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鬼界の掟  作者: 弐兎月 冬夜
13/20

風 鳥 鬼 ⑦ 黒

 フロントマンのチョンは正面の入り口から入ってくる男を見て眉をしかめた。

白のジャケットにパンツと薄いグレーの開襟シャツといういでたちでオードリーの革靴を自然に履きこなしている。おまけに白のチロリアンハットをかぶってオリバーピープルズのサングラスをしているのだ。年齢は30代後半くらいか・・恐らくは結構な金持ちなのだろうと全は値踏みした。

 そこまでは良いのだが、若いのに杖を持ち、傍らにジャーマンシェパードらしい犬を連れている。杖の使い方や足取りをみても、まず間違いなく視覚障害者なのだ。ジャーマンシェパードの盲導犬と言うのはあまり聞かなかったが、全はそういう事に詳しいわけではない。犬種についても良くは分からないのだが、彼が眉をしかめた理由は他にある。

 全が務めているホテルはこの国では一流と呼ばれているホテルである。”障害者や盲導犬お断り”ではないが、個人的に障害者は好きではない。この国では明らかに迫害されていると言ってもいい。

『来るなよ。来るなよ。』

全は心の中で呪文を唱えた。しかし、視覚障碍者の男は3人いるフロントマンのうち真ん中に居る全の所に向かってくる。両脇の二人はニヤニヤと笑っている。

やがて男はトボトボと犬に連れられて全の前までやってきた。普通の客になら、にこやかに対応する全だが、盲目の人間に愛想を振りまくのは損だとでもいうように、露骨に嫌な顔をしていた。

『どのみち見えはしないのだ。』

おまけにロビーには一人の客もいない。

男は手探りでカウンターに手をかけ、正面に居るであろうフロントマンに声をかけた。

「私は李高仁と言う。XXXX号室の陳さんに呼ばれて来た。取り次いでくれ。」

 全は聞こえないように低く舌打ちした。男の話し方にムカついたのである。障害者風情が偉そうに指示するなど言語道断と彼は思っているからだ。

けれど、XXXX号室の客は常連のVIPである。勝手に行かれて問題でも起こされれば自分の責任問題にもなりかねない。無視することも出来たが、すぐに受話器をとり、電話をかける。普通の客になら「少々お待ちください。」くらいは言うのだが、この時は無言のまま内線電話をかけた。


 数分後、李高仁氏はXXXX号室の中に居た。


 XXXX号室は部屋の一面がガラス張りになっていて、そこからの町の夜景は実に美しかった。100年前なら平屋の建物くらいしかなかったこの国は、あの戦争の後、米国の助けによって急成長した。いわば自由主義国家のモデルとして隣国の共産主義国にその豊かさを見せつけるためのプロパガンダだったのである。

 高級そうなソファーに狐のような吊り上がった眼をした中年男が座っていた。そしてその背後には二人の男が立ち、正面に座っている李高仁氏を見据えていた。

狐目の男は高級そうな煙草をくわえると、背後の男がロンジンのライターで火を点ける。男は煙を深く吸い込み、細く吐いた。

「何とかならんかね。その犬。」

李氏の傍らにジャーマンシェパードが座っている。

「犬は私の部下であり、ボディガードだ。それに口も堅い。」

李氏は冗談を交えたつもりだったが、狐目の男の目尻が下がる事はなかった。彼は幼い時に犬に咬まれて大けがを負った事があり、それ以来、犬は大の苦手なのだ。視界の中に犬の存在があるだけで落ち着かないのである。

この男はそれを知っていて、わざと犬を連れてくるのだ。


 李高仁と名乗った男の本当の名は金永哲である。

「相変わらず、無礼なヤツだ。」

狐目の男はオールバックにした髪を左手で撫で上げた。

「まあいい。分かってると思うが、君に仕事を頼みたい。報酬はいつもの3倍だ。」

 金の左目の瞼がピクリと動いた。

「日本に行ってもらいたい。」

「日本? あの国での仕事なのに報酬が3倍?」

「確かにスパイ天国と言われるほど緩い国だが・・・・一部に強力な組織がある。もちろん表向きの話ではない。我々もその存在さえすら確実な物は何も掴んでいないのだよ。」

「初耳ですね。」

「おそらく八咫烏(やたがらす)と言われている組織ではないかと言われてはいるが・・ね。公安なのか、それとも自衛隊の秘密組織なのか? 実態は不明だが、我々の工作員がすでに何人か行方が分からなくなってしまっている。」

