風 鳥 鬼 ⑥
「起きるのニャ。」
「おう・・。」
伊吹の胸元から、黒夜が飛び出して、前足を大きく伸ばしてあくびをした。そしてトタンの隙間から外に出て行く。
伊吹も寝袋から這い出て、扉を開けて外に出る。外は昨日までの雨が嘘のように晴れ上がっていた。黒夜も伊吹もホーリーブレイクである。
「臭いのにゃ。」
「しょうがねえだろ。」
高カロリー食品は、容量が小さく、サバイバル食品としては優れモノだが、排泄物の匂いが酷くなるという欠点がある。一般人ならともかく、兵士としては匂いで居所が突き止められかねない。
「メシを食ったら、小屋の掃除をして出かけるのら。」
「まあ・・・雨宿りさせてもらった訳だしな。」
伊吹と黒夜は中に戻って、簡単に食事を始める。黒夜はちゅ~るるだけを食う。
「お前ぇ、食いすぎるとデブになるぞ。」
「うりゅチャイにょらげぼきゅ」
「食いながら喋るんなら、テレパシーにすればいいべ。」
『にゃるほど。・・改めまして・・・下僕は黙っとらんかい!』
ちゅ~るるも高カロリー食品もおよそ1週間分くらいはある。もしかすると長丁場になるかもしれないと、黒夜は云っていた。
祠の片隅に簡単な掃除道具が置かれてあった。たまに誰かが掃除にくるのだろう。捨てられた神ではなく、いまも崇められているのだろう。あるいは伊吹たちと同じように緊急避難してきた登山者たちがお礼を兼ねて掃除していくのかもしれない。蜘蛛の巣や埃はあっても、思ったより少ないのがその証拠だった。
伊吹と黒夜は改めて祠に手を合わせ、神域を後にした。
切り立った崖の前で身支度を整える。黒夜をまたバックパックに入れるためだ。今度はバックパックの上ではなく、顔だけを出して中に納まっている。
「今度は登山道じゃにゃいのら。藪を進むにょ。」
「・・・・ああ。分かった。」
伊吹は帽子の顎ひもをかけ、ストールで頭を包んだ。
「どうしたのら?」
「・・・なんだか見られてるような気がしてな。ドローンを飛ばしてもいいが、スマホはまだ禁止だしな。」
伊吹は手のひらサイズのドローンとスマホも持っている。偵察用に装備されている物だが、標的に近づくまで使用禁止である。バッテリーの問題もあるからなのだが・・・・。
「道案内は吾輩がするのら。まずは北東の方角へまっすぐ進むのラ!!」
「OK、ご主人様。」
伊吹はコンパスを出して方向を確認する。
北東の方角は目の前である。
「おい・・・崖じゃねえか。」
「今回の標的は<風鳥>なのら。」
部屋に戻ると黒夜がお気に入りのクッションの上に寝そべって言った言葉がそれだ。伊吹は<風 鳥>という生き物に心当たりは無かった。無論、この次元の生き物ではないのは分かっていたが。
「風鳥とはやっかいね。」
眩が寝室から現れ、二人掛けのソファーに寝そべった。
座るところのない伊吹は、床に胡座をかく。
「なんなんだよ。その<風 鳥>ってのは?」
『鳥なのら。』
『そうね。鳥だけど鳥じゃないわ。』
『言ってる意味がわかんねえぞ、お前ら。』
『こいう鳥なのら。』
黒夜が画像のイメージを送ってきた。
「・・・・お前・・・しょうこおねえさんレベルだな。」
眩が小声で笑っていた。
『私は見たことがないから、イメージは送れないけど、おおよその話は聞いているわ。』
『またいきなりこれがターゲットだなんて言われても困るからな。教えてくれクラマ。』
『<風 鳥>というのは、文字通り風のような鳥で、姿が見えないと言われているわ。』
『見えない? いったいどういう事だよ?』
『<風 鳥>の皮膚は光を曲げて放出すると言われてるわ。』
『つまり、量子ステルスって訳か。』
【量子ステルス(Quantum Stealth)】とは、光学迷彩の事である。簡単に言えば、ドラえもんやハリーポッターなどに出てきた透明マントの事であり、カナダの軍服メーカー【ハイパーステルス バイオテクノロジー社】が開発に成功し、特許を申請しているという。
