレベーターに乗って行くわよ。」

『非常階段で行けばダイエットになるんじゃない?』

「アホか。このスレンダーな美少女にダイエットなどと言う文字が似合うと思って? オホホホ。」

 確かにレインコートで体の線ははっきりしないが、小柄で細身のようである。

『誰が少女だって? バッカじゃないの。』

「誰が馬鹿ですって!」

『バカ丸出し。バカ丸見えよ。』

「・・・フン。まあいいわ。」

 美香は気持ちを切り替えたのか、会話を終わらせた。

「あなたはフリーパスで入れるわよね。」

『ええ、もちろん。』

「簡単よね。」

『ええ、簡単よ。』

 二人が軽口をたたきあっている間に、一人の若い男がレジ袋に荷物をたんまり詰め込んで近づいてきた。その男はモヒカンにしていないだけでその姿は”北斗の拳”のザコキャラそっくりである。あまり近づきたくない人種のようだ。

 男は美香に気づかないふりをしているが、出かける時から同じ場所に立っている怪しい女に気づいていない筈はない。きっと見えないところで電話して指示を仰いでいるのだろう。緊張で男の瞳孔が少し開いている。

 男はマンションの入り口のガラス戸を開けると、レジ袋を降ろして透明なビニール傘をたたむと、周りを警戒するように中に入っていった。


「入れた?」

『入れたに決まってるじゃない。簡単よ。』

「バカね。足跡はきっと防犯カメラに写っているわよ。」

『残念でした。私の足はもう乾いてるの。そんなヘマはやらないわ。』

「ふん。生意気なヤツ。」

 頬を少しだけ膨らませた彼女の背後で、彼女を呼ぶ声がした。

「お・ね・え・ちゃん。雨の中で何してるの? 濡れちゃうから、おっちゃんと茶~でもせーへんか?」

 彼女の背後には黒い傘をさした一人の男がいた。紫のメッシュの入った髪に銀の鼻ピアスをしている。顎の先に少しばかりの髭を蓄えてはいるが、総じて無精ひげがあちこちに見えた。派手なシャツに、ボタンをかけない黒縞のスーツを着ている。紛れもなくチンピラと呼ばれるお方のようだ。

「・・・・・誰かと思えば、外2の後藤かよ。」

 美香は振り向きもせずに答えた。

「冷たいやないかい。寒いやろなァって、せっかく気ぃ使ってのが分からへんのかいな。」

後藤と呼ばれた男はぼさぼさの髪をかきむしった。

「・・・あのねえ。目立つからどっか行ってよ。」

「何言ってんだよ。おめえの存在がすでに目立ってンじゃんか。もう遅いつーの。」

 どうも関西弁はヤメにしたらしい。

『どうしたの、美香?』

「どうもしないわ。それより部屋には?」

『入ってるわよ。簡単だわ。』

「簡単ね。」

『ええ、簡単よ。』

 美香は振り向くと後藤に向かって言った。

「残念だけど、お茶はまた今度にしましょう。あたしに近づくと、あんたもマークされるわよ。」

「ほな、手筈通りに。・・死んだらあかんよ、お嬢ちゃん。」

後半の言葉は聞こえるか聞こえないかの低い声だった。

「なんや、まったく。オトコかいな、しょーもナ!」

大声で悪態をついて、後藤は去っていった。

『ねえ、美香。早く来てくれない?』

「どうしたのよ?」

『ここ臭いのよ。男くさいだけじゃなくて、色んな匂いがする。もううんざりよ。』

「あんたは鼻がいいからねえ・・。」

『さっさと仕事を終わらせちゃおうよォ!』

「じゃあ、そろそろ女優は舞台にお目見えしましょうか?」

『ふざけてないで、さっさと来るのよ。』

「わーかったってーの!」

 美香は少しだけ深呼吸をすると、背筋をいったんシャンと伸ばして、もう一度マンションを見上げた。

そして彼女は車道を小走りに渡ると、さっきの男が入ったマンションに向かって行く。

 パシリの男が開けたマンションの入り口には鍵がかかっていない。美香は素早く室内に入ると傘をたたんで雫を払う。玄関は少し広いホール上になっていて、エレベータは入口の正面にあった。少し上を見上げると、監視カメラが見える。

