雪の降る夜に
お久しぶりです
しんしんと、雪が降る。
はあっ。日が落ちて暗くなった空に向かって白い息を吐く。
寒さが身に沁みてコツコツと雪が積もり始めた石畳みの地面を歩く足音も自然と早まる。
周りはレンガ造りの家や建物が並び、まるでヨーロッパのようだ。
しかしここは地球ではない。
私、天宮命は4年前、12歳の時にこの世界にやって来た。突然全く知らない場所に飛ばされて混乱していたところ、運良くおばあちゃんに拾ってもらった。
この世界は中世のヨーロッパのような生活だが、魔法が使えることは地球とは決定的に違った。この世界の人々は皆魔法が使える。その中でも魔法に長けている者は男性なら魔導師、女性なら魔女と呼ばれ、私を拾ってくれたおばあちゃんも魔女だった。おばあちゃんは街外れの家に住んでいて薬を作って街に売りに出ていた。私もおばあちゃんから魔法を習い、そのお手伝いをして暮らしていた。そのおばあちゃんは3年前、雪が降る夜に静かに息を引き取った。老衰だった。
「ミコト、あたしはねえ、一人寂しく死んでいくもんだと思ってたけど、最後にあんたと出会えて幸せだったよ」
嗚咽を漏らして涙を流す私の頰を優しく撫でるおばあちゃんは続けてこう言った。
「出会いを大事にするんだよ、ミコト。しがない老いぼれに付き合ってくれて、ありがとねえ」
しんしんと雪が降る。私はこの日、一人になった。
コツッコツッコツッ。
早めていた足が止まったのは男の子が道の片隅で蹲っていたから。私は駆け寄って声をかける。
「ねえ君、大丈夫!?」
この世界では珍しい(というか初めて見た)黒髪だ。
ぼんやりと顔を上げ、その赤い瞳と目が合いその美しさに目を奪われる間も無くその子はそのまま倒れてしまった。私が慌てて顔に手を当てると酷い熱で呼吸も浅い。
ーー出会いを大事にするんだよ
おばあちゃんの言葉を思い出しながら私は男の子を抱えて帰路を急いだ。
「あっち行け!この化け物!!」
罵声、暴力。それが僕の日常だった。
僕は物心ついたときから孤児院にいた。不吉な黒髪に気味の悪い血のような赤い目を両親は気味悪がって捨てたらしい。周りの大人は僕のことを忌み子だといって蔑む。抵抗すると殴られてご飯抜きにされる。子供たちは僕のことを化け物だと言う。僕の居場所はどこにもなかった。
ある日、僕は孤児院の一人に怪我をさせてしまった。その時のことはあまり覚えていないが、気がつけばその子の腕からは血が出ていた。大騒ぎになって、僕は孤児院を追い出された。皆が僕を見る目はまるで化け物を見るかのようだった。
孤児院から出ても身寄りのない僕に行く宛なんてない。着の身着のまま追い出され、寒さに震えた。ゴミ箱に捨てられていたボロ布を纏い、蹲る。食べ物もゴミ箱を漁った。皆まるで僕がいないかのように視線をそらして素通りする。何とかその日を凌ぐ日々。一番辛いのは夜だった。日も落ちて辺りを照らすのは魔法灯と家々の明かり。美味しそうな匂いが漂う。カーテンの隙間から見える幸せそうな家族。余計に自分が惨めに思えた。
そんな日々が何日か続いた。僕はとうとう動けなくなってしまった。意識が朦朧とする中、誰かの声が聞こえた気がして最後の力を振り絞って顔を上げた。
男の子をベッドに寝かせ回復魔法をかけて暖かい毛布と布団でくるむ。火魔法でお湯を急いで沸かし、タオルで濡らして顔を拭く。薄汚れていて先程は分からなかったが、男の子は随分と綺麗な顔立ちをしていた。肌は滑らかで白い陶器のようで、先程見えた赤い瞳は今は長い睫毛で閉じられている。捨てられた毛布にくるまってガタガタ震えていたのを思い出し胸が痛む。この子が目を覚ましたらドロドロに甘やかしてやろう。そんな変な使命感を燃やしていた。
いい匂いがする……。それに何だかふかふかで暖かい……。
「目が覚めた?」
優しい声がして目を開けると綺麗な女の人がこっちを見て笑っていた。その人も僕と同じ黒髪で驚いた。瞳は黒色だ。
「急に驚かせちゃってごめんね?私はミコト。君の名前は?」
名前、名前。僕はそう聞かれて困ってしまった。
「あの….…ごめんなさい。僕、分かんないです。名前で呼ばれたことがないから」
ミコトさんは目を見張ると少し考えて、
「……じゃあ、私がつけてもいいかな?