この量子ステルスと名付けられた光学迷彩は、電力を使わず紙のように薄い素材で、光を曲げたり、破壊干渉と呼ばれる作用により、円筒状の中にある物質を消して見せる事が可能だ。またこの素材は太陽光発電も可能であるうえ、スクリーンとして使用すると3Dホログラムの映像を作り出すことが出来るという。
さらに、レーザー光線を38万もの光線に分離可能であることから、ステルス戦闘機すら捕らえる事が可能なレーダーにも使用できるといわれている。ちなみに、この素材は軍事専用である。
『身体的には爬虫類に近く、数年に一度、脱皮すると言われていてね。ほっとけば<風 鳥>は脱皮した自分の抜け殻を食べちゃうんだけど、その透明な抜け殻はそのままで光学迷彩になるそうよ。民話や伝承に残っている天狗の隠れ蓑とかは<風 鳥>の抜け殻だったのね。』
『待てよ。どうして子供の行方不明事件と、<風 鳥>が関連してくる?』
『こっちの動物でもそうだけど、産卵の前には栄養を付ける必要がある。それは分かるでしょう?』
『・・・ああ。』
伊吹の口調が少し重くなった。
『昔の神隠しのいくつかはこの<風 鳥>の仕業だと言われている。それに、<風 鳥>が人間の子供を襲うのは別の目的もあると言われているわ。<風 鳥>の子育ては変わっていてね。生んだ卵を温めるような事はしないのよ。岩に嘴でくぼみを作って、そこに人間を咀嚼した<風 鳥>の唾液と混ぜた液体の中に卵を産むの。卵はその液体を養分として成長して孵化する。その液体のDNAが子供の性格に影響を及ぼすとも言われているの。』
『じゃあ、攫われた子供は・・・。』
『残念ニャけど、生きてはいないのラ。』
少し落ち込んだ風を見せる伊吹に、眩が言葉を添えた。
『子供が襲われた時点で、その子供は死んでいるわ。誰にも阻止できなかったのよ。』
『しゃて、我々の任務ニャが、吾輩と伊吹は<風 鳥>の産卵場所を見つけて、<風 鳥>の脱皮を待つのラ。卵の孵化が始まると<風 鳥>は脱皮を始めるのニャ。』
『なぜ?』
『ヒナに自分の姿を見せる為ニャ。ヒナは最初に動く物を親と認識するニャ。』
『透明な親は、親と認識されないって事か・・・。』
ふと、人間でも当てはまるな。 と、伊吹は思った。
『そこで伊吹の出番ニャ。伊吹は脱皮した<風 鳥>を麻酔銃で撃ち、<風 鳥>を眠らせ、GPSで百鬼に位置を知らせる。位置を確認した百鬼は、その場にやってきて、<風 鳥>を鬼界へと連れて行く手筈ニャ。そしてお前は、<風 鳥>の抜け殻と卵の養分を回収する。簡単な任務ニャ。』
「まったく、どこが簡単な任務なんだよ!」
ほぼ垂直に切り立った崖を下る事は、さすがの伊吹も出来ないので、当然迂回することになった。だが、道などあろうはずもなく、藪の中を手探りで進むような事態になっているのである。
「文句を言うニャ。迂回しないで、まっすぐ行けば、こんなに苦労せずに済んだのニャ。」
伊吹はすでにゴーグルも付けている。荊の藪に突っ込むこともあり、衣服もあちこち切れて、薄く血が滲んでいるところもある。
「あほか。オレは鳥じゃねえっての。」
「今すぐヤギに転生するニャ。」
「バカヤロー・・・って、いつっ!」
弾けた小枝が、伊吹の頬を掠めた。
黒夜はバックパックの中にすっぽり入っているので、ほぼ安全だが、伊吹はそうはいかない。
「なんか、俺はお前の車かなんかのような気がしてきたぜ。」
「間違っちゃいないのら。」
黒夜は大きくあくびをした。
「へっ、居眠り運転すんじゃねえぞ黒夜。」
今回の任務に眩はいない。眩は眩で別の任務をあてがわれているらしい。那由他はチームメンバーと紹介されたが、病院で会ったきりである。もっともカラスは毎日見るのだけれども。
『チッ、息が上がってきやがった。こりゃ、毎日本格的に鍛えとかないとダメだな。』
「その通りにゃのら。」
黒夜はケタケタと笑った。
「ピンイン。お前を連れてくる必要もなかったかもしれないね。」
金永哲は犬に話しかけた。
伊吹たちは藪をかき分けて進んでいるため、匂いによる尾行をするまでもなく、伊吹たちの足取りは明確だった。素人目には見分けがつかなくとも、ブッシュ戦を経験してきた金の眼にはごまかしようがなかった。
