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世界の果てで君は歌う

世界の果て、という場所に興味はあるだろうか。


 この世界において、その場所に行きたくはないと言う輩は居なかった。

 何故なら、万人といる旅人はその場所に聳え立つものを目指すからだ。

 それは、辿り着いた者の願いを叶える伝説の木。


 その木の名を、世界樹ユグドラシルという。


 ────────


「クソ⋯」


 ある災厄で空が緋色に染まる中、男は崩壊した建物から這いつくばって脱出する。

 その男が出てきた場所には崩れた屋根と、十字架がゴミのように転がっていた。


 男がさっきまで居た場所は、その災厄から少しでも被害者を少なくするため、小高い丘の上にある、住民が避難していた教会だ。


 避難は順調に進み、近くにある王都セルロスの住民の十数人が避難を終えた時だった。


 突然、木の柱が全て腐り、屋根が崩れ落ちたのだ。


 偶然入口付近に居た男はなんとか抜け出せたものの、大半の人は落下物の下敷きになっただろう。そして、瓦礫の中からは悲鳴も嗚咽も聞こえなかった。

 幸い軽傷で済んだ男は、数時間前までは青々としていた茶色の芝の上に立ち、この世で1番大きい街の中央に聳え立つ、この災厄の元凶である1本の大きな大樹を見据える。

 否、正確にはその世界樹の上で詠唱を、歌を歌う麗しい少女をだ。


「⋯ティア」


 そっと、彼女の名前を男は呟く。

 だが、その呟きは誰にも聞かれることは無い。

 そして世界樹の少女は、決して詠唱をやめない。



 そもそも、この災厄はほんの少し前に始まったものだった。

 行商人である男アルスは、今は世界樹に操られている少女ティアと、どこにあるかも分からない彼女の故郷に送るという約束で旅をしていた。

 アルスは責任を持てないと断ったが、彼女の歌に惚れ込んでしまった彼は、無理を承知で旅をする。

 それから1年経った時だ。王都セルロスに寄ることになった。


 その時のセルロスは、街は活気に溢れ、踊り子は優雅に舞い、無邪気な子供は駆け回る、といった形容とは真反対の、言わば果てた街だったのだ。

 しかし暴君であった王はそんな事を顧みず、更には凶作で人々は悶え、苦しんだ。

 そんな終わり果てた王都で、街中の人々は思った。



 もし世界樹があるならば、こんな世界滅ぼしてくれ、と。



 ある日、そんな街で夕暮れを迎えた時だった。

 ティアが突然宿から飛び出し、無造作に噴水へと歩いていった。

 当然、アルスも付いて行ったが、彼女は口を聞かないどころか、意識がないも同然だった。


 大きい噴水広場に着くや否や、彼女はこの世で最も美しい歌声で、詠唱をし始める。

 すると地面が揺れ、噴水の水も止まり、聞こえるのは悲鳴と、動物の鳴き声と彼女の歌声。

 アルスがその状況に困惑していた時、それは噴水広場の中央の地盤が割って現れる。


 最初はどこにでも生えているような雑草だった。しかしそれは時が経つにつれ、大木へと姿を変える。


 それからの記憶は断片的なものだ。

 ただ、どんどんと伸びていく大木が這わせる根から、ティアを置いてまで逃げ続けた。

 仕方なく逃げていると街の外壁に辿り着き、根の猛進も止まっていた。


 街の噴水広場の方を見れば、大木はおとぎ話でしか見たことのない世界樹へと成長していた。そして、置いていったティアはその木の太い枝の上でまだ詠唱をしていた。

 すると、その世界樹を中心として、緋色の雲が辺りを覆い始める。

 そして次に、周りに生えていた植物が全て枯れた。まるで木の一生をたった10秒で見せられるようだった。外壁の門の奥にある草原も枯れ草色に染まる。


 アルスはここに居てはいけないと悟り、訳あって丘の上に建てられた教会に避難することを考えた。

 そして、街の人達の避難を終えた時、それは水の泡と化し、今に至る。


「世界の果て、か⋯」


 アルスは丘の上でそう呟く。

 誰もが知っているおとぎ話だ。世界の果てには世界樹ユグドラシルがあり、それに辿り着いたものは願いを叶えてくれる。

 ただ、世界の果てがどこなのか。それを知る者はいなかった。

 ただ、今この王都セルロスに居た者は即座に理解しただろう。世界の果てとは、何処かにある場所ではなく、朽ち果てた世界という意味だと。


 なるほど、とアルスは頭で理解する。

 確かに、おとぎ話には「行きたくはないと言う輩は居なかった」と、過去形で語っていた。それはつまり、ある時期を境にして行きたくはないと言う輩が出たという事だろうと。


 そして世界樹は、おとぎ話に書いてある通り、人々の願いを叶える。世界を滅ぼしてほしいという願いを。


「ティア」


 アルスは終わりゆく世界で少女の名前を呼ぶ。


「俺は、もっとお前と旅がしたかったよ」