君の綺麗な赤い瞳になぞらえてリュビはどう?」
そこには全く悪意はなくて。恐る恐る聞いてみる。
「あの……ミコトさんは僕のこと、気持ち悪くないんですか?」
するとミコトさんは驚いてどうしてそう思ったのか聞いてくる。
「だって……僕は化け物みたいな……」
髪はミコトさんと同じ色だから言うのが憚られて口をつぐむ。
「こんなに可愛い子が化け物だなんて!正気なのかしら!?」
聞いたことのない言葉に顔を上げる。ポカンと口を開けた僕は相当間抜けな顔に見えただろう。ミコトさんは優しく微笑んで、僕の方へと手を伸ばした。殴られた記憶しかない僕は思わず身を固くしたが、ふわりと温かい感触が僕を包んだ。
「君は理不尽な目に怒っていい。自分に自信を持っていい。私は君ほど素直で、可愛くて綺麗な子を知らない」
今までよく頑張ったね、と優しく頭を撫でてくれるものだから僕は戸惑って、なんだか胸がいっぱいになってしまって赤ん坊みたいに声をあげて泣いてしまった。そんな僕の背中を何も言わずゆっくりと撫でてくれる手が心地よくて、僕はずっとこの手を繋ぎとめておきたいと思った。
「もしよければここで私と一緒に暮らすといい」
私の言葉に目を丸くして驚くリュビ。
「いいんですか……?」
おどおどと上目遣いで私を見てくるリュビが可愛すぎて鼻血が出るかとおもったがすんでのところで堪える。
「もちろん!これからよろしくね、リュビ」
名前を呼ぶと、リュビは嬉しそうにはにかんで、私は完全にノックアウトされた。
ぐううううう。
お腹から大きな音が鳴った。僕は恥ずかしくなって慌てて謝る。そんな僕にミコトはスープをお皿によそってパンとチーズと一緒に僕の前に置いた。スープは色々な野菜と肉が入っていてとてもおいしそうだ。
「さあどうぞ、召し上がれ」
こんなにおいしそうな物、僕なんかが食べていいんだろうか?
「これ……僕が食べていいんですか?」
そんな風に言うものだからいじらしくなって
「もちろん!たくさん作っちゃったからいっぱい食べてね」
差し出されたスプーンを慣れない手つきで持ってゆっくりと口に運ぶ。
「っ!あつっ!」
僕が驚くとミコトさんは
「大丈夫!?火傷してない!?これお水!」
まるで自分が火傷したかのような慌てぶりで水を差し出してくれる。
「ごめんね、熱いから気をつけて、って最初に言えば良かったね」
眉を下げて申し訳なさそうにして謝る。でもこれは……。
「すみません、僕、こんなに温かい食べ物を食べたの、初めてで……」
孤児院ではずっと残飯しか与えられてなかったから食事なんていうものは温かいものだという考えがなかった。そう言うと、ミコトさんの方が泣き出しそうな顔で僕の頭を撫でる。
「熱いから気をつけて、ゆっくり食べてね」
生まれて初めての温かい食事はとってもおいしくて、お腹がぽかぽかした。
リュビと生活するにあたって私はいくつかリュビと約束をした。
一つ目、敬語は使わないこと
子供がどうして敬語を使うのかと聞くと、リュビは孤児院にいた時、生意気な態度を取ると殴られたから自然と敬語を使うようになったらしい。勿論礼儀は大切なことだ。でも私はリュビのことを大切な家族だと思っていたから敬語を外してくれるよう、またミコトと呼び捨てるようにお願いした。最初はたどたどしかったものの最近は慣れてきて私も嬉しく思っている。
二つ目、無理はしないこと
リュビはとてもいい子で、料理や掃除、他にも色々なお手伝いを率先してくれる。私としてはもっと寛いでいてくれて全然構わないのでだけど。
でもある日、掃除をしていたリュビが倒れてしまったことがあった。私が急いで駆け寄るとリュビは熱を出していた。リュビに回復魔法をかけてベッドに寝かせていると、リュビはいきなり起き上がってまた掃除をしようとした。