「消されたという事か?」

金の口元が少しだけ上向く。

「甘く見ては困る。我々だけではない。北やCIAもだ。」

金には信じられなかった。平和ボケした国の秘密組織など、恐るるに足りない。そう思うのだ。

「あの国は実に奇妙な国でね。どこの国の文化とも一致せず、言語すら共通性を持つ国が少ない。そして奇妙な出来事が多い国でもあるのだよ。今回の事もそうだがね。」

狐目の男は、吸った煙をふぅーっと吐きだすと、その煙草をもみ消した。

「時に君は光学迷彩というのを知っているかね?」

金はフンと鼻を鳴らした。

「カナダでは実用化に向けて開発中とのことだが、すでに米軍では試験的に導入されていると聞く。わが国でも他国に負けずに開発を急いでいるが、なかなか思うように進んではいないようだ。ところが、日本では()()()()()すでに持っていると言われている。それが<龍の抜け殻>と言われるものだ。」

金は笑い出した。

「龍? そんなものがいたらお目にかかりたいものだ。」

だが、狐目の男は笑わなかった。

「俗にロボットと呼ばれる技術や、レーザー兵器は一昔前まで、SFやおとぎ話の世界の話だったが、今では次々と実現されつつある。笑い事ではない。わが国も各国の機密情報を盗・・集めてはいるが、まだまだ世界との格差は開いているのが現状だ。伝説であってもその<龍の抜け殻>を手に入れることが出来れば世界の先端を走ることが出来ると上では考えている。」

「で、私がそれを盗んでくれば良いと?」

「・・・・・横取りだな。やつらもそれを捕りに行くという情報を掴んだ。ただし、その詳細は分からない。君はそのハンターが龍の抜け殻を手に入れたら・・・。」

狐目の男は親指で首を掻き切る動作をした。この世界にきれいごとなど無い。相手を殺して奪えと言っているのだ。もちろん、金もそのつもりである。一番厄介ごとが少なくて済む。

「そいつを生け捕りにする必要はないのか?」

「今回は<龍の抜け殻>の奪取が最優先だ。運よく死体を回収できれば・・・するがね。」

「久しぶりの仕事だ。」

「腕は鈍ってはいないだろうね?」

「試すか?」

護衛の二人に緊張が走る。

「冗談だよ。」

金は低く笑う。

「渡航の手筈は進んでいる。時間があまりないんだ。明朝には出立してほしい。君はまず・・・」

狐目の男が金に詳細を詳しく説明を始めた。


 ()()()は彼の本当の名前ではない。


 彼は吉林省の山岳地帯の貧農の次男坊として生まれた。家は非常に貧しく、子供のころから餓死寸前の生活を送っていた。生きるために何でも食べたし、何でもした。彼の家では蛙や蝙蝠(こうもり)は云うに及ばず、虫や蚯蚓(ミミズ)などもよく食べた。たまに近くの村から盗んできては、殺して食べる犬や猫は彼の一家にとってはご馳走だったのである。

 彼の兄は学校へ行ったが、彼は行くことが出来なかった。家が貧しいからだけでなく、"一人っ子政策"によって()()()()()()()()()()()彼は戸籍どころかその存在さえ、無かったのである。働き手となる男であることは親も喜んだが、まさか双子とは思わなかったようである。わずか数分早く生まれただけで二人の明暗は分かれた。兄は戸籍もあり、一人っ子として周知されるが、彼には何も無かった。母と父。そして兄。貧しくても仲の良い一家・・・・などというのは絵空事である。赤子の頃はいつ親に殺されるか分からなかったし、歩けるようになってからはすぐに働き手として兄と一緒に働かされた。それでも戸籍のある兄は学校に行っている間は働かずに済んだが、生まれていないことになっている彼は、毎日働きづめだった。

 6~7歳くらいの頃だろうか、彼は手製の弓矢で狩りを始めた。農作業はきつかったが、空腹には耐えられなかったのである。両親の目を盗んでは山に入り、鳥や小動物を狩った。もともと天賦の才があったものと見えて、彼の狩りの腕は見る間に上達していった。