 美香はスタスタとエレベーターに向かい、昇りのボタンを押した。エレベーターの表示は4から3へと次第に降りてきている。扉が開くと、中には誰もいない。美香は傘を巻きながらエレベーターに乗り込む。やっぱり奥の天井には監視カメラが設置されている。すべてのカメラが彼女の行く先の連中が仕掛けた訳ではなく、彼らはもともとついていた監視カメラの映像をハッキングして見ているに過ぎない。

 美香は臆すことなく4階を押し、表示階数を見つめている。

『今、どこ?』

「エレベータの中。相手は?」

『男が5人。』

「イケメンは?」

『いかついのならいるけど。』

美香はニトリルの手袋を外す。短く切った爪が真っ赤なマニュキアで染められていた。

「いかついのは御免だわ。」

 チン! と音がして4階に着いた。開いた扉の先には狭い廊下が見える。このマンションは建物の中央に廊下があって、左右に部屋があるという作りらしく、窓は一切ない。数メートルおきにある蛍光灯がやはり薄暗く、奥の非常口の誘導灯もぼんやりと見えるだけである。

 美香は散歩でもするように歩き出した。目指す部屋は向かって右側の奥にある。鉄製のドアにはアンティファのロゴマークがペイントされているが、間違いなく偽装だろう。


 ドアのノブが回ると、全身白づくめの女が滑るように入り込んできた。

薄暗い室内にいる男たちはあっけにとられた。パシリのにいちゃんが、隣にいる強面の男に必死で何事か訴えている。どうやら自分はカギを閉めたと言い張っているようだ。

 中は総じて薄暗い。天井の明かりは点けておらず、ブラインドの隙間から漏れる外の明かりと、デスクに置かれた数台のパソコンのモニターの明かり以外には、デスクのスタンドライトが2~3個ついているに過ぎない。雨天だから、ほぼ夜と変わらない室内である。

 美香が見渡したところ、室内は案外広い。2~3部屋をぶち抜いて作られたオフィスのようだ。ただ堅気の会社でないことは、ブラインドの陰に取り付けられている鉄格子が証明している。


 美香は自ら入ってきたドアのカギを誰でもそうするとでも言わんばかりに普通に閉めた。これにも中の男たちは驚いたようである。もはや間違って入ってきたとか、そういう類でないことは明白だった。

「鍵を閉めてどうする気だ、女?」

男たちの話す言葉はすべて外国語である。

「あら、あなたたちが逃げられないようにしただけよ。」

 美香も同じ外国語で答える。

 その瞬間、デスクを飛び越えてジャージの男が、美香に襲い掛かってきた。手には大型のサバイバルナイフが握られていて、美香の首筋を狙って薙ぎ払ったのだが、美香は体を低くしてその一撃を躱す。そして彼女がジャージの男の背後に回ると、男に囁いた。

「おバカさんね。説明を聞いてから掛かって来て欲しいのに。」

ジャージの男は額から脂汗を流している。サバイバルナイフは男の手から落ち、乾いた音を立てた。男には彼女に追撃するゆとりなど無かった。何故なら彼は今、強烈な痛みに耐えている。

「もう一つ忠告。下手に抜くと、数分で死ぬわよ。」

よく見ると、ジャージの男の右肩と、左足の内股のあたりに小さな木製の杭のような物が突き立っていた。何かの柄の部分のようだ。突き立っている部分から少しばかりの血が滲んでいた。

 美香の右手がキラリと光る。シャカシャっと音がして細身のナイフの刃が姿をみせた。どうやらバタフライナイフのようである。

「あなたたちにも言っておくけど、死にたくなかったらナイフは抜いちゃダメよ。どのみちあんたたちは下っ端なんだから、組織に忠誠を誓ったところで組織はあんたたちの事なんか何とも思っちゃいないの。分かるかしら? 忠告はしたわよ。」

 男たちは一瞬目配せすると同時に、奇声をあげてタンクトップと金のジャージの二人の男が飛びかかってきた。二人とも素手だが、なにか武術を心得ていると見えて動きに無駄がない。だが二人の連続攻撃は美香が体を躱すと同時に止む。男たちの体にはやはりバタフライナイフの柄が何本か生えている。

 シャカシャカ

音と同時に美香の両手にナイフが出現する。

 一体、何本のナイフを隠し持っているのか分からないが、恐るべき速さである。幻のように攻撃を躱すと、襲ってきた男たちの体にナイフの柄が生える。いや、突き立っている。根元まで深々とだ。