「ごめんなさい、ごめんなさい!僕なら大丈夫ですから!頑張るから、捨てないで!」
――捨てないで
その必死な様子に私も泣きそうになりながらリュビを抱きしめた。
「リュビはお馬鹿さんね。追い出すわけないでしょう。お手伝いしてくれるのはとっても嬉しいけどね、それが理由で一緒に暮らしてるんじゃないの。私がリュビと一緒に暮らしたいからなのよ?だから安心して、リュビがここにいたい、って思う限りはここにいていいの」
そう言うとリュビは私の顔を見上げて
「……僕は、ここにいてもいいの?」
不安げに揺れる瞳。
「ここにいていいんだよ」
安心させるように繰り返し言う。
「……ずっと、いてもいい?」
ずっと、という言葉に思わず苦笑が混じる。きっとリュビが大きくなったらこの子の道を歩んで行くだろう。その時までは、ずっと。
「ずっと、一緒にいよう」
三つ目、魔法を習うこと。
リュビには大きな魔力があった。そしてそれはきちんとコントロールしなければ危険を伴うほどだった。そこで私が魔法を教えることになった。私の師匠であったおばあちゃんは実は救済の魔女と呼ばれるほどの実力者で、私も師事していた。だから一番得意なのは回復魔法だが、日本にいたころのゲーム脳のおかげで、補助魔法も攻撃魔法も割と得意だ。リュビに向いていたのは補助魔法だったので、それを重点的に教えている。リュビの魔法の才能は素晴らしいもので、私も鼻が高い。きっと将来引く手数多だろう。
リュビは時折怖い夢を見るようで、一緒に寝て欲しいんだ……と上目遣いでお願いされた時は断る余地もなく鼻血を堪えただけだった。ずっと一緒に寝ていたが、流石にリュビが12歳になった時にやめた。そのときもしょぼんとして目をうるうるさせて、非常に罪悪感に苛まれたが、この歳で一緒に寝るのは……!と心を鬼にして断った。
リュビが13歳の時、魔法学院からリュビの入学推薦書が届いた。どうやらリュビの優秀さが王都にも届いたらしい。リュビは私と離れたくないと言って渋ったが、最後には
「……ミコトに相応しい男になるために頑張ってくる」
なんとも可愛い台詞を残して旅立っていった。
リュビは帰省休暇の度にすぐに帰ってきて、その成長を見せてくれた。学院では首席らしい。流石は私の弟子!そしてとても美しく成長したリュビはやはりモテモテらしい。少し寂しい気もするが、誰か気になる人はいないのかとお節介ババアのようなことを聞いたら何故だか怒ってしまった。遂に反抗期が来たか!と嬉しいような、悲しいような……ちょっとショックだった。
そんなこんなで色々なことがあったが、リュビは首席で学院を卒業することになった。一級魔術師に激しい勧誘を受けているらしい。一級魔術師と言えば憧れの職業だ。それなのになぜかリュビは渋っている。リュビの実力なら何も心配いらないだろうに。
そして私は今日、魔術学院の卒業式に招かれて来ている。何故なら昔、少しヘマをしてしまい目立ったことがあり、それ以来叡智の魔女という何とも厨二臭い称号を戴いてしまったからだ。おばあちゃんのローブをリメイクしたドレスを纏い、何とか見苦しくない格好で参上した。私の一張羅だ。リュビの保護者としてあの子に恥ずかしい思いをさせたらいけないからね!!控え室でスタンバッていると勢いよく扉が開いた。
「ミコト!!!来てくれたんだね!!」
その勢いのまま私にタックルして抱きついてくる。熱烈なお出迎えをしてくれたのはリュビ。出会った時は8歳だったが、あれから10年が経ち立派になった。……私も26のおばさんになった。出会った時から変わらない黒髪と赤い瞳は今では強さの象徴として尊敬を浴びているらしい。若くて才能の塊で顔も良いとくればまあお嬢さんたちが放っておくはずがない。……そんな彼は私の前では甘えたのだめだめちゃんなのだが。どうしてこうなった。育て方を間違えたかな?
