79話 商人ウサギのピンチ
豪奢な応接室。品の良い調度品の数々、毛の長い絨毯に深く沈み込むようなフカフカのソファ。銀の燭台がいくつも置いてあり、蝋燭にて周辺を煌々と照らしていた。蝋燭を大量に使い、部屋を照らすだけでもお金がかかるが惜しげもなく使用していることと、応接室の豪奢が内装がこの部屋の主を財力のある人だと見せていた。
だが、その主と思われる男と隣に座る少女は苦しい表情を浮かべて、対面に座るお客と話をしている。表情だけで、その話し合いが上手くいっていないことが第三者の目からも簡単に推測できるだろう。
海千山千の商人が表情をあらわにして、商談をするなど通常ならありえない。それが、王都1の商会であるブックス商会の当主であるならば。
表情を隠す余裕もなくブックス当主は追い詰められており、その隣で父を横目で見ているフーデも内心で深くため息を吐いていた。
多少の沈黙があったのであろう。再びフーデの父、ブックス当主が口を開く。
「………どうしても、これからの取引を止めると? そうおっしゃるのですな?」
多少掠れるような声で当主は今言われたことを口にすると、相手の商人は冷ややかな目で当主を見て頷いた。
「ええ、これまでブックスさんには大変お世話になりましたが、うちも商売なものでね………。貴方が魔風様からの輸入品は買うなとおっしゃられた。その通りにしましたら、どうですか? すぐに開拓に必要な物を王都から買い集める事も出来ずに干上がり、貴方に泣きついてくると言っていましたよね?」
「たしかに言いましたな………。彼らはすぐに物資が欠乏して我らに泣きついてくるはずです。それを待ってこちらに有利な条件での取引をできるはず。もう少し我慢して頂ければ、必ず思う通りに」
当主が苦し気に以前に言った内容を繰り返すが、現在の状況をかんがみて、それが上手くいくとは自分でも信じていないだろうと今は理解している。
それを相手も理解しているのだろう。冷笑で答えを返してきた。
「はっ! 物資が買えないから干上がる? そんなことはありませんよ。彼らは物資を潤沢に持ってきている! 私たちから買い取ってくれとお願いしないと買い取ってくれないぐらいにはね! そして、それは問題ではない! ぺーキングパウダーを買っていないうちは、お客からそっぽを向かれている! 中小の商会が私の商会をこのままでは上回ることは明らかだ! うちはパン屋に小麦を卸しているのですぞ。他の商会はそれに合わせて魔風様から買い取ったぺーキングパウダーをセットで売っている!」
ダンダンと机が壊れそうな勢いで叩いて、怒りの表情を浮かべる相手の商人。
「ふんわりパンを作れないパン屋は今や時代遅れだ! 毎日口に入れるものだから、誰も彼もぺーキングパウダーを入れていないふんわりとしていないパンなど買うことなどしないんです! うちのお客であるパン屋もだいぶ他の商会に取引を持っていかれました。このままではうちは潰れてしまう! これから私はグリムさんの商会に頭を下げにいき、ぺーキングパウダーを卸してもらえるようにお願いするつもりです」
当主はなにも反論できなかった。砂糖や香辛料へと目がいきがちであったが、真の恐ろしさはぺーキングパウダーであった。あれを少量入れるとふんわりとしたパンができるのだ。
少量のために、多少高くても使う事ができたパン屋はこぞって使い始めた。もう王都では硬く焼きしめたパンなどには誰も見向きもしない。ふんわりパンブームとなったのである。
そして、ふんわりパンを作れないパン屋は一気に評判を下げて、売り上げも地を這うように下がっていっているのだった。
その事に危機感を覚えた小麦の卸業者はグリム商会に頭を下げにいき、ぺーキングパウダーを卸してもらっている。
「大体、英雄であらせられる魔風様の一族に逆らおうなど………。一介の商人がやることではないですぞ………。最初からこの話は無理があったんだ。それでは失礼いたします、売れない小麦を懐にいつまで抱えておくことができるかブックス殿も考えた方がよろしいですぞ!」
英雄………。城内での戦闘は詩人もいた事から、すぐに歌となり城下へと広まった。素手でも巨大な鉄の蛇を倒す騎士鏡。それを魔法にて支援して傷ついた者を癒す力を持つ魔風アリス。まさに英雄の働きであるから、人々は渡来の人間族のことを称賛しているのであった。
相手の商人はそのまま席を立ち、荒々しく足音をたてて去っていく。その足で今度はグリム商会へ媚びを売りに行くのだろう。それも仕方ない、相手も商売だ。このまま売れない小麦を抱えて次々と取引先を失っていくわけにはいかないのであろうから。
去っていく商人を見送り、はぁ~と深く嘆息するフーデ。これで何件目の商人が取引を断りに来たのかわからないほどだ。
今ブックス商会は未曽有の危機に陥っていた。仕入れは別に問題ない、今まで通りとあまり変わらない。だが、売る方が問題であった。先程のような理由で次々と商人が鞍替えをすると伝えてきていたのだから。
「父さん、もう限界ですよ。これ以上意地をはったら確実に王都1どころか、うちの商会潰れてしまいます」