 ティアの耳に届く距離ではないが、アルスは言わずには居られなかった。


「独り身だった俺はお前と旅をして、色々な経験を積めた」


 それでもアルスは続ける。


「喧嘩したこともあったし、破産しそうにもなった。ただ、それでもお前とは手を離したくなかった。お前との、ティアとの旅が楽しかったからだ」


 そう続けていたアルスは、突如、足を崩した。

 どうもあの世界樹が現れてから、生命力を奪われている気がした。直感ではあるが、教会の崩落で全員意識を失ったことを考えれば、ほぼ間違いではないだろう。


 枯れた芝に倒れながらも、アルスはまだ続ける。


「すまんな。それなのに俺はお前に感謝しかできなかった。お前の故郷に連れて行ってやれなかった。一方的に利益を受けて、俺は商人失格だよ」


 アルスは力なく言う。声も段々掠れていき、足の方はもうピクリとも動いていなかった。

 だが、最後の力を振り絞って、アルスは最後の言葉を告げる。


「俺は、ティアの事が、好きだよ」


 一番言いたかったことを言えると、アルスは遂に枯れた芝の上で力尽きた。




「汝」


 突如、透き通った声がアルスの耳に響いた。

 もう聞くことはないと思っていた、愛する旅の仲間の声だった。

 ただ、口調がいつもと違っていた。


 アルスはもう開けれなかった筈の瞼を開く。

 そこは2つの灯火だけが周りを照らす、薄暗い空間だった。

 しかし、アルスが体を動かそうとすると、まるで金縛りにあったよう全く動かなかった。


「案ずるでない。汝は意識だけを死んだ肉体にもう一度宿しただけの事。辛うじて使えるのは首から上の部分位であろう。」


 声のする方向を見ると、そこには台座の上に佇む女性がいた。


「⋯ティア?」


 目の前にいる女性は、深緑の長髪と、白い肌、整った顔立ちに、出すぎでも出なさすぎでもない体を持ち、アルスが惚れ込んだ声を発するのは、間違いなくティアだった。

 しかし、その身体の四肢が木の幹に拘束され、植物人間のような状態だった。


「妾は深緑の歌姫ではない。正しくは、深緑の歌姫の体に乗り移った者だ。名は、ユグドラシルという」


 アルスはその言葉を、驚きながらも、ゆっくりと噛み砕いて理解していく。


「⋯お前がティアを乗っ取って世界を滅ぼしたって事か」


「そう敵意を出すでない。確かに、妾がした事は、汝にとっては酷な事であろう。しかし、こうなる事を望んだのは、愚かな人間だけでなく、汝の愛する深緑の歌姫もよ」


「⋯ティアが?そんな」


 そんな事は無い、とアルスは言いかけた。

 確かに、ティアは優しい性格だったので、世界の滅亡など望まないと普通は思う。

 だがしかし、彼女が優しすぎるとどうなるのか。想像するのは容易い。


「そう、深緑の歌姫は人々の願いが叶うことを望んだ。詰まるところ、世界を破滅を願うのと同じことよ。悲しくも、汝が惚れ込んだ女は汝を捨てたということだ。そして妾は、願いを叶える為、世界を滅ぼしたのよ」


 木で拘束されたユグドラシルの言葉は、嬉嬉として語っているようにも聞こえた。


「それはおかしい」


 しかし、アルスはユグドラシルの言葉を否定する。根拠は勿論ある。しかし、ユグドラシルはそれを述べる前に口を開く。


「汝が望んでいないから、という事であるか」


 アルスは思考が読まれたことに目を見開くが、相手は架空の存在だと思っていたユグドラシルだ。自分の意識を肉体に再度宿すなどという暴挙をしている時点で、おかしくはない、と思い直す。


「その疑問の答えは簡単よ。だから、汝がここにいるのであろう?」


 自分が今ここにいる理由を考えもしなかたアルスは、言葉を詰まらせる。


「しっかりせよ。汝は行商人なのであろう?それと、汝がここにいる理由だが」


 ユグドラシルは、薄暗い暗闇の中で淡々と告げる。


「妾は人々の願いを叶える樹。ただ1人の願いをも裏切ってはならぬ。だからこそ汝に問う。汝、まだ生きたいと願うか?」


 薄暗い空間で、灯火がゆっくりと揺れる。普通の人間ならば、判断を下すのに時間を要するだろう。

 しかし、アルスは即座に口を開く。


「勿論。俺は行商人、強欲の権化だ。お前の事や、深緑の歌姫が何なのかも知りたい」


 深呼吸をし、アルスは最後に告げる。


「そして俺は、ティアが好きだ」


 ユグドラシルが口角を上げた。


「よかろう。汝の記憶と意志を一年前に戻そう。そこで何が変わるか、千年も眠ってきた妾には至高の娯楽になるであろう。勿論、汝が望むなれば、然るべき褒美は与えよう」


 話は簡単だ。

 生きたければ。強欲を満たしたければ。

 一年前に遡り、世界を救え。

 ティアを惚れさせろ、という事だ。


「交渉成立だな。口約束だが、破るなよ?」


 アルスの意識はそこで途絶えた。

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