「ミコトはいつも綺麗で可愛いけど、今日はすっごく素敵だ!誰にも見せたくないよ!このまま帰ろうか!」
残念なイケメンと化したリュビが何か訳の分からないことを宣っている。
「こらこら、今日は首席のリュビが挨拶するんでしょう?私はそれを楽しみに来たのよ?」
何とか宥めて式には出席させる。
リュビの挨拶はリュビが立派で尊すぎて終始涙が止まりませんでした、まる。
式の後にはパーティだ。とてつもなくだるいため帰りたい。しかし叡智の魔女(笑)である私はさっきから色々な人に絡まれている。
「まさか叡智の魔女にお会いできるだなんて!」
「そういえばリュビ殿は貴殿のお弟子さんなのだとか!いやー、流石ですね」
次々と寄ってくる人々を疲れてるからと一刀両断したいが愛しいリュビのために堪える。
「ええ、そうなんです。贔屓目に見ても自慢できる子なんですのよ」
そんなリュビは絶賛御令嬢達に囲まれている。その中でも一際目立つのはローレンシア公爵令嬢。現国王の姪にあたる。若く美しく、評判の姫だ。二人がお似合いで目をそらす。
「おや、これは叡智の魔女殿」
……嫌な声がして無視をしようかと思ったが流石にそれは許されない。何故ならこいつが王太子という無駄にやんごとない身分だから。
「これはこれはご機嫌よう、王太子様」
引き攣る笑みのまま振り向く。
「ずっとお呼びしているのにつれない態度で胸が張り裂けそうでしたよ」
……よく言う。王宮魔術師とやらにして面倒ごとを押し付けようという算段の癖に。叡智の魔女(笑)というふざけた称号をつけたのもこいつだ。リュビ程ではないが嫌味なほどに整った外見をしている癖に28という良い年してお相手がいないのだって性格が災いしているからに違いない!
「……お前、何か失礼なことを考えてないか?」
素の口調に戻った王太子。
「いえいえ、とんでもない。ただ私なんかに構っているお時間があるならばあちらのお嬢様がたに構っていらした方が良いのでは、と思った次第にございます」
嫌味をぶつけてやる。すると王太子はにやりと笑って顔を近づける。
「ほう?俺はお前がいいんだと言ったらどうする?」
ぐい、と勢いよく私の身体を引いたのは王太子ではなく
「リュビ!?」
リュビは不機嫌さを隠すこともなく王太子を睨んでいる。ちょっと!?こいつ、腐っても王太子だからね!?リュビくん??
「お初にお目にかかります、王太子殿下。生憎とミコトは私と共にありますのでどうかご容赦を」
そう言って私の手をとってあろうことかパーティを抜け出してしまった。
「ちょっと!!リュビ!?」
主役ともあろう者が抜け出すなんて有り得ない。後ろを振り返るとにやりとわらって王太子がこちらに向かって手を振っていた。あいつに借りが出来てしまった……!
転移魔法で一瞬で我が家に入った途端、リュビは息もつけない程の力で私を抱きしめる。…いだだだだ!背骨!背骨折れる!!
「……王太子と、何を話していたの?」
その声が余りに悲痛で私は思わずリュビの顔を見上げる。とても痛そうな、辛そうな顔だった。
「……最近のミコトは、おかしいよ。何だか避けられているみたいで」
ぎくり、と身体を強張らせる。バレていた。
「……ミコトが、僕に生きる意味を、居場所を与えてくれたんだ。捨てないって、言ってくれたんだ。ずっと、ここにいていい、って。それなのに、どうして、どうして……!」
泣いている。愛しい子が泣いている。誰よりも強くなった魔術師が怯えて泣いている。
「……ごめんね、リュビ」
そっと手を伸ばし、涙を拭う。いつの間に、こんなに大きくなったんだろう。
「貴方がどんどん立派になっていって、私がその足枷になってはいけないと思ったの」
私の言葉にリュビは私をきつく抱きしめる。
「そんなの……っなるわけない!僕はっ!ミコトがいないと、生きていけない!」
僕を捨てないでと泣く声を振り解くことなんて出来るわけがない。
「……私みたいなおばさんよりも、若くて後ろ盾がしっかりしているお嬢さんの方が貴方にとってためになるのにね」
「そんなの……っ!!」
それなのにね。
「でもね、本当は私も、リュビと離れたくないんだ」
溢した言葉にリュビの涙が止まる。
「それって….…」
「愛してるわ、リュビ。師として、母として、姉として、一人の女として」
可愛い可愛い私の弟子。弟のような、息子のようなこの子を私は男として愛してしまった。
「……こんな私で良ければ、ずっと一緒にいてくれますか?」
緊張して震えた声、答えは息もつけないようなキスだった。
しんしんと、雪が降る。
私はこの日、愛する人と永遠を誓い合った。
読んでいただき、ありがとうございました!