 彼は今でもあの晩のことを思う。


 雨の晩だった。

季節外れの大雨で、一昨日からずっと降り続いた雨はやがて、山に悲鳴を上げさせるに至った。

暗闇の中、ゴォオオオオオオという恐ろしい地鳴りの音とともに、突然天地が逆になった。寝床から放り出された彼は運よく机の間に挟まれ、土砂に飲みこまれずに済んだ。天井と崩れた木材、机の間が空間となって土に埋まらなかったのである。さらに、崖を滑り落ちた家が岩に当たって彼のいる空間に穴をあけた。奇跡と言っていいほどの幸運だった。雨の中、目を覚ました彼は穴から抜け出し、ひたすら駆けた。裸足で走る彼の足は血まみれになっていたが、痛みを感じる余裕すらなかった。どこをどう走ったか、覚えてはいないが、彼が気が付いた時は、すでに朝になっていた。

「お前、生きてるか?」

寒さと疲れで血まみれになって倒れていた金に誰かが問いかけた。

恐らく昨夜の土砂崩れの状況を見に来たのだろう。近くの村から数人の村人が山に登ってきていたのである。そして彼を見つけた村人が言ったのだ。

「お前は金永哲なのか?」

 彼はすぐに打ち消そうとした・・・したのだ。

 きっと誰かが彼の耳に囁いたのだ。『兄の名を言え』と。

 彼は・・・・・・コクリと頷いた。


 兄には名があり、自分には無かった。たった数分後に生まれただけで、自分は兄と同じ腹から生まれたのに、自分は人間ではなかったのだ。

 その日から、彼は金永哲になった。

 後で知ったが、家族は一人も見つからなかったそうである。



「じゃあ、また。」

全は同僚に別れを告げ、従業員用の出口から出た。彼の勤務時間は終わり、明日は休みである。いや、すでに日付は変わってはいた。

「とにかく早く帰って寝よう。」

全はとにかく疲れていた。色々とトラブルの多い1日だったのである。独り身の彼の家はホテルのすぐ近くにある。歩いて10分足らずだが、川沿いの薄暗い細い路地を通らねばならない。物騒だが、大通りを通ると倍の時間がかかる。

 人気もなく、街燈すらないこの道を通る者は昼間でも少ない。舗装されているとはいえ、ガードレールすらなく、川は結構深いうえに、流れが速い。地元の子供もこの道を通ってはいけないときつく言い含められているのである。まして、隣は墓地だし。夕方以降にここを通る者など誰もいない。

 でも全は平気だ。幽霊などというものを信じてはいないし、そういう体験もない。夏になると友人たちが怪談話を始めるが、いつも全はバカバカしいと一笑に付すのである。

「生き物は死ねばそれまでだ。腐って土に還るだけさ。」

きまっていうセリフで皆が白ける。


   ひたひたひたひたひた


ふと、彼は後ろに人の気配を感じた。

しめっぽい足音のような音がついてくる。


 全は立ち止まって後ろを振り返ったが、人のいる気配がない。街燈は無いが、近くの建物から漏れる明かりで、少しは見える。

彼が立ち止まると、音も気配も消えた。

全は再び歩き出す。すると、また


  ひたひたひたひたひた


再び立ち止まって後ろを振り返るが、やはり気配は消え、足音も消える。

「気のせい・・・かな?」

全が前を向いたその瞬間、どす黒い大きな獣が彼を襲った。喉元を食いちぎられた全は、声を立てる暇もなく倒れ伏した。黒い獣は牙を深々と彼の首に突き立て、噴水のように血が噴き出た。

全はもがくように黒い獣を掴んだが、その力は子供のように弱弱しい。

 腕や指がしびれ、やがて地面にバタンと落ちた。

 黒い獣は獲物が力尽きたと見るや、すぐに全から離れた。

全の首からはドクドクと血がながれ、口が金魚のようにパクパクと動いている。何か言おうとしているのだろうが、口をあけた喉からもれるのは血の泡と笛のようなヒューヒューという音だけである。