ピンインは金が育てた軍用犬である。漢字で書けば流星だが、流れ星の意味ではない。鉄の鎖の両端にそれぞれ鉄錘がついている古代の兵器の事で正しくは流星錘。または流星鎚とも呼ばれる。
イーストヨーロピアンシェパードの流星はピンと立った両耳をしきりにあちこちに向けながら伊吹の匂いを追って行く。藪の裂け目に潜り込むように金を誘導していたが、キャンと短く泣いた瞬間に藪が揺れ、ビュンと言う音とともに何かが金の太ももに突き刺さった。荊の枝を利用した簡単なブービートラップである。流星の前足がテグスに引っかかったらしい。彼の左耳も切れて血を流している。しかし、金は動じる様子がない。
「おやおや。面白いことをするね。」
流星は主が怪我をしたのを見て、シュンとしている様子だ。
「心配いらないね。殺傷能力のないトラップだ。だけどお前は後でお仕置きだ。分かってるね。」
金はこれを見る限り、尾行られていると感づいてるワケではないと確信した。荊の棘で切り傷が出来る程度のトラップである。しかも攻撃点が低く、人間の太もものあたりを掠めるように設置されている。動物なら熊以外は怪我をしそうも無い。立っている人間を狙うなら、もう少し上か、あるいはもう少し深手を負うように設定するだろう。
ブービートラップを作ること自体、自分の経路を明確にしているようなものだから、隠密行動をするならやるべきではない。おそらく、ちょっとした不安が拭い去れなかったのだろう。
金はズボンを脱いで、大きめの絆創膏を貼った。
「ピンイン。急ぐ事は無いよ。ゆっくり行こう。」
しばらく進むと、せせらぎの音が聞こえ始めた。
思った通り、藪が切れて、川が現れた。大きな川ではないが、昨夜の雨で少し増水しているようだ。
「これなら何とか渡れそうだね。」
金と流星は突き出た岩を飛び跳ねながら、向こう岸へと渡った。
「・・・・? アイツ面白い事をする。・・・・ピンイン。今度こそお前の出番ネ。」
渡り切った向こう岸に、伊吹の足跡が無かった。おそらく川の中を少し歩いたのだろう。居るかいないか分からない追手の為に、増水した川の中を歩くとは用心深いのか、気がふれているのか?
金はニヤニヤと笑う。
「この水の量なら、まずは川下から探るのがセオリーね。」
流星は執拗に匂いを追う。切れた耳の血はすでに固まっていた。
しばらく川下に向かって行くと、流星が反応した。匂いを見つけたらしい。今度は竹林の中に向かったようだ。
「竹は危ない。ピンイン、注意、注意。」
金はにこやかな笑顔をを浮かべつつ、竹林の中を進む。もっとも整備された竹林ではない。藪よりは隙間はあっても、基本的には藪と変わらない。またブービートラップが仕掛けられているかもしれない。
「ピンイン、スティ!」
ピンインは立ち止まり、その場に伏せた。
金はゆっくりと腹ばいになり、耳を地面につける。標的との距離を測るためだ。標的に近づきすぎてもいけないし、離されすぎてもいけない。理想は500m以内に間合いを取ることが出来ればよい。
静かに時間が流れる。
野鳥の声・・・木々のざわめき・・・せせらぎの音。
やがて、金は立ち上がった。
「よし、行こうか、ピンイン。」
黒夜は地面に降りた。竹林を抜けた木立の中で伊吹を止めたのである。黒夜は前足で土を掘り、用を足す。そしてしばらく近くを歩き回ってはマーキングを繰り返し、時々立ち止まって耳をピンと立てる。
「何をしてるんだ。」
「猫としての習性なのラ。ほっとくのニャ。」
猫は特に振動に聡い。特に聴力は人間に比べると約4~5倍と言われる。聴域は25~7万5000ヘルツと言われ、一説にはアリの歩く音も聞こえるという。また、音の聞き分けも発達しており、数キロ先の車のエンジン音さえ聞き分けるとさえ言われている。黒夜はこうやって時々、周りの様子を確認するのである。
「いたのラ。」
「え?」
「風鳥の居場所を見つけたニャ。」
黒夜が笑った。