フーデが疲れた表情をして、忠告すると父親はイライラと頭をかきながら怒鳴る。
「そんなことはわかっておる! このままではうちは小麦を抱えたまま潰れるだろう。それを目的として他の商会もちょっかいをだしてきておる!」
「そこまでわかっているのなら、魔風様に謝罪をしてうちも取引をしましょう。恐らくはこの間のこともあり、手数料は微々たるものなるでしょうが、取引できないより遥かにマシですし」
立ち上がり、応接室をうろうろと迷うように歩き回り、父親は口を開く。
「そもそも、お前が最初の取引にて上手く交渉をできなかったら、こうなったのだ! 本来であればここまで追い込まれることは無かったはずだ!」
対抗策として物を買わないように、自分の支配下にある商会に手を回そうと言ったのは父さんでしょと言いたかったが、不毛な争いになるのは目に見えていたので、フーデはグッと我慢する。
「どうしたらよい? メンツを捨ててグリム商会ごときに泣きつくか? なにか手はないのか?」
どうやら、自分のプライドを捨てる事ができない様子の父親は迷った風に呟いているので呆れてしまう。
そういえば、あの少女との話し合いの時に、王都1だと何度も繰り返した馬鹿者がいたとも思い出し苦笑いをする。もちろん、その馬鹿者とは自分の事だ。
あの時に魔風アリスに言われたことを思い出す。すぐに王都2になるから王都1と言い張るのはやめた方が良いですよと言われたことを。
実際に現実にそれはなりそうな予兆を見せている。グリム商会は日が昇る勢いで取引を頻繫にしており、大量の金貨を稼いでいるはずだ。それを今度は買い取りに使うとなれば、もしもそれがうちより高値で買い取ると言った話になるならば、一気に王都1はグリム商会の物となる。
僅か1か月かそこらで、ここまで状況が激変するとはさすがに考えなかった。自分の考えが甘かったことを痛感した。魔風アリスはこの状況を予測していたから、余裕であったのだろう。
「やはり、頭を深く下げて謝罪しましょう。手数料を微々たるものとして扱うように話せば、グリム商会も頷いてくれるかと」
「ぬぐぐぐ………。やはりそれしかないのか………。仕方ない、それでは」
そうしようと父親が言う前に、ドアがトントンとノックされた。入ることを許可すると召使が戸惑うように入ってきて口を開く。
「ブックス様。お客様がおいでです。お約束はないという話ですが………」
それを聞いて、嫌な顔になる父親。また取引を変えるという申し入れだろうと予測したからだ。
「また取引替えだろう。すぐにグリム商会との取引を再開するから、それまでは待つように言い含めるか」
フーデがホッと安心して息を吐く。これでなんとか商会が持ち直せると考えたから。だが、召使の言葉は違った。
「いえ、他国から来た商人です。珍しいものがあるから是非買い取ってほしいと」
「ほぉ………。また他国からの物か………。うむ、それではすぐに会おうではないか。フーデ、お前はグリム商会へなにか手土産を渡して謝罪が伝わるように考えておけ」
目を光らせて父親が言うので、フーデはわかりましたと頷いて応接室を出ていく。部屋をでて通路を歩いていくと、途中で他国の商人だろう者がこちらへと歩いてきたのが見えたで、軽く会釈をして返す。
相手もこちらを見て、目を細めて会釈を返す。狐人族の痩せてひょろりとした男性であった。上等な服装に身を包んでおり、大きなカバンを持っていた。
お互いがすれ違う最中に、ふっと生臭い匂いがフーデの鼻をつく。なんだか蛇臭い感じがする、そうフーデは感じて嫌な感じを覚えた。
ちらりと後ろを見ると、商人が応接室に入っていくところであったが、それを見てなんとなく嫌な感じを改めて感じたのであった。
フーデが数時間後にグリム商会へと謝罪の手土産と取引する内容を考えて、執務室に戻った父親の元へと会いにいく。
執務室のドアをトントンと叩くと入れと許しを得たので、中に入る。そうして、父親を見て予想外の表情をした。
父親は大変機嫌が良い表情をしていたのだ。フーデを見て、顔を綻ばせて調子のよい声音で話しかけてくる。
なぜか、その機嫌の良さに嫌な予感を覚えながら、口を開く。
「父さん、グリム商会へと渡すお土産と取引の内容を伝えに来たんだけど………。どうしたの?」
首を傾げて、なぜ機嫌が良いのかを尋ねる。たぶん、さっきの商人が原因なのだろうが、なにか珍しいものでも買い取ったのだろうか?
「あぁ、グリム商会との取引を再開するぞ。ククク、取引内容などなんでもよい。とにかくグリム商会と取引を再開して、アリスシティとやらに多くの商人を送り込むんだ」
「手数料を微々たるものにする予定ですよ? わざわざアリスシティへと足を運ばせると赤字になると思いますが」
「あぁ、うちのやる気を見せないといけないからな。なに、多少の赤字など気にするな」
上機嫌での父親の言葉にフーデは、なにかさっきの商人と物騒な取引をしたのだと推測した。なので、冷酷な目つきで父親を見つめる。
そろそろ当主交代の時期に入ったのだろうと。