 白い服を着た男がゆっくりと彼に近づいてきた。

すると・・・犬は男に近づき、その前にチョコンとおすわりをした。

「良い仔だ、ピンイン。」

金永哲はゴムの手袋をはめた手で犬の頭を撫でた。そして横たわっている全を見てこう云った。

「運が悪かったね。もし大通りを歩いていたら、私に出会わなかっただろうに。君にはちょっとムカついていたのだよ。」

金は彼の衣服から、スマホと財布を取り出す。

全は意識が朦朧としているに違いない。目が憐れみを乞うている。

金はちょっとだけ首をかしげたが、躊躇することなく、彼を川へと蹴り落とした。

 この川は町中に特有の暗渠へと流れ込む。

 全の死体が見つかるかどうかは川の流れが決めるだろう。

 金はスマホと財布を用意していたレジ袋に入れると、それをポケットにしまって歩き出す。ピンインはその後ろをついてくる。

 この国は世界でも有数の監視社会である。いたるところに監視カメラがある。金は陳とあのホテルで会うと決まった時から、このあたりの地理を前もって調べている。どこにカメラがあるか把握していた。彼がムカついて意趣返しをしようとしていたとしても、彼の言う通り、全がこの道を選ばなけば、きっと死ぬことはなかった。金にとってはほんの遊びのだったのである。


 金は通りに出ると、しばらく歩き続けた。障害者のふりはもうしてはいない。信号待ちしているトラックのシートのゴムの間にスマホを素早く押し込む。運が良ければどこかの田舎に運ばれていくだろう。財布はまたしばらく歩いて目に付いたゴミ箱に捨てた。

 すべてが手馴れている。

仕事で殺人を犯していないときでも、何処かの街で人を殺しているのだろう。


 彼にとって軍隊は天国だった。少なくとも飢える事は無い。

 金は助けられた村人によって養われ、軍隊に入ることが出来た。軍隊での給金の半分をこの家に送るという約束である。だがそれは金にとっては苦ではない。とりあえず食べることが出来る上に、とりあえず遊ぶ程度の金は残ったからだ。官舎は古かったが、実家や養父の家と比べれば豪邸のような物だ。

 そして、軍隊で教えられる銃に異様なほどのめりこんだ。とくに狙撃の腕は、同期の中ではズバ抜けていたのである。やがてそれは部隊の中ではとなり、彼は狙撃兵として辺境警備の部隊に回された。

 辺境警備とはいっても、特別な任務はほとんどない。彼の日常もほぼ毎日が平穏だった。彼は自分の銃の銃弾を毎日ヤスリで磨き、空気抵抗を減らすための形を極めるのが日課のようなものある。

 ある日、彼が見張りに立っていると、山で人影が動いているのが見えた。

地元の異民族なのだ。彼らも飢えているのだ。きっと山に食べ物を求めて入り込んできたのだろう。

「撃ってみるか?」

「え?」

彼の上官が饅頭でも食うかとでもいうように何気なく言った。

「撃ってみるかって聞いたんだよ。」

上官の嫌らしい口元に乱杭のような黄色い歯が見えた。

撃たねばきっと殴られる。

金は「はい。」と返事をし、スコープを付けて銃を構えた。

標的まではおよそ500メートル。ゼロインもすでに調整済みだ。

人差し指がゆっくりと引き金を絞ると、銃は火を噴き、心地よい衝撃が肩に伝わる。

 そして、崖から人間が転がり落ちるのを金は見た。

 双眼鏡で見ていた上官が言った。

「いい腕だ。今度やつらを見つけたら、撃っていいぞ。」


 そこで何人を撃ったのか?

 金自身も覚えてはいないし、記録に残る事も無かった。最初は200mだったが、慣れるにつれ、距離を伸ばしていく遊びを彼は続けた。

(物足りない・・・。)

一方的に打てる標的は人間と言えども、ただの的でしかない。クレー射撃の皿と同じだ。

 彼は軍隊を辞めてアフガンへと渡った。傭兵となったのである。やがて金永哲という名前は闇の世界でもひときわ輝く星となり、傭兵だけでなく、いろんな国の汚い仕事を請け負うようになったのである。


  ()()() 


彼の兄の名が、闇の世界で有名な名前のひとつとなったのである。


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