第二節 わたしはロボット、労働力
実るほど、頭を垂れる、稲穂かな。
米を栽培する国は数あれど、我が国ほど執着した国家はない。
品種を改良し、水田を改良し、食味を楽しみ──
だからこそ、目の前に広がる光景は夢のようだった。
流れる河があり。
そこから、階段状に地下へと下がる田んぼに水が引き入れられていて。
田んぼでは、ずっしりと実り色づいた稲の穂が、風にそよぎ、金色の海となって揺れている。
ここが別世界だと忘れるほどの郷愁。
あまりに、あまりに懐かしい光景。
……正気を、疑うほどに。
「ヴィーチェ、私の頬をつねってくれ」
「歯ァ食いしばりなさい!」
「!?」
ぶん殴られた、加減なく。
ぺたんと私は尻餅をつき、片腕を失っている彼女はよろけて転倒する。
稲穂ぐらいまで低くなった視線を合わせ、私と彼女は声を上げて笑った。
夢ではない。
これは、夢ではない。
故郷のような光景が、確かにいま、ここにある!
「めかけと楽しんでいるところ悪いがな、婿殿」
「だーれがめかけよ、だーれが!」
「……このセクタの管理者が、現れたぞ。それも随分、水くさいやつがな」
彼女の言葉に困惑していると、奇妙な音が聞こえ始めた。
ぴちゃん、ぴちゃんと水の滴る音。
そして、〝それ〟は湧水のように、地面からざわざわと湧き出したのだった。
立ち上る水柱。
やがて、水柱は人の形を取って。
『ようこそ、漁夫王の庭へ! 歓迎いたします──あたらしい人間さん!』
人型の液体は、自らをこう名乗った。
労働力。
即ち──
『わたしは、ロボットです。気軽に〝i〟と呼んでください!』
§§
ロボットとは。
──などという知識は、もちろん生前の私にはなかったので、これはヴィーチェがインストールしたものなのだろう。
ひとに代わる労働力であり、ひとを模し、ひとに忠誠を誓うもの……と言うのが、おおよその意味らしい。
そういった意味で、眼前の水の塊はロボットだったと言える。
それは、骨格のような芯があるわけでもないのに、人型を維持してみせる。
いかようにも可変する流体の手足を使い、彼──便宜上彼と呼ぶ──は、農作物の世話を行っていた。
そうだ、これが一番重大な出来事だったのだが。
このセクタで栽培されているのは、米だけではなかったのである。
中央を流れる河を隔てて、手前側には水田が。
そして奥側には、広大な畑が広がっていたのだ。
畑には奇妙な作物がいくつもあった。
根には馬鈴薯、枝にはトマトやナスが生えたもの。
にんじんの頭から、セリが生えているもの。
水耕栽培されている唐芋などである。
それらが植えられた畑家は実に広大で。
大きさで言えば、それこそ関東平野ほどもあるようにみえた。
栽培される作物を見るたびに巫女殿が、
「うぉおお! 婿殿! これはなんの冗談だ? 絶滅種にアーカイヴにすらない植物、生物が躍り出る! 未知に充ち満ちたここは、オレの心を翻弄する楽園か!」
などと、テンションを上げて一喜一憂していた。
世界を知ると言うことが、彼女にとってどれほど大切かがよくわかった。
しかし広大な土地である。
おまけに水が、そうあれだけ貴重だった水が、ここでは垂れ流されている。
王の庭を自称するだけの凄みは確かにある。
ところで、これほどの規模の畑を、アイがひとりで管理できるわけがない。
彼が言うところのロボットは無数に存在し、あちこちの畑で、作物の世話に明け暮れていた。
中央を流れる河には魚が棲んでおり、アイたちはそれを網に変化した手足で掴まえたりもする。
「いや、よどんだ眼をよく開け、婿殿。あれは魚ではないぞ」
「……やはり、私は夢を見ているのか?」
巫女殿に促されるまま、アイの手の中をのぞき込むと、そこで跳ね回っていたのは鯨だった。
掌ほどの鯨である。
……赤ん坊だとしても大きさの理屈が合わんではないか。
アイにその旨を訊ねると、
『はい! 食べやすいように品種改良をした、手乗り河鯨です! 上流に湖があって、そちらには大きな鯨もいますよ!』
などと返される。
漁夫王とは仰々しい名前だと思ったが、鯨取りの王だというのなら、辻褄が合う。
しかし、だとするとこれは……
「ヴィーチェ、質問がある。私の通訳を貴様はしているか?」
「何の話?」
「外つ国の話にもあるが、神隠しで異界に行けば、大抵言葉が通じないものだ。だが、アイたちが告げる言葉が私にはわかる。これまでの旅路もそうだ。直截的にいえば──日本語で理解できる」
「……それが?」
私の言葉を促すように、彼女は表情を変えない。
百面相の彼女が、妖精のときですら笑ってしまうような彼女が。
鉄仮面のように、眉ひとつ動かさなくて。
「……いや。大過ないことだ。忘れてくれ」
私は、追及することが出来なかった。
ただ、疲れ果てていた。
その場に座り込んでしまった私に、アイが歩み寄ってきた。
『おつかれですか、人間さん?』
「ああ、疲れている。酷く、酷くな」
『でしたら、なんなりとお申し付けください! 食事でも、遊戯でも、なんでしたら夜伽の相手に男娼をご用意しましょうか!』
「男娼……見目は」
いやいや、とうとう狂ったか、キリク?
見目がよかろうが悪かろうが、私は男だろうが。
どうせ抱かれるのなら、柔らかい女性の方がいい。
──いや、待て。
「アイ、貴様はいま、男娼をと言ったな?」
『はい! よりどりみどり、どんな姿でもご用意できますよ!』
それは、つまり。
「この区画にも、人間がいると言うことか?」
『────?』
私の問いかけに、ロボットは。
アイは、まるで人間のように首を傾げて、こう言った。
『このセクタにいる人間さんは、キリクさんだけですよ』
「なにを馬鹿な。ヴィーチェも、巫女殿もここにいて──」
『と、いうかですよ』
アイは胡乱げに。
これ以上ないほどの不穏さを伴って。
その言葉を、吐き出したのだった。
『ドレッドノート・ストラクチャーに人間さんは、キリクさんを含めて二人しか存在しませんよ……?』
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