 ほとんど血が飛び散る事もなく、まるで豆腐に串でも刺すように簡単に突き刺す。しかも金のジャージの男の右足の甲に刺さっているナイフは、床のコンクリートにまで突き刺さっているように見える。


 残りはヘビメタの兄ちゃんと薄いサングラスをかけた年配の男の二人だけだった。

 ヘビメタのお兄ちゃんは、その服装からはそぐわず、すでにガタガタと震えまくり座り込んでいる。匂いから察して、失禁か、もしくは脱糞しているに違いない。おそらく彼は訓練を受けた工作員ではなく、日本に住む協力者なのだろう。スパイ工作というものは、007のように他国に単身で乗り込んで縦横無尽に暴れまわると言った類のものではない。大抵は自国に関係のある他国人や他国に棲む自国民を脅すか懐柔して協力者にする。NK国の工作員は、日本に潜入する際に、協力者の目星をつけた相手に、自国で撮った相手の親族と一緒に撮った写真を持ってくるのだそうだ。

「あなたのお母さんが、あなたによろしくと言っていましたよ。」

などともっともらしい事を言うらしい。要するに写真を持ってきた工作員に協力しないと、本国に居る近親者がどうなるか分かっているか? という脅しである。

 実際に某企業の取締役までなった人物が、自身の屋敷を提供したり、工作員の為に増築までしたという事例もあったそうだ。


「何者だ?」

年配の男は場数を踏んでいるらしく、怯えた様子はない。まだ美香の間合いに入ってはいないと踏んでいる。そして話しかけることで美香の気をそらそうとしている。

「上着を脱いで頂戴。」

美香は取り合わない。

年配の男は云われた通りにゆっくりと背広を脱ぐ。

「君は一体誰なんだ。公安か? それともCIAか?」

「パシリ!」

「はい!!」

美香は脱糞して震えている男を怒鳴りつけた。

「この男の両手を縛れ!」

しかし、美香の声に反応したのはヘビメタ男ではなく、年配の男の方だった。近くのデスクの引き出しを開け、拳銃を手にした。

「ガッ!」

だが撃つ前にその拳銃は手から落ち、床に転がった。右手首から血がしたたり落ち、何者かの強力な力で床に引き倒されようとしてた。男は右腕を引っ張られながら、それでも左手に拳を作って机のノートパソコンを壊そうと足掻く。打ち下ろされた拳はパソコンを掠め、デスクを思い切り叩くが、二度と振り下ろされる事は無かった。左手の甲にナイフの柄が生えていたからだ。

「おいたはダメ。」

いつの間に近づいたのか、美香が男の目の前に居た。


「じゃあ、もうあたしに会う事も無いでしょうけど、後の人生は健やかな老後を送れますように。」

美香はドアのカギを開けると、廊下に出て行った。

中では5人の男たちが動けぬまま、その場でうめき声をあげていた。5人とも数本のナイフが突き立てられている。その場から動けないように釘付けされていた。

「あらやだ。」

美香は袖に着いた血のシミを発見した。

「もう、今回はけっこう気を使ったのにぃ。」

数名の男たちと廊下をすれ違う。

エレベーターを降りると、入口の所に後藤が煙草をくわえて立っていた。美香は何事もなかったように後藤の脇を通り過ぎる。

「ごくろうさんでした。」

後藤は小さな声で呟く。しかしサングラスの奥の眼は鋭く尖っていた。

 美香はそれには答えず、扉を開けて傘をさす。雨はいよいよ強くなってきたようで通りには誰もいない。水しぶきを上げて走ってくる車の音だけがやけに響く。夕闇というよりはすでに夜である。

 傘をさした美香の隣に、いつの間にか大きな白い犬がいた。

「あんたねえ。あそこで噛むことはないでしょ。お蔭で血がついちゃったじゃないの。」

「あら、あたしは助けてあげたと思ってンだけどなあ。」

「あら、おあいにく様。あなたの助けはいらないのよ。分かってるでしょ。」

「負け惜しみっていうのね、それ。」

「あの程度の下っ端だもの。簡単でしょ。」

「ええ、そうね。簡単。」

「そうよ簡単よ。」

二人は小さく笑うと、いつの間にか闇の中へと溶けていったのである。


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